君が為シリウスは輝く 第12話

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 窓の向こうには真っ暗な深海が広がっている。少しでも心を落ちつけようと展望室に来たのに、かえって掻き立てられている気になる。これじゃあ、まるで逆効果だ。

〈アルマよりレグルスへ。注水終了。ハッチオープン〉
〈レグルス、了解。……って、一日で二回も護衛に出るとはな〉
〈確かに確かにー〉
〈シリウス、配置はどうすりゃいい〉

 インカムに通信が入る。
 カフと、警戒のために出撃した三人。レグルス、スピカ、アーク。

「ハッチからあまり離れないで。場所は十二時と四時と八時で」
〈了解〉
「じゃああとは、いつもの回収護衛と同じ感じで」
〈はいはーい〉

 何か変だ、といくらわたしが言ったところで、その根拠はベルとレグルスの勘だ。ORDERには何も映っていないのだから、戦闘態勢を続ける必要もない。それが大人たちの判断。妥当だとは思う。オケアノスを出撃させるのだってそれなりのエネルギーが必要だから。
 結局、通信用のインカムを特別に貸してもらっただけで終わった。

 戦闘後恒例の、ヴァスィリウスの屍を回収する作業がいつものようにはじまり、回収専用機体のオラトリアを見守るための護衛だけが出撃した。
 それでも、護衛の三人はベルとレグルスの予感を信頼して、通信を入れてくれる。

〈レグルスは二回の護衛って言ったけどさ、出撃だけなら今日は三回目じゃん?
 なんか出撃しすぎて変な感じ〉

 巨大ヴァスィリウスとの戦闘、その後の回収護衛、そしていま。こんなに出撃が集中することは滅多にない。こういうところにも今日のイレギュラー具合が顔を出す。

「βの戦闘が一瞬で終わっちゃったからね。次の戦闘はβを出すつもりなんだよ。だから、あっちの疲労がたまらないように、こっちで片付けろってこと」
〈そういうことぉ。だから悪いけど、もうちょっと我慢してもらえるかなぁ〉
〈はーい〉

 気になることはもうひとつ。回収に向かっているのがベルだということ。護衛はエネルギーを節約するためにアルマからは離れないけれど、ベルはレーザーの射程限界、三キロ先に向かっている。ベルはいまひとりだった。
 なぜイレギュラーな襲来が発生したのか、その理由を探るためには少しでも早く屍を回収して調べなければならない。その理由も妥当だと思う。
 けれど、はっきりしないことが多すぎる現状、ベルに行ってほしくはなかった。

〈シリウス、そっちはどんな感じ?〉

 わたしの気分とは裏腹な明るい声が、個人通信を介して聞こえてくる。
 こっちの心がわかっているんじゃないかとドキリとした。タイミングがよすぎる。

「ど、どんな感じって……?」
〈どんな感じって、どんな感じだよ〉

 困った。まさか、心配で窓の向こうをずっと見ているだなんて恥ずかしくて言えない。いや、別のことを言えばいいだけか。

「こっちはもうすぐ配備が終わるよ。ベルのほうは?」
〈もうすぐで着くかなって感じ〉
「気を付けてね」
〈大丈夫大丈夫。いざとなったら逃げるから安心してよ〉

 オラトリアは図体が大きくて機動性皆無だけど、ベルのことだから本当にできるかもしれない。だからといってすぐに安心できるのなら苦労はしない。

「耳鳴りは治った?」
〈うーん、さっきよりはましかな〉

 いい知らせかもしれない。ちょっとだけ、安心。

「そっか。このまま何もなかったらいいんだけど……あ」
〈どうしたの?〉

 海の底が白くなった。見慣れた影がくっきりと切り取られた。

「チョウチンアンコウ。いつもの」
〈ほー、なかなかしぶといね〉

 あのチョウチンアンコウも、なかなか多くの戦闘を潜り抜けている。
 やっぱり運には恵まれているんだろう。ますます、良い予感がしてくる。

「早く帰ってきて。いっしょに見よ」
〈うん、そうだね。ぱぱっと片付けちゃいますか〉

 そうなってくれるなら願ったり叶ったりだ。

〈じゃあわたし、作業に集中するから通信切るね、またあとで〉
「了解」

 ぷつりと切断の音。落差のせいでやけに静かに感じた。回収作業が終わるまでどれくらいだろう。いつもなら小一時間かかるけれど、今回に限っては敵の規模が小さかったからすぐ終わるはず。それまでの辛抱だ。

「レグルス、スピカ、アーク。そっちはどう?」

 仕事中のベルに話しかけることもできないし、警備中の三人に通信を入れる。

〈あー、こちらレグルスだ。アルマ屋上異状なし〉
〈ぎこちねぇぞ。聞いてるこっちが恥ずかしい〉
〈確かにー。指揮官の真似してる赤ちゃんみたいね〉
〈し、仕方ないだろ! 護衛中に通信するなんて慣れてないんだ、こっちは〉
「別に、そんなにかしこまらなくていいよ」
〈そ、そうか〉

 やっぱりレグルスは大人だな、と思った。さっきの説教でぎくしゃくすることもない。それどころか、恥ずかしさを押し隠しているようなレグルスに、ついみんなが笑い出してしまう。

「レグルス。さっき言ってた肌のぴりぴりは治った?」
〈むしろひどくなっているような気がする〉
「そっか。耳鳴りとかはしない?」
〈んん……、言われてみればするような気がしないでもないな〉
〈疲れが溜まってるんじゃない? シェダルの相手で大変でしょ〉
〈わたしはそんなつもりはないんだが……〉
〈単に歳なんだろ、最年長〉
〈ほう、言うようになったじゃないか〉
〈あはははは! 歳、歳って、アーくんも人のこと言えないのに!〉
〈お前も俺と同い年だろうが!〉

 長い付き合いゆえの、賑やかで屈託のない会話。
 わたしが入り込める隙はなさそうだった。
 でも寂しい気持ちは全然なくて、隣で聞いているだけで心が穏やかになってくる。もうじきレグルスは二十五歳になって、アステリズムを引退する。邪魔しないほうがよさそうだ。

「じゃあ、何かあったらまた連絡するから」
〈あー、了解した〉
〈もうちょっと何とかしろ〉
〈あはははは!〉

 スピカの笑い声をぶつ切りにする。おかげでだいぶ心が軽くなってきた。
 このまま、チョウチンアンコウを眺めながら時間を潰すのもいいかもしれない。
 そう思ったのに、

〈あ、ねぇねぇ、シリウス〉

 スピカからの個人通信だった。

「え、どうしたの、何かあった?」
〈シリウスに言っておかないといけないことがあるのよ〉

 まさか敵が、と身構えていたけれど、スピカの声はまったく逆の雰囲気。

「……やけにしおらしいじゃない」
〈わたしって結構乙女な性格なんだけど〉
「えぇ……」
〈ちょっと、本気で引かないでよ〉
「はいはい、わかったから。言いたいことって何?」
〈いやーん、でもやっぱり恥ずかしいーん〉
「あのねぇ……」

 これは絶対コックピットのシートでもじもじしている。そんな歳でもないのに、とは口が裂けても言わない。せめてこの冷ややかな思いが伝わってくれれば。

〈冗談冗談。それで本題なんだけど〉

 それまでの華やいだ声色はそのままに、すっと真剣みが増した。

〈実はね、アーくんと子供をつくれることになりまして〉
「へ?」

 あまりの驚きに、眼鏡がずれてしまいそうだった。

「ほ、本当? すごい、すごいよ。おめでとう。そこまで進んでたんだ」
〈うん、ありがとう。でもまだ信じられなくって。わたしたちの遺伝子が、検査をパスするなんて思ってなかったから〉

 もっと何か言ってあげたかったのに、好い言葉が見つからない。
 パートナーと子供をつくる。もちろん大昔と違って人工の子宮を使わなければいけないけれど、ふたりは自分たちの意思で望んだ相手との子供を授かることができる。
 これが、どんなに幸運なことか。

「いつわかったの?」
〈ついさっき、ね〉

 わたしが悪戯をされていたくらいだろうか。まさかあの裏でこんなとんでもないことが起こっていたなんて。

「じゃあ次の機械受精で?」
〈そうよ。ちゃんとミモザに遺伝子採取してもらわないといけないけど〉
「そっか。本当によかったね」
〈ええ。わたし、とっても幸せ。奇跡みたい〉

 海底という環境だから優秀な子を残さなければいけない。ふたりが望んでもプログラムが認めてくれないと子供は授かれない。プログラムが認めてくれる確率は一パーセント未満。そもそもパートナーになること自体が珍しいのだから、望んだ子供を授かる確率は万にひとつ。
 だから、機械が数学的に産み落とした子供が、全人類の大部分を占める。
 だから、愛によって生まれた子供は限りなく特別だ。

 スピカとアークは遺伝子の壁を乗り越えて、愛の子を授かろうとしている。
 ちょっとくらい浮かれても大目に見てあげよう。

〈いつぐらいに赤ちゃんに会えるかしら〉
「いま人工子宮に入ってる子たちが産まれるのがもうちょっと先だから、スピカの赤ちゃんは一年後くらいかな」
〈出撃十数回ってところか〉

 スピカだってだてに生き延びていない。これまで百以上の出撃をこなしている。そんな彼女でも、十という数字をこぼす声は重くて、徒労感にまみれているようで、けれども力強さがみなぎっていた。

〈生きないとね〉
「大丈夫。わたしが死なせはしないから」
〈頼りになるぅ〉
「任せて」

 と、個別通信が割り込んでくる。

「あ、ごめん、スピカ。通信が入ったから」
〈了解ー〉

 言い終えてすっきりしたのか、去り際も軽やかだった。

〈シリウス、いまいい?〉

 なぜかまたどきりとする。悪戯しているところを見つかったような気分だった。

「ど、どうしたの、ベル。何かあった?」
〈うん、さっきから回収してるんだけどね。ちょっとおかしくて〉

 ベルの声はやっぱり、何かに化かされたような戸惑いをまとっている。胃袋が十分の一に縮こまった、それくらい嫌な感覚が体中に走る。でも、いちばん嫌な予感がしているのはベルのはず。わたしが慌てちゃいけない。冷静に、話を聞き出す。

「おかしい? どんなふうに……」
〈おかしいっていうか、いつも通り過ぎて逆におかしいの〉
「どういうこと?」
〈本当に、いつも通りなんだよ。回収してるヴァスィリウスの屍が。OLVISで見る限りはいつも戦ってるのと同じなの。大きさも見た目も、まったくいっしょ〉
「新種じゃないってこと……?」
〈うん、たぶんね〉

 ベルの目は信頼できる。ベルの感覚は当たっている。けれども、やってきた群れの速度を鑑みれば、どう考えたって異常なところがあるはず。

〈どうしてあんなに速かったんだろ〉
「新種でもない、おかしなところもない。病気とか?」
〈病気じゃさすがに見ただけじゃわかんないや〉
「こっちで診てもらわないとね。でも、もし病気じゃないとしたら……」
〈病気じゃないとしたら?〉
「何かから逃げてるとか?」
〈奴らが逃げるような相手っている? さっきの大きい奴も関係してるとか?〉
「それは科学班の調査次第かな」

 巨大ヴァスィリウスの屍はすでに回収作業を終えて調査に回されている。戦闘のときはとにかく戦うので必死だったけど、あの大きな奴だって新種の可能性は高い。

〈じゃあわたしが考えてもしょうがないかー〉
「そんなことないよ」
〈シリウスはいいよねー、頭良いから〉
「なんでその話になるの」

 笑い声に交じって、がしがしと操縦桿を動かす音が聞こえてくる。
 なんだかんだで通信を保ってくれることが嬉しい。

〈あ、これ……〉

 その呟きから、わたしは感情を読み取ることができなかった。

「……どうしたの」

 張り裂けそうな心臓を抑えながら、恐る恐る尋ねた。

〈えぐり取られてるみたい……〉
「レーザーじゃなくて? 焦げた痕は?」
〈無い……〉

 ひとつの仮説が頭のなかを巡った瞬間、部屋のなかが暗くなった。

 わたしは、その瞬間を見てしまった。チョウチンアンコウの光が消える瞬間を。
 その光は上下から闇に覆われた。普通ではありえない消えかた。
 例えるならば――。

「ベル、よく聞いて。絶対に動かないで。アームも動かしちゃダメ」
〈え? う、うん〉
「お願い、絶対に動かないでね」
〈わかった〉
「通信、切るよ」
〈うん――〉

 例えるならば、はるかに巨大な生物に食べられたような。

 ぴしり。

 部屋の奥から最悪の音が響いた。窓にヒビが入っていた。


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