君が為シリウスは輝く 第26話

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 予想に反してめぼしい情報は見つからない。ベルに会いに行く方法がわからない。

 100、100、100――。

 八つ当たりのように射撃シミュレーションを繰り返したところで、焦りはかえってつのるだけ。どこかに手掛かりはあるはずなのに、どうして見つからないの。
 艦長代理は男性だった。艦長に関係している男性なんてひとりしかいない。
 そう、答えはもう決まっている。それなのに、答えに至る道筋はどこにあるの。
 時間はもう三十分もない。

 100、100、100――。

「荒れてるね。艦長補佐に就任したというのに、そんなに荒れていていいのかい」

 視界の端で、シェアトが薄く笑っていた。

「何の用。わたし、いま忙しいんだけど」
「就任の数十分前に射撃シミュをやっていながら、忙しいも何も」
「ほっといてよ」

 シェアトは表情を変えようともせず、隣のシミュレーターに入った。

「わざわざ探し回ってお祝いしに来たっていうのに、それはないんじゃないかい」
「あなたのお祝いなんていらない」
「そう。きみが本当に祝ってもらいたい相手は別にいる。そうだろ」

 47――。

「図星か」

 否定する気も起きなかった。

「艦長……いや、艦長代理からはどこまで聞いた」
「艦長代理って……」

 彼の口から艦長代理という言葉が出るなんて夢にも思わなかった。
 シェアトだってまだ子供。大人の事情を聞かされる立場ではないはず。

「あなた、どこまで知ってるの」
「ほとんどのことは知ってるんじゃないかな」
「どうしてあなたが……」
「確かに僕は大人じゃないし、いまのところ大人になる予定もないし、きみみたいに次期艦長でもない。しかし、指揮官だ。指揮官は一定以上の年齢になると、ある役割のためにアルマのことをいろいろと聞かされる。たぶん、きみが聞かされてきたこととそう大差ないことだ」
「ある役割って何? わたしはそんなもの聞いたことないけれど」

 指揮官の役割はそのまま戦闘の指揮のはず。指揮のなかにいろいろなものが含まれていることは確かだけれど、わざわざある役割とぼかす意味がわからない。

「もしかしてシリウス、頭の動きが鈍ったんじゃないか。そうでなければ視野狭窄か、構っていられるほどの余裕がないか」
「その通りかもね。言ったでしょ、忙しいって。わたしには時間の余裕がないの」
「新種への対応策を思いついたのは君なんだろう? そのときくらい真剣に考えてほしいね。まぁその様子なら、聞いていないみたいだ。僕の話に付き合う価値はあると思うよ」
「価値があるかどうか決めるのはわたしでしょ」

 違いない、と鼻で笑いながらシェアトはシミュレーションを開始した。
 100、200、300――。
 シェアトのスコアが表示されていく。

「わかった。話を変えよう」

 表示される敵を淡々と射抜きながら、さらりと言う。

「わたしは聞く気ないんだけど。帰ってくれない?」
「言うだけ言ったら帰るさ。ときにひとつ質問をしよう」

 適当に聞き流そうと、わたしはタブレットに向き直る。
 わざわざ付き合う道理もない。

「きみは好きな人はいないのかい」
「……は?」

 自分の耳を疑って、それからシェアトの人格を疑った。
 反射的にシェアトを睨むと、彼は真っ直ぐシミュレーションに向かっていた。

「ふざけてんの? 本気で怒るよ?」

 青筋が立つっていうのはこういうことを言うんだろうか。
 頭の真ん中に真っ赤な鉄の棒が突き刺さったような感触だった。

「もうとっくに本気で怒ってるじゃないか」
「わかってるんだったらふざけないで」
「ふざけてないふざけてない」

 首を振り振り否定するが、その動きが余計に腹立たしい。

「わたしの好きな人を聞いてどうしようっていうの。それがふざけてるって言ってるの。前も言ったでしょ、口説くのならルケにしろって」
「彼女はパスだとも言ったはずだけどね。まぁあれだ、ルケじゃダメなんだよ」
「どうして」

 いっそのことふたりがくっついてくれればわたしは平穏な日常が手に入るのに。

「そもそもの話だ。僕にはもう好きな人がいる。――あぁ、警戒はしなくていい、シリウスじゃあない」
「じゃあ誰なの」
「死んだよ」
「死んだ……?」
「いや、殺したって言ったほうが正しいかな」

 予想外の答えとその答えの気まずさに、気持ちのやり場を失ってしまう。
 まるでベッドから落ちた瞬間みたいに、身の置き所がない。

「殺したってどういうこと。あなたが殺人なんて聞いたことがない」

 人口八十のアルマで、そんな大事を隠し通すなんてことできるはずがない。

「そもそも人が人を殺めるなんて、ここ数百年で起こったことはないはず」
「確かに。死亡統計にはそう記されている」
「死因なんて、病死を除けばほとんど戦死。あなたが殺した人間なんて……まさか」

 やっと、シェアトが何を言いたいのか理解できた気がする。
 戦死だらけの死亡統計。シェアトの言う殺人。シェアトも知る大人の事情。
 そして、指揮官に課せられたある役割。

「あなた、わざと戦死者を出していたっていうの。それが指揮官の役割だから」

 シェアトは満足げに頷いた。

「やっと調子が出てきたじゃないか」
「嬉しくない。最悪の気分。そもそもあなたにそれだけのことが――」

 できるわけない。そう言おうとしたら、彼のスコアが目に入った。
 19800。ノーミスなのは明らか。この前は平気で六十点台を出してたのに。

「スコアもわざとだったっていうの」

 なんてこと。シェアトは全部隠していた。射撃の腕も、本人の役割も。だったら、戦術眼を巧妙に偽って、味方を自然に葬ることがどうして否定できるだろう。

「戦死者を出さないように頑張っていたきみとしては、快いものじゃないだろうね」

 舌の根が、奥歯のさらに奥が、痛いくらいに苦々しい。
 いや、本当は理解している。
 艦長代理から聞いたことを思い出せば否定しようがない。

 ――アルマを維持するためには、多かれ少なかれ調整が必要になる。

「経口栄養剤で死ぬよりは、戦死のほうがはるかに自然だ。人口調整をやっているなんて思われたくないからね。いちど疑われはじめたら、誰も僕の指示なんて聞いてくれなくなるだろう。そして聞いてくれなくなったら、全員が死ぬかもしれない」

 大きな事実に打ちのめされそうだった。
 わたしは何も知らずただ息巻いていただけだった。

「わたしは、そんなこと知らなかった……」

 怒りとか悲しさとかそういうのじゃない。
 ただただ無知のうえに胡坐をかいていた自分のことが情けなかった。

「当り前さ。人口調整に加担するようになるのは二十歳になってからだから。それくらいの年齢と、経験と、精神的成熟が必要ってことだろうね。アルマのため、人類のためとはいえ、命の数をこの手で操作するのはストレスがかかることだから」
「だからあなたは……」

 わたしはシェアトの顔色を窺った。シミュレーターのなかに、げっそりとやつれた頬骨がぽつんと浮かんでいた。その数センチうえで真っ赤な瞳が爛々と燃えていた。

「それに関してはいろいろあるだろうけどね」
「やめようって思わないの」
「思わないさ。約束だからね」
「約束……?」

 シェアトの瞳の赤が、少しだけ揺らいだ気がした。こんな穏やかな表情ははじめてだった。はじめて100以外のスコアが出た。36499。

「僕がはじめて出した戦死者がルカだった。名前くらいはわかるだろう」
「ルカって、マルカブ? あなたと同い年の」
「ご名答」

 パイロットになった時期がかぶっていないから、わたしは彼女のことはほとんど知らない。せいぜい死亡統計とかに載っている情報くらい。

「優しい女性だった。指揮官に任命されて戸惑っていた僕のことも応援してくれたしね。幸い仲も悪くはなかった。きみとベルには敵わないが」
「あなたの好きな人ってその……」
「少々癖っ毛だったが、白い髪が美しかった」

 わたしは本能的に後ずさった。わたしも白髪で、癖っ毛だから。

「警戒しなくていい」
「仕方ないでしょ」
「まぁいい。ともかくきみの言う通り。僕はルカに惚れていた」

 自嘲気味に笑うシェアトに警戒心を解きつつ、わたしは思い出した。マルカブが亡くなった日のことを。彼女が亡くなったのは三年と少し前。シェアトが二十歳になって、しばらく経ったころだ。

「だから、彼女を戦死させるよう艦長代理から命令を受けたときは戸惑ったよ。どうしてこんなことをしなきゃいけないんだって」
「わたしが聞いていいの、大事なことなんでしょ」
「三年も前のことさ、自分のなかで相対化はできている。それに、どうしても伝えなきゃいけない気がするんだよ」
「そう……」

 シェアトの口ぶりが不思議と真摯でまっすぐだったから、わたしはこの場から立ち去れなくなった。最後まで聞かないといけないような気がした。

「ルカの戦死命令は、確かに一理あった。ルカは操縦技術も頭打ちだったし、大人としての役割を担えるほど頭脳も明晰じゃなかった。大人たちにとっては、アルマの維持に必要な人材ではなかったんだろうね。ルカを長生きさせるくらいなら、下の優秀な人材を育てたほうが数字だけ見ればアルマにとってはいい」

 シェアトは淡々としていた。
 いまは亡き展望室の窓から見える深海のように、暗くて静かで冷たかった。

「とはいえそれは大人の都合だ。僕にとっては大事な人だった。どうしても助けたい。けれど命令違反をすれば今度は自分がどうなるかわからないし、自分がどうにかなってしまえばどちらにしろルカは戦死させられるだろう。かといって、誰にも相談はできない」
「それで、どうしたの」

 結果はわかっている。でも気になってしまう。

「話したよ。ルカに」
「は、話したの?」

 戦死命令はどう考えたって機密事項のはず。
 それをばらしたらシェアトがどうなるかわからないのに。

「もちろん遠回しにだし、命令についてはひとことも言っていない。もしかしたら、僕の異様な雰囲気で何か勘づいていたかもしれないけどね」
「そ、そう……。どんなことを話したの」
「簡単だよ。もし死ぬとしたらどうするか。僕はそれをルカに訊いたんだ」

 この話が、とても他人事とは思えなくなった。

 ――わたしね、シリウスが生きてくれたらそれでいいの。

 ベルのその言葉が、シェアトの問いに対する答えのようにも思えたから。

「どう答えたの」
「『それが人類のためになるんだったら、わたしはそれで構わない。そうやって誰かが生き残って、その誰かのためにまた別の誰かが生きて、そういう誰かのためが集まったのが人類だと思う。だから、誰かのためにわたしが死んで、誰かが生きてくれるなら、わたしはそれで満足だよ』ってね。百点満点の回答だと思わないか」

 あまりに、アルマの人材として、大人の踏み台になる子供として、完璧すぎる。

「かといってね、納得できるわけがないじゃないか。僕は反論したよ、誰かのために死ぬなんて間違ってる。自分のために生きて、寿命をまっとうするのが人間なんじゃないか、って。そうしたらどう答えたと思う?」

 シェアトは実に幸せそうに、満足そうに、だけど寂しそうに笑った。

「『じゃあ、わたしが死ぬときはシェアトのために死ぬ』。僕は幸せ者だよ」

 言葉尻が、少しだけつっかえたように聞こえた。

「一週間後、ルカは戦死した。是非その戦闘記録を見てほしいね。あんなに上手く敵を誘導できたことはないから」

 それだけ自然に、奴らにマルカブを殺させたということだろう。

「何かしようって、思わなかったの」
「あぁ。思わなかった。ひとりの指揮官にできることなんか高が知れている。どう足掻いたって、ルカは死んでしまうのさ。それに」

 シェアトはひとつ呼吸を置いた。決意を固めるように。

「ルカの思いは、僕がどうこうしていいものじゃなかった。足掻けないのなら、せめてその思いだけは守りたかった。そういうところさ」

 純愛を守ったようにも聞こえる。けれど、勘違いした男が独占欲を満たそうとしたようにも聞こえる。わたしはシェアトじゃないからそのあたりはよくわからないけれど、どちらにせよシェアトは決断した。
 ルカのいない日々を生きることを、決意した。

「感謝はしている。ルカのおかげで戦死命令を忠実にこなしていく言い訳ができたんだから。誰かが死ぬのは別の誰かのため。そう考えれば戦死させる罪悪感も薄れる」

 シェアトのやつれ具合を見ると、本当に罪悪感が薄れているのかどうか怪しい。
 ただそう思いたいだけなんじゃないだろうか。

「ある意味、ポラリスがうらやましかったよ」
「どうしてポラリスの名前が」
「彼も僕と同じように何人も殺した。ただ、レグルスだけは殺せなかった。そもそもレグルスが強すぎて、どう誘導しても生き残ったんだ。そうやって、レグルスを殺す方法ばかり考えているうちに、嫌気がさして自ら死を選んだ」

 わたしは覚えている。ポラリスが死んだ戦闘を。後ろからがぶりとやられた呆気ない死も、わざとだったんだろうか。そんな死を選んだポラリスはどんな気持ちだったんだろうか。

 ――自分を守れない指揮官はみんなも守れないし、みんなを守れない指揮官はいずれ自分もやられる。

 たぶんレグルスは、指揮官の本当の役割について知らない。
 ポラリスにとってはせめてもの救いになるだろうか。

「僕は、ルカの強さと弱さに甘えて、自らが生きることを選んだんだ」
「他人を殺し続けて、自分が生きるっていうの。皮肉じゃない」
「約束を守るため、と言ってほしいね。僕は彼女の言葉を守るために生きている」

 ――彼女の言葉を守るため。

 強烈な吐き気。
 シェアトは、生きる目的を持っている。わたしにはないものを持っている。

「あなた、それをわたしに伝えてどうしようっていうの」
「同僚からのおせっかいだ。きみにはまだ、覚悟が足りていないからね」
「覚悟……ベルのこと?」

 シェアトは、ルカがいない日々を生きることを選んだ。

「わたしに、ひとりで生きていけって……」
「それはきみ次第かもしれないが。ここからが本題だ」

 声色が露骨に変わった。毛布のような温かさから、硫黄のような毒々しさへ。
 シェアトのスコアは、98599だった。

「次の戦闘はβが出る。そして、ベルがβの配属になった。あとはわかるな」
「嘘でしょ……」

 考えるよりも先に言葉が出た。

「次の戦死者はベルだって言うの……」
「そうだ」
「嘘……そんなの嘘……」

 手からタブレットが零れ落ちた。

「ベルを殺したら許さない。絶対に許さないから」
「きみにどう思われようが関係ない。それが艦長代理の命令だし、ルカとの約束だ」
「ルカのことなんて知らない。ベルを殺したら、絶対にあんたを殺しに行く」
「やれるもんならやってみなよ」
「うるさい、うるさい、うるさい。だったらいまここであんたを殺して――」

 反転する。急にぼやける。背中に鈍い衝撃。顔面に降りかかる冷たさ。
 息ができない。なに、何が起こったの。

「落ち着かないか。シリウス」
「ベ、ベネット……サルガス……」

 我に返る。
 わたしの体はびしょびしょに濡れていて、屈強な男ふたりに拘束されていた。

「申し訳ないが錯乱していたようだったからな。水をかけて文字通り頭を冷やした」
「スッキリしたかね」

 前髪の先から滴るしずくを目で追う。

「いまから艦長のもとへ連れて行く」
「もう、行かないといけないの」
「そうだ」

 タイムリミットは呆気なかった。
 覚悟を決めなければいけないんだろうか。
 ベルのいない日々を、生きていく覚悟を。

「シェアト、最後にひとつだけ教えて」

 わたしは、打ち上げられて死んだ深海魚みたいに引きずられていく。

「ベルとわたしが海上に行ったとき、あなたはどこで何してたの」
「自室で待機さ。どこにも行っていない」
「そう……」

 シェアトのスコアは、十三万を窺っていた。


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