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留学の成果は? 首都マニラで勝手に修学旅行【連載最終回】

昭和生まれ、57歳の英語が苦手なのおじさんが、1カ月間フィリピンのセブ島で英語留学してきました。
そこで見たり経験したことで、他の方のお役に立ちそうなことを書き記しておきます。誰かのご参考になれば幸いです。
最終回はマニラで勝手に修学旅行。マニラにはスペイン統治時代からの歴史ある街の表情と、高層ビルが建ち並ぶビジネスセンターの2つの顔がありました。セブだけでは話からにフィリピンを知ることが出来ました。

なんでマニラに行こうと思った?

留学生にはあまり縁がないセブ、マクタン島のリゾートホテルエリア

留学3週目の週末に、一泊二日で首都のマニラに出掛けました。
行きも帰りもマニラ空港経由ではあったのですが、市内まで出掛けるには時間が足りなくて、「せっかくフィリピンまで出掛けたのなら、その国の首都を見ないで帰るのも物足りない」と思っていました。
加えて3週目になると、バスタブが恋しくて、恋しく……(笑)。コンドミニアムに移ることを考えたら予算的にも妥当だろうと言い訳をして出掛けることにしました。
エアチケットは往復で6,117.96ペソでした。ホテルは、とにかくバスタブがあるところを念頭に探していたところ、マッカーサーも宿泊したという老舗のマニラホテルがセール価格で出ているではありませんか!

7時15分発と早い飛行機だったのですが、眼下の島影を地図と照らし合わせて楽しんでいるうちに、あっという間の1時間半。高層ビルが立ち並ぶ首都マニラの姿が見えて来ました。

マニラはスペイン統治時代からの歴史的な街並みと、高層ビルが立ち並ぶ新しいマニラの2つの顔がありました。大きく二つに分けてご紹介したいと思います。

歴史的な魅力満載のマニラ

イントラムロスのコロニアルな街並み

スペインが築いた城郭都市イントラムロス跡は植民地マニラの中心だった区域で今でもコロニアルな雰囲気の建物がたくさんみられます。

マニラ大聖堂

イントラムロス地区の中心的存在ともいえるマニラ大聖堂。
修道女さんも、思わず写真を撮りたくなる魅力的な場所です。
この教会の前にローマ広場というかなり大きな広場があるのですが、週末にもかかわらず、中学生か高校生と思われる色んな学校の生徒さんたちが揃いの体操服やポロシャツ姿で列を作ったり、説明を受けたり、アイスクリームを食べたりしていました。若くて教育熱心な国という印象を受けました。

右の銅像はフィリピンに天然痘ワクチンをもたらしたスペインのカルロス4世

カーサマニラ博物館

イントラムロス地区で最も印象深かったのがカーサマニラ博物館です。スペイン統治時代の富裕層の邸宅を再現したものだそうです。いかに植民地経済が豊かな(貧富の差の大きな)ものだったかを実感します。
格子窓は日本の障子のような紙ではなく貝を一枚一枚薄く加工したのののようでした。手が込んでますね。
中庭のある建物にはレストランなども入っています。2階の一部が博物館になっています。
中庭の隅にある目立たないチケット売場で入場券を買うと入口の女性に伝えます。同時に入ることの出来る人数が限られているため、順番が来るまで椅子に腰掛けて待ちます。
内部はフラッシュ撮影は禁止。赤い絨毯が敷かれたところだけを歩くことが出来ます。
台所になぜか古びたキッコーマンの一升瓶がありました。コーヒーカップの底にも値札の跡のようなものがあり、時代考証にやや甘さはありますね。

菲華歴史博物館

ババチノイ(Bahay Tsinoy - Kaisa Heritage Center)は、フィリピン経済の重要な地位を占めている華僑の歴史を分かりやすく展示しています。
交易のほかに荷運びや小商いから徐々に地歩を固めて行ったのでしょう。
お終いのほうで一部、抗日運動についてのパネル展示もあります。

サンチャゴ要塞

マニラの歴史を辿るには避けては通れない遺跡です。1571年から建設が始まった要塞は、マニラ湾とパシック川の河口をにらむ要衝にあります。
スペイン軍司令部、1898年にアメリカが米西戦争に勝利したあとはアメリカ軍司令部、第二次世界大戦中には日本軍の憲兵隊本部が置かれた場所。
敷地内は広い緑地が広がって開放感がありますが、牢獄の跡があり、要塞の地下には日本軍の振る舞いが人形で展示してあり、歴史の重みを感じる場所です。
フィリピンの独立運動に尽力して国民的英雄となっているホセ・リサール(日本にも滞在していたことがある)の記念館もあります。ここでも、品の良い制服の女子学生の集団が週末にもかかわらず見学に来て説明を受けていました。

プエルト リアル ガーデン

プエルト・リアル・ガーデン(Puerta Real Gardens)はイントラムロス地区のサンチャゴ要塞とは反対側。城壁を抜けたと思った先の右側にあります。入場無料(トイレは有料)。
緑ゆたかで木陰が多く、気持ち良い風が吹き抜けて行きます。街歩きに疲れた体を休めるにはぴったりです。
展示物も売店もないけれど、いつまでもぼんやり時を過ごしていたいような場所でした。
城壁の外は広いゴルフ場になっていて、街の一等地でのんびりゴルフに興じている人達がいました。

フィリピン国立博物館

名前はPhilippine National Museumなのですが、ほぼ美術館といって良い内容です。Googleマップには国立美術館と日本語表記が出ます。
入場無料で、荷物チェックと身分証明書の提示、脱帽が求められます。
みんな展示物と一緒に写真を撮るのが好きなようで、あちこちで自撮りや記念撮影をしていました。そして、未就学の子どもがたくさんいることも意外で印象的でした。
現代絵画を別にすれば、スペイン文化の影響を受けた展示が多い印象。日本の東京国立博物館の常設展示を振り返ると、日本も広くは中国文化の影響を受けているとはいえ、独自性の高いレベルの美術工芸を生み出しているのだなあと改めて認識しました。
とても立派な建物で、1918年から1926年にかけて建設されました。当初は図書館の予定だったものが、途中で計画が変更となり国会議事堂として建設されたそうです。第二次世界大戦末期には立てこもる日本軍にアメリカ軍が砲撃を加え建物にも大きな被害が出ましたが、その後修復されました。

博物館からあたりを見渡すと、大きくて立派な、古いビルが立ち並びます。金色と尖塔が輝く市庁舎は1904年の建設。隣りに立つ白亜の自然史博物館は1940年に農商工館として建てられ、第二次世界大戦中に破壊されて戦後に再建されたもの。赤い屋根に黄色い縁取りの労働雇用省のビルは同省の設立と同年とすれば1933年。川沿いに立つ中央郵便局ビルは2023年5月に火事にあいましたが1926年の建物。
スペイン統治の後を継いだアメリカが、太平洋の拠点としていかに開発に力を入れていたかが分かります。
アメリカの戦後日本統治には、フィリピンの間接的な統治の経験が反映されていたという説があるようで興味深いです。

リサール公園

国民的英雄ホセ・リサールの名を冠した広大な公園。銅像も建っています。
東京の上野公園の噴水を思い出しました。博物館が近くにあるのも、何となく雰囲気が似ていますね。
日本庭園と中国庭園があるのですが、中国庭園のほうがお金がかかっていて設備が充実しています。施設には寄付をした華僑の方々の銘板がありました。地域経済への浸透具合が違いますね。

中華街

「世界最古の中華街」なのですが、友人達から「寂れているから期待して行くとがっかりするよ」とも聞いていました。確かに横浜の中華街や、かつてのネオン煌めく香港をイメージしていくと、かなり寂しく薄暗い感じがしました。
しかし、夜にたまたまマニラに来ていた友だちと訪ねてみると、街中が明るいということはないものの、人気のお店などには人だかりがして前を歩くのが困難になるほどでした。

マニラ最古のレストラン 和興

中華街には実は夜だけでなく、マニラについたその足で、和興(Toho Antigua Panciteria)に行きました。マニラ最古のレストラン、1888年創業です。
着いたのは9時半過ぎで、客の姿もまばらで、のんびりした雰囲気が漂っていました。高い天井でゆっくり回る扇風機、申し分のない料理、氷入りのグラスで飲む冷たいサンミゲル、気持ちのいい接客。もう、このままだらしなく数時間を過ごしていたい、そんな贅沢な時間が流れていきました。
こんなローカルなお店で食事をするとき、以前ならドギマギしてたでしょうけど、話していればどうにかなるだろ、くらいには思えるようにはなりました。

マラカニアン宮殿

近くまで行ったのですが、見ていません。途中から道路が封鎖されており、1枚目写真の右奥方向は撮影禁止となっていました。
守衛の兵士がのんびりした調子で「撮影禁止だよ~」「観光客?」「どこ行くの?」「こっから遠いよ」などと話しかけてきました。
あたりも学校や古い住宅など、落ち着いた雰囲気の住宅街でした。

マニラホテル

1909 年に建てられたフィリピン最古のプレミア ホテル。マッカーサーも1941年まで6年間、このホテルのペントハウスに住んでいたそうです。
堂々たるロビー、落ち着いた室内の雰囲気は、クラシックはホテルの雰囲気を充分に楽しませてくれます。
調度品に痛みが見られたり、ベッドサイドに電源がなかったり、設備に古さは否めないものに、真新しいホテルにはない落ち着きがあります。
客層はバスで乗り付ける団体客も多いですが、ドレスで着飾ったフィリピン人の若い女性達が何かのセレモニーの後なのか、ホテルのロビーや階段などで思い思いに記念写真を撮っていて、歴史を刻んできたホテルとして地元の人にとっても大事な存在なのだなと分かります。

今回の宿泊の目的は、こうした歴史あるホテルの雰囲気を味わうことのほかに、バスタブがありました。
熱いお湯がみたされたバスタブ、足を思いっきり伸ばせるゆったりしたバスタブ。
ずっとシャワーばかりで3週間暮らしてきた身には最高のくつろぎです。こわばった背中や四肢がゆったりとほどけていく感じ。たまりません。
1泊2日の滞在中に5回も入ってしまいました。やや早めに到着してすぐ、昼寝をしたあと出掛ける前に、夜帰ってきてから、朝目覚めてから、朝の散歩から帰って来てから。
日本の入浴剤があったらなあ。こんなことになると分かっていたら、ツムラの日本の名湯シリーズを何袋か持って来ておけばよかった……。

もうひとつ嬉しかったのは朝ご飯。何気ないハムエッグ、クロワッサン、だけど学校の食事とは大違い。このときばかりは、「明日からまたあのオイリーな食事を食べないといけないのか……」と思って、学校に戻ることが辛くなりました。

ビジネスの活気あふれるマニラ

古い街並みがとても魅力的なのですが、一方で高層ビルが建ち並ぶビジネスの中心地という様子を見ておきたい。日曜日ではありましたが、高層ビルが建ち並ぶビジネス街、マカティ市へと足を伸してみました。

レガスピ サンデー マーケット

ビジネス街として発展しているマカティ市では、土曜日にはサルセド・コミュニティ・マーケット、日曜日にはレガスピ・サンデー・マーケットが開かれているそうです。
高層ビルの谷間の緑豊かな公園で開かれているマーケット。生鮮食品、加工食品、スイーツ、衣料品、雑貨と色んなお店が出ています。のんびりした時間が流れるなか、自然と心が浮き立ちます。
入口近くで売っていたジンジャーエールの瓶を片手にひとまわり。魚のスモークがとっても良い香り。買って帰ってお酒が飲みたくなります。マレーシア料理の屋台が出していたカレーボールも美味しそうだったなあ。日本人っぽい女性たちがアイスクリームの行列に並んでいました。
本を無料交換するための施設があり、好きな本を持っていって良いし、本を置いていってもいいというというもの。このマーケットが地域に馴染んでいる感じがして、好感が持てました。
7時から14時まで開催されているそうです。

グリーンベルト

ディオールや資生堂なども店を並べる高級な雰囲気漂うモール。
一風堂やペッパーランチ、辻利も出店して、賑わっていました。
そんななか、私が目指したのはフェリー・ジェイズ・キッチン(Fely J`s KITCHEN)というフィリピン料理のお店。創業者のお母さんのレシピを元にしたそうで、ここのファミリーの写真がメニューの表紙にあしらわれています。お洒落で落ち着いたたたずまいの店舗。家族連れで賑わっていました。
友人が、この店のシシグ(Slsig Fried Rice)とサンミゲルビールの組み合わせが最高だと教えてくれていたのです。ほどなく運ばれてきたのは、豚の細切れがたくさん入った大盛のフライドライス。独特のスパイスが利いていますが辛すぎることはなく、なるほどアッサリしたビールにぴったり。サンデーマーケットでの食事を我慢しておいて良かったあ。信頼する友人の言葉に間違いなしです。
実は量がたくさんあるので半分も食べきれず、お会計の時と席を立つときにお店の人に包んで持っていかないのかと声を掛けられたのですが、この後も暑い中を移動するので残念ながらお断りしました。誰かと一緒に行っていたら、もっと色んな料理を試してみたかったなあ。

周辺にも真新しいビルが立ち並びます。

ランドマーク

すぐそばのランドマークは、もう少し庶民的な感じのショッピングモール。春節の時期とあってか、巨大なスロットマシーンのような福引き(?)にたくさんの人が挑戦していました。
地下のフードコートではジョリビーから韓国料理まで様々な料理が楽しめます。ケーキ屋さんの名前が何故かひらがなで「くもり」。
書店のFULLY BOOKEDには『イーロン・マスク』評伝が。世界同時発売された書籍で表紙デザインも同じなので、すぐ分かりました。

三越BGC

タクシーで移動して三越へ。マニラに三越が? あるんです。ライオン像もちゃんとありました。
2023年7月21日にグランドオープン。とはいえ、まだカミングスーンの区画もあり、3階へのエスカレーターはまだ動いていません。

1階のフロアには資生堂、シチズン、といった有名な国際ブランド。
2階には紀伊國屋書店がFULLY BOOKEDとダブルネームで出店。英語版のコミックコーナーがめちゃくちゃ充実しています。
「ドラゴンボール」「ワンピース」「呪術廻戦」「チェンソーマン」「アオアシ」「ブルーロック」「炎炎ノ消防隊」「薬屋のひとりごと」「
アオハライド」「乙嫁語り」「極主夫道」「BEAST COMPLEX」「イジらないで、長瀞さん」「古見さんは、コミュ症です。」「めぞん一刻」などなど。
こんなにあるのか、とビックリします。英語のタイトルを見て、日本語タイトルをどこまで思い出せるでしょうか。ここだけでも、わざわざ行く価値があります。
同じフロアにアニメグッズを売っているお店があったり、ガチャポンの大きなスペースがあったり。ダイソーもあります。日本語対応出来るヘアサロンも。元気寿司グループの千両があり、ラーメン山頭火が間もなくオープン。
地下ではエスカレーターを降りるなり、八天堂のくりーむパンを売っていてビックリ! 貢茶、東京ミルクチーズ工場も。
さらに奥に進むと、フードコートに、モスバーガー、てんや、CoCo壱、冨士そば、千房、さぼてん、といったおなじみのチェーンや知らない日本語名のお店が。
飲食店だけでなく、カラダファクトリーまであるのに驚きました。
人口減の日本、色んな企業が海外展開出来る体制を整えているんだなと、改めて驚きました。
食品スーパーMITSUKOSHI FRESHには、ありました、探し求めていた日本茶のティーバッグとドレッシング。味噌や豆腐こんにゃく、もやしや焼きそば麺まで。

一方で伊勢丹は今年、中国の天津、上海の店舗を行っており、マニラでの新しい展開にどういう活路を見出していくのか興味があります。
周辺には真新しい高層ビルが建ち並び、地域の発展可能性を感じました。

SM モール オブ アジア

学校の先生に、マニラ市内から空港までは渋滞がヒドイので、 SM モール オブ アジアで時間を潰すのが良いと聞いていたのですが、あまりゆっくり滞在する時間が取れなくて、アジア最大級と言われるモールの全容はつかめませんでした。
また、マニラ中心部より空港に近いとは言え道も混んでいるのと、そもそも広すぎてタクシーを捕まえるまでにも時間がかかります。余裕をもって行動するほうが良いと思います。

ひとつ印象としてあるのは、若いファミリーやカップルが多かったということです。巨大な3階建てのメリーゴーランドには、子ども達が次々とやって来ていました。
よく言われることですが、フィリピンの平均年齢は25.3歳、日本は47.4歳(両国の2020年国勢調査による)。フィリピンは若い国です。また、フィリピンの人口は1億904万人。日本は1億 2623 万人。
世界の人口がやがて縮小すると言われている時代、フィリピンの将来の発展を予想する声が多く聞こえて来ました。
一方で、国土が島ばかりで、海で分断されていることが発展の足枷になるのではという意見も聞きました。

古い歴史があって、かつ若さに溢れるフィリピン。マニラを旅することで、その姿をより鮮明に感じることが出来ました。


さて、これで留学日記は最終回です。
7回のつもりが、伸びに伸びて12回となりました。
どなたかの留学生活や、旅の参考になれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

<過去記事はこちら>


第1回 なんでセブ島留学?
第2回 セブ島留学したいと思ったら(入学プランの設計、航空券の手配など)
第3回 学生寮(ドミトリー)か、コンドミニアムか 人生の分かれ道
第4回 セブ島留学が決まったら(予習の教材は? やる気が出る勉強法は?)
第5回 セブ島留学が決まったら(持っていくべき物は? 現地で買えば良い物は?)
第6回 知っておくと便利な留学先学校周辺情報(レストラン、スイーツ、体調不良のときにおすすめの食事)
第7回 知っておくと便利な留学先学校周辺情報(生活準備に便利な店、両替、薬局、マッサージ、お土産まとめ買い)
第8回 人気の先生は争奪戦! 講座の組み替えも要検討 スクールライフを充実させつコツ
第9回 週末はリゾート気分満喫! ジンベイザメと泳ぐ英会話学校主催のオスロブツアー
第10回 週末はリゾート気分満喫! 絶景チョコレートヒルズ、世界最小メガネザルと記念撮影
第11回 週末はリゾート気分満喫! 身につけた英語を試しに街へ出かけよう セブ市内観光編

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