君が為シリウスは輝く 第28話
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1ルーメンの光源もない暗闇で、深呼吸をひとつ。
左腕は痛いけど操縦できないほどじゃない。
血が足りてないみたいだけど眠くなるほどじゃない。
大丈夫。
ホログラフィックパネルに流れる無数の言霊も、すべてが見えるような気がした。
OLVISとSOLAVISが同時に起動している。
どうやら、前回の戦闘から早くも改良が進んだらしい。
あの大げさな演算装置も撤去されてすっきりした。
瞬間、世界に光が差す。鋼鉄に覆われただけの殺風景な格納庫。天井からいくつものライトが煌々と照っている。それ以外はのっぺりとした鉄板だけ。
何の感情も覚えないようなつまらない風景が、いまはとても明るい。
太陽なんかなくたって、世界はこんなにも明るい。
〈シリウス!〉
「お待たせ、ベル」
絶え間ない銃声を縫ってベルの声が聞こえる。
間に合った。わたしは間に合ったんだ。あたたかい。心があたたかい。
ベルの声を聞いているだけで、世界はこんなにもあたたかくなれる。
太陽なんかなくたって、世界はこんなにもあたたかい。
〈シリウス、シリウスなのか?〉
〈シリウスのオルキヌスなのです……〉
〈ほんと……〉
〈まったく、いいタイミングで来るよね、きみも〉
システムの起動と同時に前進。動かせる。機体の設定はまだ生きてる。
GRIFFONの設定変更もちゃんと残っていた。これならやれる。
〈こっちは少々厳しい状況だ。なるべく急いでくれ〉
「わかってる。カフ、ハッチ開けて」
シャフトに入るなり通信を入れる。
〈えぇ、まだシャフトは上がってないのに〉
「それじゃあ時間がもったいない。自分で上るから、いい? いますぐ開けて」
GRIFFONを全開に。一瞬で重さはなくなり、ふわりと浮きあがる。
泡のなかにいるようだった。高揚感。怖さはない。
さぁ、飛んで。わたしのオルキヌス。
〈と、飛んでるぅ?〉
景色がものすごい速度で下へ流れていく。ハッチがどんどん近くなる。
〈あぁ、もう、開けるよ!〉
落ちてくる水。八〇〇バールの瀑布。
人類を拘束する戒めに真正面から襲われようとも、減速することはなく、むしろものともせず、周囲に弾き飛ばしながら深海底へと駆け抜ける。
OLVISとSOLAVISの合成映像が映し出す海底。
毒々しく染めつけられた深海の緑。蠢くおびただしい敵影。その向こうには熱水噴出孔があって、海底を埋め尽くす生物がいて、世界はこんなにも広いんだ。
太陽なんかなくたって、世界はこんなにも広い。
太陽なんかなくたって、世界は明るくて、あたたかくて、広い。
わたしはそれをベルに伝えに来た。この口で、この目で、この体で。
だから、ふたりでいっしょに生き延びなきゃならないんだ。
すぐ目の前に一体のヴァスィリウスがいる。こちらに気づくや否や大口を開け襲い掛かってくる。並び立つ歯列、距離は手が届くほど。色はほとんど真っ白。
全砲、斉射。
水色の光が敵を蒸発させた。その程度では満足せず、回遊する敵群に突き刺さり大穴を開ける。レーザーを旋回させると、敵影は面白いように消えた。緑色の残り香すら許さない。コックピットに映るのは真っ暗な深海の闇だけ。
〈すっげぇ……〉
〈何が起きたんだ……〉
強化された斥力から加速エネルギーを得て、パルス兵器の威力が大幅に上がったんだろう。レーザーの色が水色だったのは、青方偏移が起こったから。
「いまのうちに陣形を立て直して!」
充填と同時に、パネルを確認。名前が二十。戦死者はいない。
けれど大多数が損傷している。赤いのは二機、わたしとシェアト。
〈ちょ、ちょっと、指揮官はあんたじゃなくてシェアト――〉
〈問題ない、ルケ。全機シリウスの言う通りに。シリウス、指揮はできるな〉
「わかった」
〈これより指揮権はシリウスに譲渡する〉
「弾幕張りつつ陣形を整えて。近づいてきた奴はわたしが倒す」
無数の光弾が敵を遠ざける。散発的に襲ってくる敵はわたしが各個撃破しながら時間を稼ぐ。徐々に回復する陣形の中央に降り立った。
「ベル、おいで」
〈うん!〉
さぁ、ツーマンセルの復活だ。
〈シリウス、すごいね〉
「言ったでしょ、ベルは死なせないって。それにベルも言ってくれたでしょ、わたしが死ぬのはいやだ、って。だから、わたし強くなったんだ」
〈……うん〉
「ベル、泣いてる?」
〈う、ううん、そんなことないよ〉
「終わったら、いっしょに帰ろう」
〈うん〉
ベルとの時間ががわたしの望んでいたもの。太陽なんて、必要ない。
「カフ、敵の残りはどのくらい」
〈500、いや600だねぇ。かなり減ったけどまだだいぶ残ってる〉
「一筋縄じゃいかないか」
ORDERに目を通す。OLVISの範囲内にいる敵はごく少数。それよりもわずかに外側を、大量の敵が周っている。レーザーの射程に気づいているのかもしれない。わたしのオルキヌスなら届くだろうけれど、さすがにそれだけで削りきれるほど甘くはない。
「全オルキヌス、充填開始。九割を維持して」
辺りを泳いでいる群れは右回りがいれば左回りもいる。動きは多少ランダムだけど襲ってくる気配はほとんどない。やっぱり、こちらの攻撃が届かない距離を保っている。襲ってこないと言うのなら考えがある。
〈シリウス、どうするの〉
「こっちから撃ってみる」
充填完了と同時に砲撃。
水色のレーザーは、予想通り従来の射程を軽々と越えて敵影を撫でる。
ORDERには、遠くに広がる緑の塊。
〈届いた!〉
「敵の動きが変わるかもしれないから注意して」
攻撃を避けるように、敵はレーザーの左右で反転する。
それらはふたつの群れと化し別々に動きはじめた。
総数三百体の群れが、二時と十時の両方向から同時に襲い掛かってくる。
向こうが攻めてくれるのは作戦通り。
だけど数が多い。ここからさらに群れが分かれたら、複雑すぎて厄介だ。
「シェアト、ベルとわたし以外のオケアノスを指揮して。わたしは二時のほうをやるから、あなたは十時」
〈引き受けた。全オルキヌス、レーザー発射!〉
「いい、ベル。敵は多いから気を付けて」
〈オッケー!〉
水色の輝跡。そして白い光の束。それぞれが意思を持つかのように緑色の領域を広げる。OLVISは深海の暗闇に緑色の花を二輪咲かせた。大きさは、わたしのほうが大きい。
〈全機、バルカン!〉
一輪の花を無数の白い玉が引き裂く。それでも伸びてくる緑色の枝は、絶え間ないヴァスィリウスの進攻。撃ち抜かれ、緑の花を咲かせ、また枝を伸ばし、撃ち抜かれる。シェアトたちはなんとかこらえてはいるが、徐々に距離を縮められている。
「ベル、撃って!」
こちらは完全に持ち直した。緑の花は広がり続ける。けれど終わりが見えない。
「シェアト、耐えて。こっちが終わったらすぐに援護するから」
〈わかってるよ。前方、ブレードを構えつつ後退〉
シェアトのほうを破られたら、陣形はまた崩れる。あの数相手にバラバラになってしまうのはまずい。まだ敵は四百近く残っているだろうから。それとも陣形を密集させるべきとシェアトに提案したほうがいい?
「シェアト、いったん機体を集めたほうが――」
〈いや、ちょっと待て。敵の動きが変だ〉
「え?」
ORDER。確かに敵が鈍くなっている。それどころか向きを変えている。
わたしたちの攻撃から逃げている? けれど、これまでの戦闘でそんな行動は見たことがない。じゃあ、奴らはいったい何をしているんだろう。
〈うえだぁ!〉
カフの叫びに見上げた。
一面を覆う、たった一体のヴァスィリウスの顔。
前に見た個体よりはるかに大きい。アルマくらいなら丸飲みしてしまえるくらいに。横幅だけでも二キロはある。たかだか数十メートルの敵にこんなに苦戦しているのに、その百倍以上大きい奴が出てくるなんてどういうこと……。
〈アルマから降りるんだ!〉
みんな、シェアトの一声で駆け出す。アルマの端にいたから、全速力ならたぶん逃げ切れるだろう。けれど、ベルとわたしはほぼ中心にいる。
奴は猛烈に速い。ここに来るまであと数十秒とかからない。わたしたちが奴の縄張りから逃げ出すのが早いか、奴に食べられるのが早いか、結果は目に見えている。
逃げ場はない。
〈シリウス、どうしよう……〉
どうしたらいい。ベルの声は、怖いくらいにか細かった。それは恐怖なの、絶望なの。わたしだってそう、手が震えてる。けれどそれは、生きたいと思っていることの裏返し。
〈おい、シリウス! ベル! 早くそこから逃げろ!〉
〈どうしちゃったのですか!〉
〈奴が……〉
通信がいろいろと叫んでいるけれど、ここにいるのはわたしだけ。
わたしが、ベルを守るんだ。
「ベル。わたしにあなたの命を預けて」
言えた。
〈どうしたらいい?〉
即答がたまらなく嬉しい。
「わたしの機体に乗って」
〈すぐ行く!〉
「急いで、時間がない」
GRIFFONの出力を抑える。
ベルのセファイエがわたしに飛びかかって来て緊急用ハッチが開くまで三秒。
「シリウス!」
そこにはベルの笑顔。
ずっと会いたかった。直接声を聞くだけでも泣きそうなのに。
「どうしたの、血だらけ――うわっ」
突然、機体全体が不自然に揺れる。
巨大なヴァスィリウスがほかのヴァスィリウスを飲み込んでいた。
海水ごと吸い上げてるんだ。わたしたちも吸い上げられてる。
「早く! 跳んで!」
腕を広げる。躊躇いなく跳び込んでくるベル。甘くてさらさらした匂いがわたしの心を捕まえて放さない。ベルのまぶしさ、あたたかさがあれば、気を失いそうな左手の痛みにも耐えられる。
「ベル、わたしのこと、絶対に放さないでね」
「わかってる。シリウスのこと、絶対に放さない」
背中にきつく回される腕。息苦しさと熱い吐息が心地いい。
揺れは激しくなる一方。コックピットがますます近づく大きな顔を映す。
通信はひたすら、ベルやわたしの名前を叫んでいた。
奴の口に入る寸前、GRIFFONを全開にした。
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