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元上司の訃報を知って思ったこと

※こちらの記事は、前アカウントにて掲載していた内容を移行したものです。(2021/03/26掲載)

先日、以前勤めていた会社の同僚から久々にLINEがあり、元上司のNさんが、去年2020年6月に亡くなっていたことを知りました。

私は、すぐにNさんの名前をネットで検索すると、すぐに名前と一緒に「死去」「交通事故」という文字が出てきました。

Nさんは会社を退職後、飲食業を立ち上げていたので、ネット上にも名前が上がっていたんです。

Nさんは、私の前職である会社の立ち上げメンバーのひとりで、私が入社した時に上司だった人でした。

その後、会社を退職し、兼ねてからやりたかった飲食の道へ進んでいたのでしばらく会ってはいませんでした。

Nさんは私と同じ年で、確か誕生月も同じだったので、入社当初から親近感があったのを覚えています。

仕事ではとても頭がキレる人で、たまに厳しい言葉が社内を飛び交っていたこともありましたが、私と話すときは、いつもクシャッとした顔で笑っている人でした。

なんていうか、独特な空気感のある人でした。


Nさんは、いつも誰かを誘ってランチに行っていて、私も何度か誘われたことがあったのですが、いつも断っていました。

当時の私は、基本的に休憩時間はひとりで自由に過ごしたいと思っていたので、Nさんに限らず、誰かと一緒にランチに行くことはほとんどなかったんですよね。

同僚の中には、仕事上、Nさんに強く言われていた方々も居たので、たまにNさんの愚痴を聞く機会もあったのですが、そのたびに、私はよく「そう?私はNさん好きだけどな〜」と、答えていたのを覚えています。

私がその会社に入社した当時は、まだ数人のベンチャー企業だったので、『Nさんは、会社が軌道に乗って落ち着いたら、ずっとやりたかった飲食の道に進むらしい』ということは、みんなが知っていました。

そもそも会社を立ち上げる時から、その約束だったらしい、とも。

立ち上げた会社がどんどん成長してきているのに、そこを辞めて自分のやりたい道を選ぶということも、とても素敵だなとも思っていました。

そのうちNさんは、自身のお店を持つ準備に取りかかりはじめ、定時になると「ごめんね、お先です」と言って、申し訳なさそうに帰っていくことが増えていきました。

責任者の立場でありながら、みんなを横目に自分が真っ先に帰ることに、少なからず気を遣っていたと思います。
だから早く帰る時は、いつも必ずみんなにスイーツやお菓子を置いていっていました。

同僚の中には、そういう姿をあまりよく思わなかった人もいたかもしれませんが、逆に私は、その姿がめちゃめちゃ好きでした。

自分の道をブレずに進んでいるな〜。
そう思っていました。

Nさんは、自分のやりたいことに向かって、一生懸命生きている。

私は、たいしてNさんと深く話をした事もないけど、どこかでそう感じていたのだと思います。
だから、ただ、尊敬していたんですよね。

あと、Nさんのことで強く覚えていることがあります。

ある時、私はとんでもない短髪にしたことがあって、ウイッグで隠して出社したものの、かゆくて社内で取ってしまったのですが、その時、当然のごとくみんな驚いて、社内が一気にざわつきました。

女性陣は、気をつかってくれたり、興味津々でいろいろと声をかけてくれたのですが、男性陣には、明らかに引かれて声もかけられず、距離を置かれてしまいました。

どう声をかけていいか、困惑したのだと思います。
後から聞いたら、めちゃくちゃ引いたって言ってました…。

そんな中、Nさんだけは、「すごいね。なかなかいいじゃん、〇〇ちゃんは美人だから何でも似合うね」と、さらっと声をかけてくれました。

それは、決して気を遣っている感じではなく、ただ思ったことをそのまま言った印象でした。

そもそもNさんは、お世辞とかが言えるタイプではなく、どちらかと言えば、思ったことを正直に言ってしまって、デリカシーがない、失礼だと言われるようなタイプでした。

そういうところでも、Nさんは、他の人とは少し違うと感じていたのかもしれません。

そしてNさんは、自分のお店がオープンする前に、会社の全員を無料で招待してくれました。

Nさんのお店は、隠れ家的な小さなお店で、一番安いコースでも確か16,000円~という、私にはなかなか縁のないお店でした。

数人しか入れないお店だったので、私たちは仕事が終わった後、数人ごとに日をわけて、お店に招待されました。

そこで頂いたお料理とお酒は、本当に美味しかったです。

すべてお任せのコースで、Nさんからは、お料理や器、日本酒への愛が溢れていました。

その道では有名な利き酒師だったNさんは、一品ごとにその料理に合う日本酒を出してくれました。

私は、そんなお店に入ったことがなかったので、そのことだけでも、とても新鮮だったのですが、何よりも、Nさんが、この日本酒がどこのお酒なのか、なぜこのお料理の相方に選んだのかを、とても楽しそうに語っていて、なんだかその空間にいるだけで、幸せな気持ちになったのを覚えています。


まだオープン前の出来上がっていないお店で、私たちは雑談をしながら、楽しい時間を過ごしました。

納品されたてのお店の暖簾を見せてくれたNさんは、とっても嬉しそうでした。お店の名刺も貰いました。

帰り道に、会社の人を全員無料で招待して凄いな、と思ったと同時に、きっと彼なりのまわりに対する感謝の気持ちなんだろうなって

だから、今度来るときは、私も誰かを連れて、ちゃんと自分でお金を払って食べに来たいな〜と思ってその時のことを妄想していたら、

Nさんはびっくりしながらも、再来店した私に、笑ってくれている気がしていました。

その後、あまり覚えてないのですが、Nさんは、しばらくの間は、昼間は会社で働き、夜はお店を切り盛りしていたのだと思います。

そして、いつの間にか会社から完全に居なくなっていました。

Nさんのお店は、オープンしてから1年ほどでミシュラン一つ星を獲得していて、それからも9年連続で、獲得し続けていました。

Nさんのお店は、今もネットをたたけば出てくるし、生前のNさんの写真もたくさん出てきます。

お店も、Nさんの意思を受け継いで、今も営業されています。

私は、Nさんの訃報を聞いた後、しばらく、いろいろなところで取り上げられていたNさんの記事を読んで、ネット上に残っているNさんの写真をずっと見ていました。

Nさんの多くの写真は、作務衣を来ている姿でしたが、一枚だけ白いシャツ姿の写真がありました。

私が会社で見ていた、当時のNさんそのままでした。

私の目からは、とめどなく涙が溢れ出てきて仕方ありませんでした。


亡くなってから、もう10か月が経っているのに、何も知らなかった。

その時、私は何をしていただろう。


たまたま、この訃報が届く2日前、私は断捨離で今までの名刺をすべてシュレッダーにかけていました。

Nさんのお店の名刺も、懐かしいなと思ったものの、他のものと一緒にシュレッダーにかけてしまいました。


また、会いに行けると思っていたから。

享年41歳、私と同い年。

Nさんは、素敵な人でした。


私も、そして身近にいる大切な人も、必ずこの肉体を離れる時がきます。

これからも、自分の身近な人、大切な人が亡くなることもあると思います。

そして、私自身も。

それがいつ来るのか、明日なのか、もっと先なのかは誰も分からない。


生きているということ、そして、この何気なく過ごす日常は、当たり前じゃない。

この身体があるうちに、出来るだけ会いたい人、大好きな人に感謝を伝えておきたいと改めて思いました。

Nさんのように、過去自分が関わってきた人が、知らないうちに亡くなっていたりすることも、きっとあるんだろうと思います。

共通の知り合いがいなければ、知るすべもないから。


生きていると、忙しない日常に流されて、明日は当然来るもので、当たり前にずっと続くと思ってしまうのですが

でも、そうじゃないことに気付かせてくれるタイミングがあって、その多くは、誰かの死や、自分自身の病気などであることが多いと思います。


Nさんの死は、またいろいろなことを考えさせられました。

Nさんの死を、その当時知っていたら、私はどうしていただろう。

きっと、Nさんの身近にいた人たちは、私がこうやって何も知らない間、とてもつらい日々を過ごして、今も乗り越えているんだと思います。


私の両親は、二人とも既に他界しています。

身近な人の死は、生きているうちに味わう、最大の試練だと思います。


少なくとも私は、その最大の試練を経験して、たくさん学ばせてもらいました。

だからこそ、本当に大切なことを、見失わないでいたいと思います。

今はまだ、Nさんを想うと涙が止まらないから、他の人にも迷惑をかけてしまうから、気持ちが落ち着いたら、以前の同僚を誘って、お店に行きたいと思います。


いろんなことに気付かせてくれた、Nさんに感謝します。

また必ず、お店に行きますね。

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