君が為シリウスは輝く 第16話
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寝かせたいのか寝かせたくないのかどっちなの、と頭のなかでは別なことを考えつつ、ミモザの小言を聞くふりだけしてやりすごした。一応、休息しろという指示を破ってたのはこっちだし、文句は言えない。
小言が長かったからか、どうも思考が散ってしまう。深いもやがかかったみたい。脳みそをどれだけ絞っても無駄知識の一滴すら出てこない。このままでは、ただの話し相手で終わってしまう。今日だってカフの愚痴を聞いていただけだったし、そういう役回りも必要と言えば必要だけれど、そこに甘んじたくはない。
気が付くと、もう自室の前だった。
辺りはしんと静まり返っている。みんな、ちゃんと寝ているんだろう。
ベルももう寝ているだろう。
でも、わたしは寝るわけにはいかない。ちょっとでも時間が惜しいときにそんな悠長なことはしていられない。入眠装置をマイナスにすれば、もうちょっと頭もすっきりするはず。せめて、調べものくらいはできるようになるはず。
そう決めて部屋に入る。ベルを起こさないように静かに――。
「シリウス!」
「起きてたの?」
背中に回る手、ベルの息遣い、頬をくすぐる水色の髪。驚くと同時に脳みそから気怠さが消えるような気がした。ベルは生きている。レグルスもスピカもアークも死んでしまったけれど、ベルは生きてる。新種はまだ来ていない。わたしたちには、まだ時間がある。
というか――
「ベ、ベル、苦し……腕……」
やたらめったら力任せに抱かれている気がする。
「あ、ごめん……」
ベルの体がびくりと離れかけたので、逆に抱きしめ返した。肩にベルの額が乗る。
「ううん。どうしたの、ベル」
わたしたちは裸の関係なんだから。
「だって、ミモザに起こされてさ、そしたらシリウスいないんだもん」
むっとした声。背中の布がきゅっと引き絞られる。
「どこに行ってたの?」
「カフに呼ばれてラボ。科学班でいろいろやってるから、その助っ人、みたいな?」
「そう」
これは、ちょっとやそっとでは直るような機嫌じゃなさそうだった。
「ねぇ、ベル……うっわ!」
腕を引っ張られて、視界がぐるんとうえを向いて、背中からベッドに落下した。
マウントを取られて動けない。
「え、えっと……」
「シリウス、大事」
額同士がこつんとくっつく。
「おでこは治っても、そんなに無理ばっかりしてたらまたどこかおかしくなっちゃうよ。わたし聞いてたんだから。さっき、休養の指示が出てたでしょ。シリウスもちゃんと寝ないと」
息苦しさと、後ろめたさ。
ベルが心配してくれることはとても嬉しいけれど、どうしてベルの言う通りにできないんだろう。どうしてこんなに心臓が早くなるんだろう。
「いまね、カフたちがいろいろ調べてる。やっぱり新種なんだって。いままでの奴らとは違う性質を持ってるし、体の構造もちょっと違うみたい。OLVISやORDERに映らなかったのはそのせいだって」
水色の瞳がほんの少し揺れた。
「ほかにもいろいろ調べてるけど、どうしても時間がかかるって。でも、新種がいつ襲来するかわからないし、倒す方法も早く見つけないといけないの。そのためにわたしが手伝ってる。大昔の知識のなかに、使えるものがあるかもしれないから。お願い。大目に見て」
ベルの視線といっしょに額がすっと下がっていって、ついには鼻筋と重なる。
「……一時間だけだよ」
片手をつないだまま、転がるようにベルはわたしから離れて、すぐ隣に並ぶ。
「わたしじゃ、何もできないから。シリウスの力にもなれないから」
「ベル……」
「すごいなー。わたし、科学班の人たちが何いってるのか、いっつもすぐわかんなくなっちゃうからさ」
ベルは退屈そうに天井を見上げた。
「知識量の問題だよ」
「だからすごいの。ちゃんとお勉強してるってことでしょ。艦長になるために」
視線が遠い。天井よりもっともっと遠くを見ているようだった。
その先には太陽があるのかもしれないし、もっと先があるのかもしれなかった。
怖くなって、わたしはベルと唯一つながっている右手できゅっと握りしめた。
「ベル。そんなことない。わたしは、ベルに助けてほしい」
「どうやって?」
ベルの左手が握り返してくる。
「考え事って、誰かに喋りながらやったほうがまとまったりするんだよ。ベルに、いろんなこと聞いてほしい。わたしがいま考えてること」
「そっか……」
そして、どこか誇らしげにわたしを横目で見てきた。
「うん。お話ししよ。裸の関係だからね、わたしたち」
「うん、裸の関、けい……」
お話し。裸の関係。何かが降りてきそうだった。
「いつものヴァスィリウスってさ、黒波を使って周囲の様子を探ったりしてるんだって。だから泳ぐときも、ちゃんとぶつからずに群れで泳げるの」
「うんうん。……あれ、でも、さっき来た奴って、OLVISとかORDERには映らないんだよね? 映らないってことは、黒波じゃあ位置がわからないってことじゃないの?」
「その通り」
確かにベルは知識は少ないかもしれないけれど、こういうところは戦士の勘なんだろう。なかなか深いところを訊いてくる。
「新種の鱗が、黒波を完全に吸収しちゃう性質を持ってるの。だから、黒波とは別の、お互いの位置を探す方法が絶対にあるはずなの」
「その方法がわかれば……」
「なんだと思う?」
「あ――」
ベルの表情がぱっと開く。どこまでも青くて透明な瞳にわたしが映っていた。脳内の回路がつながった心地よさからかクマの色は薄くなっていた。
「話せばいいんだ」
「そう。大昔にもね、いたんだよ。海中で話せる生き物が」
「水のなかでもしゃべれるの?」
「わたしたちが使ってる音とはちょっと違うけど、原理はほとんど同じ。特殊な音波を出して、コミュニケーションをとったり障害物の位置を捕捉したりしたんだって」
「じゃあ、もしかして新しく来た奴も」
「その可能性は高いと思う」
「ほんと? すごい、やっぱりシリウスすごいよ!」
「ううん、ベルのおかげ。ベルがお話しって言葉をくれたから」
わたしは、知識と知識をただつないだだけ。どれだけ知識を持っていても、キーポイントになるひらめきがないと、知識を綺麗につなぐことはできない。ひらめきをくれたのはベルだ。
「わたし、カフに教えてくる」
ベッドから飛び起きてタブレットを手繰り寄せた。
うまくいけば、ベルを死なせずにすむ。
「あ、うん、そうだよね……そうしなきゃいけないもんね……」
もどかしそうな口ぶりに、心臓が潰れそうになる。さっきあれだけベルが心配してくれて、一時間だけという約束もしたのに、破ることになってしまう。
「ごめん、なるべく早く戻ってくるから」
首を振って躊躇いを断ち切る。時間が一刻も惜しいのはわたしだけじゃない、アルマ、つまり人類全体が、時間を欲している。
「うん、いつ奴らが来るかわからないもんね。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
今度こそ駆け出して、ミモザに見つからないよう最大限の注意を払いつつラボへと急ぐ。この間に考えをまとめろ。いままでにデータベースから収集してきた知識を。
音。キーワードは音。
大昔、イルカやシャチという海洋生物がいた。超音波を発生させるための特殊な器官を持っていて、超音波でコミュニケーションをとったり海中の獲物を捕捉したり、挙句の果てに強烈な音波を獲物に当てることで気絶までさせることができたらしい。
何を隠そうその特殊な器官というのが、頭部に膨らんだ脂肪の塊、メロン体。新種に見つかった用途不明の脂肪の塊が頭部にあるというのは、決して偶然じゃない。
新種が何かしらの音波を発生させていたに違いない。ベルが訴えていた耳鳴りや、レグルスが感じていた肌の違和感は音波のせいだ。
じゃあ人類は何をすればいい?
簡単だ。そのための技術も装置も大昔に作られている。
SONAR。ORDERが黒波で敵の位置を捕捉する装置なら、SONARはその音波版と言っていい。大昔に作られたものだから設計図を探せば開発に必要な時間も短縮できる。
完璧だ。これなら新種にだって負けない。
ベルも死ぬことはない。
わたしはほとんど体当たりするような勢いでラボの扉をこじ開けた。
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