絵を描いて自分で驚くこともある
僕は絵を描くのが好きだからたまに絵を描くことにしている。最近はアクリル画にハマり、大学の世界堂へ行き、6号ぐらいのキャンバスを買ってきて、ババっと筆で色を塗り込むのが楽しい。
普通がどうかは定かではないが、僕の絵の描き方は描きながら何を描くのか決めるというものだ。もしかしたら、多くの人は何を描くのか決めてから描き始めるんじゃないかと僕は思っている。
それも悪くない。
ただ、僕の場合は、緊張感のある真っ白なキャンバスが好きじゃないから、とりあえず描き始めることにしている。適当に筆でこうゆう線はきれいだなあとか思いつつ。キャンバスを汚していく。
すると、自然とキャンバスの緊張感は落ち着いてくる。イメージとするならば、アウェイのサッカー場からホームグラウンドに来た感じだ。絵の面白いところは、アウェイでもホームに塗り替えることができるところである。
そんな感じで、特に何を描くかは決まっていないが感覚的に気持ちの良い線を書き足していく。基本的にここは作業である。するといつの間にか全体にバランスが生じてきていることがある。人間は無意識のうちにバランスを保とうとするからだ。
そこで、明らかにバランスの悪い線を一本、全体を傾けるように入れてみたりする。するとそこから、自身の中にインスピレーションが上がってくる。僕が何を描こうか決めるのは、大体この辺である。
全体の半分以上が出来上がった状態で、心の中からぐわっと湧き上がるアンバランスさを取り入れることにより、よくあるバランスの取れた絵から自分の絵にかわる。その瞬間の快感を楽しんでいるのかもしれないと最近気がついた。
その時点で、僕は絵をマクロの視点でしかみていない。つまりこの線の横に線を入れたら綺麗だとか、ここは空白にしようだとか、絵全体の構成を考えているわけではない。あくまでも局所的なバランスの悪さを散りばめている作業だ。
となると、絵が完成した時僕は驚くことになる。本当に自分が描いた絵なんだろうか。これが今回のタイトルである「絵を描いて自分で驚くこともある」の瞬間である。ズームから広角へのシフトの速さによって、その衝撃も飛躍的に大きなものとなって自身に帰ってくる。これも、ある種の快感であると僕は思う。
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