君が為シリウスは輝く 第22話

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「太陽が存在しないって……そんな……」

 沈んだベルの声は、どす黒い輝きを放っていた。
 信じていたものが崩れ去ってしまった、独特の黒さ。

「ま、待ってください、艦長。太陽が存在しないとはどういうことですか」
〈その通りの意味です。二度は言いません〉
「人類の目的は、太陽の下での暮らしを取り戻すことではなかったのですか」
〈機密事項です。アルマに還りなさい〉

 腰に回されたたベルの腕が震えている。わたしはベルの体をそっと抱き寄せた。

「ですが! わたしはまだ納得していません。この目で確かめさせてください」
〈太陽が存在しないことをその目で確認したとして、あなたは納得するのですか〉
「そ、それは……」
〈太陽が存在しないと知ってあなたはどうするのですか。大人しく帰ってこれまで通りの生活を続けるのですか? ですがそれは、太陽が存在していたとしてもしていなかったとしても、同じことではないのですか?〉

 太陽が本当に存在しないのかどうか、いまのわたしにはわからない。
 ただ艦長がそう言っているだけ。わたしたちを帰らせるための嘘かもしれない。

「わたしたちはここに、太陽を見るために来ました。太陽が存在しようとそうでなかろうと、この目で確かめなければここに来た意味がありません」
〈それは違います。そもそもあなたがたがここに来た意味などないのですから〉
「どうして言い切れるんですか」
〈これまでの生活とこれからの生活に、変わりはないからです。太陽があろうとなかろうと、あなたがたの生活は変わらない。ここに来ることによって変わることは、何ひとつない。いいえ、むしろ悪い方向に変わってしまう〉

 完全にやられた、そう思った。

〈何事も白黒つける必要はありません。白黒つけることによって生じるリスクもあるのですから。いまのあなたがたは、太陽が本当に存在するのかしないのか確証を持てずにいる。それでいいではありませんか。太陽が存在すると信じて生きていくのか、太陽が存在しないと知ったうえで生きていくのか。どちらを選びますか〉

 これは、わたしに向けて話しているんじゃない。ベルに向けて話しているんだ。
 ベルの目的が、わたしに太陽を見せることだから。太陽を見せて、わたしを少しでも変えたかったから。わたしがちゃんと生きていけるように。

 ベルの頭のなかではわたしの生死と太陽の存在が密接にリンクしている。
 太陽を見ることさえできれば、わたしは生きていける。

 じゃあ、太陽が存在しなかったとしたら?
 太陽は存在しないんだと受け止めてしまえば、ベルはいままで積み重ねてきたものをすべて否定されてしまう。ベルの思いも、わたしの命も。

 いますぐ帰れば、邪魔をされたから見れなかったんだと言い訳ができる。
 そしてこれまで通りの生活に戻っていける。
 艦長が狙っているのはそこだ。なるべく穏便にことを収めるために。
 歯噛みするしかなかった。

 わたしはどちらに賭けるべきだろう。リスクもリターンもない、いままで通りの生活に戻るべきか。それともすべてが崩れ去るリスクを冒してここに残るべきなのか。
 ベルがいちばん笑っていられる道は、どれなんだろう。

〈悪いことは言いません。すぐに帰投しなさい〉
「わかりました」

 ぽつりとベルが言った。普通に考えればこれがいちばん良いんだと思う。
 ベルにとってもわたしにとっても。
 でも、なんだかよくわからないもやもやがお腹のなかで大きくなっていく。

「……いいの?」
「うん。もう、いいの」

 ベルは力なく首を振った。その声はとても穏やかで、静かな水面のようだった。
 水面のなかに何かが沈んでいくようだった。それでも波のひとつも立たない。

〈ついてきなさい〉
「はい」

 七機のオケアノスは静かに潜っていく。

〈海上での一切は他言無用です。いいですね〉
「はい」
「……わかりました」

 レグルスも、こんなふうに口止めをされたんだろうか。
 機体の揺れが収まってきて、徐々に潜航しているのがわかる。
 視線の先では七つの光が行く先を照らしてくれている。

「ごめんね、シリウス……」

 薄暗いコックピットのなかで、ベルがぼそりとこぼした。

「わたしのせいでこんなことになっちゃって」
「……まだ、何もなってないよ」

 ベルの瞳には何の色も浮かんでいなかった。
 魂の宿っていない目が、先行するオケアノスをただただ追いかけていた。
 わたしの心がどんどん空っぽになっていく。頭が回らない。

「わたしね、シリウスが生きてくれたらそれでいいの」
「……うん」
「シリウスに太陽を見せることができたら、それで満足だったの。そうすれば、シリウスももうちょっとシリウス自身のことを大事にしてくれるんじゃないかって」
「うん」
「うえに来れば、絶対に太陽が見られるって思ったのに……」

 完全に真っ白だったベルの顔が、少しずつ歪んでいく。

「どうして……。太陽がないって、こんなことに……」

 わたしの胸元に熱い液体が落ちてくる。

「シリウス。お願いだから、生きて……」

 ベルが望んでいることはこれ以上ないくらいに明白だった。
 純粋に、わたしに生きていてほしい、という一点のみ。

 でも、わたしが何か答えたところでそんな言葉にどんな確証があるんだろう。
 ずっとあると思っていた太陽は存在しなかった。
 わたしみたいな小娘の言葉に、どんな説得力がある?

 わたしは空っぽだった。

「うん……。わたし、頑張って生きるから……」

 そう言ったところで、この言葉に力なんてあるんだろうか。
 その場しのぎのお為ごかしでしかないんじゃないだろうか。

「またいっしょにいてくれる? たぶん、ちょっとの間だけだから」
「……当たり前でしょ」

 それから、言葉はもうなかった。
 アルマの誘導灯が見えても言葉を交わすことはなかった。
 わたしたちが何を言っても、何も変わらない。
 これまで通りの生活に戻っていくだけ。わたしが指揮官として次期艦長としていろいろなことをこなして、ベルはベルでセファイエに乗ったりオラトリアに乗ったり、そうしていくうちにいつしか数年が経って、ベルはアルやレグルスのように死んでしまうかもしれないし、わたしもポラリスのように死んでしまうかもしれない、問題なく艦長になれるのかもしれない。

 わたしたちはどこまで生きていけるんだろうか。
 わたしは生きていけるんだろうか。ベルがいない時間を。
 七機のオケアノスは気が付いたらいなくなっていた。
 代わりにアルマが見えてくる。
 淡々とアルマのなかに入って、格納庫でセファイエから降りる。
 ミモザだけがそこに立っていた。

「ベル。わかっていると思うけれど、あなたにはまた懲罰房に入ってもらう。時期はまだ未定だけど。いいわね」
「うん」

 物わかりのいい子供のように、こくりと頷くベル。

「ミモザ、わたしは」
「シリウスはお咎めなし。ベルに連れて行かれただけだもの」
「……そう」

 また離れ離れになってしまうけれど、会えないわけではない。
 昨日までみたいに懲罰房まで面会しに行けばいい。

 けれど、ベルはそれを望んでいるんだろうか。
 SOLAVISの全面的なブラッシュアップだったり、訓練スケジュールの作成だったり。ベルに会いに行く時間を捻出しようと思えば、また睡眠時間を削らなくちゃいけない。
 ベルはたぶんそれを望まない。

 ――もしシリウスがまた倒れたら、本当に死んじゃうかもしれないんだよ。
 ――わたしね、シリウスが生きていたらそれだけでいいの。シリウスがちょっと無理してても、元気に生きていけるなら別にかまわない。でも、死んじゃったらだめなんだよ。シリウスが死ぬのはいや。そんなの間違ってる。
 ――シリウスが、自分はもっと生きたい、生きないといけない、って思わないといけないの。

 あれだけ言われたのに、また無理をするのはベルに対する裏切りでしかない。
 裏切り? おかしい話だ。
 それをいうならわたしはずっとベルのことを裏切り続けていた。
 わたしが頑張ればみんなが生きていける、ベルも生きていけると信じて、ずっとベルが望まないことを続けていた。そのたびに、ベルはどんな気持ちだったんだろう。
 わたしはひどい人間だ。いちばん近くにいたのに、ベルのことなんてこれっぽっちも考えていなかった。ベルはこれだけわたしのことを考えてくれていたのに。

「シリウス、ごめんね」
「……わたしも、ごめん」

 ベルが、ミモザに連れて行かれる。
 遠ざかっていくベルの背中はとても小さく見えた。
 格納庫から出ていくまで、その小さな背中を見届けることしかできなかった。
 格納庫に、ひとりぼっち。

 ベルのセファイエの脚にもたれかかって、そのまま腰を下ろした。
 なんとなくベルの匂いが残っている気がした。

 ふと、お腹が減っていた。食事時が近いのかもしれない。時間を確認して、食事時だったら食堂に行こう。岩のように重くて、けれどもカイメンのように軽い体を起こす。はしたないとは思うけれど、動物としての本能に流されてしまうくらい体のなかが空っぽだった。いろいろなことをするのは食事が終わってからにしよう。なんとなく気楽に考えて、わたしはお尻をはたいた。真っ白な砂埃が舞った。オケアノスの足に付着した海底の泥だ。そんなに汚いものでもないけれど、なんとなく無性に気になってしまった。はたいても払ってもこすっても、砂埃がなくなる気配はない。食堂に行く前に部屋に戻ろう。ベルだったら、こういうのでもすぐに落としてしまうんだろうけれど、わたしじゃベルみたいにはできそうになかった。着替えてしまったほうが手っ取り早そうだった。あぁ、どんどんやらなければいけないことが増えていく。SOLAVISのことだけを考えていればいいのに、食事やら着替えやらを挟まなければいけなくなってしまった。

 ちゃんと生きるのって、こんなに大変なんだ。
 気だるい足をなんとか進めて、格納庫を出ようとする。

「シリウスが還ってきたのです!」
「シリウス……!」

 胸元に鈍い衝撃。赤と黄色、アナとウェズンだった。

「みんな……?」

 ふたりの後ろには、強張った顔つきのシェダルとぎこちない薄ら笑いのシャウラ。

「よかったよ。無事に還ってこれて」

 さばさばした言いかたが、かえって苦しそうだった。

「ふたりが還ってこなかったらどうしようって……」
「よかった、よかった……」

 対照的に、アナとウェズンは泣き顔を服にこすり付けてくる。
 レグルスもアルにさんざん泣かれてたっけ。いろいろと立場は違うけれど。

「あー、はいはい、わたしはここにいるから」
「うへーん、シリウスー」
「うう、うう……」

 これはなかなか泣きやみそうにない。

「すいませんでしたぁっ!」

 ふたりをなだめようとしたら、いきなりシェダルが大声で頭を下げた。

「え、えっと、何のこと?」

 あまりにも突然のことだったので、わたしは戸惑いながら尋ねる。
 目線だけでシャウラに尋ねると、相変わらず苦笑いを浮かべていた。

「この前、シリウスさんに声をかけてもらったとき、ぼくはシリウスさんに失礼なことを言ってしまいました。本当にすみませんでしたぁっ」

 腰を深く折ったまま微動だにしないシェダル。
 変なところが生真面目すぎて、こっちのほうが申し訳なくなってくる。

「そ、そのことなら……」
「あのあと部屋に戻って、ミモザやラスとも話したんです」

 しゃべらせてもらえそうになかった。

「それで、シリウスさんはシリウスさんの立場で僕のことを気遣ってくれてたんだって気づいて。そのあとシリウスさんが戦闘で意識を失って。シリウスさんがこんなに命がけで戦ってたなんて僕、全然知らなくて。レグルスさんもきっと命がけだったに違いないって思ったら、あんなことを言ってしまった自分が情けなくなって。本当にすいませんでした!」

 ほとんど勢いだけで言い切ったような謝罪。こ、心が痛い……。

「そ、そんなに謝ることじゃないって。ほら、頭上げてよ」
「いえ、ですが……」
「むしろこっちだって変な言いかたしたり、ベルも手を出しちゃったりしたし、謝るのはこっちのほう。ベル、謝ってないでしょ? 謝る暇もなかったとは思うけど」
「えっとぉ……」

 しぶしぶ上げられたシェダルの表情は、なんとも微妙な戸惑い加減だった。

「懲罰房から出たら、首根っこ捕まえてでも連れて行くから」
「そ、そこまではさすがにっ」

 慌てる姿が面白かった。

「そっちは気にしなくていいから。それより、訓練とか行かなくていいの?」
「えっと、このあとラスとシミュレーションですけど、シリウスさんが……」
「わたしのことなら気にしなくて大丈夫だから。ラスを待たせても悪いから行ってらっしゃい」
「は、はい!」

 一瞬気まずそうな表情を浮かべたシェダルだったけれど、すぐに明るくなった。

「頑張って」
「失礼します! シャウラさんもありがとうございました!」

 最後にもうひとつ頭を下げて、小走りに去っていった。なんだか、どっと疲れた。

「もう少し落ち着いてくれたらいいんだけど」
「そうでもないさ。むしろ俺は感謝してる」
「どうして?」
「俺もシリウスに感謝してるし申し訳なく思ってる。ここんとこのお前はどんだけ頑張ってたんだろうな、って。おかげで今日も無事にみんな生き残れたんだ。感謝してもしきれないさ」
「がらでもない」

 胸元の湿っぽさといい、こそばゆかった。

「それを言うならシャウラだって、さっき助けてくれてありがと」
「俺だってたまにはやるさ」

 適当に茶化してやりたい気分ではあったけれど、脳みそが鈍くて言葉が出ない。
 言葉が出てこないのは、シャウラも同じらしかった。
 ふたりぶんの泣き声がちょっとのあいだ響いて、

「なあ、うえって、どうだった?」

 と、思い出したように言った。

「途中で帰ってきちゃった」
「そっか」

 不思議と、残念そうでもあり嬉しそうでもあった。
 シャウラは知らないんだろうか。海上からわたしたちを誘導してくれた七機のオケアノスのことを。どうも知っているような素振りではなさそうだった。

「はぁ、なんだか疲れちゃった」

 これは本心。そろそろひとりになりたかった。

「そういえばそうだな。おい、ふたりとも、いい加減離れろ」
「な、何をするのです!」
「悪魔!」

 アナとウェズンの首根っこを、シャウラはむんずと掴んだ。

「気がすんだだろ。休ませてやれ」
「「むぅ……」」
「SOLAVISについては科学班がいろいろやってくれてるよ。何せナオスもかなり入れ込んでるからな。そういうわけだから、ちゃんと休んどけよ」
「ま、またお見舞い行くのです」
「うん。うん」

 引っ張られながらも恨めしそうなふたりの眼差し。
 年下にここまで心配されるとは、いよいよ指揮官失格かな。

「あ、シャウラ。明日、頼みたいことがあるんだけど」
「わかった。明日聞くよ」

 言い残して、三人は通路の角を曲がっていった。
 シャウラに対するアナとウェズンの文句だけがかすかに聞こえてくる。
 わたしはまっすぐ部屋に帰って、ひとりっきりのベッドで、十日ぶりに眠る。

 わたしは、生きなきゃいけないんだ。
 ベルの想いを叶えるために。


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