希求精神的幸福/「月」としての永遠に対する回答【冥契のルぺルカリア】
『冥契のルぺルカリア』を読み終えたものの、カミュの思想に疎かったり、そもそもそもそも主軸っぽい部分がピンと来なかったり、であまり咀嚼できた気はしませんでした。とは言っても何も読めなかったということも無く、個別ルート、とりわけ奈々菜ルートとめぐりルートは部分的ながらもかなり面白く読めたので、そんな話をします。まあ、ただの感想です。
作中での順番に倣って奈々菜ルートから。話自体というよりも奈々菜というキャラクターがとても好みでした。
このルートは表現を作中から借りると「天使が幸福になる物語」です。
しかし、奈々菜が幸せになれたかどうかは一読み手として知る由もありませんでした。なんてったってこのルートでの「奈々菜の幸せ」はとても懐疑的に扱われているのですから。
奈々菜ルートの幕引きはこのようなものでした。なかなかに意地悪なテキストに感じます……。個人的には「本当に?と。尋ねることだけは、許されない。」という文章自体も同様に許されないと思いますが、それはまた別の話。
この「幸せに対して懐疑的な立場をちらつかせる」という幕引きは、当然ながらその辺のハッピーエンド風な作品に用いたりなんかしたら意地悪が過ぎますし、かなり後味が悪くて不評そうです。でも、やろうと思えばできるでしょう。多分、できてしまいます。なので、幸せは結構簡単に疑えてしまえると思ってます。そもそも、幸せというものが曖昧で、不確実で、得体の知れないよく分からないものだと思っていて、だから幸せは疑おうと思えばいくらでも疑えてしまうものであるとも思います。
ここまで来ると「幸せとは何?」みたいな「言葉遊び」に片足突っ込んでいて、「幸せ」という言葉に何を当てはめるのかという話になってしまいそうです。それは、ちょっと不安定すぎる気がする。だから、私は「そのキャラクターが幸せであるかどうか」とか「そのキャラクターにとっての幸福とは何か」みたいな読み方次第、もっと言えば言葉の使い方次第な要素は基本的に二の次として読んでしまいますね。例えば『CARNIVAL』で「幸福はガラクタ」とか言われていましたが、私は初見時にそれをこういった意味で読んでいました。指示語便利。
という訳で、奈々菜が幸せだったかどうかは一旦、二の次として読んでいました。そもそも、先述したように奈々菜が幸せになれたかどうかは分かりようがない、分かってはいけないと思っていますし。
それよりも大事だと思う点、というよりも惹かれた点は、彼女がひたすらに「幸せになりたいと願う女の子」であり、そんなキャラクターの物語であったという点です。本当に好み。
この奈々菜ルートに入るためには「幸せなこの世界が、大好きです。」という選択肢を選び取る必要があります。奈々菜はフィリア公演を通して、ようやく自身の幸せを願い、そのフィリア公演の直後に用意されていたのがこの選択肢です。そして「幸せなこの世界」を望んだ結果がこの奈々菜ルートの物語でした。その物語の結末とか、虚構か現実とか、そういうのは個人的には割とどうでもよくて(どうでもよくはない)、何よりもただ純粋に彼女自身の幸福を彼女が望むことが大事で、そんな奈々菜が大好きなルートでした。
こんな感じで、何が何だか良くわからん幸福とかいうのを、ひたすらに願って望んで求めるキャラクターが好みなあたり、やっぱり『すば日々』に囚われている気がします。
続いてめぐりルート。続いて、というか最後ですが。
奈々菜ルートとは全く別の方向で面白かったです。
「永遠は存在しない」みたいな話は様々な物語で出てきますが、めぐりルートでもそんな感じの話が出てきました。『ルぺカリ』では他にも「人は死ぬ。ゆえに、人は幸福ではない。」という『カリギュラ』から引っ張ってきたセリフがあったりするので、もしかしたらカミュ絡みの話題でもあるのかもしれません。カミュはよく知らないのでここから繋がる話も無いのですがね……。
この辺のことはよく分からないのですが、それでも良いなーと思えた点は、この「永遠は存在しない」に対する回答です。
とても良い。
私はめぐりルートを「停滞を肯定する物語」として読んでいたのですが、このセリフはそれを象徴するものだと思います。そういう読み方をしていたからこそ、このセリフが大好きなのでしょう。「永遠なんてものは、どこにもないの。」と言った直後にこんなことを言っているのもまた好きなところ。
このような「永遠」に対する回答、あるいは折り合いのつけ方は「有限だからこそ」とか「永遠なんてろくなものじゃない」みたいなものが大半だと思いますが、それらとは全く異なる回答だったので新発見な面白さがありました。なんと言っても私にとって受け入れやすい!
永遠云々の話とは別に、めぐりの思想(恋愛観?)も良いなと思っています。
奈々菜ルートの感想でも書いたように、私は言葉(名前・記号・形、それこそ言葉は何でも)そのものは結構どうでもよいと思っているので、このセリフは共感強めでとても好きです。やはり、より重要なのは関係そのものですよ。
活字媒体の側面を含んでいるノベルゲームだからこそ、こういうセリフが似合うなって思います。
▼補足
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