君が為シリウスは輝く 第20話

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Ignition sequence start.

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〈ベル、何をしているんだ、戻れ!〉
〈ベル! いきなりどうしちまったんだよ!〉
〈なんで、どうして……〉
〈ベル!〉
〈くそ、追いかけるぞ!〉

 やけに騒がしい。

〈ダメだ! 速すぎる!〉
〈シャウラ、同じセファイエだろ、どうにかしろ!〉
〈とまるんだ、シャウラ! 通信範囲から出てしまうぞ!〉
〈くそっ! おい、待てよ! ま――〉

 と思ったら、ぷっつりと静かになってしまった。静けさが全身を締め付けてくる。
 重いものにのしかかられているような感覚。
 それから、ほんのり伝わってくる温かさと、耳元のくすぐったさ、安心する匂い。
 頭のなかはふわふわしていて、体重がなくなってしまったみたい。お化けにでもなったんだろうか。若干の息苦しささえ我慢すれば、意外と悪くないかもしれない。
 指先に力を入れると、無事に動いた。手足の自由まではなくなってないみたいだ。ますますもってお化け生活に期待がかかる。

「よかった。起きた、シリウス?」

 そうそう、あとこれを忘れちゃいけない。ベルの声。もういっしょにいることはできないだろうけれど、声すらも聞けないのだったら寂しくてもういちど死んでしまうところだった。
 それとも、お化けが死んだら人間としてまた生まれ変われるんだろうか。この世界の人類は八十人程度だから、生まれ変わりに時間の概念がなければまたベルといっしょにいられるはず。記憶はなくなってるかもしれないけれど。

 ……って、なんでベルの声がするんだろう。

「ベル!?」
「シ――ぶっへ!」
「あだっ……うえ? ――きゃっ」

 体を起こそうとして額に何かぶつかった。
 突き抜けるような痛みがあったかと思えば、突然視界がぐるりと回って――

「ぐえっ」

 背中に結構な衝撃。肺から空気が押し出される。鈍い痛みにもだえのた打ち回る。

「シリウス、大丈夫……」
「待って、もうちょっと……」

 涙で滲む瞳を開けると、暗がりにシートが浮かんでいた。シートの支柱は陰になって見えなかった。背もたれから生えたベルの頭が、こちらを向いている。
 球状の空間、中央に浮かぶシート、ごくわずかな緑色の光。
 オケアノスのコックピットらしい。わたしが寝転がっている場所も湾曲していた。

「……ここってもしかして、ベルのセファイエ?」
「うん、そうだよ」

 苦笑いするベルは顎をさすっていた。少し涙目になっている。

「どうしてまた」
「覚えてないか、やっぱり。シリウス気絶しちゃったんだよ。たぶん熱中症」

 自分自身に呆れそうになる。
 わたしはまた、ベルに助けてもらったらしい。

「気絶したって……そんなにひどかったの」
「コックピットのなか、すごく暑かったよ。ハッチも火傷するくらい熱くなってた」
「助けてくれたんだ」
「もちろん」

 いまだに鈍い脳みそでもいろいろと理解できる。さっき頭を打って落ちたのも、わたしがベルに抱きかかえられていたから。急に起き上がったせいでベルの顎とぶつかって、その反動でシートから落下したんだろう。

「さっきシリウスのおでこにパッチを貼ったから、剥がさないでね」
「いつの間にもらってたの、こんなもの」

 額に触れてみると、十日前と同じ感触。
 ここから皮膚をすり抜けてきたナノマシン群が、わたしの体調を整えてくれたんだ。便利すぎてかえって危ない物だから、大人に許可をもらわないと持ち出すことすらできない。ベルが持ってるのはおかしいんだけれど。

「ミモザがひとつ渡してくれたの。懲罰房から出たときに」
「あぁ、なるほど」

 用意周到にもほどがある。一週間前ミモザに説教を食らったばかりだし、目を付けられていたのかもしれない。

「ベルは、わたしの命の恩人だね」
「シリウスが死ぬのだけは絶対にイヤだもん」
「……なんだか、わたしいつも助けてもらってばっかりだね」
「そんなことない。わたしだって助けてもらってるし、好きでやってるだけだから」

 コックピットは暗かった。光源といえばシート正面にあるホログラフィックパネルだけ。色とりどりのメーターのおかげで、辛うじてベルの表情が見える。

「あれ。わたしがベルを助けたことって、あったっけ」
「んー。内緒」

 いたずらっぽく笑うベル。やっぱり、コックピットにしてはやけに暗い。

「暗いね」
「……うん、ちょっとね」

 ベルの表情にほんのりと影が差したような気がした。
 どうしてこんなに暗いんだろう。オケアノスが正常に起動していればもっと明るい。OLVISやSOLAVISが周囲の様子を緑色の光に変えてくれるから。
 考えられる理由は、OLVISもSOLAVISもまともに機能していないか、捉えられるものが周囲に何も無いか、そのどちらか。アルマの屋上にはポジション確認のための誘導灯があるから、それすら見えないというのはいくらなんでも変だ。

 嫌な予感が、ふっと思い浮かんだ。

「ベル、まさか……」
「やっぱりシリウスに隠し事はできないね。すぐばれるだろうなとは思ったけどさ」

「脱走したの……」

 通信圏外に出てしまったんだ。だからやけに静かだし、OLVISやSOLAVISの同期映像も流れなくて真っ暗。

「うん」

 わずかに残っていた笑みも消え失せる。
 こんなに悲しそうで空っぽなベルをはじめてだった。
 こんなベルは見たくなかった。

 でも、どうすればいい?
 ベルを元気にするには何が必要?
 わからない。こんなことはじめてだから何がなんだかわけがわからない。

 わかってるのは、ベルが海上に行こうとしていることだけ。
 そうだ。戻らなくちゃ。
 すぐにでもアルマに帰らないと、またベルが罰せられてしまう。
 これ以上ベルに間違いを犯させちゃいけない。

「ベル、戻ろうよ。いますぐに。じゃないとまた懲罰房に入れられちゃうよ」
「いや。うえに行くまでは戻らない」
「だめだよ。いまならそんなに罰も重くならないはずだからさ。帰ろう。早く」
「いや。絶対に帰らない」

 いつも以上に強情なベルに、何を言えばいいのかすら見つからない。

「どうして……。どうしてこんなことするの……」
「だって、アルマに帰ったら、シリウス死んじゃうよ」
「え?」

 話が飛びすぎている。理解が追い付かない。

「どういうこと。アルマに帰ったらわたしが死ぬって。このままうえに行くほうが死んじゃうよ。海面はヴァスィリウスがうようよしてるって、知ってるでしょ」
「うえに行くだけなら死なないよ。わたしが絶対に還すから」

 ベルの説明が全然要領を得ない。
 得ないけど、言葉の端々に凄絶なものを感じる。
 いまのベルと話しているだけで、涙がこぼれてしまいそうだった。

「ねぇ、ベル。教えて。わたし、ベルが何をしたいのか全然わからないよ。どうしてうえに行きたいの。うえとわたしと、どういう関係があるの……」
「逆に訊くよ。シリウスは、どうして艦長になるために頑張ってるの」

 どきりとした。だって、いままでまともに考えたことがなかったから。
 人類を導く素質があるって大人たちから言われて、艦長になることを期待されて、だからわたしが艦長になることも、そのためにいろんなことを勉強するのも当たり前だと思っていたから。

 当たり前。強いて言えばそれが答えになる。
 でも、それじゃあ絶対に足りない。ベルが求めてるような答えじゃない。

「それは……」

 結局、答えは見つけられなかった。

「ううん、いいの。わかってるから」

 わたしの答えを待たずにベルが続けた。

「シリウス、優しいから。未来の人たちに本当の人間の暮らしを取り戻してもらいたいんだよね。海のうえが、太陽の下が、明るくて、あたたかくて、広いから。そういうところに、還ってもらいたいんだよね。それが、人類の生きる目的だから」

 幼少期に何度も何度も教えこまれること。

「シリウスがそう思ってるんだったら、わたしは全然いいんだよ。応援したいし、手伝えることなら何だって手伝いたい。でもね――」

 ぽたっと、わたしのまぶたに何かが落ちてきた。
 水?
 でも、焼けるように熱い。コックピットが損傷してるわけはないし、これは――。

「このままだと、シリウス、死んじゃうよ」

 立て続けに、わたしの頬に、唇に、鼻に、水滴が落ちてくる。

「ま、待ってよ。わたしは死のうとなんてしたことは――」
「嘘っ!」

 ベルの叫び。びりびりと痺れるように響く。

「いつも戦闘で傷ついて帰ってくるのは誰。一か月前だって、腕が潰されてたよね」
「だって、だってそれがいちばんみんなが安全な方法だからで――」
「わかってる、わかってるよ。指揮官の役目を果たすために、シリウスがいちばん危ない目に遭ってるのは。それでもいい。戦闘なら、わたしが助ければいいんだもん」

 前回の戦闘だってそうだった。一瞬でもベルの攻撃が遅かったら、わたしはヴァスィリウスに食べられていた。

「でも、今日、それができなかった」

 フラッシュバック。ベルがはじめて犯した戦闘中の失敗。

「それに、今日みたいにしんどいのに無理しちゃったら、そのうち助けられなくなるよ。最近だってずっと寝てなかったんでしょ? あれだけ無理しちゃだめって言われてたのに、戦闘だって最後まで続けようとしてたでしょ? それで倒れちゃったんだよ、シリウスは。シリウスがこんな無理ばっかりしてたら、わたしにはどうにもできないよ……」

 目の下のクマが、目の奥の脳みそが、不摂生を謳うようにじくじくと痛む。

「もしシリウスがまた倒れたら、本当に死んじゃうかもしれないんだよ」

 今日だって、助け出されるのが遅れていたら、熱中症で死んでいたかもしれない。
 熱中症の原因は、わたし自身の不摂生と、無理な戦闘続行。

「わたしね、シリウスが生きていたらそれだけでいいの。シリウスがちょっと無理してても、元気に生きていけるなら別にかまわない。でも、死んじゃったらだめなんだよ。シリウスが死ぬのはいや。そんなの間違ってる」
「じゃあ、うえに行くっていうのは……」
「わたしね、考えたの。どうやったらシリウスが無理しなくなるのかなって。シリウス、みんなのためなら自分のことはどうだっていい、って考えてるでしょ」

 ――みんなが生き延びてくれるなら、わたしは死んだっていい。

 シェアトにそんなことを言ったばかりだった。

「シリウスが、自分はもっと生きたい、生きないといけない、って思わないといけないの。どうやったらそうなれるかずっと考えてた」

 だからベルは、黒曜鱗を隠し持っていたんだろう。それも、ずっと前から。

「わたし、頭悪いから何も思い浮かばなくて。でも、うえに行って太陽を見たら何か変わるかもしれないって思いついて」
「どうして……」
「海のうえって素晴らしいところなんだよね? それを見たら、シリウスだってまたうえに行きたいって思うかもしれない。長生きして、アルマの科学がもっと発展して、みんなでいっしょにうえに行くんだって思ってくれるかもしれない。そうやって長生きしたいって思ってくれれば、いまみたいに無理はしないんじゃないかなって」

 わたしの考えを変えるために、連れ去ってでも海上に行く。
 すじは通るかもしれない。
 でも、とても回りくどい。ベルにしては、とても回りくどくて、ベルらしくない。

「ベルの気持ちはわかったよ。でも、うえに行くのはとっても悪いことなんだよ。もっと前から言ってくれたら、わたしだって……」
「ううん、それじゃあシリウスの印象には残らないかなって。シリウス、みんなの言ってることはほとんど覚えてるでしょ? だから、わたしが言ったことも覚えてはくれるんだろうけれど、それだけじゃ足りないから。こうでもしないと、わたしが本当に本気だって、伝わらないんじゃないかなって思ったから」

 心臓に氷でも突き刺されたような心地がした。
 そうだ、もっと言ってくれればよかったのになんて、わたしには言う資格がない。

 ――おでこは治っても、そんなに無理ばっかりしてたらまたどこかおかしくなっちゃうよ。

 ベッドのうえでベルはそう言ってくれたのに。無視してしまったんだ、わたしは。

「それだけ伝われば、わたしが死んでもシリウスはちゃんと覚えてくれるかなって」

 とんでもないことを呆れるくらいさらりと言われて、耳を疑う間もなかった。

「ど、どういうこと、ベルが死ぬって」
「そのままだよ。わたし、オケアノスの操縦以外はからっきしでしょ? でも大人ってみんなすごく頭いいじゃん、ミモザとかカフとか。わたしはみんなみたいに頭は良くないから、たぶん大人にはなれないの。あと何年かしたら、アルみたいな、戦闘とはまったく関係ないところで死んじゃう気がするんだ。ううん、わたしは絶対に、死んじゃうの」
「そんなの……そんなの、わたしがなんとかするから……」

 ベルは大人になれない。統計を見ればその通りだ。知能テストの結果を見れば明らか。大人になれる人と知能テストの結果は、強い相関関係があるから。
 誰だって、アルマの人口統計を見ればすぐにわかること。

 わたしはそこから、ずっと目を背けていた。
 統計はあくまで統計で、頑張れば生きていく方法はあるんじゃないかって。でも、アルみたいに病気で死ぬこともある。わたしがどれだけ頑張っても、どうしようもない死因というのは存在する。

 わたしはそのことを、ずっと考えないようにしていた。
 そしていまも、視界を曇らせて、見えないようにしようとしている。

「だからわたしは、わたしが死んだあともシリウスが生きていけるようにしなくちゃいけないの。わたしが死んだらシリウスのこと守れなくなるから、シリウスを守ってくれるものを残さないといけないの」
「ベル……」
「わたしなんかじゃシリウスの役には立てない。でも、死ぬまでに何か残したいの」

 わたしのなかに回路がひとつつながったような気がした。
 ほんの少しかもしれないけど、ベルの考えていたことが分かったような気がした。
 海上に行きたいっていうのは自分勝手な願望じゃなくてわたしのためだったんだ。

 ――ねぇ、シリウス。太陽ってやつ、見に行かない?
 ――太陽を見に行かない? いっしょに、うえに。

 だから、いっしょに行こうって言ってくれてたんだ。
 すべては、わたしのためだった。わたしのことを考えて、ベルは行動していた。
 わたしは、全部間違えていたんだ。

 ――ベル。ここで約束して。ひとりで勝手にうえに行かない、って。

 的外れも甚だしい。ベルがひとりで行くわけなかったんだ。

「だからさ、シリウス。お願い。いっしょに来て」

 目の前に、ベルの手が差し出された。
 涙と鼻水でわたしの顔はぐじゃぐじゃ。
 ひとことも発せなかった。
 ただただ、その手を握り返すだけだった。
 わたしのちんちくりんな体は軽々引き上げられてベルの胸元にすっぽり収まった。


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