君が為シリウスは輝く 第23話
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「頼みって、ただの見張りじゃねぇか」
不満げなシャウラの声がコックピットに飛び込んでくる。
「文句言わないで。こんなこと頼めるのシャウラしかいないんだから」
「へいへい」
タブレットにオルキヌスの設計図を表示させて実物と見比べる。
コックピットの後方には機体を制御する中枢回路が詰まっている。
メンテナンス用のスペースはコックピット壁を隔てた向こう側。
「あった」
演算装置のうえに立って壁面を撫でていると、緊急燃料補給口の隣に小さな膨らみがあった。ピンポイントで何秒か押し込むと、がきりという鈍い音といっしょに壁面の一部が外れた。
「おいおい、なんか不吉な音がしたぞ。やべぇことしてんじゃねぇだろうな」
「わたしを不良みたいに言わないでよ」
微妙に湾曲したパネルを持ち上げて、シートにおっかなびっくり乗せる。
思ったよりも重量がある。落としたらただじゃすまないな。
「どっからどう見ても不良だろうが。勝手にいじくったのがばれるとお前まで懲罰房だぞ。メンテナンスくらい俺たちに任せてくれよ」
「別にそういうわけじゃないって」
「じゃあどういうわけだよ」
「内緒」
「あぁ、そうかそうか……」
がっくりと疲れ切った声のシャウラだった。
対してわたしは、若干わくわくしている。パネルの下に現れたメンテナンス用の細い通路。工具とタブレットとライトを持って体をねじ込んでいく。ちょっとした冒険みたいだった。
設計図に中枢部の詳細は描かれていない。うまく白抜きされていて隠れてしまっている。指揮官とはいえメカニックでないわたしには、設計図の細部にアクセスする権限はないらしい。
自分でいろいろ確かめるしかない。シャウラに聞くわけにはいかないし。
と、突き当たりに真っ赤な七角形のパネルが待ち構えていた。七本の太いボルトでがっちりと固定され、不自然に物々しい。この下に重要なものがあるんだと言わんばかりだった。
笑いがこぼれそうになる。あの奥には何かがあるに違いない。オケアノスそのものを揺るがすような秘密が。それは間違いなく、オケアノスの性能に関わるはず。
いじったらどうなるだろう。故障? 懲罰房? 怖さがないわけじゃない。
でもそれ以上にわたしは決めたんだ。ベルのために生きるんだ、って。生き残るためには、オルキヌスの性能も高くしなくちゃいけない。機体の性能が上がる可能性があるのなら、どんなことでもやってみるべきだ。これだけ厳重に隠されているということは何かしらのリスクがあるのかもしれないけれど、それでもやってみるべきだ。
「昔はもっとまともだと思ってたんだがなぁ」
「誰のこと?」
「シリウスに決まってんだろ」
「わたしはいまでもまともだと思うけど」
ライトを脇に置いてドライバーを赤いパネルのボルトにあてがう。とてつもなく固い。何年間も触れられていないのかもしれない。ドライバーに補助用のグリップを横向きに取り付けて何度か叩くと、ようやくボルトが動き出した。
「訓練のほうはいいのかよ。お前、この時間帯はいっつも射撃シミュやってたろ」
「一日くらいサボったって問題ないよ」
「お前、十年くらい前に俺が腹痛で寝込んだとき、サボるなってベッドから引きずり出そうとしてきたろ」
「あぁ、そんなこともあったっけ」
さすがにいまはそんなことしないけど。
あのときは、幼さのせいもあって次期艦長という使命感が暴走していたから。
「そんなお前が自分からサボるとはねぇ」
「休めって言ったのはシャウラじゃない。二週間働きっぱなしだったんだし」
「それもそうか」
少しだけ緩んだところで対角線上のボルトに移動してちょっとだけ緩める。また対角線上に移動して緩める。こういう地味な作業をひたすら繰り返していく。こうしないと部品が歪んでしまう恐れがあるから。メカニックなら絶対に守っているルール。
ルールを守りながらルールを破るなんて我ながらおかしい。
「おいおい、カチャカチャ鳴っててすげぇ不吉だぞ」
「大丈夫大丈夫」
思ったより音が響くらしい。ただ、それくらい力を入れないと回らないくらいにこのボルトは頑固者だ。もう少し乙女の腕力に配慮してほしい。
「やっぱりとんでもねーこと考えてるんじゃないだろうな」
ラフな言葉遣いがかえって真剣味を帯びる。低い声が、珍しく男らしい。
わたしは答えずに手元の作業に集中した。とんでもねーことを考えているから。
ボルトがだいぶ緩んできた。作業のペースも上がる。真上。下の左側。真上から右に一個目。一番上から左に二個目。そんな感じであっちとこっちを行ったり来たりしながら、なるべく同じ回数だけ回していく。
「ったく、本当に大丈夫かよ」
「やけに心配性じゃない。どうしたの」
シャウラが心配性なのは昔からだけれど、ここまで口に出すのは珍しい。
「別に深い話じゃねぇんだけどよ。ベルがお前のこと連れてうえに行っただろ。そんとき、すげー怖くなったんだよ。シリウスが死んだらどうしようって」
「ふぅん」
あからさまな不安を突きつけられると、さすがに恥ずかしくなってくる。
「さっきもえらく昔のことを引っ張り出してくるし、本当にどうしたの」
「いや、懐かしいよなぁって」
「わたしは、そうでもないけど」
「ほんっとに風情の欠片もねぇのな……」
よく覚えてるからそれほど懐かしさを感じないっていうだけなんだけれど。
まぁ、この感覚はシャウラにはわからないだろう。
と、ようやくすべてのボルトが抜けた。パネルを外すと、わたしの顔くらいの大きさで思ったより重い。壁に立てかけて、隠されていた中身のほうにライトを向ける。
「まぁいいや。じゃあ、俺の思い出話に付き合えよ。まだ時間かかるだろ」
「別にいいけど」
プラグの挿入口がいくつかあるだけのシンプルなブラックボックス。もしこれが通路に転がっていたら、特に気にも留めないだろう。果たして中身はなんだろうか。
タブレットからコードを伸ばしてプラグに挿入。簡単な入力ウィンドウが出てくるだけだった。パスコードが必要らしい。こんなこともあろうかと、用意していた解析用のプログラムを走らせる。
「ナオとお前がごたごたする前は、俺たち四人で訓練もしたんだけどなぁ」
「あのころからベルは操縦に関しては頭ひとつ抜けてた」
ディスプレイ上で無数の数字が現れては消えを繰り返す。
その様子を見守りながら、シャウラの話に適当に相槌を打つ。
「確かにな。俺たちがやっと歩けるかどうかって段階なのに、その横でぴょんぴょん飛び跳ねてたもんな」
それだけ、ベルの才能は圧倒的だった。突然変異と言ってもいいかもしれない。
「俺もそこまで苦手だとは思ってなかったんだがなぁ」
「修了したのは早いほうでしょ」
ベルには劣るけどシャウラだってだてにセファイエに乗っていない。
「つっても射撃訓練はシリウスに負けっぱなしだったからな」
「そっちが下手だっただけじゃない」
「まぁ、そうなんだけどよ」
射撃訓練の成績は、ベルは僅差で三番目だった。
「そのころか。急にナオがシリウスを目の敵にしはじめたのは」
「七歳になったとき」
「何があったか聞いても、全然答えてくれねぇんだよなぁ。シリウスが何かやったわけでもないだろ」
「当たり前でしょ」
本当に、いつも通りに接していたらある日いきなりナオスの態度は変わっていた。
当時のわたしは戸惑いはしたけれど、一週間くらいで慣れてしまった。
そういうもんなんだ、という納得と言ってもいいかもしれない。
「普通に試験して、普通に訓練して、それだけ」
「それじゃないか? ナオ、頑張っていい点数とってもお前に軽々超えられてたろ」
「それであんな態度になる?」
「ならないよな。っつっても、やっぱナオの近くにいる身としては釈然としねぇよ」
ジェラシーとか悔しさみたいなものはもちろん人間性を変えるけれど、それだけでナオスの態度が説明できるとは思えない。テストの点数が常にわたしの次だったからと言って、十年後のいまでもことあるごとにわたしに突っかかってくるだろうか。
「わたしが負けてたほうがよかった?」
「どうだろうな」
結局、何が彼を変えてしまったのか、いまのわたしにわかるはずもない。
ナオスはそういう人間なんだと納得して、なるべく穏便に接するしかない。
「ただ、もっとうまくやれたんじゃないか、とか、やれることがあったんじゃないか、とか、いまでもたまに思うんだよ。ナオのツーマンセルは俺なんだから」
悔しさがにじみ出ている。どうしてそこまでするんだろう、と思わなくもないけれど、いろいろ気にしてしまうのが良くも悪くもシャウラ。ナオスの身近にいたのはシャウラ自身だからこそ、自分のことのように感じてしまっているのかもしれない。
「ナオス個人のことなんだし、シャウラが深入りするようなことじゃないと思う」
「もっとナオに気遣ってやるべきだったのかな」
「気遣ったところで、どれだけ変わるかどうか」
こう言ったところで慰めにもならないだろう。
「それもそうだな」
いまのシャウラはそっとしておいたほうがよさそうだった。
そうこうしている間にタブレットの表示が変わった。『S2091O0803S』でとまっている。アクセスコードを無事パスできたらしい。たった十一桁のコードで守っていたのはいったい何だったんだろう。
実行と書かれた部分をタップする。
声が漏れそうだった。
咄嗟に口元を手で覆う。
GRIFFONと書かれていた。わたしが実行したのは、GRIFFONの制御プログラムらしかった。ここから設定をいじれば、通常よりも強力な斥力場を発生させることができるかもしれない。機体の運動性能は飛躍的に向上する。
設定方法は驚くほど単純だった。出力の上限値や操縦桿の感度、ご丁寧に上限出力を出すためのコマンドまで設定できるらしい。わたしは迷わなかった。出力の上限値を装置が出せる限度いっぱいに設定して、コマンドも適当に決めておいた。
もしかしたらレーザーやバルカンの制御装置もどこかにあるかもしれない。期待に胸膨らませて、いじるところのなさそうなGRIFFONの制御装置を片付ける。
「そうだ、覚えてるか?」
久しぶりに口を開いたと思ったら、やけに熱っぽかった。
「どれを?」
「お前、実機訓練に入った直後はかなり苦戦してたよな。まさかお前がホログラフィックパネルの操作に限って苦手だったなんて、ウェズンもアナも思わないだろうな」
「人間誰にだって苦手はあるんだから」
「狙ったボタンが押せないって泣きべそかいてたくらいだったよな」
「あぁもう、いまはちゃんとできるようになったんだから」
苦々しい記憶を呼び起こされて無性に背中がむずむずする。
「仕方ないでしょ。タブレットと違って距離感とか方向が掴めなかったの」
「そういや実機訓練入ったときはもう八歳とかだっけか。お前、暇さえあればずっとタブレット触ってたもんな」
「タブレットとパネルの操作方法が中途半端に似てるからややこしいの」
タブレットは二次元、ホログラフィックパネルは三次元。二次元と三次元で似たような操作をしなければいけないから、感覚は同じようでいて全く違う。タブレットなら操作したい場所に触れられるのに、ホログラムだと突き抜けてしまう。
わたしが苦手だったのは、そのせい。
「あぁはいはい、むきになんなって」
「何それ。それだったらシャウラだって、機動シークエンスの手順全然覚えられなかったじゃない」
「いいんだよ、いまはちゃんとできてんだから」
「あとは発進シークエンスの手順とか、通信での話しかたとか、あとそれから――」
「悪かったって。思い出させないでくれよ。暗記詰めの日々は思い出したくねぇ」
「思い出話はじめたのはそっちでしょうが」
「だから悪かったって謝ってんだろうが」
荒っぽい口調のわりには心地よさそうで、温かい声色だった。
その癖、変な緊張感というか、浮わついた空気が漂っていた。
「ホログライックパネルのコツだけは俺でも教えられたんだよなぁ。そのほかのことはお前に教わりっぱなしだったが」
わたしは無意識に警戒する。シャウラの緊張感がどんどん高まってきたから。
「情けねぇよなぁ、俺も。けどよ、俺だってもうちょい頑張れる気がするんだ」
次の言葉が来る前に、口を挟む。
「昔の話はいいよ。そんなに覚えてないし」
一瞬の沈黙。
「……そうか。それもそうだよな」
しばらく沈黙が流れて、やっとすべてのボルトが元通りの位置に収まった。
「シャウラ。もう終わったから、先に帰ってていいよ」
「……あぁ、わかった」
足音が、遠のいていく。
「次の戦闘、いつだろうな」
「どうかな。最近、敵のほうも好き勝手してるから」
「違いない」
二週間にいちどの襲来はヴァスィリウスの生物的な習性だのなんだのと言っていた日が懐かしい。あのときはまだレグルスもいた。スピカも、アークも。でも、三人が死んでからまだ十日ほどしか経っていない。
「じゃあ、そんときはまた頼むな」
「うん。今日はありがと」
やがて格納庫の扉がきしんで、ばたんと閉まった。まるっきり静かになる。
明かりは小さなライトだけ。狭くて薄暗い空間では、自分の鼓動がやけにうるさい。息を落ち着かせるようにしばらくぼーっとする。
ほかのところをいじくるのはまた明日にしよう。
そう思ったら、音がした。格納庫のなかからだった。
まさか、誰かがいた?
大急ぎでコックピットに戻り、コックピットパネルを音が鳴らないようそっとはめ直して、ハッチから周囲を窺う。
ナオスが、シリウスのセファイエから出てくるのが見えた。
何をしていたんだろう。わたしは彼の後をつける。いくつかの角を曲がる。
途中、見慣れた場所を通った。けど、すっかり様変わりしてしまっていた。大きな鉄の扉。絶対に開くことがないように可動部分が樹脂で固められて、立ち入り禁止の文字がでかでかと書かれている。
窓が割れて水没してしまった、展望室の扉だった。展望室はもうない。ベルが見つけたチョウチンアンコウもいない。どれだけの時間をこの部屋で過ごしてきたっけ。
ここにいるときはいつもベルがいっしょにいてくれた。
ベルといっしょにいた時間が、なんだかぼやけてくるような感覚に陥った。
喪失感と空虚感に苛まれながらもナオスを追いかけていくと、つい一昨日まで毎日のように訪れた場所だった。
懲罰房エリアと唯一つながっている通路。その向こうから声が聞こえてくる。
「ベルが言っていた忘れ物、コックピットにはなかったよ」
「そう。じゃあわたしの勘違いだったみたい」
「ところでさ、ベル。どうしてうえに行ったんだよ」
「あはは、ちょっとね」
「それじゃわからないな。もう会えないんじゃないかって心配したんだから」
ナオスの声だった。どうして彼はここに来ているんだろう。
「内緒。帰ってきたんだからチャラにしてよ」
「仕方ないなぁ」
こんな柔らかに話すナオスは新鮮だった。相手がよりによってベルだなんて。
「ところでさ、うえはどんな感じだった。やっぱり明るかった?」
「それも内緒」
「また?」
「仕方ないよ。言えないものは言えないんだし」
とりとめのない会話。ナオスの口ぶりはとても楽しそうだった。
「ここにはどれくらい入ってるんだい?」
「わからない」
「それもわからないのか?」
「まだミモザから言われてないからね」
「ふうん。でも、ちょっと前からずっと入りっぱなしで暇じゃないか?」
「仕方ないよ」
新鮮なのはベルに関してもそうだった。いつもと違って口数少なく捉えどころがない。暗いというわけではないけれど、落ち着いていてどこかミステリアスな魅力さえ持っていた。
わたしが知らないベルの一面。
なんだか突然、胃の底がかっと熱くなった。やけに心臓のあたりがむしゃくしゃする。ベルが普段と違うから? そのすぐ近くにいるのがわたしではなくてナオスだから? それとも、ナオスに対していつもと違う姿をベルが見せているから?
答えが知りたくて、手を伸ばした。
ぱちりと電気が走った。脱走犯を防ぐための電磁柵。
「痛っ」
「誰だ!」
叫ぶナオス。
気づけばわたしは走っていた。
わけがわからなかった。
どうして、収容もされていないわたしに電磁柵が反応したのか。懲罰房エリアなんて普通の人は出入り自由なんだから、わたしが拒まれる理由が見当たらない。
でもそれ以上に、何もかもわからなかった。息が苦しい。目が痛い。手が震える。
何を考えているのかすらわからない。どうしてこんなに頭がぐちゃぐちゃなの。
とにかく走った。そうするしかやりようがなかった。どうせあそこにいたってわたしには何もできない。つまづきそうになるたび、自分がどんどん惨めに思えてきた。
それでも走って、展望室の前を過ぎて、いくつかの倉庫とブリーフィングルームも越えて、角を曲がろうとしたら――。
「あっ」
「きゃっ」
何かにぶつかりかけてバランスを崩したわたしは、尻餅をつく。
ほぼ同時に、けたたましい金属音が響いた。
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