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⑥ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層

<大規模な人身売買および大規模な災害や大量殺戮>

明治維新からの悪および
大規模災害とか大規模事故と見せかけた大量殺戮事件
さらに大量の人身売買も!!
 

主に日本の黒い霧さんのブログから記事をご紹介してまいります。
一部引用の場合は全文を開いてお読みください。

また、エンドゥさんの動画も1本ご紹介して文字起こししています。


フリーメイソン、イルミナティ、国際金融資本、DS、アメリカCIAと深い繋がりがあると囁かれているのが山口県の田布施町と鹿児島県の田布施村だそうです

フリーメイソン、イルミナティ、国際金融資本、DS、アメリカCIAの直轄地と囁かれる田布施町。今なお続く田布施システムとは何か。明治天皇は長州藩士大室寅之祐とすり替えられた。 (daiwaryu1121.com)

https://daiwaryu1121.com/post-27891/より拝借


https://daiwaryu1121.com/post-27891/より拝借


https://daiwaryu1121.com/post-27891/より拝借


https://daiwaryu1121.com/post-27891/より拝借


https://daiwaryu1121.com/post-27891/より拝借


※明治天皇のスリ替えつまり偽物については、大室寅之祐の他に、箕作圭吾(みつくり けいご)や西郷隆盛(※ビックリ!)という説もあります!

人様が書かれた記事から重大と思える箇所の引用と、その記事に入れられていた画像を拝借したものを載せます。それらは以私が書いた記事で引用させていただいたり拝借したものと同じものです。↓↓↓

(削除された記事)明治天皇は「箕作圭吾(みつくりけいご)」

明治天皇は「箕作圭吾(みつくりけいご)」大室寅之助説はフェイクか? | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。

(前略)
箕作圭吾(みつくりけいご)
は、1868年の明治維新の2年前、1866年にはスパイとして英国に行って写真を撮影していた!!エリザベス女王にスパイとして接見したとも言われている。そして明治維新の1868年に帰国!!すり替わったか?
1871年(明治4年)に東京墨田川で心臓発作で溺死となっているが、怪し過ぎる!!
本物の明治天皇(睦人親王)と同じ1852年生まれとされる。
(後略)

https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12691587532.html



https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12691587532.htmlより拝借
https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12691587532.htmlより拝借


(削除された記事)「維新の極悪人たち」伊藤博文の孝明天皇暗殺と、明治天皇すり替え!!【明治天皇は箕作圭吾】

「維新の悪人たち」伊藤博文の孝明天皇暗殺と、明治天皇すり替え!!【明治天皇は箕作圭吾!】 | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。

(前略)
明治天皇 絶対に顔を見せなかったそうだ。

自分の出自は自分が一番よく知っている。
「お通りになられるから地面に顔を伏せ」
「写真は絶対撮らせない、絵師に書かせたものを撮らせていた」

(中略)

ただ、明治天皇がすり替わり、尚且つ外国勢力が裏で暗躍していたことが問題なのだ。初代内閣総理大臣の伊藤博文は、孝明天皇殺しの下忍テロリスト。外国勢力が裏で日本を支配し、ならず者が総理大臣なのは今も変わらない。歴史で習った明治天皇は現人神とかいって神格化されていた。
写真がたった2枚しかないのは、すり替えがばれるからなのだな。
やむを得ず公の場に出るときは、顔を真っ白に化粧して、眉毛を上に書いていた、
って志村けんのバカ殿かよ!
(後略)

https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12646935765.html


(削除された記事)14才の本者の明治天皇(睦人親王)即位式の写真!すり替わった箕作圭吾15才の写真「明治天皇は箕作圭吾」

14才の本者の明治天皇(睦仁親王)即位式の写真! すり替わった箕作圭吾15才の写真 | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)

<本者の明治天皇 14才の即位式の写真>
https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12692048072.htmlより拝借


(削除された記事)本物の明治天皇!? 右:ニセ明治天皇の箕作圭吾「明治天皇は箕作圭吾」

本物の明治天皇!? 右:ニセ明治天皇の箕作圭吾(みつくりけいご) | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。

明治維新は、英國ロスチャイルドと薩長田布施町朝鮮人によるクーデターです。
天皇暗殺後、伊藤博文の子分である(田布施町朝鮮人)大室寅之祐が明治天皇になりすまし成功。もう1人言われているのが箕作圭吾。現在の皇室も影武者が何人もいるので、2人いたのかもしれませんね。。
どっちにしろ朝鮮人です。
京都にいてはバレるので、東京に引越しをしました。
(中略)
明治天皇は朝鮮人の箕作圭吾にすり替わっていた!!豊臣秀吉の【朝鮮出兵】で日本に来た朝鮮人!!
 幕末に孝明天皇は伊藤博文に暗殺され、本当の明治天皇(睦仁親王)も貧乏公家の岩倉具視たちに殺害された!!そして箕作圭吾(みつくりけいご)という岡山県美作(現在・津山市)の山窩(サンカ)と呼ばれる朝鮮部落出身の男にすり替えた!!
(中略)
「フリーメーソン」とは、欧米のユダヤ人が世界支配するために日本やアジアの「被差別部落民」を使って、天皇や王を殺害したりすり替えて乗っ取るための陰謀組織です!!「フランス革命・アメリカ独立戦争・明治維新」全て白人に化けたユダヤ人がフリーメーソンと言う組織を作って・マリーアントワネット・ルイ16世・ロシア皇帝・明治天皇も暗殺した!!
フェイクで、ニセ明治天皇は大室寅之助と書いて有りますが、現在は「箕作圭吾(みつくりけいご)」と訂正された本が出版されています!!

https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12672421318.html
<反転され色ずけされています(左)
右はすりかわった後のなりすまし 明治天皇。(箕作圭吾 みつくりけいご)>

https://ameblo.jp/sumisumi-world-2020/entry-12672421318.htmlより拝借


(人様の記事)本物の明治天皇(睦人親王)暗殺写真!!エリザベス女王がオークション出品で東大が落札!【拡散願う】

本物の明治天皇(睦仁親王)暗殺写真!!エリザベス女王がオークション出品で東大が落札!【拡散願う】 | 伊藤博文は日本の天皇2人と朝鮮の閔妃を暗殺した朝鮮人テロリスト (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。

本物の明治天皇(睦仁親王)の暗殺写真を、7年前にエリザベス女王がオークションに出品し、東大が落札していた!! 1868年のグラバーがやった明治維新のテロで、日本は英国🇬🇧植民地になった‼️白衣装の「睦仁天皇」を三人が取り囲んでいます。左、伊藤博文、右、西郷隆盛。背後に「斬首刀」に手を掛けた小松宮彰仁親王。安重根の孝明天皇暗殺説は証拠がありませんが、睦仁天皇処刑直前写真から伊藤博文が参画し、予告どおり、西郷隆盛と睦仁天皇の両手の自由を奪い、背後の小松宮彰仁親王が斬首
 撮影日時は、1872年(明治5年)11月21日 横須賀造船所ドライドック前 明治天皇(睦仁)暗殺テロ・クーデーター!!

https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.html
https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借

この写真↑は小松宮彰人親王より国外へ持ち出され、英国のヴィクトリア女王に手渡されたそうです。なぜ、このような写真(決して慶事とは言えない写真)をわざわざ日本の親王が英国の女王に手渡したのか疑問に思う。このような写真をもらう方ももらう方だと思う。しかも、相手は他国の女王だ。(もらう方にとっては慶事だったということか?)
当時の日本と英国との関係はどのようなものであったのか。
そしてその関係は今もなお続いているのか否か。


<↑本物の明治天皇(睦人親王)の右後ろで「斬首する刀」を持っているのが、小松宮彰仁親王、 睦仁天皇の右には東郷平八郎‼️乃木希典‼️←全員がグルの朝鮮人テロリスト
小松宮家は明治に入ってから作られた宮家なので、1代限りの宮家の8男の庶子(愛人の子)としてお寺に預けられていたのを殺害して、朝鮮人の子に入れ替えた可能性が高い!!>
https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借

写真の中央の白い衣装の方は「睦人親王」で、その周りを取り囲んでいる3人は伊藤博文、西郷隆盛、小松宮彰人親王(睦人親王の背後に位置しているとのこと)だそうです。この小松宮彰人親王がぶっそうなモノを持っているのですね。白い鉢巻の人は、篠原国幹(しのはらくにもと)だそうです。この方は、ウィキペディアで見ますと、元々薩摩藩士で、陸軍軍人となった方のようです。

元記事によりますと、この現場写真に写っている人としては他に、
大久保利通、東郷平八郎、乃木希典(のぎまれすけ:ウィキペディアによりますと、元長府藩士で大日本帝国陸軍の軍人であり、昭和天皇の教育係を務めたとあります。)、別府晋作、長州イボ侍と書き込まれた大室寅之祐(※元記事では「祐」ではなく「助」となっていますね。)です。

ウィキペディアで見ますと、ほとんどの方が薩摩藩士や長府藩士(※薩摩藩士の方が多い印象)で、軍人となっているようですね


https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


<↑本物の明治天皇暗殺犯の中に、統一教会を安倍の祖父の岸信介と
一緒に日本で立ち上げた 「文鮮明」の父、文慶裕まで写っていた!?>
https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借
https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


<↑ 明治天皇お左後ろに紋付き・袴(はかま)の和服で立っている身長180cm超えの大男が大久保利通・鹿児島市高麗町出身の秀吉朝鮮人の乞食!!
(幕末の日本男児の平均身長は160cm)>

https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


<↑ 『ヴェルニー』と言うユダヤ人が、伊藤博文や西郷隆盛たち朝鮮人に命令して、
本物の明治天皇(睦仁親王)を殺害させたのに、
わざと右端のヴェルニーをカットした写真を出してきたそうだ‼️>
https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借
<「長州公開斬首刑記事」は睦仁天皇暗殺の七年前、
1865年イラストレイティド・ロンドンニュースに掲載。長州藩士と大英帝国関係者出席。1872.11.21横須賀造船所にて、罪人、睦仁天皇。 斬首執行者、小松宮彰仁親王。
介助者、伊藤博文・西郷隆盛。刑口上者、篠原国幹。 暗殺現場写真と概ね一致。>
https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借



https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


<↑ 【フルベッキ群像写真】 英国系ユダヤ人のグラバーの仲間だった、
米国系ユダヤ人のフルベッキ一家と明治維新の朝鮮人テロリストたちが一緒に撮影した写真が流出して、敵同士のはずの伊藤博文・西郷隆盛・勝海舟、・岩倉具視の長男・次男たちが、
このように全員がグルで、グラバーがいた長崎に集合して、仲良く写真撮影していた!!
1868年の明治維新と言う名のテロの前年の1867年長崎グラバー邸で撮影。>
 
https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借
<「エラ」「ほお骨」の本物の西郷隆盛と、鹿児島市高麗町の大久保利通の写真
サムライでも何でもない、豊臣秀吉の朝鮮出兵で来日した白丁と呼ばれるエタ・非人が、
グラバーからカネを貰って、下級武士(足軽)や下級公家(朝鮮人の岩倉具視・三条実美)の
位を買って、徳川幕府を倒すために京都や江戸に放火してテロをやっていた!!>
https://ameblo.jp/tariribana/entry-12691360282.htmlより拝借


<【ホンモノの明治天皇】睦仁親王>
https://ameblo.jp/mazutouyaiumin/entry-12688064585.htmlより拝借
<偽物の明治天>
https://ameblo.jp/mazutouyaiumin/entry-12688064585.htmlより拝借
<偽物明治天>
https://ameblo.jp/mazutouyaiumin/entry-12688064585.htmlより拝借


エリザベス女王が保管していた本物の明治天皇の写真 | まず問うや言う民☆Mとしお捕物帖 (ameblo.jp)

<【本物の睦仁親王を◯◯した伊藤博文】 部下の大室寅之祐を
明治天皇の替え玉にし
自分が初代内閣総理大臣となった>

https://ameblo.jp/mazutouyaiumin/entry-12688064585.htmlより拝借


日本初の憲法、大日本帝国憲法を作ったとされる伊藤博文は朝鮮人だそうです。つまり、日本の最初の憲法は朝鮮人によって作られたということです!
どおりでイルミナテイにとって都合のいい作り(※天皇についての記述の箇所です。)になっているということですね。。。


(なりはんブログ)明治天皇は誰か

明治天皇は誰か | なりはんブログ (ameblo.jp)

こちらの記事↑を引用させていただきます。

明治天皇が大室寅之祐(おおむろとらのすけ)にすり代わった、いやいや箕作圭吾にすり代わったのだ、その後西郷隆盛が下野したときに、明治天皇とすり代わったなど諸説あり定まっていない。

 そもそも吉田松陰が処刑されたのは、田布施に行った後だ。南朝の末裔と称する大室寅之祐に会い、明治天皇の暗殺を企てたのがその真相だ。
立派な人物なんかじゃなく陰謀家で策略家だ。

吉田松陰は右翼思想の先駆けだったんだ。彼によって攘夷志士が生まれ、清(今の中国)や朝鮮に対する間違った思想を刷り込んだ結果、間違った国家主義が生まれたからだ。この思想がやがて国粋主義や戦争国家に発展して日本は自滅することになる。

大室家は江戸時代に断絶しており、もとより寅之祐は南朝の血を引いてはいない。網元をやって儲けた父親が大室の姓を買ったんだよ(長州 田布施(たぶせ)(山口県 光市)は代々朝鮮部落で、海賊行為を働いて生計を立てていたんだ。漁業をやっていた形跡はない)。 しかも本物の寅之祐は幼少で他界してる。

 大室寅之祐は海援隊に在籍当時、相撲力士で強盗狼藉を働いて新撰組に誅殺されたともいわれる。

箕作圭吾(みつくりけいご)は山窩*1(さんか)の出自。 岡山県津山市出身で、原爆の材料になるウランが採れる人形峠(幽霊が出るので有名な山)を始め全国の鉱山を知り尽くしていたという。それで17歳の若さにもかかわらず天皇の身代わりに選ばれたそうだ

リン光を放つウラン鉱石

1955年まで発見されなかったとはとうてい信じられない


 このことから、維新当時から核分裂を応用して高性能爆弾を作ることが研究されていたことがわかる。

 1873年に箕作圭吾は闇に葬られ、西郷隆盛(吉之助)にすり替わったという説を支持するぞ
謎の下野(げや)があるからだ。その後まもなく西南戦争で西郷は自決した(死んだのは替え玉*2)。 城山で切腹ではなく仲間に暗殺されたとも伝えられる。

1873年下野(明治政府から離れる)
1877年西南戦争で死亡

しかも隆盛は本名じゃないんだ。名前さえいつわっていたんだ。 本当の名前は隆永(たかなが)。

 どんな顔だったか伝わっていないけど、背が高く骨ばってたって証言がある。銅像の西郷さんとはまったくイメージがちがう
ね。

フルベツキ写真に写ってる浪人風の男がそれらしい。 よくみて捜してごらん。
明治天皇の后は昭憲皇太后と呼ばれていたそうな。皇后なのに「皇太后」って呼ばれるなんて、異様だね。ひそかに長州田布施に行ったさい、気を悪くした彼女は、小刀で侍女を殺している。なぜ田布施に行ったか? 考えてごらん。

知識と雑学の備忘録
位階を授かることになり、明治政府は書類に西郷の本名を記す必要が生じた。

そこで、明治政府は、西郷本人が函館遠征中で連絡がつかなかった為、
西郷の友人吉井友実(ともざね)に西郷の本名を聞きに行った。

吉井は西郷を通称の「吉之助」と呼んでいた為、本名をなかなか
思い出せなかったが、やっと思い出した「隆盛」という名前を伝え、
明治政府は「西郷隆盛」で書類を作成した。


ところが、吉井がやっと思い出した「隆盛」という名前は、実は西郷の父親の名前。

っていう、いかにもマユツバな話が伝わってる
。 

こんなの子供だって信じないよ。「それ作った話だろ」「絶対ウソやろ」っていっちゃいそうだ。

西郷は維新のときに江戸で辻斬り、火付けを赤報隊にさんざんさせ、そのあげくに用済みになった赤報隊を始末してしまった。

赤報隊は明治政府が許可して西郷が組織した。
「年貢半減」をスローガンに暴れまわったんで、ニセ官軍の烙印を押して小諸藩(長野県の一部)に襲撃させて処刑した。つごうの悪い者はあの世に送るのが西郷のやり方だ。

 ところで、「赤」の字がつくって左翼っぽくないかい? 今どき左翼とか右翼なんて分けないけど、極左過激派だから左翼でいいと思う。 ロスチャイルドはこの頃から社会主義を実行しようとしていたわけだ。マルクス(本名はモルデカイ。ユダヤ名)に19世紀『資本論』を書かせたんだから不思議じゃないよね。

ここでロスチャイルド(マセソン商会*3)とのつながりがあきらかになる。


 坂本竜馬の暗殺を企てたのは土佐藩と西郷だといわれてるぞ。 実行部隊は京都見回り組らしいけど。

 同じ土佐の岩崎弥太郎が竜馬の亀山社中を乗っ取って三菱を創業したんだ。

竜馬*2は長州に薩摩経由で密輸入した武器を売ったり(この頃から長州と薩摩は通じていた。薩長同盟なんて大嘘)、連絡役としてほうぼう飛び回ったりしたんで、いろいろと秘密を知り過ぎている。勤王の志士たちにとって危険な存在だったからだ。


無血開城は大嘘 週刊ポスト2017-7-28
大政奉還で討幕の大義がなくなったので、
無頼の徒を束ねた伊牟田尚平に命じて放火、殺人、強盗をやらせた。その後3回江戸城二の丸を半焼。役人がきたら三田の薩摩藩邸に逃げ込ませた。
そのため江戸町民は「薩摩御用盗」といって恐れた。



西郷も明治天皇も大柄で骨ばった体型、写真を撮られるのを極度に嫌ったという点も共通している。

西郷の弟の子孫は今でも政財界の有力者と婚姻関係を結び、栄華を極めているよ。

逆賊の徒のはずなのに、おかしいよね。

皇居(旧江戸城)は、維新後は旧武家の娘、旧藩主の子女、外国の王女たちが集められ、「千代田遊郭」と揶揄(やゆ)されるほどセックス・モンスターの牙城というありさまだった。

 大正天皇も千代田遊郭の常連で、貞明皇后は朝鮮王朝の王女

昭和天皇は貞明皇后と西園寺八郎(毛利家の系統)の息子



*1
ナデシ。世間師。山中に住み、箕(み)(魚を捕るとき使うザル)、ビク(捕った魚を入れるザル状のかご)、籐(とう)かご、ざる、漁網、こけしを作る職人(木地師(きじし))を営んでいた

もともと奈良時代以降は律令外(税金を取れない民)、江戸時代は士農工商の外に追いやられた民(定住しないので税金の取りようがない)だった。

 山窩は維新後に戸籍を作ることが強制されて山を追われると、空き巣、盗賊に身をやつす人が多かったという。

 山中で竹で家を造って、定住せず移動生活をするのが本来のライフ スタイルだったのに、維新政府に生活を崩されてしまったからだ。


古代遺跡、古墳、聖地を守護していたのもかれら
 といっても私が山窩の一族なわけではないけど……。

*2
忍術でいう「身の虫の術」だね。
少々変装すれば、西郷にみえる忍者を使っただろう

大方、騒ぎの最中に「狐狸の術」で逃走したんだろう。

竜馬も忍者っぽいね。陽忍。
だいいち関所を通り抜けるのに、浪人では怪しまれるよ
獣道、脇道を知っていたからフットワークが軽かったんだ
虚無僧(全国行脚(あんぎゃ)していた。お尋ね者がよく虚無僧に扮していたという)、薬売りの商人(脇道を通過するのに村に用事が要る)、修験者(山に入るので獣道を利用する)なんかに変装してたんだろう。
物騒な時代だったんで数人で行動してたと思う
 スコットランドのロスリン教会で、死んだはずの竜馬に会ったっていう日本人がいる。ってことは、まちがいなくフリーメイソンに入会したわけだ。
死んだとみせかけたのは「移し身の術」だった
んだ。

 竜馬って、暗殺当時は無名だったんだし、有名になったのは日露戦争以来だよ。戦争気分を鼓舞するために伝説に使われたんだ

「闇から闇へ」、という忍者の生き方をまっとうしたことになる


*3
イギリス東インド会社。トーマス・グラバーが上海支社長。長崎に住んでグラバー邸を造った。
生業はアヘン販売、武器の密輸。
アヘン戦争( イギリスと清(中国)の戦争。このことが元で香港は1997年までイギリス植民地だった )の裏にマセソン商会がいた。
バックはロスチャイルド
マセソンのせいでアジア中に麻薬中毒の患者が激増した。
世界中で戦乱をおこし、両方に武器を売ってしこたま儲ける戦略だ(双頭戦略)。

https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.html
<リン光を放つウラン鉱石1955年まで発見されなかったとはとうてい信じられない。
 このことから、維新当時から核分裂を応用して
高性能爆弾を作ることが研究されていたことがわかる。>

https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.htmlより拝借


<旧会津藩で発見。右端が西郷。>
https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.htmlより拝借


<フルベツキの右隣が西郷。>
https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.htmlより拝借


<明治4年の横須賀行幸時にフランス人が撮影した明治天皇。
浅黒く巨漢の男が白粉と口紅をして異様だったという>
https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.htmlより拝借


こちらの記事↑を拝読してまず驚いたことが幾つかありますので書き出してみます。某ブログで書かれていた坂本龍馬の暗殺ではフリーメイソンによる暗殺と書かれていましたが、こちの記事↑では違うことが書かれています。

また、明治天皇のスリ替え説についても、本物は箕作圭吾だけと書かれている方が多い中、箕作圭吾と共に西郷隆盛のことも書かれていました。
なお、以前閲覧したことのある(※その記事は削除されていました!)記事では、箕作圭吾は15才頃か17歳、18歳?のときに川で遊んでいる時に突然心臓発作を起こして死んだことになっているという内容が書かれていました。
そして、箕作圭吾が心臓発作で死んだことになった同じ頃に明治天皇が即位したことになっているという旨も書かれていたとい記憶です。

また、週刊ポスト2017-7-28によると、無血開城ではなかったということや、西郷隆盛が「赤報隊」を利用したくせに、最後は刺客を送って処刑したことも書かれていました。

一番驚いたのが、画像の説明文で書かれていた「明治4年の横須賀行幸時にフランス人が撮影した明治天皇。浅黒く巨漢の男が白粉と口紅をして異様だったという」です。その写真は別の方達のブログでは、周りを刀らしきものを持って取り囲まれている写真でエリザベス女王が所有していたのを、東大が落札した写真として紹介されていました。

私はあまりにも知識がないくせに人様のブログばかり閲覧していて、今までと違うことを知ると一体何が本当のことなのかわからなくなり混乱してきますね。

とにかく、びっくりしたのでこちらの記事↑を抜粋させていただき、記事内の注釈も併せさせていただき、見出しを付けたいと思います。

※(なりはんブログより)吉田松陰について

そもそも吉田松陰が処刑されたのは、田布施に行った後だ。
南朝の末裔と称する大室寅之祐に会い、明治天皇の暗殺を企てたのがその真相だ。立派な人物なんかじゃなく陰謀家で策略家だ。
吉田松陰は右翼思想の先駆けだったんだ。
彼によって攘夷志士が生まれ、清(今の中国)や朝鮮に対する間違った思想を刷り込んだ結果、間違った国家主義が生まれたからだ。
この思想がやがて国粋主義や戦争国家に発展して日本は自滅することになる。

https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.html

※(なりはんブログより)大室寅之祐について

大室家は江戸時代に断絶しており、もとより寅之祐は南朝の血を引いてはいない。網元をやって儲けた父親が大室の姓を買ったんだよ

(長州 田布施(たぶせ)(山口県 光市)は代々朝鮮部落で、海賊行為を働いて生計を立てていたんだ。漁業をやっていた形跡はない)。 

しかも本物の寅之祐は幼少で他界してる。

大室寅之祐海援隊に在籍当時、相撲力士で強盗狼藉を働いて新撰組に誅殺されたともいわれる。

https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.html

※(なりはんブログより)箕作圭吾について

箕作圭吾(みつくりけいご)は山窩*1(さんか)の出自
岡山県津山市出身で、原爆の材料になるウランが採れる人形峠(幽霊が出るので有名な山)を始め全国の鉱山を知り尽くしていたという。
それで17歳の若さにもかかわらず天皇の身代わりに選ばれたそうだ


*1
ナデシ。世間師。山中に住み、箕(み)(魚を捕るとき使うザル)、ビク(捕った魚を入れるザル状のかご)、籐(とう)かご、ざる、漁網、こけしを作る職人(木地師(きじし))を営んでいた

もともと奈良時代以降は律令外(税金を取れない民)、江戸時代は士農工商の外に追いやられた民(定住しないので税金の取りようがない)だった。

 山窩は維新後に戸籍を作ることが強制されて山を追われると、空き巣、盗賊に身をやつす人が多かったという。

 山中で竹で家を造って、定住せず移動生活をするのが本来のライフ スタイルだったのに、維新政府に生活を崩されてしまったから
だ。

古代遺跡、古墳、聖地を守護していたのもかれら

 といっても私が山窩の一族なわけではないけど……。

https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.html

※(なりはんブログより)明治維新当時から核分裂を応用して高性能爆弾を作ることが研究されていたらしい!

リン光を放つウラン鉱石
1955年まで発見されなかったとはとうてい信じられない
このことから、維新当時から核分裂を応用して高性能爆弾を作ることが研究されていたことがわかる。

https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.html

※(なりはんブログより)西郷隆盛~西郷の弟の子孫は今でも政財界の有力者と婚姻関係を結び、栄華を極めているらしい!

1873年に箕作圭吾は闇に葬られ、西郷隆盛(吉之助)にすり替わったという説を支持するぞ。 謎の下野(げや)があるからだ。
その後まもなく西南戦争で西郷は自決した(死んだのは替え玉*2)。 

(*2忍術でいう「身の虫の術」だね。少々変装すれば、西郷にみえる忍者を使っただろう。)

城山で切腹ではなく仲間に暗殺されたとも伝えられる。

1873年下野(明治政府から離れる)
1877年西南戦争で死亡


しかも隆盛は本名じゃないんだ。名前さえいつわっていたんだ。
本当の名前は隆永(たかなが)。
どんな顔だったか伝わっていないけど、背が高く骨ばってたって証言がある。銅像の西郷さんとはまったくイメージがちがうね。
フルベツキ写真に写ってる浪人風の男がそれらしい。よくみて捜してごらん。

位階を授かることになり、明治政府は書類に西郷の本名を記す必要が生じた。
そこで、明治政府は、西郷本人が函館遠征中で連絡がつかなかった為、
西郷の友人吉井友実(ともざね)に西郷の本名を聞きに行った。
吉井は西郷を通称の「吉之助」と呼んでいた為、本名をなかなか
思い出せなかったが、やっと思い出した「隆盛」という名前を伝え、
明治政府は「西郷隆盛」で書類を作成した。
ところが、吉井がやっと思い出した「隆盛」という名前は、実は西郷の父親の名前。っていう、いかにもマユツバな話が伝わってる。 
こんなの子供だって信じないよ。「それ作った話だろ」「絶対ウソやろ」っていっちゃいそうだ。

西郷は維新のときに江戸で辻斬り、火付けを赤報隊にさんざんさせ、
そのあげくに用済みになった赤報隊を始末してしまった。

赤報隊は明治政府が許可して西郷が組織した。
「年貢半減」をスローガンに暴れまわったんで、
ニセ官軍の烙印を押して小諸藩(長野県の一部)に襲撃させて処刑した。
つごうの悪い者はあの世に送るのが西郷のやり方だ。

西郷も明治天皇も大柄で骨ばった体型、写真を撮られるのを極度に嫌ったという点も共通している。
西郷の弟の子孫は今でも政財界の有力者と婚姻関係を結び、栄華を極めているよ。
逆賊の徒のはずなのに、おかしいよね。

https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.html

※(なりはんブログより)坂本龍馬について

坂本竜馬の暗殺を企てたのは土佐藩と西郷だといわれてるぞ。
実行部隊は京都見回り組らしい
けど。
竜馬*2は長州に薩摩経由で密輸入した武器を売ったり(この頃から長州と薩摩は通じていた。薩長同盟なんて大嘘)、連絡役としてほうぼう飛び回ったりしたんで、いろいろと秘密を知り過ぎている。
勤王の志士たちにとって危険な存在だったからだ。
竜馬も忍者っぽいね。陽忍。


(*2 忍術でいう「身の虫の術」だね。
少々変装すれば、西郷にみえる忍者を使っただろう。
大方、騒ぎの最中に「狐狸の術」で逃走したんだろう。)


だいいち関所を通り抜けるのに、浪人では怪しまれるよ
獣道、脇道を知っていたからフットワークが軽かったんだ
虚無僧(全国行脚(あんぎゃ)していた。お尋ね者がよく虚無僧に扮していたという)、薬売りの商人(脇道を通過するのに村に用事が要る)、修験者(山に入るので獣道を利用する)なんかに変装してたんだろう。
物騒な時代だったんで数人で行動してたと思う

スコットランドのロスリン教会で、死んだはずの竜馬に会ったっていう日本人がいる。ってことは、まちがいなくフリーメイソンに入会したわけだ。
死んだとみせかけたのは「移し身の術」だったんだ。

竜馬って、暗殺当時は無名だったんだし、有名になったのは日露戦争以来だよ。戦争気分を鼓舞するために伝説に使われたんだ
「闇から闇へ」、という忍者の生き方をまっとうしたことになる

https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.html

※(なりはんブログより)江戸城は無血開城とされているが倒幕の大義を失った西郷が画策した証拠の資料があったらしい!

無血開城は大嘘  週刊ポスト2017-7-28

大政奉還で討幕の大義がなくなったので、
無頼の徒を束ねた伊牟田尚平に命じて放火、殺人、強盗をやらせた。
その後3回江戸城二の丸を半焼。役人がきたら三田の薩摩藩邸に逃げ込ませた。そのため江戸町民は「薩摩御用盗」といって恐れた。

https://ameblo.jp/narihan/entry-12310540759.html

こちらの引用記事↑で書かれている「週刊ポスト」で検索したら次のサイトを「NEWSポストセブン」を見つけました。↓↓↓

江戸城の無血開城は嘘? 西郷隆盛が混乱を画策した史料存在|NEWSポストセブン (news-postseven.com)

でも、NEWSポストセブンは小学館が運営しているサイトで、その小学館はCanCamという女性誌を発行していて、かつてその女性誌では強姦事件を起こしたサークルが開催していたクラブイベントを大きく取り上げていた経歴のある雑誌で、どこまでその事件に関わりがあったのか色々思うところがあるのですよね。。

ということは、その「江戸城無血開城」の話もどこまで信じていいのか私には判断できません。そもそも私は元々歴史に興味関心が全くなく、確固たる知識がありませんから。(※私はその時代に生きていたわけでもないですし、紙の資料なんていくらでも捏造できると思っていますし。)

※「なりはんブログ」を拝読しての自分のまとめ

それでも、はっきり言えることは、明治維新はテロであり、それで明治天皇はすり替えられたということですね。また、明治時代でもすでにウラン鉱石を使って秘かに高性能爆弾を作っていたかもしれないという話は可能性としては非常に高いと考えています。これが広島原爆や長崎原爆にも繋がっていった可能性も非常に高いと考えています。


別の方の記事↓に、伊藤博文とその妻のお墓が朝鮮式とあります。↓↓↓

(削除された記事)明治以降の天皇のお墓は朝鮮式「上円下方墳(じょうえんかほうふん)」

シャンティ日記 明治以降の天皇のお墓は朝鮮式「「上円下方墳」」 (fc2.com)

こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。

さとう内科循環器科医院 - 宮城県大崎市 (2017年6月14日 13:11)

安倍政権になって、政府の国民いじめはひどすぎます。
共謀罪で、政府に抵抗する人間はすべてしょっぴくぞ、というように見えます。
私は日本政府の中枢に居る人間は日本の朝鮮系の人間だと気が付きました。
在日ではありません。日本は古代より朝鮮人の国です。
それが、大化の改新以降、中国文化を取り入れ、日本文化の基底となりました。
明治維新で、日本の支配層は伊藤博文ら、自らのアイデンティティを
朝鮮人と自覚するひとたちに替わったのだと言うことです。

ブログに書くのは分量が多く大変なので、天皇の墓.pdf に纏めました。http://satouclk.jp/天皇の墓.pdf

テロリスト 伊藤博文の葬式と墓は朝鮮式であった。彼のアイデンティティは”朝鮮人”
明治以降の日本は”朝鮮国”である

佐藤 荘太郎 2017.0614

(中略)
                                       
2,3年前だが、インターネットの放送番組で、
伊藤博文の葬式は朝鮮式だった」ということを聞い て、非常に関心が引かれた。図1.は、明治42年の伊藤博文の葬式の写真である。

(中略)

長州藩の人たちは、
日本にいながら、自らのルーツ、アイデンティティを”高句麗系朝鮮人”と考え ていたのだった(図3)。
現在、高句麗の流れをくむのは北朝鮮である。
好戦的言動が目立つ国であ る。
伊藤博文は、幕末の孝明天皇とその子の睦仁親王を弑殺し、
山口の田布施にいた南朝の皇統と される大室寅之祐を睦仁親王のなりすましにして、ついに明治天皇にデッチ上げた。


明治維新は伊 藤博文ら”朝鮮人”による日本での政権の奪取、クーデターである。

伊藤博文は大日本帝国憲法(明治憲法)を制定し、天皇に絶対の権威を付与し、
かつ不可侵の国 家元首とすることで、天皇デッチアゲに触れさせないようにした。

さらに、天皇というシンボルをあや つり、日本列島の人間を精神的に支配する体制を作り上げた。これは一種の宗教体制である

(腐ったイワシのアタマを崇め奉るよう仕組まれた)

墓の形はその人物の文化的ルーツを表す。
”伊藤博文”、”墓”をキーワードに検索したとき、2種の 画像が上がってくる(図6、図7)。
初め混乱したが、よく見ると、2つの墓は少し違う。伊藤博文の墓 と、妻梅子の墓なのである。つまり夫婦別墓なのである。
更に墓の前には鳥居が設置されている。この鳥居は、笠木(上の段の横の棒)と貫(下の段の横の 棒)とも反りがなく、貫は柱を突き抜けない。
神明鳥居(しんめいとりい)と言われるものである。(靖 国神社、伊勢神宮の鳥居も神明鳥居である)
明治天皇以降の天皇の墓(図)8,9,10)も丸いドーム状で、夫婦別墓である。墳墓の前に神明鳥 居があるのも同じである。
このような形式の墳墓は江戸時代の天皇の墓には無い。
この丸いドーム 状の墓は朝鮮式の墓である。

現在の日本の支配層と朝鮮との関係について、今上(昭仁)天皇は、2001年、自らの出自につい て、
「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆ かりを感じます」
と述べている。(この発言は重要である。萩藩の伊藤博文らは高句麗系といってい るので)

(中略)

朝鮮半島に居る人たちから見れば、明治維新は、
少し離れた島国日本の中国文化の教養を持っ た人たちの支配層が、
自らのアイデンティティとルーツが朝鮮人とする人たちにとって替わられた、 ということである。日本列島の朝鮮化である。
「日本列島はわれら朝鮮人の支配する国になった 。 よくやった」とみるのが普通でないだろうか。

(中略)

さらに、朝鮮人によって日本の富が奪われることに なった。江戸城に朝鮮人天皇が住んでいることでもわかる。
日本に移住してきた朝鮮人が企業を 起こした

さらに、なぜ韓国〜北朝鮮系のパチンコ業者が野放しなのか簡単に理解されるとおもう 。「明治維新とは日本列島においての朝鮮人による支配権の獲得であった」ということを、今日でも 日本の朝鮮人支配層の共有の秘密になっていると思われる

幕末まで、日本は中国文化の国だった

(中略)

さらに困惑することは、朝鮮文化の人々は攻撃的で、戦争をしたがることである。敵対するものを排 除しようとする、殺そうとすることである。

(後略)

http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.html
<図1.は、明治42年の伊藤博文の葬式の写真である。>
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借
< 図3. 伊藤博文(後列中央) 朝鮮総督のとき 前列左から2人目 妻 梅子> http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借
<伊藤博文(1841~1909)の墓> 
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借
<伊藤博文の妻 梅子の墓 伊藤博文の墓の右側、離れたところにあり > http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借
<昭和天皇の陵墓>
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借  
<昭和天皇の陵墓>
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借
<明治天皇の陵墓>
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借
<明治天皇の陵墓>
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-438.htmlより拝借



明治天皇、大正天皇、昭和天皇、福沢諭吉、三菱財閥、三井財閥、日本郵船などにより50万人以上の日本の少女が海外に「からゆきさん」として人身売買されていた!

明治天皇、大正天皇、昭和天皇、福沢諭吉、三菱財閥、三井財閥、日本郵船などにより50万人以上の少女が海外に「からゆきさん」として人身売買されていた。 (daiwaryu1121.com)

公開日: 2021/02/21 : 最終更新日:2022/10/23

明治天皇、大正天皇、昭和天皇、福沢諭吉、三菱財閥、三井財閥、日本郵船などにより50万人以上の日本の少女が海外に「からゆきさん」として人身売買されていました。

シンガポール、中国、香港、満州、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなど東南アジアを中心としてロシア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカなど世界各地に少女が売り飛ばされていきました。

世界各地で「からゆきさん」の悲劇が語り継がれています。
明治天皇に福沢諭吉が日本の少女を海外に売り飛ばして儲けようと提言をしました。
そして明治天皇や福沢諭吉、三菱財閥、三井財閥、日本郵船などが皇室、政府ぐるみで日本の少女の人身売買を行っていたのです。
その数は50万人以上にも及びました。
少女たちは売り飛ばされた船の中で集団で強姦される、クスリ漬けにされるなどして性病も患いほとんどの少女は未成年のまま亡くなっています。
長崎県の島原や熊本県の天草の少女が多く集められたと言われています。
長崎県は戦国時代に大村純忠が領地をイエズス会に寄進していた歴史もあるように、戦国時代から多くの少女が海外に人身売買され続けてきました。

天草もキリスト教徒による島原、天草の乱があったようにイエズス会の傘下の土地となっていました。
九州から少女が多く集められた背景には九州が戦国時代にイエズス会の支配下となっていたことも関係していました。
(参考・福沢諭吉全集第15巻)
(参考・三菱と天皇一族と福沢諭吉)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=280559&g=132207
(参考・毎日新聞・「思想家の福沢諭吉も1896年、自身の新聞の社説で「海外の移植地に娼婦の必要なるは明白にして、むしろ公然許可するこそ得策なれ」と主張している。」)
https://mainichi.jp/articles/20201228/k00/00m/040/337000c

https://daiwaryu1121.com/post-42742/
https://daiwaryu1121.com/post-42742/より拝借


以前視聴できていた「悪魔のビジネス~天皇と三菱」というようなタイトルの動画では、女性達は天皇の御言葉に騙された形で、まさか売春婦として売られるとは知らずに日本郵船の船に乗って売られていったということが述べられていたという記憶があります。「人を騙す」のですから、明治天皇はまさに悪魔、イルミナティそのものだったということですね。そしてそのような提言をした福沢諭吉もです。何が「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」でしょうか?!! 言っていることとやっていることが違いますよ!! 1万円札の顔にするには相応しくない人物であり、本当の歴史を子供たちに教えるなら、この天皇による女性の売春婦としての騙しによる人身売買のことを教科書にもしっかり載せるべきです!


三菱グループと子供の人身売買、イルミナティとの密接な繋がり

三菱グループと子供の人身売買、イルミナティとの密接な繋がり。 (daiwaryu1121.com)

公開日: 2022/01/11 : 最終更新日:2022/10/23
三菱グループは創業時から子供の人身売買、イルミナティとの密接な繋がりがありました。

三菱創業者の岩崎弥太郎が力を持った背景には土佐藩、明治新政府、ウォルシュ兄弟、グラバー、クニフラー商会(現在のイリス)、ジャーディンマセソン商会との癒着がありました。

明治新政府の背後にはロスチャイルド家など欧米貴族、イルミナティがいますから、三菱は創業時からイルミナティと癒着していたことになります。

岩崎弥太郎の右腕でキリンビールの前身のジャパン・ブルワリーの創設者であるグラバーのグラバー商会の上部組織はジャーディンマセソン商会でした。

三菱財閥の源流と言われているのが日本郵船でした。

郵便汽船三菱会社と渋沢栄一、三井財閥の益田孝、大倉財閥の大倉喜八郎の共同運輸と合併して日本郵船が出来ました。

日本郵船は明治天皇、大正天皇、昭和天皇のもと未成年の少女を50万人以上海外に人身売買していました。
https://daiwaryu1121.com/post-42742/

未成年の少女の人身売買を日本郵船、三菱、天皇に助言したのがイルミナティのエージェントの福沢諭吉でした。

これらは「からゆきさん」の悲劇として日本のみならず世界中で語り継がれています。

福沢諭吉の慶應義塾と三菱、岩崎弥太郎は親密な関係で、福沢諭吉の門下生を何人も三菱に送り込んでいました。

福沢諭吉と岩崎弥太郎は両者ともイルミナティのエージェントという繋がりがありました。

戦後は児童養護施設の子供たちを海外に売り飛ばすという人身売買を三菱はイルミナティ、CIAと共に始めました。

岩崎弥太郎の孫の沢田美喜は岩崎家大磯別邸でイルミナティ傘下のイギリス国教会と組んでエリザベスサンダースホームという巨大な児童養護施設を始めます。


エリザベス・サンダースホームには3000人以上の子供がいたと伝えられています。

ほとんどはアメリカ兵によって日本女性がレイプされて生まれてきた子供たち
でした。

エリザベス・サンダースホームの責任者は沢田美喜の私設秘書で上海帰りの殺し屋と言われた真木一英でした。

真木一英は三菱グループの郵船ビルを拠点にしている人物で、アメリカCIAのエージェントであったという証言がありました。

真木一英は下山事件の主犯格として逮捕されましたが、GHQの諜報部CICが警視庁に圧力をかけて釈放させていました。

真木一英は731部隊の残党のまとめ役もしていました。

エリザベス・サンダースホームから子供たちが海外に売り飛ばされていた実態がありました。

現在は福沢諭吉の慶應義塾大学出身でCIA・イルミナティのエージェントの駒崎弘樹を中心として政府ぐるみで日本の子供の人身売買が行われています。

https://daiwaryu1121.com/post-43599/

https://daiwaryu1121.com/post-53393/


いろは丸沈没事件は坂本龍馬とグラバー、ジャーディンマセソン商会が仕組んだ自作自演事件だった

いろは丸沈没事件は坂本龍馬とグラバー、ジャーディンマセソン商会が仕組んだ自作自演事件だった。 (daiwaryu1121.com)

公開日: 2020/12/03 

1867年5月26日に起きた坂本龍馬、海援隊と紀州藩による「いろは丸沈没事故」は坂本龍馬、海援隊、グラバー、ジャーディンマセソン商会、そしてその上のロスチャイルド家、イルミナティによる自作自演のでっちあげ事故でした。

海援隊のいろは丸は紀州藩の明光丸に衝突したにも関わらず海援隊は誰一人亡くなっていないのも不可解ですよね。

坂本龍馬や五代友厚、後藤象二郎は紀州藩に対して万国公法(国際法)を出してきて、紀州藩に賠償責任があると強硬に詰め寄りました。

しかし国際法では前方に船がいる場合は面舵(右に舵を切る)こととなっています。

坂本龍馬、海援隊のいろは丸は取舵(左に舵を切る)をして紀州藩の明光丸に衝突していることから国際ルールでは坂本龍馬や海援隊の方が悪いことになります。

また坂本龍馬や海援隊はいろは丸に金塊や鉄砲などを大量に積んでいたと主張していますが、現在もそれらは見つかっていません。

つまり坂本龍馬や海援隊は金塊や鉄砲などは鼻から積んでいなかったのに、積んでいたことにして紀州藩に巨額の賠償金を求めたということなのです


坂本龍馬、海援隊は紀州藩の担当者の茂田一次郎(しげたかずじろう)に対して8万両以上の賠償金を求めます。

最終的には紀州藩は坂本龍馬、海援隊に7万両を支払うことで折り合いました。

7万両は現在の貨幣価値で160億円になるそうです。

坂本龍馬、海援隊はその7万両でグラバー商会から武器を買っています。

つまり紀州藩の7万両はグラバー商会、ジャーディンマセソン商会、ロスチャイルド家に流れたということなのです。

坂本龍馬や海援隊などイルミナティのエージェントたちは「船を沈めたその償いは金を取らずに国を取る」と民衆を煽り紀州藩を批判する自作の俗謡を花街で流行らせました。

この民衆を洗脳して工作するやり方は現在もCIA、イルミナティがマスメディアやネット工作部隊にやらせていることと全く同じ
ですよね。

イルミナティのエージェントの坂本龍馬、海援隊がやった自作自演の沈没事故はイルミナティのよくやる得意技なのです。

タイタニック号沈没事故、メイン号沈没事件、トンキン湾事件など枚挙にいとまがありません。

坂本龍馬、海援隊の船をぶつけて巨額の賠償金を取るというやり方はまるで海賊ですよね。

海賊と言えばイルミナティの前身は海賊だったと言われていますね。

坂本龍馬や海援隊は歴史の教科書やマスメディアでは良い者、正義の人だと教えられていますが、実際は海賊、ヤクザのようなことをしていた極悪人だということなのです。

坂本龍馬はこのいろはまる沈没事故の半年後の1867年12月10日に京都河原町の近江屋で暗殺されますが、黒幕はイルミナティだと思います。

イルミナティは利用したエージェントを口封じで消すことはよくあるからです。

https://daiwaryu1121.com/post-40997/

こちらの記事↑に書かれている坂本龍馬の極悪についても歴史の教科書にしっかり載せるべきです。載せない教科書は嘘の歴史を子供たちに教えることになります。


太平洋戦争は最初から昭和天皇、政府、大本営とイルミナティ(欧米大財閥、欧米貴族)によるやらせ!

太平洋戦争は最初から昭和天皇、政府、大本営とイルミナティ(欧米大財閥、欧米貴族)によるやらせだった。日本人の人口削減とイルミナティの利権獲得が目的。 (daiwaryu1121.com)

公開日: 2021/01/19 :

太平洋戦争は最初から昭和天皇、政府、大本営とイルミナティ(欧米大財閥、欧米貴族)によるやらせでした。

日本人の人口削減とイルミナティ(欧米大財閥、欧米貴族)の利権獲得が目的でした。

岩手県盛岡市出身の米内光政海軍大将が弟分としてかわいがっていたのが海軍の部下の山本五十六さんです。

米内光政さんも山本五十六さんも大のアメリカ好き、対米戦反対派でした。

米内光政さんは当時の日本人の平均身長が150センチ代にも関わらず米内は身長180センチ以上もあったそうです。
米内光政さんと山本五十六さんがイルミナティのエージェントになったのはハーバード大学留学時代ですね。

イルミナティやアメリカの諜報機関はハーバード大学に留学して来る学生や官僚、軍人、企業の社員をイルミナティやCIAのエージェントにしています。

米内光政さんと同じ岩手県盛岡市出身で同じ中学の同級生だった八角三郎海軍中将、内閣顧問も大の親英米派でした。

八角三郎も米内光政と同じく長身で身長は180センチ以上あったそうです。

八角三郎もイルミナティ、CIAのエージェントですね。
米内光政さんが横須賀鎮守府司令長官の時に2・26事件が勃発し、それを反乱軍として鎮圧しますが、そのとき米内光政さんの部下として鎮圧軍にいたのが後の稲川会総裁の稲川聖城さんでした。

笹川良一さんは若いころは海軍の連合艦隊司令長官の山本五十六さんの用心棒でした。

山本五十六さんに気に入られてイタリアのムソリーニにも会っています。
笹川さんも山本五十六さんも対米戦は大反対だったことで意気投合していたそうです。

笹川良一さんが設立した笹川平和財団の米国支部理事長は、米国の16の情報機関を総括する国家情報長官だったデニス・ブレアさんです。

笹川良一さんもCIAのエージェントですね。

笹川良一さんの運転手をやってたのが児玉誉士夫さんです。
児玉さんは笹川良一さんに気に入られて海軍幹部に重用されて、中国で児玉機関を率いてタングステンやラジウム、コバルト、ニッケルなど戦略物資の買い付けを行っていました。

児玉機関は鉄と塩、モリブデンの鉱山を管轄化に納めて、農場や養魚場、秘密兵器工場を運営しダイヤモンドやプラチナなど1億7500万ドルの資金を有していました。

資金調達のために児玉機関は中国でヘロインを売りさばいて莫大な資金を得ていました。

このときの児玉さんの年齢は30代前半という驚くべき若さです。

戦後は児玉さんが自民党の結党資金を出しています。

博報堂も児玉誉士夫さんが取り込んでいました。

児玉さんはCIAのエージェントとして右翼、ヤクザ、暴走族の取りまとめを行いました。

CIAエージェントの岸信介総理からヤクザ、右翼、暴走族の取りまとめを依頼されている児玉さんの写真です。
児玉さんの運転手だったのがハマコーさんですね。

ハマコーさんを児玉さんや小佐野さんなど政財界の重鎮へ繋いだのが米内光政海軍大将の部下だった稲川聖城総裁です。
真ん中が稲川聖城さん、右が2代目稲川会会長の石井隆匡さん、その右がハマコーさんです。

2代目稲川会会長の石井隆匡さんも海軍の米内光政海軍大将の部下でした。

ハマコーさんの運転手がバーニング社長の周防さんです。

周防さんの運転手が関東連合の川奈さんですね。

川奈さんの親が警察庁幹部で叔父が検察庁幹部です。

上記の人たち全員に共通しているのはイルミナティのエージェント、アメリカのCIAエージェントだということです。

米内光政海軍大将・総理大臣はA級戦犯としての訴追を免れていること、2・26事件の際に北進派の陸軍皇道派を壊滅させたこと、蒋介石との和解工作トラウトマン工作を潰し日中戦線を拡大させたこと、陸軍の反対を無視して上海事変を起こし南京占領まで戦線を拡大させたこと、レイテ沖海戦での栗田中将に謎のUターンをさせたこと、米内がアメリカのエージェントだと気づいた阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣、小沢長官が切腹自殺の際に「米内を斬れ!」と言っていることからもわかります。

アメリカのタイム誌が米内光政を海軍大臣時代、総理大臣時代の2度に渡り表紙に起用して特集を組んでいることからもアメリカと米内の親密さがうかがえます。

1944年の小磯国昭内閣での最も実現可能性の高かった中国国民党との繆斌工作にも米内光政、重光葵、昭和天皇のイルミナティのエージェント3人が断固反対して潰しています。

この繆斌工作には石原莞爾や阿南惟幾陸軍大将、杉山元陸軍大臣、梅津美治郎陸軍参謀総長など陸軍幹部も賛成していました。

真珠湾攻撃を行ったときの内閣総理大臣である陸軍大将の東条英機は東京裁判で「なぜ真珠湾攻撃を行ったのか?」と判事に聞かれて、東条は「天皇からの指示であった」と答えています。(後に撤回していますが)

つまり昭和天皇は実際はかなり積極的に日米開戦を指示していたのです。

山本五十六さんはアメリカ留学中にロックフェラー系のスタンダード石油の会長からスカウトされていました。

CIAエージェントだった笹川さんを海軍幹部に重用するなども根拠とされています。

パールハーバーでは上陸せず被害を最小限にしたことや、ミッドウェー海戦で暗号をアメリカに漏らしたのではないかなども言われています。

ブーゲンビル島上空での米軍機の撃墜による戦死はアメリカ側の口封じですね。

山本五十六を嵌めたのは海軍少将の黒島海人です。
直前に一緒に乗る予定の戦闘機に直前で腹が痛くなったと拒否しています。

また小沢治三郎さんに山本五十六さんの護衛の戦闘機を増やすように進言されても拒否しています。

パールハーバーの企画書を書いて実行したり、特攻隊を立案したりした黒島海人海軍少将も戦後は何のお咎めもありませんでした。

戦後は白樺商事の常務となっています。

真珠湾攻撃の責任者だった海軍幹部の源田実さんも戦後は華々しく出世していて源田実さんもCIAエージェントだったと言われています。

源田実さんは戦後は航空自衛隊の後、自民党参議院議員として活躍されました。

統一教会の創設者でCIAの文鮮明さんが日本で創設した国際勝共連合の名誉会長が笹川良一さんで顧問が源田実さんです。

源田実さんはアメリカでロッキード社の戦闘機のテスト飛行の際に55歳でありながらマッハ2の戦闘機を自在に操って操縦していたのでアメリカでは絶賛されています。
海軍は太平洋戦争前のかなり早い段階でアメリカに取り込まれていたと思いますね。

陸軍の反対を押し切って戦線を西太平洋の奥地まで拡大させ国力を急激に疲弊させて陸軍を補給軽視に追い込んだり、インパール作戦の遠因を作ったり、ガダルカナル島の敗戦のきっかけをつくったり、台湾沖航空戦では海軍が空母七隻撃沈とウソの情報を送りフィリピン島戦の作戦が変更になり50万人以上の戦死者を出したり、レイテ沖海戦で謎のUターンさせたりするなどアメリカ側に多大なる貢献をしてきました。

海軍関係者は戦後華々しく出世し活躍していきます。

陸軍もアメリカに取り込まれていました。

陸軍中将の有末精三はCIAと結びつき大本営幹部をCIAのエージェントとして勧誘していきました。
2・26事件のときに米内光政さんの部下として2・26事件の鎮圧にあたった稲川会の稲川聖城さんは戦後は児玉さんの弟分として日本版CIAの稲川会を創設します。
関東連合はアメリカの指令を受けた児玉さんが対共産主義の実働部隊として結成し、CIAの下部機関として動いていくことになります。
関東連合初代が国防青年隊を創設した後、児玉誉士夫さんが創設した稲川会系右翼の大行社の本部長となっています。
関東連合傘下のブラックエンペラーは日ノ丸青年隊、鼠小僧が殉国社、蛇女(メデューサ)が興国社、鬼面党が大日本誠流社から結成されました。
近衛文麿さんも総理大臣になる前にアメリカに訪米してモルガン商会のトーマス・ラモントと会っています。
近衛文麿はそこでモルガン商会のトーマス・ラモントからハル国務長官やルーズベルト大統領などモルガンやロックフェラー、ロスチャイルドなどの国際金融資本の駒だということを聞かされて、そのことを周囲の人間にも話していました。
また近衛文麿はロックフェラー家の傘下機関である太平洋問題調査会にいた牛場友彦を側近の秘書にして
いました。

太平洋問題調査会は太平洋戦争から日本の占領政策までを計画していた機関です。このことからも近衛文麿はイルミナティのエージェントだったことがわかります。
近衛文麿は巣鴨プリズンに出頭を命じられた最終期限日に服毒自殺をしています。これも表向きは服毒自殺になっていますが、本当はイルミナティのエージェントに口封じに殺されたと言われています。
近衛文麿が亡くなった部屋の隣の部屋にいたのがイルミナティのエージェントの牛場友彦と松本重治でした。

PS
この記事を見た元帝国陸軍、帝国海軍の大本営の幹部の娘さん、お孫さんから連絡があり、「ここに書かれていることは事実です、これは絶対表には言えないことですが、帝国陸軍、帝国海軍、昭和天皇は太平洋戦争の前からすでにアメリカ(イルミナティ)に取り込まれていたとお父さんは言っていました、おじいちゃんは言っていました。太平洋戦争は最初から仕組まれた日本人の人口削減のためのやらせでした。」という意見がありました。

広島、長崎の日本軍による原爆地上起爆についても元大本営幹部だったおじいちゃんに聞いたそうですが「いま太平洋戦争について言われている陰謀論のほとんどは事実だ」という回答があったそうです。

https://daiwaryu1121.com/post-19214/


<岩手県盛岡市出身の米内光政海軍大将が弟分としてかわいがっていたのが海軍の部下の山本五十六さんです。 米内光政さんも山本五十六さんも大のアメリカ好き、対米戦反対派でした。
米内光政さんは当時の日本人の平均身長が150センチ代にも関わらず
米内は身長180センチ以上もあったそうです。 >
https://daiwaryu1121.com/post-19214/より拝借


<米内光政さんと山本五十六さんがイルミナティのエージェントになったのは
ハーバード大学留学時代ですね。 >
https://daiwaryu1121.com/post-19214/より拝借


<米内光政さんと同じ岩手県盛岡市出身で同じ中学の同級生だった八角三郎海軍中将、内閣顧問も大の親英米派でした。 八角三郎も米内光政と同じく長身で身長は180センチ以上あったそうです。 八角三郎もイルミナティ、CIAのエージェントですね。 >
https://daiwaryu1121.com/post-19214/より拝借


<笹川良一さんは若いころは海軍の連合艦隊司令長官の山本五十六さんの用心棒でした。
山本五十六さんに気に入られてイタリアのムソリーニにも会っています。
笹川さんも山本五十六さんも対米戦は大反対だったことで意気投合していたそうです。 >
https://daiwaryu1121.com/post-19214/より拝借


<笹川良一さんもCIAのエージェントですね。
笹川良一さんの運転手をやってたのが児玉誉士夫さんです。>
https://daiwaryu1121.com/post-19214/より拝借


<児玉さんはCIAのエージェントとして右翼、ヤクザ、暴走族の取りまとめを行いました。
CIAエージェントの岸信介総理からヤクザ、右翼、暴走族の取りまとめを依頼されている
児玉さんの写真です。 >
https://daiwaryu1121.com/post-19214/より拝借


<児玉さんの運転手だったのがハマコーさんですね。 ハマコーさんを児玉さんや小佐野さんなど政財界の重鎮へ繋いだのが米内光政海軍大将の部下だった稲川聖城総裁です。
真ん中が稲川聖城さん、右が2代目稲川会会長の石井隆匡さん、その右がハマコーさんです。>
https://daiwaryu1121.com/post-19214/より拝借


<山本五十六を嵌めたのは海軍少将の黒島海人です。
直前に一緒に乗る予定の戦闘機に直前で腹が痛くなったと拒否しています。
また小沢治三郎さんに山本五十六さんの護衛の戦闘機を増やすように進言されても拒否しています。 パールハーバーの企画書を書いて実行したり、特攻隊を立案したりした黒島海人海軍少将も戦後は何のお咎めもありませんでした。 戦後は白樺商事の常務となっています。 >
https://daiwaryu1121.com/post-19214/より拝借



<真珠湾攻撃の責任者だった海軍幹部の源田実さんも戦後は華々しく出世していて
源田実さんもCIAエージェントだったと言われています。
源田実さんは戦後は航空自衛隊の後、自民党参議院議員として活躍されました。
統一教会の創設者でCIAの文鮮明さんが日本で創設した国際勝共連合の名誉会長が笹川良一さんで顧問が源田実さんです。 源田実さんはアメリカでロッキード社の戦闘機のテスト飛行の際に
55歳でありながらマッハ2の戦闘機を自在に操って操縦していたので
アメリカでは絶賛されています。 >
https://daiwaryu1121.com/post-19214/より拝借


次の記事は別の方のブログからです。↓↓↓


太平洋戦争の時の史実の1つ、1945年7月14日、戦争が終わる1か月くらい前の話だそうです

政府の言う事を真に受けていたら殺される…「地球人が本当の意味で自立して、成熟した存在になること」 | ラミーコのブログ3 (ameblo.jp)

こちらの記事↑に「以下は、トーマ.イタルさん(沖縄出身)のブログより抜粋してシェアします」とありました。

なお、トーマ.イタルさんは私はエンドゥさんの動画で知った方ですが、その動画では、その方のブログによりますと、ニコちゃんマーク、スマイルマークの本当の意味は処刑の意味ということが述べられていました。そして、そのトーマ.イタルさんはお亡くなりになっていることが別の方の記事に書かれていました。

一部引用させていただきます。

ここで、太平洋戦争の時の史実を、紹介しましょう。

1945年7月14日。戦争が終わる、1か月くらい前の話です。

米軍海軍艦載機が、青森県の青森港周辺や青函連絡船を狙って、猛烈な爆撃をしていたそうです。
とくに、青函連絡船は、保有全12隻が被害を受けて、壊滅状態となったそうです。
本州と北海道の連絡は、この時に、遮断されたようです。

7月20日から、青森市上空に飛来した米軍機が、米軍の空襲予告ビラを、空から撒き散らしたそうです。

そこには、青森を含む、11都市の名前が記載され、
「数日中に、これらの都市を爆撃する」とも書かれていたそうです。

当時の青森市民たちは、このビラを見て、
「いよいよ、我々の番か?」


こう思って、多くの市民が、郊外の山中や田園地帯をめざして避難・疎開を始めたそうです。
ところが、市民の動きを察知した青森県知事は、避難民に対して、
「7月28日までに、青森市に戻らないと、町会台帳より削除し、配給物資を停止する」と通告し、脅してきたというのです!

これには、市民は、とても驚いたそうです。


当時、ただでさえ乏しい物資の中で、食糧配給を停止されることは、「生存できない」、つまり、「死」を意味したそうです。
さらに、町会台帳から抹殺されることは、当時、人々が一番恐れていた、「非国民」のレッテルを貼られることだったそうです。

社会からの抹殺を意味していたのです。


それらが、空襲の恐怖を上回る重圧となって、避難民に、のし掛かってきたようです。

「それなら、逃げるよりも、青森市内に戻ったほうがマシ」

こう判断した多くの市民が、しぶしぶ、予告期限の7月28日までに、青森市内に戻ってきたそうです。
そして、まさに予告期限、7月28日の夜、まるで避難民の帰りを待ち構えていたかのようなタイミングで、青森市上空に、Bー29爆撃機が飛来し、焼夷弾を投下した
のです。

その大火災によって、728人が死亡したそうです。
「7月28日」と「728人」の数字のシンクロが、気になりますね。

もしも、青森県知事が、「逃げるな!」
と避難民を、脅迫していなければ、また、帰還期限が、1日でも後ろに、ズレていたなら、これほどの被害は無かったかもしれません。


東京大空襲から始まった、米軍による焼夷弾攻撃は、それ以後、大阪、名古屋、神戸など主要大都市で、数万単位の人命を奪う、壊滅的な被害を出していました。

そこで、一番はっきりしたことは、それまで政府が唱えてきた、バケツリレーや防空七つ道具による消火活動、防空壕堀りが、何の役にも立たないばかりか、逆に被害を拡大してきたという事実だったのです。

一般の国民が生き延びるには、逃げるしかありません。
ところが、その最後の選択肢が、空襲下では、許されなかった
のです。

真珠湾攻撃による日米開戦の前日、昭和16年12月7日に、「防空法」に基づいて、「国民には、避難をさせない」とする内務大臣の通達が、制定されたそうです。

「防空法」に違反して退去した人には、最大で懲役6ヶ月、または、罰金500円が、課せられたそうです。

この罰金は、当時の教員の給与9ヶ月分の金額だったそうです。

当時の日本政府は、
「避難した者は非国民だ。戻ってくる場所はない。資格はない」などの思想宣伝も、同時に流布したそう
です。

そして、
「命を投げ出して、消火活動をせよ、御国を守れ、持ち場を守れ」
と指示した
のです。

この方針は、東京や大阪が焼け野原になった、昭和20年3月以降も、変わらなかったそうです。

学童疎開や建物疎開は、実施されましたが、それ以外は、地方への転居が、禁止されていたそうです。

https://ameblo.jp/higa-okinawa1216/entry-12660081565.html

次にご紹介するサイトには、青森その他の地域で撒かれたビラの画像が入っていました。また、「空襲があってっも逃げるな!バケツで消火活動しろ!」と国が言っていたことも書かれていました。↓↓↓

『アメリカが原爆を落とす前に撒いたビラの内容』と戦争中のビラ集

『アメリカが原爆を落とす前に撒いたビラの内容』と戦争中のビラ集 | coredake!ミステリー


東京裁判最大の闇。東条英機は東京裁判で昭和天皇の命令で真珠湾攻撃を行ったと断言していた

東京裁判最大の闇。東条英機は東京裁判で昭和天皇の命令で真珠湾攻撃を行ったと断言していた。 (daiwaryu1121.com)

公開日: 2020/08/21 : 最終更新日:2020/08/22

東京裁判で東条英機は判事からなぜ真珠湾攻撃の直前の御前会議で戦争をやめれなかったのか?と聞かれて、東条英機は天皇からの命令があったからと答えてるのになかったことにされてるのが闇ですね。。
(NHKスペシャル「東京裁判」より)
つまり大東亜戦争(太平洋戦争)への引き金を引いたのは昭和天皇だったということですからね。
昭和天皇の戦争責任はめちゃくちゃあったということですよ。

https://daiwaryu1121.com/post-38428/

記事に入っていた動画です。↓↓↓

ドラマ東京裁判名場面02 - YouTube



広島原爆も長崎原爆も!

日本の広島原爆と長崎原爆はエノラゲイ、ボックスカーによる投下ではなく日本軍参謀、仁科機関による地上起爆か。 (daiwaryu1121.com)

公開日: 2021/08/09 : 最終更新日:2022/08/07

日本の太平洋戦争での広島原爆と長崎原爆はエノラゲイ、ボックスカーによる投下ではなくCIAエージェントだった日本軍参謀、仁科機関による地上起爆ではないかと言われています。

8月6日の広島原爆投下の日に爆心地を飛んでいた元日本軍のベテランパイロット、海軍航空隊少尉の本田稔さんは原爆は下から爆発したと語っています。

本田稔さんはエノラゲイは広島市上空を飛んでいなかったとも言っています。

エノラゲイの元乗組員のヴァン・カークさんは原爆地上起爆について「一部は事実だし真実でない情報も紛れ込んでいる。実際に何が起こったかの詳細はあなた方は決してみつけられはしないさ」と語っています。

水原紫織さんは原爆は広島の原爆ドーム横の河川から地上起爆されたと言っています。

また国連が出している広島原爆の写真には下から発光体が舞い上がっている様子が記載されていますが、日本政府の出している写真には下から発光体が舞い上がっている様子がカットされています。

こちらは広島の呉から撮影された原爆の様子ですが地上から爆発しているように見えますね。

西田亀久夫海軍技術大尉は「淡いピンクを帯びたあでやかな色で、朝日を反射して太く逞(たくま)しく突っ立ち、内からめくれるようにキノコ状に広がり、驚くべき高速度で蒼天に突き上がりつつあった」と手記に書いています。

水原紫織さんは原爆の信管(起爆装置)を開発したのが西田さんではないかと言っています。

自分が作った起爆装置だったからこそ原爆の様子をこれだけ美しく好意的に書いているのではないでしょうか。

西田亀久夫さんは戦後は文部省官房審議官にまで出世しています。

また原爆(リトルボーイ・ファットマン)は大きすぎて当時のB29には積めなかったそうです。

アインシュタイン・シラードがルーズベルト大統領に宛てた手紙でも飛行機に積めない大きな原爆は作れるが、飛行機に搭載できるような原爆は作ることは不可能だと言っています。

広島原爆(リトルボーイ)
長崎原爆(ファットマン)

こちらは長崎の原爆の写真ですが、この写真も空中ではなく地上で起爆していますよね。

香焼島(こうやぎしま)からの写真

戦後GHQは真っ先に仁科機関(理化学研究所の核研究所)を爆破して証拠隠滅をしています。

これも不可解ですよね。

731部隊など他の部隊の研究資料などはすべて押収しているにも関わらず仁科機関の情報はすぐに爆破して隠滅しているのです。

原爆の基幹部分の開発に成功したのは仁科機関と一緒にF研究をしていた湯川秀樹だと言われています。

湯川秀樹はその功労もあり戦後はノーベル賞を受賞しています。

同じくノーベル賞受賞者の朝永振一郎さんも仁科機関に関わっていたのではないかと言われています。

ウランとプルトニウムは同じくCIAのエージェント機関だった児玉誉士夫の児玉機関から調達したと言われています。

仁科機関は戦後もCIAのエージェント機関である理化学研究所として存続し続けています。

理化学研究所と言えば小保方さんと一緒にSTAP細胞を発見した笹井芳樹さんがCIAに殺されています。

広島市の広島原爆記念公園の原爆死没者慰霊碑には「過ちは繰り返しませんから」と書かれています。

アメリカが投下したのであれば日本側が書いているのはおかしいです。

日本政府が書いていることからも日本軍が原爆を地上起爆したからこそ、もう同じ過ちは繰り返しませんという意味なのだと思います。

昭和天皇は原爆投下はやむをえないことと私は思っていますと語っていました。

https://ameblo.jp/64152966/entry-12690698502.html

https://daiwaryu1121.com/post-37935/

記事↑に貼られていた動画です。↓↓↓

原爆地上起爆説 - YouTube


https://daiwaryu1121.com/post-37935/より拝借


https://daiwaryu1121.com/post-37935/より拝借




<西田亀久夫海軍技術大尉は「淡いピンクを帯びたあでやかな色で、
朝日を反射して太く逞(たくま)しく突っ立ち、内からめくれるようにキノコ状に広がり、
驚くべき高速度で蒼天に突き上がりつつあった」と手記に書いています。 >

https://daiwaryu1121.com/post-37935/より拝借


<また原爆(リトルボーイ・ファットマン)は大きすぎて当時のB29には積めなかったそうです。 アインシュタイン・シラードがルーズベルト大統領に宛てた手紙でも飛行機に積めない大きな原爆は作れるが、飛行機に搭載できるような原爆は作ることは不可能だと言っています。>
https://daiwaryu1121.com/post-37935/より拝借



<広島原爆(リトルボーイ)>
https://daiwaryu1121.com/post-37935/より拝借



< 長崎原爆(ファットマン)>

https://daiwaryu1121.com/post-37935/より拝借



<こちらは長崎の原爆の写真ですが、この写真も空中ではなく地上で起爆していますよね。 >
https://daiwaryu1121.com/post-37935/より拝借


<香焼島(こうやぎしま)からの写真>
https://daiwaryu1121.com/post-37935/より拝借




<アメリカが投下したのであれば日本側が書いているのはおかしいです。
日本政府が書いていることからも日本軍が原爆を地上起爆したからこそ、
もう同じ過ちは繰り返しませんという意味なのだと思います。 >
https://daiwaryu1121.com/post-37935/より拝借



次はエンドゥさんの動画です。↓↓↓

(動画)「新説・広島の原爆犯罪」原爆ドーム 原爆の日 原爆地上起爆説と8月6日、8月9日 上を向いて歩こう【マッドフラッド】

「新説・広島の原爆犯罪」原爆ドーム 原爆の日 原爆地上起爆説と8月6日、8月9日 上を向いて歩こう【マッドフラッド】 - YouTube

こちらの動画↑では、最初にエンドゥさんの断り書きがされています。

あくまでも、「一個人の自由な考察の表現に過ぎません」と断り書きがされており、また、「実在の関係者を糾弾するものでもありません」とあります。私はこちらの動画を文字起こししますが、完全100%にはなっていないことを予め申し上げておきます。なお、自分が見やすくするために見出しを付けさせていただきます。

―文字起こしここからー

①広島原爆でも日銀の建物は運よく難を逃れていたというのも不思議ですね!!

広島の街の各所には前文明の遺跡を受け継いでいる建物が未だに残っています。それは石橋であったり、町中を通っている、前文明の水路の石垣であったり、現代風の建築に見える奇妙な建築様式の建物であったり。

原爆による破壊を運よく(?)免れた日銀(にちぎん)の建物であったり、…、日銀の建物は非常に運が良いらしく、第二次世界大戦中に大規模な破壊、空襲が行われた東京、大阪など日本の主要な都市でも戦災を免れています。勿論、主要な国家機関、軍の中枢、天皇の根城(ねじろ)なども

(※日銀ついて⇒日本の中央銀行である日本銀行は国営銀行ではなく民間銀行。約4割を占める日銀の個人株主はイルミナティ。 (daiwaryu1121.com)


この現在は平和記念公園レストハウスと呼ばれている建物は、被爆当時、広島県燃料配給統制組合という国、県の組織に使用されていました。

被爆当時勤務していた人のほとんどが即死したといわれています。

この建物は、前文明の建設物とみられ、地下室が存在しています。
原爆の被爆の直撃を受けても大破はしませんでした。

そして内部にいた人たちはほぼ全滅しています。
原爆で結果的に亡くなったのか、それとも別の方法で殺害されたのかは、
今となっては想像するしかありません。

私は、この原爆の爆心地そのもののこの場所で
この建物の内部の人たちがほぼ全滅したのは、原爆以外の方法によるものではないかと疑っています

私たちは、広島でのイベント当日、2022年5月21日に
50人ほどの参加者で原爆ドームの視察を行いました。

50人に及ぶノーマスクの視察者です。

世界中で、屋外はノーマスクで歩くのが当たり前なご時世ですが、日本では不思議なことに、50人もノーマスクの人たちが観光地に姿を現すと、異様な光景と思われます。

原爆ドームです。

公式の情報では、この原爆ドームの頭上600mで原爆が炸裂したとされています。はたして、実際の原爆ドームの破壊状況からその公式の説が間違いがないものだと感じるでしょうか?

それとも、何らかの疑いが浮かぶでしょうか?

広島のこの場所で大量に人が殺されたのは
1945年、昭和20年8月6日 午前8時15分。

原子爆弾が炸裂したのは
相生橋(あいおいばし)よりやや東南の島病院付近。

高度約600mの上空でそこで核分裂爆発を起こしたとあります。
事実上原爆ドームのほぼ真上という設定です。

その原爆が炸裂して起こされたその被害状況をまず見てみましょう。

広島市内のこれだけ広範囲の地域が全焼しています。

爆心地から同心円状にほぼ2kmです。縦横に、ほぼ4kmの距離です。
とてつもない面積、広さが全焼です。

それを写真映像で見るとこのような状態です。

視界に入る地域全体が壊滅、荒野になっています。

②なぜ、広島原爆ドームは完全に消滅しなかったのか?!!

なぜ、この原爆ドームは完全に消滅しなかったのでしょうか?

なぜ爆心地近くの建物がこれほど残っていて、爆心地から遠く彼方の建物がことごとく消滅してしまっているのでしょうか?

全焼地域がこれほど多く、見渡す限り荒野となっている。

この爆弾一発の威力は、爆心地の真下の建物をこれほどきれいに残す程度
のものなのでしょうか?

私が、今回始めて広島、原爆の爆心地を訪れて、この原爆ドームを間近に見た時に感じたのはこの違和感でした。

なぜ、町全体が消滅するような爆弾の中心で
建物がその一部でも綺麗に残っているのか?

原爆地上起爆説については、あるフラットアーサーの友人が積極的に情報発信をしていました。今回の各イベントでもその方の力を借りて各会場でプレゼンを披露していただきました。

そのフラットアーサーの方が参考にしていたのがこちらの書籍です。

特攻兵器「原爆」

水原紫織(みずはらしおり)という方の著作で2021年7月1日に刊行されていて比較的新しい本です。そして、水原さんは現在香港に在住のようです。
やはり、これだけの情報を公開するとなると、身の危険を気にする必要があったのだと思われます。Twitterで、現在も言論活動を継続されています。

興味のある方は、是非チェックしてみてください。

③原爆地上起爆説という説が唱えられています

原爆地上起爆説というものが存在しています。

この広島で起きた戦争の悲劇が、私たちが教えられている内容とは相当に違うということを示唆している説です。

この原爆が実は地上で炸裂したらしいという説ががあることを念頭に、この建物を見てみましょう。

原爆ドーム、元々は、このような外観だったそうです。

正面を除いた三方が長方形の箱型の構造物になっていて、
中央が中庭、正面はタワーと2つの箱、正面の小さな箱で出来ています。

こちらが、現代空中から見た写真です。外壁部分が崩壊しています。

後ろの箱が完全に崩壊し、正面から見て右側の箱も完全に崩壊。

左側の箱は正面の外壁を残して崩壊し、正面の右側の壁は崩壊。

真正面の壁はほぼ無傷、上部は崩壊しています。
真正面左側の外壁は下の部分が残っています。

ドームは綺麗に崩壊して、骨組みだけになっています。

その下のタワーはほぼ無傷です。

そして、建物全体の一番低い部分はほぼそのまま残っています。

こちらが原爆投下からあまり時間が経っていない白黒写真です
(※8:43あたり)

瓦礫(がれき)がそのままになっています。

まず1つ目の疑問は、上空からの爆発でこういった状態で建物が残るのか?という点です。外観でその可能性を議論するのは保留します。

また、地上から起爆して、このような外観になるのか?
という疑問についても、まずは保留します。

原爆ドームの建物を近くから見た写真がこちらです(※9:16あたり)

これは一階部分です。実際一階部分は全般に残っていますが、黒い焼け跡が
上っ面だけのダメージに見えます。

建物の裏側もタワー部分は外側がほぼ無傷に見えます。

タワーの中庭側の様子です。やはり無傷です。

タワーの内部の様子、レンガの状態です。(※9:50あたり)
黒焦げで破損しています。違和感を感じます。

タワーの外側が綺麗な状態で
内側のレンガが破損していて焦げている?

箱型構造物の内部でも、焦げ跡と、レンガの破損です。

正面右側の箱型構造物の内部の状態、同じく内部のレンガの焦げ跡。
外壁の黒ずんだ様子。内部が焦げているタワー構造物の綺麗な外壁。
この方向の外壁もです。違和感です。

④なぜ原爆ドームの建物は外部よりも内部の方がダメージの痕跡があるのか?!! 2つのクレーターはなぜできたのか!!

なぜか建物の内部の方が高熱や爆発によるダメージの痕跡が明確にあるように感じます。

もう一度古い写真です。(※10:44あたり)

内部から焦げあがっている様子です。外壁は比較的ダメージが少ない。

内部の燃焼でできた煤(すす)が外壁についたのではないか?

内部の黒さと外壁の白さとのコントラスト。
現在の同じ場所の外壁の様子との比較。

黒ずみさえ、爆破直後の写真には見られていません。
黒ずんだ現在の状態は、時間が経って付けられたものです。

私が、初めて原爆ドームを現場でこの目にしたときの違和感、気づきは、
すぐに訪れました。

この原爆ドームの破壊は、主に、内部からの爆破によって
なされたものではないのか?

内部からの爆破があったとすると、この外壁のつるんとした状態、
内部のレンガが破壊されている状態、真っ黒に焦げ付いている状態の説明がつきます。

広島の原爆と呼ばれている大量爆発破壊事件の真相は、一発の爆弾によるものではなく、大量の爆破物による破壊工作だったのではないのか?

その被害は、一発の強力な爆弾がこの建物の真上500mで
炸裂半径2㎞に及ぶ広島の土地を全て荒野に変えていったという現象だとは思えません。

次に、原爆地上起爆説の観点での痕跡を見ていきましょう。

2つのクレーターが河岸沿いにできています。

これは、被爆直後、午前10時頃に向こう岸からこの原爆ドームと川を目撃した様子です。水の竜巻が柱のように上ったといいます。

クレーター。

そのすぐ近くにある燃料会館は、少なくとも外壁はそこまでのダメ―ジではありません。しかし、原爆ドーム同様に内部は黒焦げになっている様子です。そして、あたり一帯が瓦礫になっています。

焼け野原の航空写真。

午前1時、原爆投下から2時間経った頃の様子を伝えるイラストです。(※13:50あたり)

この時周辺は大火事の真っただ中だったといいます。

このイラストの様子を信頼するとしたら、
原爆が炸裂したその瞬間では、建物は吹き飛ばず、
原爆ドームのドームや建物も吹き飛んでおらず、猛烈な大火事がその後発生して、焼き尽くしてしまった原爆ドームの建物、外壁が残るような爆発で
その後、内部のレンガが破損して焦げ付くような爆発が起きた?

複数の爆弾によって捏造された大量爆破工作作戦。
爆破によってできたクレーター。

原爆の運搬と爆発に水が必要、あるいは少なくとも当時は確実に必要という話があります。

⑤アインシュタインからルーズベルトへの手紙には、原子爆弾は重くて飛行機では運べないかもと書かれていた

このアインシュタインからルーズベルトへの手紙
(※14:54あたり) ↓↓↓

新しい兵器は船で運び、港を破壊する力を持つが
航空運送では重過ぎるという記述です。

日本でも原爆の開発が進んでいたというのは有名な話です。

実際、この科学雑誌の権威Natureには
日本の理化学研究所で原爆を開発していた仁科たちの論文が掲載されています。日付は1940年7月6日です。

広島への原爆投下の5年も前です。
標題は「高速中性子によって生成されるウランの核分裂生成物」
とあります。これは核実験が行われたという意味です。

この仁科の原爆の研究に関して、仁科と同じく理化学研究所に所属していた槌田敦(つちだ あつし)という物理学者が、明確に、水で爆発させる原爆が日本で開発されていたと述べています。

(―テレビ放映の文字起こしここから―)
ルーズベルト大統領に原爆開発を勧めたアインシュタインとシラードの手紙ってやつです。その手紙の中になんて書いてあるかというと、
ウランを用いると、原子爆弾が作れます。
その原子爆弾ていうのは、重くて飛行機では運べないかもしれません

ウランで作った核兵器を持ってきまして、それを水の中にドボンと漬けるんです。さっきの話です。水が入ってきたら爆発するんです。
だからこれが原爆の規則的な考え方なんです

それよりもう少し後に発表したのが、理研の仁科、武谷です。
で、仁科原爆というやつ
ですね。
仁科原爆というのは濃縮度10%、濃縮度10%で原爆を作るんです。

その計算をしたのが武谷三男(たけたに みつお)さんです。

10%でできるちゅうわけです。60%じゃないんです。
で、その10%でできる原爆っていうのが何かって言うと、
水を使う原爆なわけです。
要するに先程のアインシュタイン、シラードの言ったその原爆ですよね。
それをもう少し具体的に考えたのが、仁科、武谷

(―テレビ放映の文字起こしここまで―)

⑥原爆の原料であるウランは日本でも埋蔵される場所があり、それは仁科原爆を作った仁科さんの故郷である岡山にある人形峠でした

そして、この原爆の原料であるウランは日本でも埋蔵される場所がありました。それは仁科さんの故郷の岡山にある人形峠です。

(※ウランや人形峠について、興味深いことが書かれている記事がこちらです。⇒ 明治天皇は誰か | なりはんブログ (ameblo.jp) )

公式には戦後原子力発電所のためにここのウランが使用されるようになったと言われていますが、戦時中あるいはそれ以前から、ウランを採掘し使用していたことを、隠蔽、歴史を捏造する事くらいはたやすいことでしょう。

さらに、使われた兵器が原爆ではなく、その他の爆弾だったのではないか。あるいは、原爆が使われたとしても威力が不十分で、それ以外の爆発をやはり水際で使用したのではないか、という疑いもあります。

広島の原爆はピカドンとも呼ばれており、強烈な光と熱戦が発生しています。

マグネシウムによる爆発は強烈な光を正にピカリと発生させます。

さらに、ナトリウムも水に入れるとこのような反応を起こします。

強力な兵器となり得ますし、その雲の湧き上がり方は原爆の雲と酷似しています。

そして、ウラン自体が水をかけるだけで核反応を起こし、
大爆発を起こすという情報も
あります。

物質の化学反応を利用した爆弾は比較的簡単に作る事ができ、広島の原爆被害の地図を見るとさらに興味深い事実が湧き上がります。

⑦広島の町は全体がたくさんの川が通っている水路の町だった

町全体をたくさんの川が通っている水路の町だったのです。

広島の街を複数の爆弾を使ってそれも非常に強力な複数の爆弾を使って
灰燼に帰す(かいじんにきす)といったことを考えた場合、これらの川を利用して、ウランによる原子力爆弾も含め、一斉に発火させるような破壊工作をした可能性があります。

(※灰燼に帰す⇒灰燼に帰す(かいじんにきす)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp) 

本当に強力な、広島全体を一瞬で荒野に変えるような兵器は存在していなかった、あるいは現在でも存在していないのかもしれません。

そう、核兵器や原子力発電といった情報自体が捏造で嘘であるという説です。

核兵器という概念があって初めて、戦後から始まった米ソの冷戦と、核兵器による各国市民に対する脅迫は成立したのです。

その対立を作り、世界中の市民を脅す(おどす)ために核兵器という存在が必要で、そのために、広島と長崎の大量殺戮を、別の方法で捏造したのではないか?

⑧広島原爆投下の当日には広島の上空にはB29は飛んでいなかったらしい!!~それは漫画の作品「はだしのゲン」にも示されていた!

この原爆投下の当日に、広島市の上空をB29は飛んでいなかったという話もあります。

まずはこちらの「はだしのゲン」の記載です。

はだしのゲンの作品中、B29が描かれているシーンは幾つかあり、その一つがこちらで、ある一つのシーン以外、B29が残していく煙の痕(あと)は4本です。

ところが、この原爆が投下されるというシーンが出てくるB29だけ、煙の痕が1本です。

B29は煙を4本残すのに、なぜ、はだしのゲンの作者がこのような描き分けを
行ったか、その真意は定かではありません。

しかし、本来4本の煙の痕を残すB29がこの原爆を投下するこの場面でだけ、その煙が1本になっています。

⑨日本軍の紫電改(しでんかい)に広島原爆投下日当日8月6日に広島市上空を飛んでいたパイロットの本田さんの証言「爆発は下からで、空中からは爆弾落としたとは思ってない。エノラゲイ(※B-29の中で原爆投下用の改造が施された15機の内の1機)は見ていない!」

煙を1本だけ残す飛行機があります。
それは日本軍の紫電改(しでんかい)です。

その紫電改に乗ったパイロットは実際に8月6日当日広島市上空を飛んでいました。その時を回顧したインタビューです。

(インタビューの文字起こしここから)
本田さん:
広島城が目の前にあって手前ですね。

(※画面に「元大4343海軍航空隊 少尉」と出ています。)

姫路寄りの方で、広島の市内がきれいに見えとったんです。
7時45分頃ですが、そしたらね、ボーンって吹き飛ばされたんです飛行機が。

吹き飛ばされてですね、落っこっちゃって舵が利かなくなって落ちたんです。それで5百メートルぐらい落ちたんですかね、
それで舵が利くようになって前見たらですね、
もう真っ白い火の玉みたいな白、光る白い雲が上がってですね。
真ん中が赤と黒の少し色がついとってですね。
飛び上がっておいて、広島のまちは無くなった。何も無いんですよ。
煙も無ければ火も無いんですよ。
広島のまちは無くなったので全く想像つかなかったですね。

何になったか。

それでもうちょっとあと5秒でも近付いていったら、
私は多分落とされているとですねあれ、中心に近かったら。
ぎりぎりのところで舵が利くようになったから帰ってきたんですけどね。

質問者:
あそうですか。…、戦後エノラゲイのパイロットがですね、
ちょうど自分の機体に一機の戦闘機が向かってきたというような証言をしているんですけども、それは本田さんのところですよね?

(※エノラゲイについて⇒ エノラ・ゲイ - Wikipedia

本田さん:
全然それはもうあの、エノラゲイは見てませんしですね。
私は空中からは爆弾落としたとは思ってないんですよ。
下から爆発って、なんで何が爆発したかと思って。
上しか気を付けてませんから、全然知りませんね。B29に対しては。
全然それはもうあの、エノラゲイは見てませんしですね。
私は空中からは爆弾落としたとは思ってないんですよ。

(インタビューの文字起こしここまで)

本田さんはB29,エノラゲイを見なかった。

そして、原爆の強烈な爆発は、空中で起きたのではなく、下から起きたと発言しています。

原爆の煙の映像は、それ自体が空中で爆発したものではないという事を示唆しています。

地上で爆発した核実験の雲はこちら(※25:10あたり)

広島の地上500mで爆発したと言われている原爆の煙はこちら
(※25:18あたり)

⑩坂本九がアメリカで「上を向いて歩こう」を含んだレコードジャケット「SUKIYAKI」の写真を撮影していたが、坂本九は上空に指をさし、腰を掛けているのは火薬と書かれた箱だった

日航機墜落事件で命を奪われた坂本九はアメリカでも「上を向いて歩こう」を含んだレコードジャケット「SUKIYAKI」の写真を撮影しています。

(※25:34あたり)

そして、六八九トリオ(ろくはちきゅうトリオ)は
作詞:永六輔、作曲:中村八大

歌:坂本九 の三人組のこと
を指します。

689、非常に簡単なアナグラム、数字遊びです。

8月6日、広島に原爆が落ちた日

8月9日、長崎に原爆が落ちた日

ちなみに、私たちが広島で2022年イベントを開催したのは5月21日。
岡山、倉敷でイベントを開催したのがその翌日の5月22日。

岡山の津山で起こった、八墓村のきっかけとなった
津山30人殺しの事件が起きたのは5月21日から5月22日にかけてでした。

(※「津山30人殺し」:この事件はたしか横溝正史の「八つ墓村」のモデルとなった事件ですよね。⇒ 津山事件 - Wikipedia )

(※ウィキペディアによりますと、「津山30人殺し」は1938年の殺人事件だそうですが、私はこの事件もイルミナティによる洗脳工作実験だったのではないかと考えています。)


偶然の一致ですが、津山30人殺しも偽旗の権力者たちによる大量殺人事件の隠蔽とみていてこれもどこかでお伝えしようと思っています。

(※「偽旗」で検索したらウィキペディアでヒットしました。
 ⇒偽旗作戦 - Wikipedia )

お伝えする任務があるから、この日程に私たちのイベントは導かれたと感じています。

坂本九のアメリカのレコードの写真

坂本九が上空に指をさしています。

腰を掛けているのは、火薬と書かれた箱です。

上空に注目しつつ、火薬は地上にある

8月6日

8月9日

永六輔、中村八大、坂本九の
689トリオ

今蘇ってきた、原爆地上起爆説

これらが全て、ただの偶然
なのでしょうか?

坂本九は、運悪く(?)
1985年8月12日、日航機123便に搭乗していたため
そのジャンボ機は撃墜されてしまうという形で
不審死してしまいました。

坂本九がこの飛行機に乗り合わせていたのは、ただ運が悪かっただけなのでしょうか? それとも、真実を伝えたことで制裁を受けたのでしょうか?

結論は明らかのように思えます。

⑪広島原爆に対しての記者からの質問で昭和天皇はこうお答えしている

(※28:35あたりから、昭和天皇の会見での映像が流れ、彼が広島原爆投下について記者から問われた質問に対してお答えしている場面が出ます。)

⑫坂本九の「上を向いて歩こう」

「上を向いて歩こう」
歌:坂本九、作詞:永六輔、作曲:中村八大

上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
思い出す 春の日
一人ぽっちの夜

上を向いて歩こう
にじんだ星を数えて
思い出す 夏の日
一人ぽっちの夜

幸せは雲の上に
幸せは空の上に

上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
泣きながら歩く
一人ぽっちの夜

―文字起こしここまでー

※エンドゥさんの動画↑に出てきた「人形峠」について

ウィキペディアでは⇒ 人形峠 - Wikipedia

一部引用させていただきます。気になる箇所を太字とさせていただきます。

明治以降の変遷
明治時代になると、最初に田代越のルートが整備された。明治10年代に、山陰と山陽を結ぶルートとして大改修が行われ、人形仙越よりも3(約12キロメートル)ほど距離が短縮され、往来の行程が2時間あまり節約できるようになった[3]。この結果、田代峠のルートは毎日100人あまりが通る重要な陰陽連絡路となった[3]。とはいえ、1885年頃(明治18年)の文献によればこの道は幅4(約1.2メートル)、馬が通れるのは2尺(約60センチメートル)ほどで、杖がなくては歩けないほど道路は「険悪」とされている[8]なお、このルートは現在の岡山県道・鳥取県道116号羽出三朝線に相当するが、この県道は2014年現在全通していない
次いで整備されたのが打札越のルートで、1899年(明治32年)に県道倉吉津山線(現在の国道179号の前身)が整備され、車両の通行が可能になった[8]ただし、当時はまだ「人形峠」との呼称はなかった[3][注 8]車が通ることが一応可能とはいえ、このルートも峠では道幅も狭く、坂は急峻でカーブも激しく、冬は雪や凍結で通行が困難だった[3]。1912年(明治45年)に山陰本線が全通すると、山陰と山陽の往来の手段は鉄道が主流になり、これらの峠越えルートは廃れてしまった[3]
ところが、太平洋戦争後の1954年(昭和29年)になって、天神川本流や三徳川の上流域でウラン鉱が見つかるようになり、本格的な調査の結果、1955年(昭和30年)11月12日に県道倉吉津山線の頂上付近でウラン鉱の露頭が発見された[3][8]当時は日本中でウラン鉱の探索が行われており、この鉱山が当初の見立て以上に有望そうであることが伝えられると一躍注目を集めることになった[3]このときに鉱山は「人形峠ウラン鉱」と命名され、旧来の打札越もこれ以来、「人形峠」と呼ばれるようになった[3]
発見地点には現在「ウラン鉱床露頭発見の地」の碑が設置されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E5%B3%A0

人形峠ですでにウランに関する隠し事をしていて、それで人形峠では幽霊が出るという話をイルミナティが画策して流布させ、その場所に人々が近付かないようにしたということはないのだろうか?とふと思いました。

※エンドゥさんの動画↑の中に入っていた昭和天皇のお返事が入っている動画を見つけました

昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 - YouTube

こちらの動画↑の後半の方で、記者からテレビは何を御覧になっているのかについても問われた昭和天皇が、そこで話題が切り替わったことで心の中でホッとしてお答えになられている御様子が見られました。私はそのお答えのされ方に、ユダヤ人というか朝鮮人というのか、あるいは皇族独特のものなのかよくわかりませんが、それらしき「変わり身の早さ」というものを感じました。これは、以前だいぶ前にたまたま閲覧したネット記事でどなたかが
そういう方々の特徴」として書かれていたことです。
それはもしかしたら、乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団で寄生虫層の特徴としての、自己保身の為の変わり身の早さ」というものだったのかもしれないと思いました。

昭和天皇はナポレオンを尊敬していて御部屋の机の上にナポレオンの彫像を置いていたそうですが、戦争で負けて自分の立場がどうなるかわからないといった状況の中で、ある日侍従が昭和天皇の御部屋に入ってみると、そのナポレオンの像がどこかにしまわれてしまって机からは消えていたそうです。そんな話をネット記事でどなたかが書かれていました。
今思いますと、その戦争がヤラセだったのが真実ということであれば、ナポレオンの像云々も、三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)の八咫鏡の裏にヘブライ語云々の話も、すべて都合の悪い事を隠蔽するための作り話として流布させたのではないか?という疑念が湧き起こってきます。

ここにも書きますが、天皇家に伝わるとされる八咫鏡も含めた三種の神器とやらは、古代イスラエルの悪臭がプンプン漂う代物だと考えています。

と書きましたが、ナポレオンの像云々の話は本当かもしれません。
それは、ナポレオンの像をしまって隠すことにより、戦争がヤラセであったことを隠蔽するための一つの工作であったとも考えられます。


グリコ・森永事件、日航機123便墜落事件の黒幕はアメリカCIA+イルミナティ

グリコ・森永事件、日航機123便墜落事件の黒幕はアメリカCIA+イルミナティ。 (daiwaryu1121.com)

公開日: 2019/03/17 : 最終更新日:2021/05/12

NHKスペシャルの未解決事件・グリコ森永事件を見ました。

だいたい大掛かりな未解決事件はアメリカCIA、イルミナティ絡みですね

グリコ森永事件は犯人を目の前にしながら警察上層部が逮捕してはダメだ!という命令を出して取り逃がします。

警察上層部が犯人を目の前にしながら逮捕するな!と命令するくらいに警察に圧力をかけられるのは政府、アメリカCIA、イルミナティしかないでしょう。

滋賀県警の本部長が庭で焼身自殺をしていますが、これは自殺と見せかけて殺された可能性もありますね。


キツネ目の男はその後の日航機123便に乗っていて死んだようです。

同じく脅迫されていたハウス食品の社長も日航機123便に乗っていました。

キツネ目の男はアメリカのCIA傘下の北朝鮮エージェントで口封じに殺されたようです。

なぜアメリカかというとプラザ合意の円高容認に反対していた日本政府、財界への脅しだそうです。


プラザ合意締結により日米貿易戦争はアメリカの圧倒的勝利に終わり、日本経済は3分の1に転落します。

また日航123便には日本初のOS「TRON」の研究者17人が乗っており全員死亡しています。

トロンはWINDOWSに勝る高速処理能力と省エネ能力を持っていたので、トロンの研究者が生きていたらビルゲイツのWINDOWSはなかったかもしれません。

青山透子さんの「日航123便墜落の真実」には米軍の救援ヘリを自衛隊が帰らせたとなっていますが、これは違うと思います。

そもそも力関係は米軍の方が圧倒的に上なので政府や自衛隊が帰らせるなんてことはできません。

しかも米軍の救助ヘリに帰還命令を出したのは横田基地です。

つまり政府が帰らせたのではなく米軍側が救助するなと言ったわけです。

米軍のヘリは救助に行ったのではなく偵察に行っていただけです。

米軍と政府は墜落させるシナリオで動いていたということですね。

青山透子というのはデマ、ウソばかり書いている3流悪質ライターです。
https://daiwaryu1121.com/post-38126/

青山透子は真実を隠蔽するため、責任を全て自衛隊、日本政府に押し付けるためにCIA、イルミナティ側が生み出した人物だと思います。

相模湾沖で123便の垂直尾翼が吹き飛んだ後ハイドロプレッシャー(油圧操縦)システムが損傷し油圧関連の操縦が不可能となり御巣鷹の尾根に墜落するのです。

一部公開されている機長の音声がこちらです。

垂直尾翼の爆破の原因も自衛隊の地対空ミサイルや空対空ミサイルの発射ではないと思います。

模湾で訓練していた元海自の方が垂直尾翼の爆破は自衛隊の対空ミサイルでは100パーセントないと言っています。

オレンジエアというのは100パーセントデマです。

そもそも対空ミサイルで飛行機ごと爆破するならまだしも尾翼だけを爆破するなど不可能です。

垂直尾翼と圧力隔壁の爆破の原因は垂直尾翼と圧力隔壁の中に仕込まれた爆弾だと思います。

音声を聞いてもらえばわかりますが、ボーンという凄い音を立てて爆発しているのがわかります。

機長も「何か爆発したぞ!」と言っています。

ボーイング社が調査に協力的ではなかったのも日航123便を墜落させる計画を知っていたからだと思います。

またボーイング社はわざと尻もち事故の修理を適当にしていたのだと思います。

ボーイング社の前身はCIAと自民党清和会、中曽根総理と疑獄事件を起こしたマクドネルダグラス社でした。

https://daiwaryu1121.com/post-20498/


ボーイング社は軍産複合体、ディープステイトの企業としても有名です。

松本清張は日航機123便と類似事故の1952年の「もくせい号事件」を米軍機による撃墜と推理しました。

日航機123便も「もくせい号」と同じくアメリカCIAによる撃墜だったと思います。

事故調査委員会が発表している金属疲労に起因する圧力隔壁の異常で垂直尾翼が破損することはありえないと思います。

圧力隔壁から客室内の空気が流れだすと「急減圧」が発生しますが、パイロットは酸素マスクをつけていませんし生存者が急減圧時に発生するマイナス40℃の気温低下や強風を否定しています。

政府や事故調査委員会が相模湾の垂直尾翼の破片の回収をしなかったのは垂直尾翼が爆破されたことがばれるからではないでしょうか。

日航123便墜落事件の時の内閣はCIAエージェントの中曽根内閣でした。

顧問は児玉の盟友のロッキード事件のきっかけを作った元日本軍大本営参謀の瀬島龍三です。

中曽根さんはCIAエージェントの読売新聞代表取締役主筆の渡辺恒雄さんと親友でした。

中曽根総理は日航機123便の真実は墓まで持っていくと語っています。

CIAエージェントでジャニーズ事務所社長のジャニーさんは日航機123便に搭乗予定でしたが直前で取りやめています。

元日本航空社員で日本航空労組委員長の佐宗邦皇さんは日航機123便はアメリカによる撃墜であると主張していましたが、講演後に主催者から貰ったお茶を一口飲んだ後に倒れて死亡しています。

CIAは日航機123便墜落の3年後にも同じようにパンアメリカン航空103便を墜落させています。

https://daiwaryu1121.com/post-23819/

https://daiwaryu1121.com/post-16913/

こちらの記事↑に貼られていた動画です。↓↓↓

日航ジャンボ機 - JAL123便 墜落事故 (飛行跡略図 Ver1.2 & ボイスレコーダー) - YouTube


こちらの記事↑に「オレンジエアというのは100パーセントデマです。」というのが私にはどういうことなのかよくわかりません。こちらの動画↑を視聴しても私には「オレンジエア」と言っているように聞こえます。

私は「オレンジエア」についてよく調べていませんので、手軽な方法ではありますが、ネットから得た情報を参考用に本記事に載せておき、後で時間があるときにでも考えてみることにします。

※JAL123便墜落事故での謎に迫る動画や日本の黒い霧さん以外の方たちが書かれた記事も載せます。↓↓↓

※①「オレンジエア」について(※高濱 雅己(たかはま まさみ)機長の最後の御発声まで入っている動画もあります。)

JAL123便ボイスレコーダー「スコーク77」???「オレンジエア-」???の部分をスロー再生 - YouTube


ボイスレコーダー音声「オールエンジン」の怪|NetIB-News (data-max.co.jp)


【日航機撃墜事件???】日本航空123便ボイスレコーダー「スコーク77」オレンジエアの部分をスロー再生 | 新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

こちらの記事↑に、「オレンジエア」が何の事か何もわからない自分にも納得できることが書かれていましたので、その箇所を引用させていただきます。


誰がどう聴いても

「オレンジエア」

としか聞えないのではないか。


「オレンジエア」とは何を意味するのか。

ウェブサイトで検索すると、たちどころに答えは明らかになった。

「オレンジエア」とは自衛隊の軍事用語だったのだ。

自衛隊の軍事演習用の飛翔体をオレンジ色に塗ってあることから「オレンジエア」と呼ばれているのだ。

123便の機長高濱雅己氏(当時49歳)は海上自衛隊の出身で、隊に所属している時は対潜哨戒機のパイロットをしていた。

そして、この123便には衝撃音に先立って、ある飛翔体が接近していた。

123便の最後尾、56G席に搭乗していた乗客の小川哲氏(当時41歳)が、ジャンボ機に接近する謎の飛行物体に気がつき、それをカメラに収めていた。

衝撃音が発生したのは同機が伊豆半島東側沿岸の海上部を飛行していた頃であったと考えられる。

この写真をパソコンで拡大するとオレンジ色になり、画像処理の専門家による写真の検証では、「円錐(えんすい)もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見える」というものだった。

「オレンジエア」は航空自衛隊演習用兵器の呼称であると考えられ、日航機123便は「オレンジエア」によって尾翼の大半を喪失、操縦不能に陥り、最後は山中に墜落したとの疑惑が存在する。

誰がどう聴いても「オレンジエア」としか聞えない音声を「オールエンジン」や「ボディギア」と表記することに無理がある。

普通に文字起こしをすれば「オレンジエア」となる。

その言葉の意味を調べると自衛隊演習用兵器の呼称になる。

この事実を踏まえて考えると、事故調やフジテレビ番組が不自然に「オレンジエア」の表現を、たった一度でも示さなかった謎が解ける。

私はそう判断した。

事件を風化させてはならない。

34年経過したいまも、「事故」として処理されているが、「事件」であった疑いが限りなく濃い。

https://plaza.rakuten.co.jp/hint2003/diary/202007250003/

以下、こちらの記事↑に入っていた動画4本です。↓↓↓

日航123便の真相に迫る③【ボイスレコーダーの音声をデジタル処理で甦らせる】 - YouTube


【音声再編集】JAL123 日本航空123便墜落事故 RJTT- RJOO JA8119 【機内視点】 - YouTube

※こちらの動画↑には、高浜機長の最後の御発声が入っています。

日航123便の真相に迫る⑩【武田委員長の立場】 - YouTube


123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(15/08/12) - YouTube


また、日本の黒い霧さんのブログに書かれていた「急減圧」についてですが、別の方のサイトでも同じような見解を示されていると思われる記事を見つけました。こちらです。
↓↓↓
日航123便 ジャンボ機事故、落合証言の示すもの「Part1 急減圧はなかった」【航空機 事件簿1】 - minminzemi+81's blog (hatenablog.com)

こちらの記事↑に「以上の証言内容では「急減圧との整合性」が、まるでないことが解ります。」とあります。


※②JAL123便に搭乗していた落合由美さんの証言について

次はJAL123便に搭乗していた落合由美さんの証言についてです。その証言を私が当初閲覧していたときには、「上空から白い粉が撒かれてきた」という記述と、御自分や周囲の状況についてもう少し詳しく書かれた記述があったにもかかわらず、今ネットで閲覧できる証言には、重要な証拠となり得るそれらの重大な記述箇所が削除されているようなのです。今ネットで閲覧できる証言を引用させていただきます。

そもそもなのですが…(② JAL123便の謎 「上空から撒かれた白い粉」の正体は?!!) | ここから、今から (ameblo.jp)

こちらの記事↑で引用されている落合由美さんの証言が入っている引用記事のURLはこちらです。⇒ http://www.link-21.com/JAL123/011.html

―落合由美さんの証言を引用転載ここから―
離陸してすぐ、私は機内に備え付けの女性週刊誌を読んでいました。女性や子供の姿が多く、いつもの大阪便とはちがうな、という印象はありました。私の席の周囲にも、若い女性の姿が目立った。禁煙のサインはすぐに消えたのですが、着席のサインが消えていたかどうか、はっきりしません。

そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。
音は、私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。

お客様からは、「うわっ」という声がした。女の人だと、「きゃっ」という、一瞬、喉に詰まったような声。騒がしくなるとか、悲鳴があがるということはありませんでした。耳は,痛くなるほどではなく、ツンと詰まった感じでした。ちょうどエレベーターに乗ったときのような感じ。しかし、それもすぐに直りました。

「パーン」という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。ジャンボの場合、席の数プラス・エキストラのマスクが落ちてくるので、私の座っていた「56」の二席には三つありました。それが機内にいっせいに落ちてきたときは、マスクが、わんわんわん、とバウンドするような感じでした。ひっぱると、酸素が流れだして、口もとの袋がふくらむ。酸素が出てこないのもあったけれど、足りないということはありません。
ただちに録音してあるアナウンスで「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください。」と日本語と英語で流れました。マスクのつけ方は、となり同士教えあって、あんがいスムーズにつけていました。

ベルトについての指示はなかった。お客様はまだベルトをしたままでした。煙草をすぐ消すように、という注意はアナウンスでも口頭でもありませんでしたが、禁煙のランプのサインは自動的についたようでした。
あとで気がつくと、離陸してまもなく消えていたはずのサインがついていましたから。

しかし、緊急降下中といっても、体に感じるような急激な降下はありませんでした。急減圧のとき、酸素マスクがおちてくることは、もちろん知っていました。急減圧は何かがぶつかったり、衝撃があって、機体が壊れたときに起きると教わっていましたから、そういうことが起きたのだな、と考えたのですが、しかし、何が起きたのか想像もつきませんでした。酸素マスクが落ちてくる光景は、訓練では見ていますが,実際に経験するのは、もちろんこれがはじめてでした。

やはり「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。
私の席のすぐ前は、それほど濃くはなかったのですが、もっと前の座席番号「47」「48」あたりのところが濃かったように見えました。ふと見ると、前方スクリーンの左側通路にスチュワーデスが立っていたのですが、その姿がボヤ-ッと見えるだけでした。
その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。
白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。すっと消えた、という感じだったのです。

匂いはありませんでした。こうした白い霧というか、靄のようなものが出るのは、急減圧の場合の現象だ、ということも、もちろん訓練のときに教わっていたことでした。はじめはスチュワーデスもそれぞれの席に座って酸素マスクをしていましたが、しばらくして、お客様のマスクを直したりして、まわっていました。そのときは、エキストラ・マスクをひっぱって、口にあてていました。マスクのチューブは伸ばすと、けっこう伸びます。
三列くらいはひとつのマスクをつけたまま、まわっていたようでした。
このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。

あとになって、8月14日に公表されたいわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からはベントホールは見えない位置にあります。ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。
きょろきょろしていたとき、私は、トイレの上の横長の壁がほとんど全部、はずれていることに気がつきました。トイレのドアはしまっていましたが、その上の壁がすっぽりはずれて、屋根裏部屋のような感じで見えたのです。壁はちぎれたとか、破壊された、というふうではなく、継目が外れたと言う感じでした。壁のパネルがどこかにいったのかはわかりませんでした。

そして、壁のはずれた向こう側に、運動会で使うテントの生地のようなものが、ひらひらしているのが見えました。オフ・ホワイトの厚地の布のようなものです。ぴんと張ったのでもなく、ヒダの多いカーテンのようでもなく、一枚の布を垂らしたような感じでした。これもあとで整備の人に聞いたのですが、裏のほうには、そういう布があるのだそうです。それが破れたというふうではなく、風にあおられたように、ひらひらしていたのです。
そこから機体の外が見えたとか、青空がのぞいた、ということはありませんでした。

もひとつ、私の頭上の少し前の天井に、整備用の50センチ四方の長方形の穴があって、蓋がついているのですが、その蓋が私のほうに向いて開いていることに気がつきました。壊れたのではなくて、何かのはずみで開いたという感じです。内部は暗く、何も見えませんでした。ただ天井の荷物入れが下に開くということはありませんでした。

このときにはお客様は全員、酸素マスクをつけていましたから、しゃべったりはしませんでした。酸素マスクをして、呼吸するのに懸命で、とても会話どころではなかったのかもしれません。でも、とても不安そうにして、きょろきょろしたり、窓の外を見たりしていました。赤ちゃんの泣き声がしたかどうか、覚えていません。

いつ点灯したのか気付きませんでしたが、「EXIT」と「非常口」を示す、エマージェンシー・ライトはついていました。座席上の空気穴から空気が出ていたのかどうか、記憶にありません。ライトをつけていて人がいたかどうかも、覚えていないのです。時間的にはそろそろ暗くなるときですから、つけていてもおかしくないのですが、気がつきませんでした。

こうしているあいだも、飛行機が降下している感じは、ほとんどありませんでした。ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをして、しばらくしてからです。

「パーン」という音から、たぶん10分くらいしてからのように思います。このころになって、酸素マスクをはずしてみても、苦しさは感じませんでした。ただ、ほとんどのお客様がマスクをしていましたが。

ダッチロールという言葉は、知りませんでした。飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し、左右に傾いているという揺れ方がつづきました。急な動きとか、ガタガタ揺れるというのでもなく、スローです。だんだん揺れが激しくなるというのでもありません。

私の席に近い左の窓から見えたのは、まっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で、地上は見えませんでした。

お客様は窓の外を眺めたり、なかにはスチュワーデスに「大丈夫か」とたずねる方もいました。機内の様子は、あわただしい雰囲気とかパニックなどということではなく、この段階では、まだ何とかなるんじゃないか、という気持ちがあったように思います。ただ、コックピットからの連絡は何もなくて、みんな不安な表情ではあったのです。

そのうちに酸素が出なくなりました。いつだったか、私がフライトをしていたとき、お客様から、酸素マスクは何分くらいもつのか、とたずねられたことがありました。全員が吸った場合、18分くらい、と計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。でも、ほとんどのお客様は、そのままマスクをしていました。

ちょうどそのころになって、私のうしろのL5(最後部左側)ドア受持ちのスチュワーデスが、まわりのお客様に「座席の下にある救命胴衣を取りだして、つけてください」という指示を出しました。その指示がどこからきたのか、わかりません。ふだんのコックピットからの連絡はチーフ・パーサーを通じて各スチュワーデスに伝えられたり、急な場合は、乗務員席の電話が全部コックピットと同時につながって受けることができる「オール・コール」でくるのですが、今度の場合は、それはありませんでした。ライフ・ベストをつけるように、という指示は、機内アナウンスではなく、スチュワーデスの口頭で行っていました。まず、スチュワーデスが着用して、このようにつけるんです、と教えながら、座席をまわることになっています。今度も、そうしていました。

前のほうでも、いっせいにベストの着用がはじまっている様子が見えました。スチュワーデスは口頭で、座席ポケットのなかにある『安全のしおり』を見て,救命胴衣をつけてください、と言いながらまわりはじめました。私はすぐに座席下から救命胴衣をひっぱりだして頭からかぶりました。

私は羽田にもどれればいいな、と感じていました。しかし、まだ雲の上で、高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。

しかし、ライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、わかっても、ひっぱって取りだすことがわからないお客様も少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所がわからなくて、取り乱している若い女性のたちがいました。そのときになって私は、席を立って、お客様のお手伝いをはじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。

私が席を立ったとき、となりの窓際の席にいた男性のKさんが「スチュワーデスの方ですか」と、声をかけました。私は「はい、そうです」と答えて、Kさんが救命胴衣をつけるのをお手伝いしました。とても冷静な方でした。ご自分のをつけ終わると、座席から手を伸ばして、前後のお客様の着用を手伝ってくださったのです。

私は通路に出て、L5のスチュワーデスの受持ちのお客様のお手伝いをして歩きました。彼女が私の席よりうしろのほうをまわり、私は、前のほう二列分くらいの左右のお客様を指示してまわりました。

しかし、このころになると、機体の揺れは、じっと立っていられないほどでした。激しい揺れ、というのではなくて、前と同じように、左右に傾く揺れなのですが、その角度が大きくなって、座席につかまって二、三歩、歩いて、お客様の座席の下のベストをひっぱって、ちょっと座って、また二、三歩という感じでした。まっすぐ歩いて、あたりを見てまわる、ということはもうできません。

救命胴衣は飛行機が着水して、外に脱出してからふくらませることになっています。機内でふくらませてしまうと、体を前に曲げて、膝のあいだに頭を入れる安全姿勢がとれないからです。しかし、私の席の周囲では、ふくらませてしまったお客様が、四、五人いました。男の人ばかりです。

こういう場面になると、女の人のほうが冷静なようです。泣きそうになっているのは男性でした。これはとても印象深かったことです。ベストをふくらませてしまった若い男性が「どうすればいいんだ」と弱気そうな顔でおっしゃるんですが、ふくらませてしまったのは仕方ないですから、そのままでいいですと、安全姿勢をとっていただきました。ひとりの方がふくらませると、そのとなりのお客様もふくらませてしまう。他のスチュワーデスも私も、それに私のとなりのKさんも、「ふくらませないで!」と叫びました。

機内にはまだいくらかの空席がありました。ひとりだけポツンと座っている人は、不安になったんだと思います。救命胴衣をつけているあいだに、席を詰めて、固まるようになりました。

私は何も聞かれませんでしたが、制服を着ていたスチュワーデスはお客様からいろいろ質問されました。

「どうなるんだ」「大丈夫か」「助かるのか」。聞いていたのは男の方ばかりでした。家族連れの女性は、男の方が一緒だったせいでしょうか、そういう場合でも、男の人がいろいろ質問していました。

 スチュワーデスはお客様に不安感を与えないように、できるだけ冷静に行動していました。いろいろ聞かれても、「絶対大丈夫です。私たちはそれなりの訓練も受けています。絶対大丈夫です。」と答えていました。

そのせいもあって、客室内がパニックに陥るようなことがなかったのだと思います。ただ、笑顔はもうなく、彼女たちの顔も緊張していたのですが。赤ちゃん用の小さいライフ・ベストが上の棚にあるのですが、このときにはもう、それを取りだす余裕はなく、大人用のベストをつけたと思います。

 子供の声が聞こえました。「おかあさーん」という声。大きくはなかったのですが、短い叫びのような声でした。大人のお客様は叫んだり、悲鳴をあげたりすることはありませんでした。声も出なかったのかもしれません。不安と緊張の機内でした。

 全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。つけ終わった方は、となりの方を手伝ったりしていました。救命胴衣をつけているあいだに、スチュワーデスの声でアナウンスがあったのです。正確には覚えていませんが、「急に着陸することが考えられますから」というような内容です。それと、「管制塔からの交信はキャッチできています」とも言っていました。私の想像では、二階席のアシスタント・パーサーが操縦室に入って、様子を聞いてきたのではないかと思います。落着いた声でした。

 揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。そのときには、眼鏡をはずしたり、先のとがったものは座席ポケットにしまったりとか、上着があれば、衝撃の際の保護になるように着用してください、と指示するのですが、そんな時間的余裕はありませんでした。

 私は「56C」にもどりました。L5のスチュワーデスは通路をはさんでふたつうしろの空席に座りました。安全姿勢は、頭を下げ、膝の中に入れて、足首をつかむんです。うしろのスチュワーデスも私も、席に座って大声で何度も言いました。「足首をつかんで、頭を膝の中に入れる!」「全身緊張!」。全身を緊張させるのは、衝撃にそなえるためです。こういうときは、「・・・してください」とは言いません。

 お相撲さんや、妊娠してお腹の大きい女性の場合、腰をかがめるのは苦痛ですから、逆に背中を伸ばして、脚でしっかり床を踏み、椅子の背に上体を押しつける安全姿勢のとり方があるのですが、このときにはそういう姿勢をしているお客様はいませんでした。

 安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。「緊急着陸して、私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けて、お客様をにがしてやってください」と。Kさんは「任せておいてください」と、とても冷静な声で言いました。Kさんと言葉をかわしたのは、これが最後です。

 そして、そのとき、窓の外のやや下方に富士山が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときに、もっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に、白い雲がかかっていました。左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき、私は安全姿勢をとって、頭を下げたのです。

 頭を下げながら機内をちらっと見ると、たくさん垂れている酸素マスクのチューブの多くが、ピーンと下にひっぱられているのが見えました。マスクをつけたまま安全姿勢をとったお客様が大半だったのかもしれません。安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。聞こえたのは、それだけです。

 そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。

 怖いです。怖かったです。思いださせないでください、もう。思いだしたくない恐怖です。お客様はもう声もでなかった。私も、これはもう死ぬ、と思った。

まっすぐ落ちていきました。振動はありません。窓なんか、とても見る余裕はありません。いつぶつかるかわからない。安全姿勢をとりつつ”けるしかけるしかない。汗をかいたかどうかも思いだせません。座席下の荷物が飛んだりしたかどうか、わかりません。体全体がかたく緊張して、きっと目をつむっていたんだと思います。「パーン」から墜落まで、32分間だったといいます。でも、長い時間でした。何時間にも感じる長さです。羽田にもどります、というアナウンスがないかな、とずっと待っていました。そういうアナウンスがあれば、操縦できるのだし、空港との連絡もとれているのだから、もう大丈夫だって。でも、なかった。

 衝撃がありました。

 衝撃は一度感じただけです。いっぺんにいろんなことが起きた、という印象しか残っていません。回転したという感じはありません。投げだされたような感じです。衝撃のあとも安全姿勢をとっていなければいけないのですが、私はもう怖くて、顔をあげた。その途端、顔にいろんなものがぶつかってきました。固いもの、砂のようなものがいっぺんに、です。音は、まったく記憶にありません。音も衝撃も何もかもが一度に起きたのです。

 衝撃が終わったあとは、わーっと埃が舞っているようでした。目の前は、もやーっとしているだけです。墜落だ、と思いました。大変な事故を起こしたんだな、と思ったのは、このときでした。

すごく臭かった。機械の匂いです。油っぽいというより、機械室に入ったときに感じるような機械の匂いです。

体は、ちょうど座席に座っているような姿勢です。左手と両脚は何か固いものにはさまれていて、動かせません。足裏は何かに触っていました。それほどの痛みはなく、もうぐったりしているという感じです。

 目には砂がいっぱい入っていて、とくに左の目が飛び出してしまったように、とても熱く感じました。失明するだろうな、と思っていました。これはあとで知らされたのですが、左右どちらかわかりませんが、コンタクト・レンズがどこかへ飛んでしまったのか、なくなっていました。すぐに目の前に何かあるんですが、ぼやーっとしか見えません。灰色っぽい、夕方の感じなのです。耳にも砂が入っていたので、周囲の物音もはっきりとは聞こえていなかったのではないかと思います。

 呼吸は苦しいというよりも、ただ、はあはあ、とするだけです。死んでいく直前なのだ、とぼんやり思っていました。ぐったりして、そのとき考えたのは、早く楽になりたいな、ということです。死んだほうがましだな、思って、私は舌を強く噛みました。苦しみたくない、という一心でした。しかし、痛くて、強くは噛めないのです。

 墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。

 「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。

 次に気がついたときは、あたりはもう暗くなっていました。どのくらい時間がたったのか、わかりません。すぐ目の前に座席の背とかテーブルのような陰がぼんやり見えます。私は座ったまま、いろんなものより一段低いところに埋まっているような状態でした。左の顔と頬のあたりに、たぶんとなりに座っていたKさんだと思いますが、寄りかかるように触っているのを感じました。すでに息はしていません。冷たくなっていました。

 シート・ベルトはしたままだったので、それがだんだんくいこんできて、苦しかった。右手を使って、ベルトをはずしました。動かせたのは右手だけです。頭の上の隙間は、右手が自由に出せる程度でしたから、そんなに小さくはなかったと思います。右手を顔の前に伸ばして、何か固いものがあったので、どかそうと思って、押してみたのですが、動く気配もありません。それを避けて、さらに手を伸ばしたら、やはり椅子にならぶようにして、三人くらいの方の頭に触れました。パーマをかけた長めの髪でしたから、女性だったのでしょう。

冷たくなっている感じでしたが、怖さは全然ありません。

 どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。

まだ何人もの息遣いです。

 それからまた、どれほどの時間が過ぎたのかわかりません。意識がときどき薄れたようになるのです。寒くはありません。体はむしろ熱く感じていました。私はときどき頭の上の隙間から右手を伸ばして、冷たい空気にあたりました。

 突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。さかし、さっき「おかあさーん」と言った男の子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。

 私はただぐったりしたまま、荒い息遣いや、どこからともなく聞こえてくる声を聞いているしかできませんでした。もう機械の匂いはしません。私自身が出血している感じもなかったし、血の匂いも感じませんでした。

吐いたりもしませんでした。

 やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。

 このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。

 体は熱く、また右手を伸ばして冷たい風にあたりながら、真暗ななかで、私はぼんやり考えていました。私がこのまま死んだら主人はかわいそうだな、などと。父のことも考えました。母親が三年前に亡くなっているのですが、そのあとで私が死んだら、とても不幸だ、と。母は私がスチュワーデスになったとき、「もしものことがあったときは、スチュワーデスは一番最後に逃げることになっているんでしょ。そんなこと、あなたに勤まるの?」と、いくらかあきれた口調で言っていたものです。それからまた、どうして墜落したんだろう、ということも考えました。時間がもう一度もどってくれないかなあ、そうすれば今度は失敗しないで、もっとうまくできるのに。いろんなことが次々と頭に浮かびました。

 涙は出ません。全然流しませんでした。墜落のあのすごい感じは、もうだれにもさせたくないな。そんなことも考えていました。そして、また意識が薄れていきました。

 気がつくと、あたりはあかるかった。物音は何も聞こえません。まったく静かになっていました。生きているのは私だけかな、と思いました。でも、声を出してみたんです。「がんばりましょう」という言葉が自然と出てきました。返事はありません。「はあはあ」いう荒い息遣いも、もう聞こえませんでした。

 あとで吉崎さん母子や川上慶子ちゃんが助かったと聞きましたが、このときにはその気配を感じませんでした。たぶん、それから私は眠ったのだと思います。

 風をすごく感じたのです。木の屑やワラのようなものが、バーッと飛んできて、顔にあたるのを感じました。

はっと気がついたら、ヘリコプターの音がすぐそばで聞こえる。何も見えません。でも、あかるい光が目の前にあふれていました。朝の光ではなくて、もっとあかるい光です。

 すぐ近くで「手を振ってくれ」だったか「手をあげてくれ」という声が聞こえたのです。だれかを救出している声なのか、呼びかけている声なのか、わかりません。私は右手を伸ばして、振りました。「もういい、もういい」「すぐ行くから」と言われました。

 そのすぐあとで、私は意識を失ったようです。朦朧としながら、ああ、助かったな、助かったんだ、とぼんやり考えていました。どうやって埋まったなかから救出されたのか、どうやって運ばれたのか、まったく覚えていません。

 体の痛みも、空腹も感じませんでした。ただ、喉が渇いたのを覚えています。カラカラでした。お水が飲みたい、お水が飲みたい、と言っていたというのですが、私は記憶していないのです。応急処置をしてくれた前橋の日赤病院の婦長さんが、あとで「あのときは打ちどころがわるかったりするといけないから、あげられなかったのよ」といわれましたが、水を飲みたいと言ったことはまったく覚えていないのです。

 目を開けたら、病院でした。お医者さんから「ここはどこだか、わかりますか」と聞かれて、奇妙な返事をしました。「はい、二、三回きたことがあります」って。そんな馬鹿な、と自分では思っているのですが、わかっていながら、そんなふうに答えていました。頭がおかしいんです。でも、電話番号は正確に答えていました。「ここは群馬県だよ」とお医者さんは言いました。どうして群馬県にいるんだろう、と思いました。それで、あ、あのとき飛行機が落ちて、そこからきっと群馬県が近いんだな、とだんだん考えるようになりました。

 家族がきていると教えられたとき、えーっ、と思いました。飛行機がおちたことはわかっているのですが、どうしてここまで家族がきているのだろうと、不思議で仕方ありませんでした。現実感がなかなかとりもどせないのです。

 たぶん、このときだったと思いますが、「何人助かったんですか」と聞きました。お医者さんが「四人だよ。

全部女の人ばかり」と教えてくださいました。それしか助からなかったんですか、と思いながら、「へえーっ」と言いました。大変な事故を起こしてしまったんだと、また感じました。

 天井しか見えませんでした。酸素マスクをして、じっと天井を見ながら、一緒に千歳からもどってきて、同じ飛行機に乗った松本さんはどうなったのだろう、と考えました。私もほんとうはもう助からなくて、死んでいくところなんだ、などとも考えていました。百幾針も縫ったのに、痛みは感じません。麻酔をしていたせいだと思いますが、でも、あとで看護婦さんに聞くと、「痛い、痛い」と言っていたようです。

 救出された日の午後3時過ぎ、夫と父と叔父が病室に入ってきました。私は「四人しか・・・・・」と口にしたのですが、夫はすぐに「しゃべらなくていいから」といいました。

  (吉岡忍著「墜落の夏」新潮社より)

   落合由美さんは日本航空の客室乗務員。当日は非番で123便に乗り合せていました

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―落合由美さんの証言を引用転載ここまで―

https://ameblo.jp/kokokara-imakara/entry-12726999342.html?frm=theme


※③「上空から撒かれてきた白い粉」について

私が当初閲覧していた落合由美さんの証言に出てきた「上空から撒かれてきた白い粉」が何であるかが推測された記事を見つけました。
        ↓ ↓ ↓
日本は既に核兵器を保有しており、JAL123便は核弾頭を輸送していたため撃ち落とされた① - るいネット (rui.jp)
こちらの記事↑には上空から撒かれた白い粉が「フッ化ホウ素」である可能性が指摘されています。

こちらの記事↑から引用させていただきます。

『JAL123便の真実(御巣鷹山墜落事故)』(zeraniumのブログ)リンクより転載します。
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その後の事故調査の状況から推察すると、~前略~
JAL123便の真実
核兵器に使うプルトニウムが、長野県にある極秘の核施設で取り出されているという話を聞いて、私にはピンとくるものがありました。それは1985年8月に起きた、JAL123便の墜落事故との関連です。この墜落事故は実は、金属疲労による事故ではなく、自衛隊と米軍による戦闘の結果でした。

一連の事件を目撃した地元の人々が、何度も入山して航空機の残骸を拾い集め、25年以上にわたって調査を続けた結果、見つかったのは123便の機体だけではなく、米海兵隊所属のプロペラ機RC-130の着陸装置、地対空ミサイル・レッドアイの弾頭部分、黒い塗装で偽装した米空軍所属F-106の機体破片など、膨大な量の残骸だったのです。

JAL-123便が撃ち落された主な理由は、アメリカが誘導した円高に反対していた関西財界の大物4人を暗殺するためでした
1985年8月、アメリカは日本に対して「円高にしてほしい」と申し入れましたが、関西財界の大物4人が強く反対し、再度の話し合いでも物別れに終わりました。しかしこの事件には、実はほかにも理由がありました。実は、123便は「核」を積んでいたというのです。国内で製造した核を積んで大阪に運び、大阪港からどこかへ積み出す予定であったというのです。アメリカは、日本が密かに核兵器を製造していることを疑っており、その証拠を押さえたいと内偵していたところ、JAL123便で運ばれるという情報をキャッチし、現物を押さえるために黒い塗料で偽装した所属不明機でJAL機を付け狙いました。日本にしてみれば、アメリカを出し抜こうとして核兵器を秘密裡に製造していたので、現物を押さえられると非常に困ります。そこで機体もろとも海中に沈めてしまおうということになり、海上で米軍機に撃墜されるように仕向けたのでした。


しかし、JAL機の機長は思いのほか優秀な人でした。
日本政府は、JAL機側には積み荷の中身を伝えておらず、ただ「貴重なものである」ということで、ベテランのパイロットの搭乗を要求しました。そこで自衛隊出身であり、飛行技術に長けた腕利きのパイロットである「高濱雅巳操縦士」をその任に就かせました。彼は戦闘訓練を積んでいるので、米軍によって尾翼が破壊された時点で、すでに人為的攻撃であることに気づいたようです。すぐさま、高度1000メートル以下の超低空飛行へと切り替えました。この高度ならレーダーに捉えられないからです。ただしそのために、以後、123便は管制レーダーからは消えてしまい、周辺の航空管制官はJAL機を助けたくとも、その機影を追うことさえできなくなりました。ですから異常発生後の正確なルートは、今もってわかりません。


その後の事故調査の状況から推察すると、羽田にも降りられず、横田基地にも降りられず、海上着床の望みも絶たれ、行くあてを失ったJAJ123便は、突如として現れた自衛隊機に誘導されて、長野方面に向かったようです。機長にしてみれば、「これで助かった」と思ったでしょう。ところが自衛隊機は、JAL123便を助ける気など、さらさらありませんでした。米軍にかぎつけられたことを知り、証拠品である「核」を消すために、追って来ている米軍機だけではなく、JAL123便の乗客もろとも、すべてを消し去ろうとしていたのです。自衛隊機は逃げまどうJAL123便を誘導し、秘密基地のある高天原(たかまがはら)まで誘い込み、待ち構えていた地上部隊のレッドアイで米軍機もろとも撃墜しました。こうしてJAL123便は、高天原山中にある御巣鷹山(おすたかやま)の尾根へと墜落したのです。そのやり方は徹底しています。JAL123便とそれを追っていた米軍機はもちろん、誘導した自衛隊機、それに諜報活動中であったNSA(米国家安全保障局)の偵察機、さらに異変を察知してついて来ていただけのロシア軍のスホーイまで、ことごとく撃ち落したのです。・・・。自衛隊は墜落後も徹底した証拠の隠滅を行いました。


事故直後から「おかしい」と気づき、山に入って調査した人がいて、当日、山を縦走していた登山者らの目撃情報などを聞いて回り、その謀略の一端をつかんでいます。それによると、登山者らが墜落現場近くに入った午前2時ごろには、助けを求める人々の声が多数聞こえていたそうです。しかしながら現場は険しい斜面の場所でけもの道さえなく、なかなか近づくことができません。そのうちヘリコプターが飛んできて、何かを撒いたとたん、それまで聞こえていたうめき声や物音がピタッとやみ、あたり一帯に静寂が訪れたそうです。このヘリコプターの行動について、生存者を残さないために、現場にフッ化ホウ素を撒いたのではないかと、複数の専門家たちが分析しています
その後、事故を目撃した地元の有志たちが生存者を救うべく入山しようとすると、すでに自衛隊がバリケードを築いており、近づくことができなかったと証言しています。なぜ最も近くにいた地元住民より、自衛隊が先に現場に到着していたのか。それが事故ではなく撃ち落したものだということを、如実に物語っています。おそらくその時すでに、核兵器の残骸などの「証拠品」は回収され、闇に葬られたのでしょう。


その事実を突き止めるべく、調査している人の話を聞きましたが、彼は今も狙われています。昨年も電磁波による攻撃を受け、車が大破したと話していました。街中を車で走っていると、急に「ドーン」という衝撃が走り、事故を起こしたわけでもないのに車が突然破壊されてしまったのだそうです。そうかと思うと、守ってくれる人もいて、「つけられているな」と気づくと、必ずと言っていいほどトラックが、自分の車とつけている車の間に割り込み、逃がしてくれるそうです。


何が真実で、誰が見方で、敵が何者か、その実態は正確にはつかめませんが、大きな陰謀が存在することは確かのようです。ちなみに、JAL123便が墜落したのが8月で、その翌月の9月に、ニューヨークのプラザホテルで先進5カ国(G5)による合意がなされました。世に言う「プラザ合意」です。アメリカを救うべく、円高ドル安への国際協調が取り決められましたが、日本は想定される円高不況を乗り切るために、金融緩和へと動きました。つまり公定歩合を下げ、低金利政策を採用し、通貨供給量を大幅に増加させ、社会にお金がジャブジャブだぶつくようにして、景気後退を防ごうとしたのです
その結果、日本は狂乱のバブル景気へと突っ走ることになりました

https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=267570


※④ベテランの高濱 雅己(たかはま まさみ)機長はなぜ自衛隊のパイロットが叩き込まれる原則通りの行動をしなかったのだろうか?

次の記事は、操縦室での機長と操縦士との会話アナウンスの文字起こし及び高浜機長についての記述がされています。
       ↓ ↓ ↓
Mの世界ー機長はなぜ右に旋回したのか~「日本航空123便墜落事故」 | 宇宙世紀を生き抜く知恵 (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部引用させていただきます。

高濱 雅己(たかはま まさみ)
昭和11年1月2日生まれ。享年49歳
日本航空運航部門指導教官 総飛行時間12,423時間41分)
昭和29年海上自衛隊入隊。対潜哨戒機P2-Jの熟練パイロット。最終的には教官を努める。
昭和41年12月1日、日本航空入社。
彼が、「機体に不具合が発生したら海へ出ろ」という自衛隊のパイロットが叩き込まれる原則を忘れていたとは思えません。ましてや海上自衛隊の対潜哨戒機P2Jの最優秀のパイロットだった経歴からして海上へ出ることに躊躇があったとは思えません。MAD(magnetic anomaly detector)という潜水艦の探知方法をご存知でしょうか?海面下に潜む潜水艦を磁気で探知する方法なのですが、対潜哨戒機はこの方法で探索する場合、海面スレスレを飛び回って潜水艦を追い詰めます。「狂気のMAD」と言われる程の危険なマニューバーです。そんな熟達した海軍パイロットの彼だからこそ何故、海に出なかったのか不思議でなりません。

https://ameblo.jp/bright-noah-sheryl/entry-12050418185.html


※⑤「オレンジエア」とは海上自衛隊の隠語であるらしいこと、狭い空間に三人もいて高濱機長だけが木っ端微塵になったこと、高濱機長の娘さんの思いについて、横田空域についても

そもそもなのですが…(① JAL123便の謎 「上空から撒かれた白い粉」の正体は?!!) | ここから、今から (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部引用させていただきます。

1985年8月12日に発生したJAL123便の大事故(死亡者数520名、生存者数わずか4名)についても、非常に多くの方が情報発信しておられます。本記事に引用転載させていただいた記事におきましても、さまざまな意見や考え方があるようです。

●【知ってはいけない】JAL123便墜落の真相 | (vybzscope.com)
※こちらの記事↑で一つ目の動画には、事故当時のテレビニュースの一部分が入っています。複数の動画や他の方のブログも含まれ、その中にさらに別のブログ記事もあり、複層的となっている記事ですね。こちらの記事中の森永卓郎さんが話している動画は必聴だと思います。
また、慰霊の園(日航機墜落事故慰霊碑)は13階段のピラミッド型になっていると記事に書かれています。

(上記の記事より部分的に抜粋引用した箇所ここから)ボイスレコーダーに残された記録で、海上自衛隊出身の機長らが「オレンジエア」と続けて交信している。「オレンジエア」とは海上自衛隊の隠語で、誘導ミサイルや無人標的機のことであり、機体にミサイルが衝突した可能性がある。

狭い空間に三人もいて高浜(機長)さんだけ木っ端微塵になったのはなぜですか
コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれます。それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったといいます。(転載ここまで)

(上記記事のうち「閲覧注意」からの転載ここから)
【機長の娘さんの思い】
2015年8月12日付「日航機墜落30年 機長の長女はいま…」。
520人が死亡した日航機墜落事故の機長の娘・高濱洋子さん(48)は、実は今、日本航空の客室乗務員として働いている。先月、私たちは洋子さんを取材した。事故から12日で30年。彼女を支えていたのは、ボイスレコーダーに残された父親の音声だった。
記事全文
520人が死亡した、日航ジャンボ機墜落事故の機長の娘は、実は今、日本航空の客室乗務員として働いている。事故から、12日で30年。彼女を支えていたのは、ボイスレコーダーに残されていた、父親の音声だった。

【空の安全願う…灯籠流し】
墜落現場がある群馬県上野村で11日夜、遺族たちは、それぞれの思いを灯籠に込めた。事故で娘を亡くした女性「30年娘を失った悲しみは変わりません、本当」。事故で娘2人を亡くした女性「立ち直れたなんてことは一切言えません。いつまでも引きずっていると思います」。あれから30年がたとうとしている。

【日航機墜落事故とは】
1985年8月12日、午後6時56分、上野村の御巣鷹の尾根にジャンボ機、日本航空123便が墜落した。死者520人。単独の航空機事故では世界最悪の事故だった。事故の原因は、客室の気圧を保つためのお椀型の壁「圧力隔壁」だった。ここに穴が空き、吹き出した空気が垂直尾翼などを破壊、制御不能になったのだ。
123便のボイスレコーダー。そこには、コックピットで格闘する機長たちの声が残されていた。
機長(墜落32分前)「まずい、何か爆発したぞ」。
機長(墜落6分前)「あたま(機首)下げろ、がんばれ、がんばれ」。
副操縦士「コントロールがいっぱいです」。

声の主は、高濱雅己機長(当時49歳)。高濱機長には、当時高校3年生の長女・洋子さんがいた-。


長女・洋子さん、客室乗務員に
事故から30年を前にした先月、私たちは、洋子さんを取材した。選んだ仕事は日本航空の客室乗務員。父と同じ“空の仕事”だった。洋子さんには、初めてのフライトから持ち続けているものがある。高濱洋子さん(48)「JALの飛行機を守ってくれている、そういう思いから持っております」。所々がすり切れた写真。それは、父がコックピットで写る唯一の写真だった。

【苦悩の日々】
自分自身も遺族である一方、“墜落したジャンボ機の機長の娘”という立場。事故当時、洋子さんにとって苦悩の日々が続いた。高濱洋子さん「『519人を殺しておいて、のうのうと生きているな』とか、たくさん電話がかかってきましたので。その度に母は、見知らぬ嫌がらせの電話にもきちんと応対し、『申し訳ございません』『申し訳ございません』、ただそれだけ何回も繰り返しておりました」“父を探したい”、だが、昼間の遺体安置所には、多くの遺族がいた。そのため、ひと気がなくなる夜を待ってから父を探し歩いたという。しかし、事故から15年後、変化が訪れた。あのボイスレコーダーの音声が公になったのだ。

【ボイスレコーダー、公開】
激しく揺れる機体と最後まで闘った父の記録

機長(墜落27分前)気合入れろ。ストール(失速)するぞ」。
機長(墜落6分前)「がんばれ」
副操縦士「はい」。
機長「あたま(機首)下げろ、がんばれ、がんばれ」
副操縦士「コントロールがいっぱいです」。
機長(墜落前30秒)「パワー、パワー、フラップ!」
機関士「上げてます!」。
機長「あげろ!」


高濱洋子さん「父は本当に最後まであきらめず、最後の一瞬まであきらめず、頑張ったんですが、本当に無念であっただろう。最後まで父は頑張ったんだなと、誇りに思わなければいけない、そう思いました」。


【遺族に響いた父の声】
ボイスレコーダーに残された父の声。ほかの遺族たちの心にも響いたという。高濱洋子さん「『本当に最後まで頑張ってくれたんだね』『ありがとう』という言葉を、ご遺族から頂いた時には、本当に胸からこみ上げるものがあって…。涙が出る思いでした
父はボイスレコーダーによって、残された私たち家族を、ボイスレコーダーの音声という形で、私たち家族を守ってくれたと感じました」。
取材中、洋子さんが機長の娘だと知る1人の乗客が話しかけてきた。
洋子さんの目から涙があふれた。
「これからもJALに乗るから、頑張って」。そう声をかけられたという。涙が止まらなかった。事故から12日で30年。
洋子さんにとって8月12日とは-。
高濱洋子さん「父が残してくれたボイスレコーダーを聞き、新たに、また安全を守っていかなければという、再認識する、そういう一日かなと思います」。以上(転載ここまで)


(中略)
https://rapt-plusalpha.com/31025/
【ラジオの要約】

(中略)

横田基地関連:横田空域は群馬県から東京都まで1都9県にまたがる。
横田空域では横田基地を中心として上空7千m位までは民間旅客機は入れない(米軍と航空自衛隊しか入れない。)。よって、その空域で攻撃されている様子は他からは見えないようになっている。JA123の事故はその横田空域の中で起きた。JA123はうまく群馬の山中まで誘導されて墜落させられた。

横田空域ができたのは戦後暫くしてから。アメリカが日本の領空を支配していたが、それが解除されて横田空域だけが残されていて今に至る。JA123はその横田空域の中で出発して間もなくミサイルで攻撃されたのではないか

故障したがそれは後ろの方で、操縦士も操縦はかなりできていて、横田基地に戻ろうとしていた。横田基地に緊急着陸の指令があり、そのため高度を下げ着陸に備えようとしていたが、なぜか向きを急に変えて山に向かった。

群馬県は丸ごとすっぽり横田空域に包まれていて、最大の7千m位まで囲まれていて、民間ヘリが安易に行けないような場所に落ちた。自衛隊しか入り込めないような場所に落ちたので、事故後の工作も、より一層簡単にできるような状況だった。

横田空域を残すように暗躍したのが李家の岸信介(きしのぶすけ)だったのではないか

(後略)

https://ameblo.jp/kokokara-imakara/entry-12725825910.html?frm=theme

こちらの記事↑で引用されていた記事に入っていた動画(2本)です。↓↓↓
まず1本目の動画をご紹介いたします。

※引用されていた記事に入っていた動画です(M氏の証言の動画)

日航ジャンボ機 JAL123便墜落事故(M氏の証言1_2) - YouTube

こちらの動画↑のコメント欄のコメントから引用させていただきます。

フォーカスとフライデーにこの事故現場の写真記事が載っていましたとね。 ネットで写真を検索すると黒こげの遺体の写真は見るのですが、私が当時見た写真の中には崖下のようなところに座席に座ったままの状態で折り重なるように眠っているかの様な写真がありました。折り重なっている一番上の人達は怪我ひとつ無いような感じでした。 ひょっとしたらもっと早く現場に来ていれば多くの人が助かったのではないか?と当時写真を見て思いました。 他の犠牲者の写真は悲惨な様子でしたので。

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

つまり この事故に関わってた人達か?
きっと拡散されては困るんですね

追伸
ボイスレコーダーを一部公開。しかもカット、編集、工作していました。
全て公開してに対し、事故調……
(プライバシーの問題がある為出来ない〕だそうです。
それゃそうですよ、横田や羽田、福生、その他、着陸されたらバレるし大変なことになってしまう訳でボイスレコーダーなんか全て公開できません。

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

佐宗さんはこれしゃべっちゃったからお茶に毒入れられて暗殺されちゃった

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

墜落した場所をわざとニュースで何ヵ所か言っていたな。
メディアやボランティアなど近づかせない為に
。私も小学生でしたが、
何故、墜落した場所をメディアを使い何ヵ所も報道するのかおかしいと思っていた。
それから日本国内で墜落したら山であろうと谷であろうとすぐに分かるように、ボーイングには遠隔操作出来る装置があるから場所は100パーセント分かるはずだ。

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

たびたび… 墜落前に自衛隊のファントム二機が追尾しているのを目撃されている。 それゃそうですよ、突き刺さっているかも知れない尾翼のまんまどこかに着陸されたらバレますからね

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

拾っていた物は、ファイヤービー「標的機」の破片だろう!
当初いた隊員達は、破片収集担当だったのだろう。

生きている人の呻き声が響いていたとは・・・。
しかし、この証言は本当なのか??・・・
本当ならば現場を知る貴重な証言だ。


返信①:アレだけ広範囲に飛散した破片の中からその破片だけ選別し回収するのは不可能。

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

この事故の時私21歳でした、その時に私の友達が自衛隊に入っていました。 今から3年前にその友達から、 聞きました事故現場に行った時の事を、外部に洩らしちゃいけないという任務だったそうです、 もう30年も経つから話しても良いかなって、他の人にはまだ話した事無いけど、 私に初めて話すと言いました。山に登るときに、 「極秘任務だ、 他の誰よりも早くに、危険物の残骸を探しだし見つからないように、持ち帰れと

私は「えっ!?生存者確認救助じゃないの?」って・・・
友達は、「危険物残骸探し、他者に見つからない様に回収のみの、命令だった」そうです。 その時は、気楽に聞き流していましたけど、 最近、青山 透子さんの本を読んで、友達の話を聞いて。信じざるおえないのかなっと・・・。 こんな事が、 あるのか~!?私は本とネットだけなら信じないけど、友達の話を聞いていたから。 友達は嘘をつくような人では無い事は分かってるから。

返信①:すさまじい証言だと思うよ。どうしてこういうことがネット上にあげられているのに、国をあげての大問題にならないのか、それが怖い。
もし、これについて声を上げたら、私も「誤射」された自衛隊員のように殺されてしまうんでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

※動画中の「M氏の証言」についてのコメントをピックアップしてみました

興味深いけど、色々辻褄が合わないんですよね。 日の出前後から報道各社ヘリが上空から絶え間なく撮影し、各登山道から救助隊や報道陣が多数入山してるけど、だれもM氏グループも謎の部隊も後続の部隊も目撃してないし、ヘリからの映像や写真にも写っていないという。

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

「創作の可能性が高い」というより100%作り話でしょ(爆)。

「上空で旋回する飛行機の中心が現場」
夜間森林に囲まれた山岳地で音だけを頼りに位置を推定する技術は聞いたことありませんし、山々でこだまして飛行機の方角さえ捉えるのも不可能でしょう。土台、GPS付きのスマホさえない時代、夜間山深い山岳地の捜索は二次遭難の危険が高く剛力やマタギでさえやらないのは常識です。

というか、長野側の南相木村から群馬の御巣鷹山に直線で進める道は現在もありません。もちろん林道や獣道さえ無く40度を超える勾配が続き無装備で走破するのは不可能です。 M氏はスタートの状況設定を間違いましたね

一例として私ならば、夏休みで山好きな知人と山深い群馬山岳地を数日かけて縦走しておりました。すると頭上をもの凄い轟音を響かせながら飛行機が尾根ぎりぎりを飛行しており度肝を抜かしました。その僅か数秒後向かいの尾根付近で轟音とともに炎が立ち上がりその瞬間、墜落を目撃したのです。・・・ こんな風に展開すれば真実みが増しただろうに、
所詮素人の作り話はこの辺の事実認定が軽薄で残念ですな(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

こちらのコメント↑は「5年前」で「編集済み」とありました。

この嘘に騙される奴が居るのかい笑、多分M氏は長野県民でもないね、グーグルアースか何かで見たんだろうけどあの当時とは随分周辺が違うからね~笑、山を舐めすぎる発言は止めましょう!因みに墜落当日俺は川上村の山中でキャンプしていたけど事故を知ったのは翌日です

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

Mさんの話しは山を知らないかたの作り話です。 オフロードバイクでどこまで走った?プロでも難しい。 次に獣道も無い山。しかも夜間に7から8キロ歩いた! あのね、夜間の山、急な斜面 道なき山、1時間にせいぜい500m.険しいところでは1時間に200m。 実際に山岳レンジャーが不眠不休で歩いても3キロ前後。 夏山を歩ける装備をしてです。 水は?飲み水も持たず一般人が夜間の山を歩いた! 作り話です

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

他の方のコメントがあるように長野県側から直線で現場に向かうことは現在でも不可能ですが、まぁ仮にワープでもしたことにして現場に到着できたことにしましょう。M氏の話す墜落現場は747が最も激しく激突し満タンの燃料による火災でほとんどが焼土の状態で原型をとどめた遺体は一体さえもなかった場所です。翌日生存者が発見されたのは機体が手前の尾根に接触し切断された後部が滑り落ち、墜落現場とは数百m離れたスゲノ沢だったことです。群馬県上野村から徒歩で現場に向かった消防団が明るくなってから偶然生存者を発見できたもので上空から捜索していた自衛隊は気づいていなかった場所でした。ここでは一切の火災も発生せず事故後しばらくの時間生存者が多数いたことが推測されました。 M氏の証言では生存は絶対不可能な墜落現場のみの状況報告であり、深夜の真っ暗闇ではスゲノ沢はわからなかったでしょうが、生存者がいたであろうこの大事なポイントが証言に無かったことが作り話を証明してしまいましたね。

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

墜落事故現場の周辺の山は、国有地 よって、私有地での個人所有での山岳地 ではないので・・・  しかも・・・墜落事故現場周辺では 野生の鳥獣の中でも、大型のツキノワグマ などが生息での地  そんな所に、子供が山に入りよく遊んで いた?  低信ぴょう性となるのでは。

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

M氏が5時頃自衛隊部隊が続々到着したって言ってますが5時くらいからTV局とかがヘリで現場に来始めてるんですが、もう明るいのに自衛隊が大勢現場にいたらバレバレじゃないですかね?
M氏の証言は信憑性がないと思います。

04時00分前後 M氏が墜落現場に入る。自衛隊が70〜100人いたと証言。
04時30分 事故機に搭載の放射性物質(ラジオアイソトープ)が救援活動に支障なしの判断。自衛隊待機司令解除。 航空自衛隊 救難隊 KV-107 墜落現場再確認(正確な墜落現場が確認)
05時00分前後 M氏証言自衛隊の次の部隊が続々到着。最初の部隊は引き上げる体制。 M氏下山を開始。
05時10分 陸自ヘリコプター(HU-1B)上空より墜落現場確認
05時30分~ フジテレビ/TBSヘリ 現場放送開始
05時33分~ 航空自衛隊 KV-107ヘリコプター 上空より墜落現場確認
05時37分~長野県警察ヘリコプター 上空より墜落現場確認
05時48分~ NHKヘリ現場放送開始
06時10分~ 日本テレビヘリ現場放送開始
06時15分~ テレビ朝日ヘリ現場放送開始
06時30分頃~ ●航空自衛隊メディック 入間基地を離陸し遭難現場上空に到着。救難員降下準備報告後「間もなく、第1空挺団のレンジャー部隊がリペリング降下を実施する。現場にいる航空機は直ちに退去せよ。」の報を受ける
08時30分~ 長野県警察ヘリコプター 墜落現場に機動隊員2名ラペリング降下 09時00分 陸上自衛隊ヘリコプター 墜落現場に空挺団員降下/陸路で捜索隊到着
10時25分頃 警視庁ヘリ「おおとり」より群馬県警レンジャー第一陣3名降下開始
10時25分頃 深井教授ら4名スゲノ沢に到着【自衛隊がヘリで何かを釣り上げていた】
10時30分頃 上野村消防団スゲノ沢に到着 10時34分頃 陸自バートルより群馬県警レンジャー第二陣8名(十数名説もある)降下 10時40分頃 深井教授ら下山開始
10時40分頃 長野県警レンジャー2名スゲノ沢到着
10時40~50 分生存者発見
10時50分頃 陸自12偵察隊2名スゲノ沢到着

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

動画作成者さん:M氏は少なくとも ●2009年6月 当ブログ管理者((新)日本の黒い霧)が講師を務めた小グループのセミナー ●2009年10月10日(土)「JAL123便墜落事故-真相を追う- セミナー」 ●2010年5月16日(日)東京都江戸東京博物館:1Fホール「 御巣鷹山事変と日本の失われた25年 」 に出て一般大衆の前で3回も証言していらっしゃいます

返信①:そうですねM氏の証言、事故後は職場で外国勤務に移動させられてましたよね!

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

信憑性無いよな。 林道に入ったのが23時頃として朝4時迄 5時間も真っ暗な山道を進んでいく事 自体、信じがたい。 当時の御巣鷹には登山道はなかったと きいてるし

返信①:故現場の御巣鷹の尾根付近は戦前に植林地となっていて、トロッコ列車の軌道の廃道があり、そこを歩けばなんなく事故現場付近まで行けました、ただし地図上にはのっていなくてその道は地元の方しか知らなかったみたいです。あとこれは群馬県側の話で、
M氏のような長野県側から行くとなるとこの道は使えませんけどね

https://www.youtube.com/watch?v=0hysxfKOHbY

※動画のM氏についての自分の考察

動画の中のテレビ局はどこなのかわからないが、テレビ局はすべてアメリカCIAの配下にありますね。アメリカCIAの配下にないテレビ局は存在しない。M氏ももしかすると青山透子と同じ役割の人物なのだろうか? 
私はJAL123便墜落事故(←何度も書くが事故ではなく計画的な事件です!)はアメリカと日本との連携プレイだと考えている。これも何度も書いている事だが。国が謀略で国民を殺害した事実を隠蔽していることは間違いないと考えている。その隠蔽のためにテレビ局も活躍する。JAL123便墜落事故でのマスコミの活躍は安倍晋三元首相銃撃事件と似た構図だ。この事件も神戸連続児童殺傷事件と同じく実質的に大劇場型凶悪殺人事件なので、青山透子という実在しない(※と私は考えている)人物を作り上げ、M氏というのは事故後に最初に登場した青山透子と同じ役目、証言者という立場が設定された実在する(のかよくわからないが)人物ということではないのだろうか?

次に2本目の動画をご紹介いたします。

※引用されていた記事に入っていた動画です(森永卓郎さんが語っている動画)

【森永卓郎】日航機墜落※事実を隠蔽した可能性が高い!自衛隊機が2機追尾していた!謎のオレンジ色の物体~画像解析で判明!ダイバー発見の垂直尾翼!中曽根首相と防衛費GNP1%問題~123便墜落の真相に迫る - YouTube

※こちらの動画↑を拝聴して自分が思ったこと

森永卓郎さんも青山透子が実在すると信じているのだろうか?
青山透子のホームページにも森永卓郎さんと接触があったことが書かれていたような記憶があります。森永卓郎さんが接触した「青山透子」は青山透子を演じている女性なのではないだろうか?つまり、森永卓郎さんも騙されているのではないだろうか? 神戸連続児童殺傷事件でほとんどの一般庶民が全員騙されていた(と考えています。)のと同じように。


※⑥飛行機墜落の恐怖に耐えながらも家族に宛てた手紙を書いていた方がいました

次の記事は、飛行機が落ちていこうとしているさなかに、恐怖に耐えながらも家族に宛てた手紙を書いていた方の直筆の書の画像が入っている記事です。  
     ↓ ↓ ↓
日本航空123便墜落事故とオスプレイと脱原発 | 私にとって人間的なもので無縁なものはない (ameblo.jp)

こちらの記事↑には、飛行機が落ちていこうとしているさなかに、恐怖に耐えながらも家族に宛てた手紙を書いていた方の直筆の書の画像が入っています。その画像を拝借いたします。
こちらの記事↑には、その手紙をもとに文字起こしされた箇所も入っています。

https://ameblo.jp/m08068469/entry-11328508540.htmlより拝借


※⑦生存していたはずの男の子はなぜ生きて戻らなかったのか?!!!

次の記事は、JAL123便墜落事故で生存中にもかかわらず、恐らく黒幕側によって殺害されてしまったであろう人たちのうちの1人である男の子の画像が入っている記事です。
 ↓ ↓ ↓
日航機墜落事故の謎 - 消えた男の子③ - 消前烈火 (fc2.com)

http://midomidotacnet.blog.fc2.com/blog-entry-540.htmlより拝借

こちら↑の画像からもお分かりのようにこの男児はこの時点では生きていましたが、生きて戻ることはできませんでした。


※⑧大量の自衛隊員の自殺の謎と、見つかっていない日航123便の垂直尾翼70%分の謎を解く写真ここにあり!!!

次は自衛隊員が自殺と見せかけて殺害される前に、他人に重要な写真(引用記事ではaとbと表記されていますね。)を預けていた謎と、その写真についての謎やその他の謎について書かれた記事がこちらです。
        ↓ ↓ ↓
【123便の謎】自殺自衛官が残した2枚の写真には…!! | 優しい世界・還暦中2病野郎(サバイバル中) (ameblo.jp)

一部引用させていただきます。

自衛隊員の自殺数は1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。
(一省庁のなかで1年間で90人これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった。)


最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった。

そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる)

そのうちの一人(9月12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、
一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。

この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。
だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。
それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)


そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真。
暗い倉庫でフラッシュ無しで撮影されたよう。
これはなんなのか?
自殺した航空自衛隊員が、なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?

日航123便の垂直尾翼はその70パーセントが見つかっていない。

写真(b)の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、「オレンジ色」は一切使われていないという。


折れ曲がりボロボロだが、これは失われた「70パーセント部分」ではないだろうか!?

自衛隊は二種類の鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機を所有している。
-----------------------------------------------
<ボクのコメント>

いやー、驚いた。
っていうか、この2枚の写真を、「世界の真実の姿を求めて!」の管理人さんが、どうやって入手されたかの経路がよくわかんないんで、微妙ではありますが、(b)の垂直尾翼と思われる写真には、はっきりと「鶴丸印」が見えますよね。

実は、このストーリーを補足すると、事故当日、相模湾には、自衛隊に引き渡す前の護衛艦「まつゆき」が試験運行をしており、このとき、「まつゆき」は123便の垂直尾翼の一部を回収してるんです。

参照:Wikipedia護衛艦まつゆき

で、一般によく出回ってる説が、

A)まつゆきが「ファイヤー・ビー」を発射し、まつゆき自身が「チャカ2」でそれを撃墜しようとした際に、123便を巻き込んだ。

B)まつゆきが「ファイヤー・ビー」を発射し、他の自衛隊機がそれを撃墜しようとした際に、123便を巻き込んだ。

C)まつゆきが「ファイヤー・ビー」を発射して、それが123便の尾翼を破壊した。

などとなっています。
その他にも、以下、作家の安部譲二氏(元JALのCA)のインタビューが興味深いのですが、時間のある方は読んでみてください。たしかにおかしなことだらけです。
http://www.asyura.com/0601/bd45/msg/454.html

今回は、ソースが微妙なんですが、他の説や証言などと微妙に符号しているので、載せてみました。

世間では、プラザ合意を一ヶ月後に控えた、アメリカによる恫喝の意味をこめた撃墜説から、UFO説まで、いろいろと言われているのですが、自衛隊員の自殺者の話とからめると、この説もなかなか信憑性がある。

でも、そもそも、何年もたってから公開されたボイスレコーダーが「編集後」だったりとか、あらためて123関連を読むと、「闇」がすごいですよね。

というわけで、なんかブルーな月曜でした('-^*)/

https://ameblo.jp/khirose1944/entry-11908432507.html


<当時最新鋭だった護衛艦まつゆき>
https://ameblo.jp/khirose1944/entry-11908432507.htmlより拝借


こちらの記事↑には自殺(※自殺に見せかけての殺害ではないでしょうか?)している状態の自衛隊員の姿が撮られたと思しき写真の画像(a)が入っています。また、見つかっていないとされている日航123便の垂直尾翼の70パーセント部分と思しき写真の画像(b)も入っています。
迷いましたが、アメブロのその記事もいつ削除されるか分からないと思ったので本記事にも拝借させていただくことを決断しましたので拝借いたします。この画像は本来閲覧注意となるものかもしれませんが。

https://ameblo.jp/khirose1944/entry-11908432507.html


※⑨佐宗邦皇(さそう くにお)さんは講演で真相を語ろうとして暗殺されたに違いないと思います!

次はJAL123便墜落事故の真相について講演で語っている途中にペットボトルのお茶を飲んで倒れて救急搬送されてそのままお亡くなりになってしまった佐宗邦皇(さそう くにお)さんについて書かれた記事です。
      ↓ ↓ ↓
「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表 | スカイハイツ三山木(同志社大学京田辺校地) (okina99.blogspot.com)

こちらの記事↑によりますと、入っている動画(2分7秒から)の佐宗邦皇(さそう くにお)さんの発言とのことです。
佐宗邦皇さんは真相を一般庶民に知られるとまずいと判断した黒幕側によって、口封じのため毒入りのペットボトルのお茶を渡され、それを飲んでしまったために殺害されたのですね。


※⑩日航機123便に搭乗して死亡した著名人、搭乗する予定だった著名人について

日本航空123便墜落事故 - Wikipedia
一部引用させていただきます。

乗客
事故が発生した日は月曜日の「お盆の入り」の前日で、夕方の混雑時間帯の便であったためビジネス客や帰省客が多かった。また、夏休み中ということもあり、当時開催されていたつくば科学万博や東京ディズニーランドの観光客なども多く、ほぼ満席の状態だった。休暇中の全日空社員数名も自社便が利用できず、当便に搭乗していた


死亡した著名人
坂本九(歌手) - NHK-FMで『歌謡スペシャル 秋一番!坂本九』[注釈 54]の収録後、友人の元マネージャーの選挙応援として、翌日の事務所開きに出席するため大阪に向かう途中。なお、当日は午前中にテレビ新広島制作のクイズ番組「クイズクロス5」の収録を終えた後に高速道路を利用して大阪入りする予定だった[148][注釈 55][注釈 56]。

北原遥子(女優・元宝塚歌劇団雪組娘役) - 帰省先の横浜の実家から大阪の友人に会いに向かう途中[149]。

中埜肇(阪神電気鉄道[注釈 57]専務取締役鉄道事業本部長・阪神タイガース球団社長)、石田一雄(阪神電気鉄道常務取締役) - 以上2名は阪神電気鉄道久万社長の代理で、都内の運輸省(現・国土交通省)本庁舎で開催された日本民営鉄道協会の会議の帰途。当年、阪神タイガースの選手、監督、コーチが事故後「中埜社長のためにみんなで頑張ろう」と誓い合い優勝に繋がったと当時の選手が語っている。
なお、阪神タイガースの選手たちは前日に試合を行った福岡市(平和台球場)から次の試合会場である後楽園球場へ向かうため366便に搭乗して羽田空港まで移動していた。これ以降、日本プロ野球では試合会場へ移動する際に航空機利用を極力避けるようになったと言われる[注釈 58]。

石野喜一(神栄石野証券〈SMBC日興証券の前身会社のひとつ〉代表取締役社長)

浦上郁夫(ハウス食品工業〈現・ハウス食品グループ本社〉代表取締役社長) - グリコ・森永事件の終息を父であり先代社長でもある浦上靖介の墓前に報告するために大阪に向かう途中。この事故の影響で、ハウス食品はCMの放映を数日間自粛し、当年放映中だった世界名作劇場「小公女セーラ」も8月18日放映分はCMカットで対応した[要出典]。

塚原仲晃(医学博士・大阪大学基礎工学部教授) - 1986年から開始予定であった文部省(現・文部科学省)特定研究「脳の可塑性」の責任者として同研究に関する文部省との打ち合わせの帰途。

辻昌憲(元自転車競技選手、1964年東京オリンピック代表・シマノレーシング監督) - 都内の日本アマチュア自転車競技連盟での打ち合わせの帰途

竹下元章(元広島カープ捕手、指月電機製作所社員) - 群馬県代表となった東京農大二高野球部在籍の息子を応援のために甲子園球場へ向かう途中。群馬県在住者では唯一の搭乗者だった。

緋本こりん(同人漫画家、本名生駒隆子) - 11日に都内で開催されていたコミックマーケット28におけるアニメ雑誌『ファンロード』関連のイベントに参加してからの帰途[150]。なお、当便にはイベント参加者も数人搭乗し犠牲となっている。

藤島克彦(コピーライター、当時電通大阪支社に勤務) - 東京出張からの帰途。

山本幸男(ミサワホーム専務取締役) - 大阪での会議に向かう途中。

和田浩太郎(美容研究家、ミス日本審査員、和田静郎の長男)- 友人である稲川淳二が出演するテレビ番組「稲川淳二のためになる話」の収録を手伝った後、私用で大阪に向かう途中


搭乗予定であった著名人
別の航空機に搭乗
明石家さんま(お笑いタレント) - 夜の「MBSヤングタウン」(MBSラジオ)に出演するために搭乗予定だったが、「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)の番組収録が早めに終わり、一便早い全日空便に振り替えた[151]。後述の通り 当日のMBSヤングタウンではさんまは言葉を失うほどのショックを受け音楽を交えながらニュースを伝えた。この事故を機にさんまは東京・大阪間の移動は東海道新幹線を利用するようになった。なお、本人は「危機一髪で奇跡的に無傷で自宅のある東京に帰ってこれた」と語っている。

麻実れい(女優、元宝塚歌劇団員) - 当便に搭乗する予定であったが、仕事が予定より早く終わり、一便早い飛行機に振り替えた[152]。

当時の笑点メンバー(五代目三遊亭圓楽、桂歌丸、林家木久扇(当時、初代木久蔵)、林家こん平、三遊亭小遊三、六代目三遊亭円楽(当時、楽太郎)、7代目桂才賀(当時、古今亭朝次)、山田隆夫)- 13日の徳島での阿波踊りに参加するために予約した徳島便が遅延。更に徳島空港悪天候のため予約便が条件付き運行となった。そこで、当便に搭乗して神戸から船で徳島入りする案が出たが[注釈 59]、こん平が「いいじゃないかい、決まった便でゆったり行こうよ、きっと徳島空港に着陸できるよ」と提案し徳島便に搭乗した。しかし、同行予定だった広告代理店の数名は当便に搭乗し犠牲となった[153]。

ジャニー喜多川(芸能プロモーター・音楽プロデューサー・ジャニーズ事務所代表取締役) - 事故前日に大阪の新歌舞伎座で幕を開けた舞台「森の石松」主演の近藤真彦の応援のために搭乗予定だったが、ジャニーは初日に近藤が開く記者会見に来て欲しいと要請を受けたため前倒しで大阪入りした[154]。

大西満(釣り師) - 当日、前橋市の利根川で鮎釣りの講習会を行ったのち、主催した釣具店を出発する直前に当時大西がテスター契約を行っていたがまかつ製の釣竿の修理を依頼されたため、好意で修理を行った結果羽田空港に30分以上遅れて到着、満員かつ空席待ち2人前で締め切られたため123便への搭乗を断念し、後発の東亜国内航空207便に変更した事で難を逃れた[155]。
西川のりお(漫才師)- 帰阪するために搭乗する予定だったが、羽田空港に移動中のタクシーが渋滞に巻き込まれ到着するのが遅れ当然乗り遅れ別の便に搭乗して難を逃れた。

長江健次(タレント)

いしだあゆみ、浅野ゆう子(両者とも女優) - 帰郷するため搭乗する予定だったが、羽田空港に到着するのが遅れて別の便に搭乗して難を逃れた。

村尾晞峰(書道家) - 都内で行われた書道展の表彰式が予定より早く終わったために帰阪する際に一便早い別の日航便に搭乗し難を逃れた。


東海道新幹線で移動
逸見政孝(当時フジテレビアナウンサー)とその家族(晴恵・太郎・愛) - 大阪の実家に帰省するために搭乗予定だったが、妻・晴恵が飛行機嫌いであることに加え、長男・太郎が直前になって「新幹線のほうが安いから」と提案して変更した[151][156]。

稲川淳二(タレント) - 東京で健康番組「稲川淳二のためになる話」の収録を終えたあとに大阪入りするため搭乗予定だったが、体調不良のため大事を取って翌朝の東海道新幹線での移動に変更したため搭乗をキャンセルした[151]。前述の通り同番組を手伝った和田が当便に搭乗し犠牲となったため、稲川本人は「これが運命の分かれ目」と、DVD「稲川淳二の怪異夜話」の第7話(日航123便)にて述懐している。

勝谷誠彦(コラムニスト) - 搭乗予定だったが、友人に会いに京都市へ向かうために東海道新幹線で移動することにした[157]。

神田敏晶(ITジャーナリスト) - 帰郷するため当便を含めた航空機が満席だったため搭乗を断念し東海道新幹線に変更したことで難を逃れた。


搭乗をキャンセル
久万俊二郎(阪神電気鉄道社長・阪神タイガースオーナー) - 前述の日本民営鉄道協会の会議に出席し終了後に当便で帰阪する予定だったが、私用で出席できなくなったことにより、中埜・石田の両名が代理で出席した。

佐々木正(電子工学技術者、シャープ副社長) - 大阪の実家に帰省するために搭乗予定だったが、フィリップス本社の社長との会食の予定が入り搭乗をキャンセルした[156]。

少年隊(ジャニーズ事務所所属ユニット)のメンバー(錦織一清、植草克秀、東山紀之) - 前述のジャニー喜多川と搭乗予定であったが、キャンセルし東京に残った[154]。

木戸克彦(阪神タイガース)夫人も123便に搭乗予定だったが直前にキャンセルした。

舛添要一(東京大学教養学部政治学助教授) - 123便の搭乗券を持っていたが、最終的に乗らなかった。

小島良喜(ピアニスト)

深田恭子(当時2歳) - 家族と搭乗予定であったが、移動手段として使っていた東京モノレールが遅延していた為搭乗しなかった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

※⑩の1.坂本九について

日航機123便に搭乗してお亡くなりになってしまった坂本九についてはネットで以下の情報を見つけました。↓↓↓

坂本九氏の遭難 - 日本航空123便墜落事故で亡くなった坂本九氏ですが、A:... - Yahoo!知恵袋

坂本九…飛行機事故の真相とその後 | GOSSIP-HISTORY


※⑩の2.国産OS「トロン」の開発技術者17名の方について

国産OS「トロン」の技術者の方も多数搭乗されていて、その全員がお亡くなりになったと書かれていた記事がありました。↓↓↓

WindowsのライバルOS技術者が、日航機墜落事故で亡くなった | スピリチュアル教室 (murasakino.net)

一部引用させていただきます。

あの飛行機の中に、Windowsのライバルというよりもうんと進んだOSだった、松下TRON(トロン)の開発技術者17名が乗っていて全員が亡くなったのです。
しのぶさんの邪魔になる人は大統領でも学者でも芸能人でも、そら都合良くコロコロ死にます。
しのぶさんって誰?という人は、こちらの記事の最後をお読みください。
中心開発学者の坂村健さんは存命ですが、1989年にはアメリカからの圧力がかかり、パソコンOSとしてのTRONはつぶれてしまいました。
でもTRONはそれで終ったのではなくパソコンOS以外では人工衛星、ロボット、自動車、家電製品などで世界シェアを60%と広げています。
というのも基本的にタダだから、誰にでも使いやすいのです。

マイクロソフトの商売の仕方がホトホト嫌なので、今からでもTRONのパソコンを作ってくれたらと思いますが1989年の合意や規制が今も続いているのかもしれません。

日航機にはTRONの開発技術者以外にも、いくつかの重要な物や人物が乗っていて、そのひとつが核弾頭で、そちらが第一目的で撃ち落とされたのだという話なんかもあります。

https://school.murasakino.net/2020/05/16/jalplane/


※⑪墜落現場でのマスコミの行った問題行動について

ウィキペディアで書かれていたことです。

日本航空123便墜落事故 - Wikipedia

報道機関の問題行動
多くの取材陣が事故現場や遺体検視所、生存者が収容された病院、遺族宅などに殺到し、様々な問題行動を起こした


墜落現場での取材活動
御巣鷹の尾根での取材活動の際、現場の中に入り込んで動き回ったため、飛散していた乗客の遺体を足で踏みつけていたり[75]生存者を包んでいた毛布を剥ぎ取って写真を撮影した報道陣がいた[189]


遭難記者の続出
河村一男によると、8月13日18時10分、全国紙の前橋支局長が「昨夜から山に入った支局員が帰ってこない。捜索してもらえないか」と地上捜索を依頼してきたり、長戸沢の奥の尾根に迷い込んだ地方テレビ局や写真週刊誌などの記者数名が、軽装登山の挙げ句「動けなくなったのでヘリで助けて欲しい」と救助を依頼、不足しているヘリを割いて長野県警が救助にあたったという[190]


事故調査委員会現地拠点での深夜取材
事故調査委員会は上野村役場隣の保健センター3階を拠点としていたが、立ち入り禁止にしているにもかかわらず、報道陣は連日深夜まで3階の拠点に殺到し調査官の睡眠を妨害することとなった[191]


遺体検視所の覗き見
一部の記者は藤岡市市民体育館の窓枠を登ったり、近くのNTTの鉄塔から望遠レンズで中を盗み撮りしようとしたため、体育館の暗幕を閉めざるを得なかったという。よって体育館内の温度は40度にもなり、検視活動がより過酷なものとなった[192]


病院への不法侵入
入院治療している生存者に接触を図るため生存者の友人や親戚と偽ったり、白衣を着て医師を装うなど、記者が身分を偽って病室への侵入
を試みる事案が後を絶たなかったという。更にはICUの向かいの病院新棟建設現場の足場を4階までよじ登った者や、病室から手術室へ移動する際に無理矢理写真を撮ろうとする者も居た[193]


遺族宅への不法侵入
父母と妹が事故機に搭乗し中学生の息子が留守を預かる遺族宅の取材で、記者達は母と妹の遺体が収められた棺と共に勝手に家の中に上がり込み、記者の中には遺族の了承もなく棺の顔の扉を開けて遺体の写真を撮ろうとした者さえ居た[194]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85


日本の黒い霧さんのブログにも書かれていた記事がありました。↓↓↓

日航機123便で救出された14歳の川上慶子さんは自衛隊にロープで吊り上げられる直前にマスコミに毛布を剥ぎ取られたためにパンツ丸見えになってしまった。 (daiwaryu1121.com)

公開日: 2020/08/13 : 最終更新日:2020/08/15

日航機123便で救出された14歳の少女、川上慶子さんは自衛隊の作間2曹に吊り上げられる直前にマスコミに毛布を剥ぎ取られていたと当時自衛隊で救出にあたっていた岡部俊哉元陸上幕僚長が語っています。

当時14歳だった川上慶子さん。

彼女を収容したのが、私の相棒だった作間2曹でした。

1人目と同じように、毛布で包んで準備をしていると“事件”が起きました。

救出される生存者の姿を撮影したかったのでしょうが、なんと、いつの間にか周りにいた報道陣から手が伸びてきて、毛布を剥ぎ取ったんです。

「何をするんだ!」と怒りましたが、
もうヘリは真上にいてワイヤが下りてきている。

仕方なく、作間2曹は毛布無しで川上さんを抱えて吊り上げられました。


https://news.nifty.com/article/domestic/society/12280-757404/

(デイリー新潮)


川上慶子さんは毛布を剥ぎ取られたために、スカートからパンツが丸見えの状態で吊り上げられてしまいました。

今でもユーチューブにその時に映像が残っています。。

ユーチューブのコメント欄にはパンツ見えないようにしてあげればいいのにという書き込みがたくさんありました。。

毛布を剥ぎ取ったマスコミはそのパンツ丸見えの川上さんの姿をカラーで掲載していたのです。

他のテレビもその映像を大々的に使ったので川上さんのパンツ丸見えの姿が全国に晒されてしまうことに
なりました。。

マスコミがいかに酷いかが岡部元幕僚長の証言でもわかりますね。

https://daiwaryu1121.com/post-38167/
<当時14歳だった川上慶子さん。>
https://daiwaryu1121.com/post-38167/より拝借



再び日本の黒い霧さんのブログからです。↓↓↓

日航機123便はなぜ墜落場所特定までに16時間もかかったのか?なぜ墜落場所の高天原山の名前が御巣鷹の尾根に改変されたのか?の真相を考察

日航機123便はなぜ墜落場所特定までに16時間もかかったのか?なぜ墜落場所の高天原山の名前が御巣鷹の尾根に改変されたのか?の真相を考察。 (daiwaryu1121.com)

一部引用させていただきます。
公開日: 2020/08/14 : 最終更新日:2020/09/01

日航機123便はなぜ墜落場所特定までに16時間もかかったのか?

これはNHKスペシャルの特集でやっていましたが、実は日航123便の墜落場所は近所の主婦の人が目撃していて正確に長野県警に電話して伝えていたのです。

墜落してすぐに主婦の人は日航機が長野県と群馬県の境にある高天原山に落ちたと伝えています。

しかしなぜかこの正確な市民の通報は長野県警により隠蔽されます。

この時点ですぐに高天原山に捜索にいけば多くの人が助かった可能性が高いです。


もう一つおかしいのが、この日航機123便が墜落した山は地元住民の間でも高天原山と呼ばれていました。

主婦の人も警察署に高天原山と通報しています。

しかし上野村の村長黒沢丈夫さんや警察署、政府、マスメディアは高天原山とは言わずに御巣鷹の尾根と発表します。

これを聞いた地元の人たちはなぜ高天原山と言わずに御巣鷹の尾根という聞いたことのない名前で言うのだろうと思っていたそうです。

地図を見てもここは高天原山であり御巣鷹の尾根ではないんですよね。

高天原山を御巣鷹の尾根に改変した上野村村長の黒沢丈夫さんは元帝国海軍の少佐です。

帝国海軍は戦前からすでにCIA、アメリカに取り込まれていた組織です。

https://daiwaryu1121.com/post-19214/

高天原山を御巣鷹の尾根に変えろという圧力がCIA側から黒沢丈夫さんにあったと思われます。


「真相考察」

最初の墜落場所を正確に特定した主婦の通報が揉み消されたのは、CIAから長野県警に揉み消すように指令があったからだと思います。

イルミナティ→CIA日本支局→警察庁→長野県警という流れだと思います。

CIAとしてはすぐに捜索に行かれるとまずい事情があったのだと思います。


高天原山という名前が伏せられたのは高天原山とイルミナティの繋がりがあったと思います。

高天原山の高天原とは日本の神話における神様たちの住む場所、天界のことなのです。

高天原=イルミナティ、ロスチャイルド家だと言われています。

神社本庁はイルミナティの下部組織です。

天界から天皇のもとに派遣された八咫烏がイルミナティ、ロスチャイルド家のエージェントを表していると言われています。

アルファベットのAからZまでをAを1にして高天原山を数字に当てはめると合計の数字が123になります。

前回の記事で日航123便の墜落はCIA+イルミナティによるものだと書きました。
https://daiwaryu1121.com/post-16913/

イルミナティはこのように数字や記号でイルミナティの仕業ですよとばらすのが好きな組織なんですね。

墜落場所の高天原山からも日航機123便の墜落はイルミナティが黒幕であることがわかりますね。

高天原山の慰霊碑はイルミナティのプロビデンスの目の形になっています。

https://daiwaryu1121.com/post-38174/
https://daiwaryu1121.com/post-38174/より拝借


https://daiwaryu1121.com/post-38174/より拝借


<これはNHKスペシャルの特集でやっていましたが、実は日航123便の墜落場所は近所の主婦の人が目撃していて正確に長野県警に電話して伝えていたのです。 墜落してすぐに主婦の人は日航機が長野県と群馬県の境にある高天原山に落ちたと伝えています。
しかしなぜかこの正確な市民の通報は長野県警により隠蔽されます。
この時点ですぐに高天原山に捜索にいけば多くの人が助かった可能性が高いです。
もう一つおかしいのが、この日航機123便が墜落した山は地元住民の間でも
高天原山と呼ばれていました。 主婦の人も警察署に高天原山と通報しています。
しかし上野村の村長黒沢丈夫さんや警察署、政府、マスメディアは高天原山とは言わずに
御巣鷹の尾根と発表します。 これを聞いた地元の人たちはなぜ高天原山と言わずに御巣鷹の尾根という聞いたことのない名前で言うのだろうと思っていたそうです。
地図を見てもここは高天原山であり御巣鷹の尾根ではないんですよね

https://daiwaryu1121.com/post-38174/より拝借



<高天原山を御巣鷹の尾根に改変した上野村村長の黒沢丈夫さんは元帝国海軍の少佐です。
帝国海軍は戦前からすでにCIA、アメリカに取り込まれていた組織です。
高天原山を御巣鷹の尾根に変えろという圧力がCIA側から黒沢丈夫さんにあったと思われます
https://daiwaryu1121.com/post-38174/より拝借



<高天原山という名前が伏せられたのは高天原山とイルミナティの繋がりがあったと思います。
高天原山の高天原とは日本の神話における神様たちの住む場所、天界のことなのです。
高天原=イルミナティ、ロスチャイルド家だと言われています。>
https://daiwaryu1121.com/post-38174/より拝借



<神社本庁はイルミナティの下部組織です。 天界から天皇のもとに派遣された八咫烏が
イルミナティ、ロスチャイルド家のエージェントを表していると言われています。 >
https://daiwaryu1121.com/post-38174/より拝借


<アルファベットのAからZまでをAを1にして高天原山を数字に当てはめると
合計の数字が123になります。>

https://daiwaryu1121.com/post-38174/より拝借



<墜落場所の高天原山からも日航機123便の墜落は
イルミナティが黒幕であることがわかりますね。
高天原山の慰霊碑はイルミナティのプロビデンスの目の形になっています。 >
https://daiwaryu1121.com/post-38174/より拝借

真上から見ると、目になりますね。


日航機123便について書いている青山透子というのは実在しない架空人物。青山透子という架空の存在を作りだし責任を自衛隊に押し付けた黒幕はアメリカCIA+イルミナティ。

日航機123便について書いている青山透子というのは実在しない架空人物。青山透子という架空の存在を作りだし責任を自衛隊に押し付けた黒幕はアメリカCIA+イルミナティ。 (daiwaryu1121.com)

公開日: 2020/08/12 : 最終更新日:2020/08/13

日航機123便について何冊か本を書いている青山透子という人物がいます。

「日航123便圧力隔壁説を覆す」「日航123便墜落の新事実。目撃証言から真相に迫る」「日航123便墜落の波紋」「日航123便墜落。疑惑の始まり」「日航123便墜落。遺物は真相を語る」「日航123便墜落。あの日の記憶。天空の星たちへ」などなど。

まるでライトノベルのシリーズ物のごとく同じような内容のものを書きまくっています。

いくつか読みましたが書かれている内容が酷いデマ、ウソばかりです。

また青山透子のプロフィールには元日本航空のスチュワーデス(キャビンアテンダント)で、その後東京大学大学院の博士課程を卒業後に大学の講師をやっていると書かれていますが、これらはすべてウソだということが判明しています。

日本航空には青山透子という人物は存在していませんでしたし、東京大学大学院にも青山透子は実在していませんでした。

青山透子は高校物理の基礎レベルもわかっていないレベルであり、東大のわけがありません。

まず青山透子の本の内容のどこがデマ、ウソかというと、

1つめは青山透子の本には米軍が救助に行ったのに日本政府が拒否したとなっていますが、これもウソです。

日本政府が拒否したのではなく米軍側が救助しないと結論づけただけです。

また日航機墜落は自衛隊のミサイルだと言ってますが、これもありえません。

まずミサイルだったら飛行機ごと爆破されます。

尾翼と圧力隔壁だけを爆破するなどできません。

青山透子は本の中で海上自衛隊が相模湾から88式地対艦ミサイルを撃ったと書いていますが、88式地対艦ミサイルは艦船を沈めるためのミサイルであり、航空機には届きません。

そんな当たり前の基礎的なことも青山透子はわかっていないのです。

また当時相模湾で訓練していた海上自衛隊の方がオレンジエアとかミサイルなどは100パーセントありえない!!と強く否定していました。

私も直接聞きましたが、ウソは言っていないと思いました。

海自の方は自衛隊がミサイルを撃ったと言われることにものすごい憤っていましたね。

そりゃあそうですよね。

また青山透子さんは事故で生き残った人たちを自衛隊が火炎放射器で焼いたということも書いてますがそれもありえません。

というかよくそんな失礼なことを書けるなと思いますね。

まず生き残った方の証言でもわかるように、自衛隊が来ていたらわかります。

自衛隊は落ちた場所の特定に時間がかかりなんとかたどり着いたのがあの時間だったのです。

青山透子という架空の実在しない3流デマライターに酷いウソ本を書かせている河出書房新社にもめちゃくちゃ腹が立ちますね!

この青山透子の存在というのは荒唐無稽なデマ、ウソを書きまくることで、CIAが爆破して墜落させたという本当の真実から目をそらせる、陰謀論として葬り去るというCIA、イルミナティの高度な手法だと思いましたね。

CIA、イルミナティが月刊ムーにやらせるやり方と同じ手法ですよ。

青山透子の本を出版している河出書房新社や月刊ムーを発行している小学館などの大手出版社やテレビ局などのマスメディア自体がそもそもCIA、イルミナティの下部組織です
からね。

青山透子の本に通底しているのは、米軍、アメリカ側が助けようとしたけど自衛隊や日本政府が拒否した、自衛隊がミサイルを撃った、自衛隊が生き残った人たちを火炎放射器で焼いたなど、アメリカ側を良く書いて、日本側を悪く書いています。

青山透子という架空の存在を作り出して、全ての責任を自衛隊、日本政府に押し付けて本当の真実を隠蔽しようとしたものこそが本当の黒幕であるアメリカCIA、イルミナティだと思います。


青山透子は遺族に対してもめちゃくちゃ失礼だし自衛隊の人たちにもめちゃくちゃ失礼ですね!

こんな騙しのウソ本を多数の読者に買わせているのもありえないです!

この青山透子は何重にも許せないですね!

グリコ・森永事件、日航機123便墜落事件の黒幕はアメリカCIA+イルミナティ。

https://daiwaryu1121.com/post-38126/



※別の人が書いた「JAL123便墜落事故の真相」や「青山透子というペンネーム」について考察した記事もご紹介いたします。↓↓↓

※①JAL123便の墜落墜落は”事故”ではなく”事件”と言う方が正しく、日本とアメリカとの連携プレーだったのではないのか?!!つまり太平洋戦争と同じでヤラセの事件ということ

そもそもなのですが…(④ JAL123便の謎 「上空から撒かれた白い粉」の正体は?!!) | ここから、今から (ameblo.jp)

一部引用させていただきます。

(前略)
まず、自分の妄想では、ネットで墜落現場の近くにあるとされている520体の石仏が本当にあることが前提となる。この前提がデマだと、自分の妄想が全く成立し得なくなる。自分は現地に行って実物を見たわけではないので、今から始める妄想は、520体の石仏が本当にあると仮定した上で始めることになる。

(自分の脳内妄想はここから)
1985年8月12日に起きたJAL123便の大事故は、”事故”ではなく”事件”と言う方が正しいのではないか。
日本側主導で、アメリカに協力してもらったというのが真相だと考えている。つまり連携プレー。

JAL123便の事故計画の元々の発案をしたのは日本のイルミナティである某大規模宗教団体(組織)のトップ、と思って書いていたが、書きながらさらに検索していく過程で分かったことがある。それは、この事故のシナリオはとても一人で全てを描けるものではなさそうだという事。この方一人では成し得ないことではないか。
他にも専門的な知識(科学的知識など)のある人間も中心的な役割を果たしていると思った。「誰が」とは特定できないが、日本に昔からある大規模宗教団体が大きく関わっているのは間違いないような気がする。この事故のシナリオを描いたのは日本側で、アメリカ側はそれに協力したのだと思う。その見返りがプラザ合意ではないかと思う。
この事故(事件)のシナリオは相当頭が良い人でないと描けないものだと思う。事故後、企みがバレないように、ありとあらゆる手段がとられている。どんな専門家にも解き明かされることのないように仕組んだ。こんなことができるのは、頭が良く、度胸もあり、緻密な思考の持ち主でないと無理だと思う。そして何より、この計画を何が何でも実行したい(しなければならない)という狂気とも言える強い願いがないとなかなかそこまでできるものではないと思う。その願いとは、520体の石仏に御霊を入れるということ。悪魔崇拝だ。悪魔崇拝さえできれば自分(たち)の欲望が未来永劫満たされるとでも思っているのかもしれない。自分としては悪魔崇拝など荒唐無稽な話だとは思っていたが、そうは思っていない人間つまりそれを実行している人間がこの世にはいるということを人様が書かれている記事を読むことで知った。

他の方が書かれた記事を読ませていただくと、この組織のトップの方は”天下を取りたい”という非常に強い執念に取り付かれていて、そのためにはどんな手段も厭わない人物という印象が自分の脳内にできた。
非常に頭が切れ、才能も豊かで、物事の要所をつかんで大きく動かしていく豪胆な気性もありながら、人の心の機微もよくわかっている人であり、また、いわゆるカリスマ性を備えた人物かつ敏腕・凄腕の実業家という人物像も自分の脳内にできた。

(中略)

また、別の方がこの組織のトップの方について書かれた記事を読むと、この方は見えないもの、つまり霊的な力(※自分からすれば悪魔的な力)を強く信じている方だと思った。そういう方であればこそ、520体の石仏に何としても御霊を入れたいと強く願うのはさもありなんかなと思った。

狂気とも言えるほどの強い野望を持っている人物が天下取りのため、最終的かつ最大の霊力を自分の見方につけるために、これをしなければならないと決めたら、絶対にそれを実行せずにはいられず、どんな手段であっても必ず成し遂げようと画策するものではないだろうか?ただあまりにも大事業であり、一個人では成し遂げられないことを知っているため、好機が訪れるのをひたすら待っていたのではないだろうか?やっと好機が訪れて実行されたのが、国を巻き込む形となったこの大事故だったのではないか?

すべて事がうまく運ぶように、失敗するリスクがないように仕組まれた。8月12日は夏休みの期間だし、帰省で乗り込む人が多いとした上での実行日設定だ。高濱機長という自衛隊出身の腕利きの操縦士を入れたのも計画のうちと思う。高濱機長は、JAL123便に核燃料?を積むからということで注意喚起をされていたかもしれない。そしてその事を誰にも言うなと口止めされていたかもしれない。しかし積荷のことは大義名分であり、高濱機長を任務に就かせた本当の理由は、機体がダメージを受けながらも、シナリオの目的地で墜落するまで、横田空域をあの高度で飛び続けさせるためだったのではないか?アメリカ側にはJAL123便を攻撃してもらう大義名分を与えるため、積荷のことを形式上リークさせたのではないか?アメリカも日本も上層部同士ではお互いに通じ合っていて、末端の隊員たちは上層部の命令に従うだけだ。しかし実際には、積荷は何の問題もないものを積ませていたのではないか?そのため、もし高濱機長が墜落後に生存していると話の辻褄が合わなくなり、企みがバレてしまうので、確実に殺害されることとなり、その結果木端微塵とされたのではないか?

JAL123便の搭乗者はこの計画では全員亡くなることが想定されていたことだろう。乗客としての搭乗者は最終的には搭乗するか止めるかは自己決定できるのだから、特定の人物は元々想定されていなかったと思う。

JAL123便を計画通り墜落させて、全員死んでいると思っていたところ、生存者が7名もいたので、死亡者520名に調整するために、残虐なことをしでかしたのだと思う。

計画を邪魔させないために、命令に背いて救助に駈け出そうとした自衛隊員がいたので、撃って死亡させたのだと思う。


落合由美さんの証言で、ヘリが上空で近づいてきたが、気が付いてもらえず去っていったしまったと書かれている。(そこまでは今ネットで見ることのできる証言には書かれている。)しかし、だいぶ経ってからまたヘリが来てホバリングをし始めて、上空から白い粉のようなものが撒かれてきたと書かれていた箇所は、今ネットで読める証言には全く書かれていない。この書かれていないことこそが、国民に知られたくない事項の1つであることは明らかだ。不都合でないなら、その箇所も、今読める証言にも当然載っていないとおかしい。(自分が初めてネットで読んだ証言にはその箇所も載っていた。)その白い粉がどういうものかわからないが、それは決して犠牲者を助けるようなものではなく、その逆の作用をするものであると推測する。

JAL123便は、当日、最初から悪魔崇拝という恐ろしい目的を達成するために飛行させられていた。アメリカにはこの墜落に協力してもらったのではないか?その見返りがプラザ合意だったのではないか?自分は佐宗邦皇さんは暗殺されたと考えている。佐宗邦皇さんが暗殺されたのは、アメリカの悪口を言ったから(この考え方は、日本の黒い霧さんの記事を読んで身に付いた。)というのもあるのかもしれないが、それよりも、佐宗邦皇さんの発言をきっかけとして企みがバレることを怖れたからだと思う。お茶に毒を仕込んだ者も、この計画の首謀者側の人間ではないのか? つまり毒を仕込んだ者は、あの組織側にいる人間であると考えられる。これが人の世では犯罪であっても、自分(たち)が正しいことと思えば犯罪ではないと認識する組織の人間。

他の方の記事に、この組織のトップの方は中曾根康弘元首相のことを自分にひたすら従順であるという旨の発言をしたことが書かれていた。中曾根康弘元首相はこの計画を知っていたのだろうか?中曾根康弘元首相はこの方の意向にどうしても逆らえなかったので従ったのだろうか?あるいは大いに賛同したのだろうか?それとも最初からシナリオ作成の中枢にいたのだろうか???

ウィキペディアもイルミナティということがたしか日本の黒い霧さんの記事に書かれてあったような気がするが。。。(※違っていたらごめんなさい。)だから、ウィキペディアも100%信じることはできない。(100%ウソというより、ウソと真実を混ぜて書かれている位に考えておけばいいか。)ウィキペディアに書かれているJAL123便の事故については、本当に都合の悪いことは載せていないのではないか? 何度も書いているが「上空から撒かれてきた白い粉」についてはウィキペディアには全く出てこない(と思っている。実はウィキペディアも丁寧に読んでいる訳ではない。)。一見都合が悪そうに見えることでもそう見えるだけであり、差し障りのないようなものに限って載せているということも考えられる。

協力してもらったアメリカを悪者にする訳にはいかない。だから、世間には日本側が100%悪いと思われるように仕組んだ。仕組んだが、そこに520体の石仏の話は出てこない。その話が一番知られたくないからだ。
520体の石仏に御霊を入れること、すなわち、520人を殺害する計画が最初からあったとは絶対に表沙汰にはできないからだ。だから青山透子が書いた本にも出てきていないですよね?自分は全く読んでいないので断定できないのがもどかしいが。

青山透子のペンネームで書いている人は、間違いなくそのペンネームで書いていると思う。もちろん周囲には頼れる知的指導者がいるのだろう。ペンネームとしての青山透子は人としてちゃんと存在している。ややこしいことだが、存在しているのだけれど、それは架空の人物設定がなされた人物を演じる人として存在しているのではないか?実在する人間なので、外で記者と会うこともできる訳だ。(※青山透子さんのブログ記事をご参照ください。)青山透子については、日本の黒い霧さんの記事が非常に参考になると思う。

イルミナティどうしは、時に協力し合うということだ。

この事故(事件)で多くの方が亡くなってしまわれた。搭乗者だけでなく、救助に向かおうとした自衛隊員、事故後に口封じのため自殺と見せかけて暗殺された多くの自衛隊員、真実を語ろうとして暗殺された佐宗邦皇さん、その他に、JALの社員も自殺や事故で亡くなっている(電話クレーム対応の社員、御巣鷹山でお手伝いをしていて滑落して死亡してしまった社員など)。

他者を傷つけ、人の命も顧みず、ただひたすら自分(たち)の野望を成し遂げるために手段を選ばないという恐ろしい組織がこの日本には存在している。これを信じて切ってしまっている人が多くいる。

何より恐ろしいのは、自分(たち)が画策して実行されたことが犯罪だとは認識していないことである
いや、犯罪だと認識しているからこそ、バレないように事件の外観をあれこれ複雑な仕様にして、わざと真相がわかりにくくしている(してもらっている)のだろう。。。

上記の妄想通りであるなら、まさに金融ユダヤの考え方そのものであり、李家の考え方でもあると言えるのではないか?  彼らはなぜそういう思考になるのか理解できない。それは民族的・歴史的なところまで考察しないと理解できないことかもしれない? ユダヤ人という民族の歴史というか。。。ユダヤ人は他の民族から迫害を受けて彷徨っていた時期があるよね? 生きていくためにはどうしてもそういう思考(犯罪(※人を騙すことも含め)と思われることでも自分たちが生きていくためにはどうしてもそうする必要があるという思考)でないと生きていけなかったということか? ある意味、可哀そうな人たちだ。。。

いや、これは通常の善良な人間には到底考えもつかないことだし、決してやろうとはしない事なので、やはり悪魔崇拝者だからこそできることであり、悪魔崇拝者しかできないことだ!

日本のありとあらゆる方面に網の目のごとく根を張り、悪事をしても裁かれない(バレない、バレさせない)ような体制となっている。

この組織からの洗脳を解くのは、国民の皇族崇拝という洗脳を解くよりも難題なのか?
オウムの信者と同じだ。オウムも壊滅したように見えても、まだ派生分子が残っていて活動している(のだろう)。それは洗脳が解かれていないからだろう。

悪魔崇拝が日本で行われているというのも、最初聞いたときは荒唐無稽にしか思えなかった。しかし、このJAL123便の事故の真相が上記に書いた妄想のとおりであるとするなら、あの事故は間違いなく悪魔崇拝が目的だったということになる。
(後略)

https://ameblo.jp/kokokara-imakara/entry-12726718953.html?frm=theme


※②「青山透子」というペンネームについての考察

この青山透子については、別の人の記事でも考察されている記述箇所があるので引用させていただきます。
↓ ↓ ↓
そもそもなのですが…(① JAL123便の謎 「上空から撒かれた白い粉」の正体は?!!) | ここから、今から (ameblo.jp)

こちらの記事↑から引用させていただきます。

日本の黒い霧さんの記事(日航機123便はなぜ墜落場所特定までに16時間もかかったのか?なぜ墜落場所の高天原山の名前が御巣鷹の尾根に改変されたのか?の真相を考察。 (daiwaryu1121.com) で、
高天原山を御巣鷹の尾根に改変した上野村村長の黒沢丈夫さんは元帝国海軍の少佐です。
帝国海軍は戦前からすでにCIA、アメリカに取り込まれていた組織です。
高天原山を御巣鷹の尾根に変えろという圧力がCIA側から黒沢丈夫さんにあったと思われます。」 と書かれてあります。

同じく「上野村村長の黒沢丈夫さん」につき、ヤフー知恵袋のベストアンサーで、青山透子というペンネームは「上野村村長の黒澤丈夫氏が、つけられた」ということが書かれています。

それぞれの記事で書かれている「上野村村長の黒沢丈夫さん(※日本の黒い霧さんの記事で、元帝国海軍の少佐とあります。)」を中心に考えると、青山透子というペンネームからは非常にアヤシげなニオイがしてくるのを禁じ得ない。なぜペンネームをそんな意味ありげな人につけてもらうのか?自分が使うペンネームは自分で考えるものではないだろうか?(ペンネームの由来も、ヤフー知恵袋のベストアンサーにあるように、そういうシンプルなものであれば、わざわざ人に頼む必要があるのかな?)その点だけで考えても、「青山透子」はやはり実在しない人物であると結論づけてしまいたくなる。また、蛇足となるが、もし仮に実在しないのであれば、経歴を東大大学院卒としたこともミソだと思えてくる。これは一般的な話だが、「東大」とつくだけで、世間の人はその人が繰り出す論理に抗えないような気になることが多くはないだろうか。そのため、青山透子が著すものをそのまま受け入れようとする素地が難なく出来上がることにも一役買うことになるのではないだろうか。それも踏まえた上での架空の人物設定を行っているとも考えられる。

しかし、ネット上には青山透子さんのブログが存在しており、実在しているからこそ書けるのではないかと思える記事があります。

実際は存在しないのに存在しているフリをし続けるというのは相当な精神力とともに色々な所でお金もかかっているものと思われます。そのお金は誰が出しているのだろうか?もしも存在しないのにフリをしている者がブログ記事を書いているとしたら、書くことが苦にならない人つまり筆力のあるライターにお金を払って書かせていることになると思います。お金があれば色んなことができるとも思う。よくわからないのが、もし仮に本当に青山透子さんが実在しないのであれば、なぜ世間には実在しているかのようにする必要があるのかということです。

(中略)

たしか月刊ムーは、かつて、オウムの麻原彰晃の「空中浮遊」や「土中断食」等の修行の様子等を掲載していた雑誌ですよね。(そういう点を鑑みると怪しさ満点という気がする。)

(中略)

青山透子さんは、活動のきっかけは同僚がLAL123の事故で亡くなったことらしいです。身内ではなく同僚の死亡がきっかけで、ここまで精力的に活動されているのに、なぜウィキペディアには本名が載らずペンネームで通し続けているのだろう?講演をしたり、記者とも顔合わせしている位なのだから公人と言ってもおかしくないのに、なぜ一般人はこの人の素顔を見ることができないのだろうか?

https://ameblo.jp/kokokara-imakara/entry-12725825910.html?frm=theme

「青山透子」の「青山」は青山家の青山ではないだろうか?と思っています。「青山家」についての関連情報を見つけたのでここに記録のため残しておくことにします。

※③「青山透子」のペンネーム考察から「青山家」や「九鬼家」についても考察が必要になってしまいました

「九鬼文書」と綾部・九鬼・大隅守の因縁の謎 | moto MEMO BOX (ameblo.jp)

こちらの記事↑はどなたかの記事を引用されているようにお見受け致しますが、その引用元が私が閲覧した限りでは見つけることができませんでした。でも、とても重大なことが書かれているに違いないと自分には思われますので引用させていただきます。

九鬼家と深い因縁を持つ出口直に憑かった「艮の金神」を、
喜三郎は上田家の祖神「国常立尊」であると断定した。
出口家と上田家は、共に九鬼家の支族だったのだろうか。
そして、海部氏との関係は……。

直のお筆先には、次のような記述がある。

「あやべ九鬼大隅守と申すものは、これは因縁のあることざぞよ。
この因縁が判りてきたら、どえらいことになるぞよ」


大隅国(現在の鹿児島県東部と奄美諸島)の「大隅守」は、
織田信広、九鬼嘉隆、島津忠恒(薩摩藩初代藩主)、小出三尹(和泉陶器藩初代藩主)、
小出有棟(和泉陶器藩第2代藩主)、小出有重(和泉陶器藩第3代藩主)。

織田信広は織田信秀の子で、織田信長の庶兄であり戦国の武将であった。
九鬼嘉隆は九鬼氏第8代当主で、
織田信長に仕えた九鬼水軍の武将(海賊大名)だったが、
関ヶ原の合戦で西軍に与し、敗れて自害した。
寛永10年(1633年3月5日)に孫の九鬼隆季が綾部藩を立藩し、
織田水軍として名を馳せた。
九鬼氏は南北朝時代から江戸末期まで活躍した氏族で、
江戸時代に作成されたた家伝書では藤原北家の末裔と記されている。
また、京都で生まれた藤原隆信が伊勢国に移住し、
九鬼浦に築城して九鬼隆信を名乗ったとする説もある。
九鬼氏は熊野で勢力を拡大できず、
3代目の隆房の次男の隆良が波切村の川面家の養子に入って波切城城主になったが、
子に恵まれず、志摩和具の青山家から養子を迎え、波切九鬼2代目の隆基となった。
この時点で九鬼氏の血統は断絶している事になるが、
実は隆良は分家で、兄の隆長が本家だという説もある。
隆長の後は、光長・政長・政隆・浄隆・澄隆と続き、澄隆の異母弟の光隆が熊野に留まり、
弟の嘉隆が北畠氏に仕えたという。

綾部藩・九鬼氏・大隅守の繋がりは一応分かったが、
その因縁が判ればどえらいことになるとは、一体どういう事なのか……。
九鬼氏の出自は実際のところ不詳だが、藤原氏の流れではないことは明らかである。
九鬼家に伝わる古史古伝の『九鬼文書』には、
神代文字の春日文字で書かれた部分があり、
卑弥呼が書記したという伝説や、
天児屋根命が天孫降臨の時代に記したものを藤原不比等が書き直したとも言われている。
重要な事は、『九鬼文書』に記された高御位山で、
九鬼氏は宇志採羅根真大神(ウシトラコンシンオオカミ)を祀っていた事である。
そして、皇祖神をスサノオとしているが、まさに「艮の金神」と同一神格である。
または、宇志採羅根真大神(艮の金神)の現人神として、
スサノオを初代天皇として定めたのであろう。

その綾部で大本が発生し、『九鬼文書』王仁三郎にも大きな影響を与えている。
高御位山での「宇志採羅根真大神」の祭祀に関する伝承があるが、
この高御位山には2つの文脈が存在する。
高御位山と言えば、兵庫県加古川市と高砂市の市境にある「播磨富士」と呼ばれる山で、
その対岸には『霊界物語』「坤の金神」が閉じ込められたという「神島」があり、
王仁三郎が島開きを行なった。

もう1つは、王仁三郎が修行した亀岡の高熊山を指し、
「あやべ九鬼大隅守の因縁が判るとどえらいことになる」
という謎言葉との関連性が指摘されている。
これは古代の話ではなく戦国時代の話だが、
九鬼家の歴史は古代に遡り、鹿児島県と奄美諸島(大隅国)にルーツを持つようだ。
その証拠に、鹿児島の霧島は歴史言語学では「ギリシア」を意味し、
奄美大島の喜界島も「鬼界島=鬼ヶ島」に通じる。
「あやべ九鬼大隅守の因縁」を探る為には古代史にメスを入れる必要があり、機を改めて詳述することにしたい。

https://ameblo.jp/motoharu567/entry-12414540821.html

引用箇所に「「あやべ九鬼大隅守の因縁」を探る為には古代史にメスを入れる必要があり」とありました。九鬼家の真実には相当根深いものがあるに違いないのでしょう。

九鬼家と青山家 | 競馬と花を愛するブログ。 (ameblo.jp)

こちらの記事↑では、江戸時代の青山家は尼崎藩五万三千石の大名で、朝廷の地位は大膳ということが書かれており、港で栄えた町である尼崎を仕切る藩であることから豊な藩であるとのことです。その青山家に比べると、摂津国三田藩(※「三田」は”さんだ”と呼ぶそうです。)である九鬼家の石高は1万8千石と書かれており、石高で考えるとたしかに青山家の方が豊かさは上のような感じですね。そして、六甲山の裏側の裏六甲と呼ばれる山岳地帯は有馬温泉は有るそうですが、水が得にくく米は少ししか取れないのだそうです。そして、青山家のある尼崎と九鬼家のある三田は比較的近いようです。但し、裏六甲は丹波街道の起点であり交通の要衝だったそうで、そこで尼崎港に運ばれた荷物を丹波街道から福知山や舞鶴に送る輸送業を担っていたとしたら石高が少なくても暮らしは困らないということで、石高が青山家に比べてはるかに小さい九鬼家が当時の輸送業を牛耳っていたとしたならば、九鬼家も相当豊かさはあったものと考えられると思いました。
ただし、当時の輸送業ですから人力に頼る部分は大きいことを想像しますと、日本の黒い霧さんのブログで書かれていたある記事を思い出してきます。
ヤクザがそのきつい業務を担っていたのではないでしょうか。
すると、ヤクザと九鬼家の結び付きというものが連想されてきます。
今の自民党とヤクザとの結託のようなものが、当時のヤクザと九鬼家にもあったのではないだろうか?と。

こちらの記事↑の筆者も「青山家と九鬼家は密接な関係は有ったと考えます」と述べられていました。

「青山家」といえば「青山みつ」も姓が「青山」ですね。その青山みつという日本人女性が、ハインリヒ・ヨハン・マリア・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と結婚したことがウィキペディアに書かれていました。
 ⇒ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー - Wikipedia

青山みつについて⇒ クーデンホーフ光子 - Wikipedia

こちら↑のウィキペディアによりますと、クーデンホーフ光子こと青山みつについて次の記述がありました。

生い立ち
クーデンホーフ光子こと青山みつは、東京府東京市牛込区牛込納戸町で油屋と骨董品店を営む肥前国佐賀出身の青山喜八と妻・津禰(つね)の三女として生まれた。小学校を卒業後に上流階級の社交の場であった会員制高級料亭の紅葉館で女中として奉公をしていた。大日本帝国憲法施行後の1892年(明治25年)、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理大使として東京に赴任してきたハインリヒ・クーデンホーフ伯爵に見初められ、大使公邸に小間使いとして奉公する。クーデンホーフ伯爵が騎馬で移動中に落馬したのを、みつが手当てしたのがなれ初めだといわれるが定かではない。

結婚
1893年、周囲が反対する中、みつはハインリヒと結婚する。みつ(光子)は日本在住のフランス人カトリック神父リギョール(Francois A. Ligneul)[* 1]のもとで洗礼、告解、堅信式を行った[1]。

夫のハインリヒはリギョールを崇拝していた[1]。長男・ハンス光太郎、次男・リヒャルト栄次郎の2人の子を東京でもうけた。書類が残されており、東京府(当時)に届出された初の正式な国際結婚と言われている。ただ、この頃の国際結婚は外国人にあてがわれた現地妻という認識が強かったため、光子は実家から表向き勘当されている。また、ハインリヒはこの結婚に際し、青山家に対してかなりの金銭を払ったらしく、後年光子が帰国しなかった理由のひとつがこのあたりにあったようである。

オーストリアへ
1896年に光子は、夫の祖国であるオーストリア=ハンガリー帝国へとわたる。その際には、昭憲皇太后から「異国にいても日本人の誇りを忘れないでください」と激励された

クーデンホーフ家はボヘミアとハンガリーに跨る広大な領地をもつ伯爵家であり、クーデンホーフ一族は極東アジアからきた東洋人で仏教徒でもあった光子を奇異の目で見た。ハインリヒは「光子をヨーロッパ人と同等の扱いをしない者とは決闘をする」と言い、光子の庇護に努めた。その後、三男ゲロルフ[* 2]ほか4人、合わせて7人の子をもうける。光子は夫を「パパ」と呼んでいた[1]。

ハインリヒは子供たちが完全なヨーロッパ人として成長することを望み、日本人の乳母を帰国させ、光子に日本語を話すことを禁じた。光子は多忙な夫以外に心を打ち明けられる人間がいなくなり、強烈なホームシックにかかってしまう。ハインリヒは日本への里帰りを計画するが、長期間幼い子供たちと離れることは難しかった。夫婦仲は良かったが、18ヶ国語を理解し、特に哲学に関しては学者並みの知識を持つ教養豊かな夫と、尋常小学校を卒業した程度の学力しかない妻とでは教養のレベルの差がありすぎ、子供たちのこと以外に夫婦でつながりを持てるものは少なかったが、光子も渡欧後に自分の無学を恥じて、歴史・地理・数学・語学(フランス語・ドイツ語)・礼儀作法などを家庭教師を付けて猛勉強した
(中略)
ゲラン社の香水「Mitsouko」はクーデンホーフ=カレルギー光子に由来するわけではない。しかしジャック・ゲランが1919年にこの香水を製作した際、クーデンホーフ=カレルギー光子の名前を知らなかったということはなかろうとフレグランス・エキスパートのゲラン社員が自社のコラムに記述した[10]。ゲランの「Mitsouko」の由来は、1909年に発行されたクロード・ファレールの小説『ラ・バタイユ』に登場するミツコである(このミツコ自体が何に由来するのかは分かっていない)[10]。

ゲラン社は画廊・ギャルリー江夏とともに吉行和子の一人芝居『MITSUKO ミツコ – 世紀末の伯爵夫人』(2004年11月7日)を協賛した(後援: 駐日欧州委員会代表部、オーストリア大使館、チェコ大使館、日墺協会、鹿島平和研究所、日本友愛青年協会)[11]。ギャルリー江夏は光子の三男ゲオルフの子で日本在住の画家ミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギーの絵画を所蔵する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95%E5%85%89%E5%AD%90

こちらのウィキペディアでも、夫との馴れ初めについても、香水の名前の由来についても不確かさがあるような記述がされています。また、ウィキペディアではイルミナティにとって都合の悪いことは書かれないとも言われています。でも、夫はイルミナティ側の人間であるように思えますので、その結婚相手である青山みつもイルミナティ側の人ではないのだろうか?

クーデンホーフ=カレルギー - Wikipedia

一部引用させていただきます。

クーデンホーフ家ブラバントフランス系の貴族で十字軍にも参加したジェラール1世・ドゥ・クーダンノヴに遡り、その後八十年戦争の端緒となったネーデルラントの反乱英語版)をハプスブルク家の側について戦い、ハプスブルク家とクーダンノヴ(クーデンホーフ)家が共にその戦争によりオーストリアへ追いやられる以前にフランドルへ移動した。1790年以来帝国伯英語版)の称号を持つ。
カレルギス家英語版は10世紀前後からのヨーロッパ最古級の貴族家系のひとつ[1]東ローマ帝国ニケフォロス・フォカスの末裔でクレタ島の一地域の領主になった。13世紀に「カロン」(καλόν:美しい)と「エルゴン」(ἔργον:行為)に由来するカレルギス(Καλλέργης)の姓を創始し、後にカレルギーに改めた。
クーデンホーフ家のフランツ・カール・クーデンホーフドイツ語版伯爵はカレルギー家のマリー・カレルギーと1857年6月27日にパリで結婚した。やがてケルンテンの山脈のツァマト(Zamato) の屋敷とオッテンスハイム英語版)の城とロンスペルク英語版)(Ronsperg)の屋敷と城を含む両家の領地は合わさった。フランツ・カールとマリーは6人の子を儲けた。長男ハインリヒ日本青山みつ(光子)と1892年に結婚し、東京で子供が2人誕生した。1896年にハインリヒは妻子とともにオーストリア=ハンガリーへ帰国し、後に子供が5人誕生し、合わせて7人の子をロンスペルク城で育てた[1]。ハインリヒは両親死後の1903年に、母方のカレルギー姓を加えて最初のクーデンホーフ=カレルギー伯爵(複合姓を使った最初の伯[2])になった。ハインリヒの次男は欧州連合(EU)の礎を築いたリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(栄次郎)である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95%EF%BC%9D%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC

仮にお二人の結婚はイルミナティの家の者同士の結婚だとしたら、青山みつが尋常小学校しか出ていないとか、父親については、東京府東京市牛込区牛込納戸町で油屋と骨董品店を営む肥前国佐賀出身の青山喜八としかウィキペディアでは書かれていないことに違和感があります。

ということは何かとても重要な何かがウィキペディアでは書かれていないのだと思えてきます。

リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー - Wikipedia

こちら↑のウィキペディアによりますと、青山みつの息子であるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーはフリーメイソンであることが書かれています。

そもそもなのですが…(④ JAL123便の謎 「上空から撒かれた白い粉」の正体は?!!) | ここから、今から (ameblo.jp)

こちらの記事↑から一部引用させていただきます。
(※私はラプトさんたちの記事などの引用はできるだけ避けたいと考えていますが、青山家について記述がされているものにつき、参考情報として今回は引用させていただきます。)

(前略)
ビル・ゲイツの別荘は、JAL123便事故を起こした犯人たち(九鬼家、青山家、李家)の悪魔崇拝施設だった!! - YouTube

―ラプトさんの動画(2021.4.27)↑を文字起こししたもの
( ※文字起こしをしましたが、内容の順番等、完全100%のものではなく、また、間違っている箇所もあるかもしれません。)
(文字起こしここから)
JAL123便を墜落させたのは九鬼家(=青山家)。 九鬼家は断絶して青山家が養子に入ったので、青山家は九鬼家と言ってよい。
実行部隊が創価学会。これを暴いた途端、ウィキペディアでJAL123便の事故が削除対象になった。

日本のイルミナティが秦氏と出雲族に分かれて争ってきた。 出雲族とは、九鬼家一族(=青山一族)。青山家と九鬼家がラプトさんの言う所の出雲族。他にも出雲族はたくさんいるが、その中でも一番強いのが九鬼家(=青山家)
九鬼家から大本教が誕生している。九鬼家が綾部藩の藩主、三田藩の藩主をやっていて、綾部藩から大本教が誕生している。
JAL123便機は123(ひふみ)で国常立尊(くにのとこたち)を復活させるために落とされた
。墜落して復活したから、その近くにビル・ゲイツが施設を建てた。施設を建てて国常立尊(くにのとこたち)を崇もうとしている。首謀者は九鬼家だが、実行部隊が創価。最初は統一教会とか生長の家かと考えていたが、どうも情報が出てこなかった。統一教会や生長の家も相当関わっているのだが、結局、創価で調べたら全部辻褄が合ってきた。
中曾根康弘・元首相が首謀者であることは間違いない。というか首相だから隠蔽工作ができる。だから彼が首相だったときがチャンスだった。彼も創価とズブズブで、原発も政治的に持ち込んだ。が、実質的に持ち込んだのがカレルギー。カレルギーは青山みつの子。カレルギーと結託して中曾根康弘・元首相が原発を日本に持ち込んだ。が、中曾根康弘・元首相は池田大作のポチ。池田大作のおかげで彼は首相になれた。だから彼は池田大作の操り人形。ということは、JAL123便を落としたのは池田大作ということになる。

池田大作とカレルギーは仲が良く、互いに尊敬し合っている。というよりカレルギーが池田大作を尊敬しているという感じ。そのため何回も会談している。その辺が鍵。池田大作は大本教を基に創価を作ったと言われている。(※ここで、動画の画面上に大本教と公明党のロゴマークが似ていることが示される。)
八ヶ岳の辺りに巨大な宗教施設をイルミナティが建てようとしていることを東出融が言っていた。
どの施設か探したところ、生長の家があった、でもそれは悪魔崇拝の施設には見えなくもないが、どちらかというと普通に信者が集まるような感じの施設。生長の家も悪魔崇拝ではあるが。
別にあたってみると、ビル・ゲイツの施設が巨大過ぎることに気が付く。しかも地下3階まである。軽井沢は八ヶ岳に近い。八ヶ岳の一部。だから東出融が言っていたのはこのビル・ゲイツの別荘のことではないかということ。
ビル・ゲイツの施設(※JAL123便が墜落した現場に近い所らしいです。)を建てたのは大成建設で、創価企業。三浦春馬が出演したドラマの主人公が女性で九鬼家。そういう訳で全てほのめかされている。そして三浦春馬は殺された。だから、三浦春馬を暗殺したのも九鬼家彼が出演していたドラマにはワニも出てきた。ワニは李家。李家は昔ワニ族(レビ族)と呼ばれていた。ユダヤ人のレビ族は昔ワニ族と呼ばれていた。李家はレビ族。ワニは李家。だから李家が殺したよということ。
大本教の出口王仁三郎も李家。王仁三郎の王仁はワニ。ワニ族のワニという字を使っている
王仁三郎の王仁はワニと読む。それはレビのこと。だから王仁三郎も李家ということは、その上の牧口常三郎とかその辺の系図も全部李家ということになる。九鬼家でもあり李家でもあるということ。青山家でもあるということ。これらすべて出雲族がやった犯罪ということ。秦氏は麻生一族。原爆を投下したのもこのへんだし、地下鉄サリン事件も阪神淡路大震災もそうだとツイッターで書いた人がいて、その辺はちょっとわからないが、あり得るだろう。阪神淡路大震災はたぶん淡路島でやっている。そっちが失敗した。神戸の方は被害が大きかったが淡路島の方はほとんど被害がなかった。淡路島を破壊して淡路島を乗っ取ろうとした。神戸も標的にしていたと思うが、(※動画の画面に、「淡路島も大本教の出口王仁三郎が重要視し、ユダヤ人の拠点にしようと計画していた」とあり。)今パソナが必死に乗っ取ろうとしている。
竹中平蔵も青山家とバレていて、(※青山シゲハルとそっくりとのことだそうです。)しかも本名が李平蔵で李家。だから日本の李家はほとんどが九鬼家・青山家かなと。李家が九鬼家とか青山家とか名乗っている感じか。もちろん昔から伝わってくる九鬼家や青山家の血も引いているが、養子に入ったりとかしてゴチャゴチャになっている。

だからビル・ゲイツは相当ヤバい。(※ビルゲイツは中曾根康弘・元首相の妻に顔がそっくりとのこと。)ウィントウズ95のロゴが三田。三田藩。三田藩を九鬼家が支配していた。彼らが全部ヒントを残している。

軽井沢はアレクサンダー・クロプト・ショーが別荘地として使っていた。彼は福沢諭吉(福沢家)の家庭教師で、慶応義塾の英語教師をしていたらしい。慶應義塾は福沢諭吉が作った。慶應義塾は今、創価人脈(中田敦彦など)を輩出するための大学と言われている。だからこの辺も全部つながっている。アレクサンダー・クロプト・ショーはキリスト教の宣教師。この辺の工作員がウチ(※ラプトさんたちの教会ですね。)に来ている可能性がある。

九鬼家や青山家は日本基督教団ともつながっている。青山学院は青山家が作った。以前通っていた教会では、この青山の学生が親と結託して教会をつぶすということをしていた。学生が信者のフリをして教会に入り込み、その親が子供がおかしくなったとして大学側に通報し、大学が教会をカルトとして張り紙に出し、教会の破壊工作をしていた。こういうことを日本基督教団と結託してやっていた。その工作員の出所も九鬼家・青山家。あまりキリスト教を知らない工作員はもしかしたら創価かもしれないが、やたら聖書に詳しいのはその辺の者(九鬼家・青山家)ということ。

九鬼家のロゴマークも大本教と似ているだから大本教は九鬼家。だから大本教を悪く言うと東出融(ひがしでとおる)が来る。東出融は大本教なのか知らないが、その辺の人間だから大本教の知識がいっぱいある。

だからビル・ゲイツの別荘でこれから国常立尊(くにのとこたち)を拝むことになるだろう。生贄も捧げるだろう。だから群馬はますますヤバい。彼の別荘は地下3階としているのも、やはり悪いことは太陽の光が当たる場所ではできない(※やる気になれないということですね。)から。カタコンベも集団墓地と言われているがあれもウソ。ドクロがいっぱい意図的な置き方をされている。キリスト教徒が隠れて礼拝していたというが、違う。あれは悪魔崇拝をして、ドクロとなったのは生贄にされたということ。とにかく彼らが悪魔崇拝をするのはほぼ地下施設。東京にも地下施設がいっぱいある。寺や神社にもだいたい地下施設がある。JAL123便機についてはこの動画では宗教的な話として悪魔崇拝の視点から話しただけ。お金の流れとかもある訳だが、JAL123便事故で儲かったのもすべて創価関係。それで創価だとわかった。(文字起こしここまで)
(後略)

https://ameblo.jp/kokokara-imakara/entry-12726718953.html?frm=theme

こちら↑の引用記事に「九鬼家は断絶して青山家が養子に入ったので、青山家は九鬼家と言ってよい。」とありました。九鬼家がなぜ断絶したのか書かれていませんが、九鬼家の者が青山家に養子に入り、以後九鬼家としては断絶しても、青山家として栄えていったということでしょうか?

青山氏 - Wikipedia    九鬼氏 - Wikipedia

私の力では、ネットで九鬼家の断絶とか養子の話を見つけることはできませんでした。見つからないのは私の力不足なのか、敢えて不都合な話としてネットで上がっていないのかはよくわかりません

これと似たケースとして安倍晋三元総理や九条節子のことも思い出しました。これについては後述します。

また、引用記事には「原発も政治的に持ち込んだ。が、実質的に持ち込んだのがカレルギー。カレルギーは青山みつの子。カレルギーと結託して中曾根康弘・元首相が原発を日本に持ち込んだ」とありました。

そういえば、原発に反対していた議員や、疑問を訴えていた東電のOLが殺害された事件、3.11後の国や東電の対応などについて追及していたマスコミ関係者や原発反対者の漫画家の死亡事件、3.11のとき機転を利かせて少しでも被害を抑えようと指揮をとっていた方の死亡事件も、実は原発利権絡みの暗殺事件で、そうした事件が多発していたように思います。いかに原発利権というものがイルミナテイ側にカネをもたらしていたのかということと、3.11を起こして人口削減を企てていたのに、それの邪魔をした者や悪事を追究しようとした者に対する報復をする程の残虐性をイルミナティは持っているということです。

ここで、安倍晋三元総理や九条節子の話に戻ります。

参照記事はこちらです。↓↓↓

李垠 - Wikipedia

安倍晋三の父、安倍晋太郎の謎! | 中杉 弘の徒然日記 (ameblo.jp)

【皇室】朱貞明(貞明皇后)の朱姓と秘密結社・洪門と浩宮 | 皇室ブログ・でれでれ草 (sakura.ne.jp)

ウィキペディアなどを参照しますと、安倍晋三の父は安倍晋太郎だが、安倍晋太郎は、李氏朝鮮の末裔と言われている李 垠(り ぎん)と日本の皇族の梨本宮守正王・伊都子妃の第1女子:方子女王と結婚し、夫妻の間には、結婚の翌年に第1男子の李晋が誕生したが、1922年(大正11年)4月、李王世子夫妻が生後8ヶ月の晋を連れて朝鮮を訪問した際、晋は急逝したそうです。

しかし、別の記事では、安倍晋三の父親である安倍晋太郎については、実は李 垠(り ぎん)の長男が死んだことにして安倍寛の養子に入って安倍晋太郎となったという話が書かれておりますが、ウィキペディアではそのようなことは書かれていないですよね。都合が悪く、隠しておきたい事だからこそウィキペディアでは書かれないのだと考えますと、青山みつについても同じことが言えるのではないかと思います

九条節子についてもネット記事では「鬼塚英明氏によると、貞明皇后の本名が朱貞明であり、中国人クエーカー教徒であり、少女時代に千代田遊郭に送られてきた稚児だったといわれています。正体不明の女性が皇太子妃になるというのは、戦後の美智子や雅子だけではなく、この人から始まっていることことですね」とあり、さらに、「たいせつな名門の姫を、明治天皇が元勲と遊ぶための施設「千代田遊郭」に送るでしょうか。鳥取久子=高円宮久子の母方が、テイメイ皇后の親類と称してますが、これ、久子は事実を述べていると思います。もちろん、「母方」は公卿の九条家ではなく、テイメイと同じく、正体不明の中国の暗黒社会からきたのでしょう。」とありました。

なるほど、もし、上記に書かれている説を採用するとなると、中国人である朱貞明は九条家に養子に入ってそこから皇后となる道へ進んだかもしれないと思いました。しかしその養子入りはとても隠しておきたい事柄なので、ウィキペディアには書かれていないかもしれませんね。

青山みつの場合は養子だったとしても、なぜわざわざ養子とする必要があったのか理由が自分には思い浮かばないので、青山みつに関しては、安倍晋太郎や九条節子とは全く違う何か(養子ではないという事も含めて)があるのかもしれないと思いました。

再び、日本の黒い霧さんのブログからです。

中曽根康弘元総理の葬儀が完全にイルミナティでした

中曽根康弘元総理の葬儀がイルミナティ。 (daiwaryu1121.com)

https://daiwaryu1121.com/post-39981/より拝借


<中曽根康弘元総理の葬儀が北朝鮮の金日成主席の葬儀と似ていると言われていますが、
金日成主席も中曽根総理と同じくCIA、イルミナティのエージェントとして
朝鮮戦争で多大な貢献をしていました。 >
https://daiwaryu1121.com/post-39981/より拝借


なぜ福島や宮城がイルミナティに狙われるのかといういいますと、明治維新のときに明治新政府に反対していたからだそうです

なぜ福島県や宮城県ばかりCIA、イルミナティの人工地震に狙われるのか? (daiwaryu1121.com)


2011年3月11日の東日本大震災はCIA、イルミナティ、DSのニュートリノ砲による人工地震!

2011年3月11日の東日本大震災はCIA、イルミナティ、DSのニュートリノ砲による人工地震。 (daiwaryu1121.com)

公開日: 2020/03/14 : 最終更新日:2020/04/30

2011年3月11日の東北4県が大きな被害を受けた東日本大震災はCIA、イルミナティ、DSのニュートリノ砲による人工地震ですね。

イルミナティカードにも東日本大震災は予告されていました。
2011年3月11日=2+1+1+3+11=18になります。

つまりイルミナティの悪魔の数字666になります。

イルミナティのメンバーに極秘で聞きました。

なぜ福島、宮城、岩手など東北4県だったのか?とイルミナティに聞くと、福島、宮城、岩手など東北4県は幕末にイルミナティ、ロスチャイルド家がグラバーやフルベッキ、坂本龍馬、薩摩・長州といったエージェントを使って明治維新を計画していたときに、現在の東北4県が奥羽越列藩同盟を組んで苛烈に抵抗して邪魔してきたからだそうです。

イルミナティはカトリック教会もそうですが、自分たちに敵対するグループには長年恨みを抱き続けているグループです。

そのため2011年の東日本大震災ではイルミナティが傘下のCIAを使い、ニュートリノ砲で巨大地震、津波を起こしたというわけですね。

東日本大震災があった釜石市の中学校の卒業式ではなぜかイルミナティの思想を歌ったベートーヴェンの「第九」が歌われています。
https://daiwaryu1121.com/post-27397/

ちなみに欧米ではベートーヴェンの第九は不吉な音楽として歌われることはめったにないそうです。

東日本大震災については元ヤマハ発動機のエンジニアで静岡理工大学講師だった山本寛さんもCIAのニュートリノ砲によるものだと指摘していました。
山本寛さんはその2年後にCIAに殺され
ています。

https://daiwaryu1121.com/post-31835/

※3.11についても人様の記事や動画をご紹介いたします


※①(人様の記事)3.11 株価:自然災害であれ、人為災害であれ,大災害の到来を事前に知っている人間が常にいる

3.11株価:大災害の到来を知っている人間が常に存在する - ザウルスの法則 (goo.ne.jp)


※②(人様の記事)イルミナティカードの予言②311編

イルミナティカードの予言②311編 - (vybzscope.com)

以下、こちらの記事↑から一部引用させていただきます。

左のカードを見てもらいたい。アースクエイクプロジェクターと書いてあるそれが何かと答えると「HAARP」と呼ばれる人工的に天災(気象改変装置)や人工地震を発生させる兵器がある。それは1976年に温暖化をさせるつもりで、アメリカとロシアが開発し、はじめて使用される。バーナード・イーストランド博士が1987年に特許を取得時にこれが報道される事になる。電子レンジの周波数を熱エネルギーに変える原理でその凄まじさは家庭用電子レンジを600ワットとすると「HAARP」は17億キロワット。その強烈な電磁波で事象を引き起こさせる。

このアンテナみたいのが高周波活性オーロラ調査プログラム「HAARP」研究の目的は地球の電離層と地球近傍の宇宙環境で発生する自然現象を探求し、理解することにある。という建前に陰謀論では電離層にビームをあて角度を計算し、ピンポイントで事象を改変させるであろうと考えられている。ELF波に変調している話がある。ELF波はある実験中に地震が起きたという逸話がある。
またP波が来てS波が来る自然地震が、P波が来てない。これは人工地震の波形である。また不自然な3回の地震の波形も考えられないし、また福島原発の爆発音が3回聞こえるhttps://youtu.be/UPbmPyMxu0Y
セキュリティはイスラエルのマグナBSP。その日はBSPは皆帰国している。

これは北朝鮮の核実験の波形を見てもらえると分かると思うが、あきらかに福島の波形は自然地震ではなく、人工地震波形と同じである。

またこの辺の話は国会でも答弁されている。これを見て頂きたい。人工地震津波兵器は国際政治軍事上の常識!浜田復興担当政務官が話されている。https://youtu.be/0eWi1fUFhk0
また海底深部調査船は人工地震の実験を行っている。https://youtu.be/XfR9xzHls0g

そして左のカードは大津波のレーダーで早期警戒というカードだ!

また話はちょっと変わるが、東日本ハウスの株が上昇し始めたのは2011年2月中旬頃からである。知っていた人間がいたのではという疑念を持ってしまう。

そして想定外の津波が襲ってくるカード。

第1波の津波14時46分にM9.0の地震
第2波の津波20分後の15時06分にM7.0の地震
第3波の津波20分後の15時26分にM7.2の地震
第4波の津波20分後の15時46分にM5.7の地震

きれいに二十分置きに津波が人工的にやってきている。自然界にありえるのでしょうか?兵器を使ったのではないか?疑念が起こることは自然なことではないのか?


東日本大震災 2011.3.11 すべて足すと、18になる。

熊本の地震の日付2016. 4.14を足すと 18と18

1.17阪神大震災5時46分 3.11東日本大震災14時46分

4.1チリ大地震20時46分 9.11NY同時多発テロ8時46分

すべて46分
そして原発事故。

福島原発事故が爆弾による爆破という話もあります。

https://youtu.be/Gh1E1-u4CkU

福島第一原発1号機の冷却装置が、地震直後に3回止められていたhttps://youtu.be/V9M1_pMeBWY?t=9m1s

街を襲う放射能汚染。映画「シンゴジラ」ですよ。

脚本と総監督は、メイソンメンバーと噂の高い、エヴァンゲリオンの庵野秀明氏です。エヴァはメイソンの人類削減・新世界秩序計画。サードインパクト。の香りが凄いのですが、映画「シンゴジラ」にも六芒星がマーキングされております。

こういった陰謀めいた人工地震などない、一体どれだけのエネルギーが必要なのだとかいろいろあるとはおもいますが、そもそも人工地震というのは昔から新聞などでも報道されているのです。それを皆さんは知らないだけなのです。
人工地震はあるかもしれません。

●日本建国をしたとして古事記に描かれている神武天皇の在位期間は神武天皇76年3月11日までされており、3月11日の東日本大震災と日付が一致しています。

●「映画マトリックス」モーフィアスの船に「MARKⅢ No.11」=「3.11」の記載
3.11つまり東日本大震災の日付を示唆している。(同時に日本でのマトリックスの公開日は1999年9月11日)

するとネブカドネザルという王様と神武天皇が繋がりを見せてくる

●映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」「2011年3月11日」に米国で公開。
これは「エイリアンによる”東日本大震災の予告映画”」です。
公開本編の冒頭数分で「西海岸時刻14時46分」(エイリアンが)「世界の12の地域に進攻」と放送されます。
内容はエイリアンによる地球侵略を描いた作品となっています。
まさに、14時46分は「東日本大震災の発生時刻」と分まで一致

●ハリーポッターの著者の「クィディッチ今昔」という2001年9月発刊の書籍、この1ページ目に「図書館の”借りた人の名前 返却期限”」が記載されており、最後の名前が「ハリーポッター 3月11日」となっています。

●小松左京の小説『日本沈没』(1973年発刊)の記述に”3月11日午後2時の記載”
”アジア東部の大陸棚、とりわけ日本列島弧を中心にして、巨大な地殻変動が起こりかけている、というアメリカ測地学会の発表が電撃のように世界をゆすぶった。

ゴルゴ13の作者が漫画化した「日本沈没」しかもオベリスクの横

●映画「風の谷のナウシカ」の映画公開日「1984年3月11日」に封切られました。
「放射能で汚染され、人が住める場所が限られている世界」を描いています。

●日本の漫画ですが、2011年3月の大津波が予告されていたようです。単なる偶然なのか、それともこの作者は1%の仲間なのか? 1999年発刊の漫画に2011年3月の大津波が予告されていた

(後略)

https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/


※②-1.人工地震を発生させる兵器は1976年に温暖化をさせるつもりで、アメリカとロシアが開発し、はじめて使用されたらしいです

<左のカードを見てもらいたい。アースクエイクプロジェクターと書いてあるそれが何かと答えると「HAARP」と呼ばれる人工的に天災(気象改変装置)や人工地震を発生させる兵器がある。それは1976年に温暖化をさせるつもりで、アメリカとロシアが開発し、はじめて使用される。バーナード・イーストランド博士が1987年に特許を取得時にこれが報道される事になる。電子レンジの周波数を熱エネルギーに変える原理でその凄まじさは家庭用電子レンジを600ワットとすると「HAARP」は17億キロワット。その強烈な電磁波で事象を引き起こさせる。>
https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


※②-2.高周波活性オーロラ調査プログラム「HAARP」研究の目的も本当の目的は隠蔽されているらしい

<このアンテナみたいのが高周波活性オーロラ調査プログラム「HAARP」研究の目的は地球の電離層と地球近傍の宇宙環境で発生する自然現象を探求し、理解することにある。
という建前に陰謀論では電離層にビームをあて角度を計算し、
ピンポイントで事象を改変させるであろうと考えられている。
ELF波に変調している話がある。ELF波はある実験中に地震が起きたという逸話がある。>
https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


※②-3.P波が来てS波が来る自然地震が、P波が来てないというのは人工地震の波形である証拠だ!!

<またP波が来てS波が来る自然地震が、P波が来てない。
これは人工地震の波形である。
また不自然な3回の地震の波形も考えられない>
https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


<これは北朝鮮の核実験の波形を見てもらえると分かると思うが、
あきらかに福島の波形は自然地震ではなく、人工地震波形と同じである。>
https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


※②-4.イルミナティカードには、大津波のレーダーで早期警戒というカードがあったらしいです

<そして左のカードは大津波のレーダーで早期警戒というカードだ!>https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


※②-5.きれいに20分置きに津波が人工的にやってきるというのは、自然界にありえるのか?!!


<第1波の津波14時46分にM9.0の地震 第2波の津波20分後の15時06分にM7.0の地震 
第3波の津波20分後の15時26分にM7.2の地震 第4波の津波20分後の15時46分にM5.7の地震
きれいに二十分置きに津波が人工的にやってきている。自然界にありえるのでしょうか?
兵器を使ったのではないか?疑念が起こることは自然なことではないのか?>
https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


※②-6.地震の発生時刻もNY同時多発テロ事件の発生時刻も「46分」にはユダヤのカバラが感じられる!!

<東日本大震災 2011.3.11 すべて足すと、18になる。
熊本の地震の日付2016. 4.14を足すと 18と18 
1.17阪神大震災5時46分 
3.11東日本大震災14時46分
4.1チリ大地震20時46分 
9.11NY同時多発テロ8時46分
すべて46分そして原発事故。>

https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


※②-7.映画「シンゴジラ」にも六芒星がマーキングされていたのだそうです!

<街を襲う放射能汚染。映画「シンゴジラ」ですよ。
脚本と総監督は、メイソンメンバーと噂の高い、エヴァンゲリオンの庵野秀明氏です。
エヴァはメイソンの人類削減・新世界秩序計画。
サードインパクト。の香りが凄いのですが、
映画「シンゴジラ」にも六芒星がマーキングされております。>
https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


※②-8. 3.11からは、古事記に描かれている神武天皇と「映画マトリックス」に出てくるネブカドネザルという王様との繋がりが見えてくる!

<●日本建国をしたとして古事記に描かれている神武天皇の在位期間は神武天皇76年3月11日までされており、3月11日の東日本大震災と日付が一致しています。
●「映画マトリックス」モーフィアスの船に「MARKⅢ No.11」=「3.11」の記載3.11
つまり東日本大震災の日付を示唆している。
(同時に日本でのマトリックスの公開日は1999年9月11日)
するとネブカドネザルという王様と神武天皇が繋がりを見せてくる。>
https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借

※ここでネブカドネザルについてウィキペディアでは

 ⇒ネブカドネザル - Wikipedia

こちらのウィキペディア↑によりますと、古代オリエントで栄えた国家「エラム」とか「バビロニア」という古代イスラエルを思わせる様な文言が出ていました。

※ここで神武天皇についてですが、三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)は、神武天皇は神話の世界の話であることを御存知だった!

コードネーム「若杉参謀」三笠宮さまの波乱に満ちた人生(1/3)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)

こちらの記事↑によりますと、三笠宮崇仁親王は2月11日が「神武天皇即位の日」として戦前の「紀元節」を祝日として復活させる動きに対し、「歴史的根拠がない」と批判をし、それに反発した右翼が三笠宮邸に押しかけて旅行先のホテルでビラをまくなどの騒ぎに発展したが、三笠宮崇仁親王は、周囲に「神話と歴史は違う」と話し、撤回することはなかったのだそうです。
皇族である三笠宮親王でさえこのように知っていらしたということですね。


※②-9.映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」も2011年3月11日に米国で公開されたそうです!

再度一部引用させていただきます。

映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」「2011年3月11日」に米国で公開
これは「エイリアンによる”東日本大震災の予告映画”」です。
公開本編の冒頭数分で「西海岸時刻14時46分」(エイリアンが)「世界の12の地域に進攻」と放送されます。
内容はエイリアンによる地球侵略を描いた作品となっています。
まさに、14時46分は「東日本大震災の発生時刻」と分まで一致

https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/

こちらの記事↑の引用箇所に入っていた動画です。↓↓↓

【映画】『世界侵略:ロサンゼルス決戦』海外版予告編2(字幕)高画質 - YouTube


※②-10.ハリーポッターの著者の「クィディッチ今昔」という本を図書館で借りた人の名前と返却期限の記入欄に最後の名前として「ハリーポッター 3月11日」と書かれていたそうです!

<ハリーポッターの著者の「クィディッチ今昔」という2001年9月発刊の書籍、この1ページ目に「図書館の”借りた人の名前 返却期限”」が記載されており、
最後の名前が「ハリーポッター 3月11日」となっています。>

https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


※②-11.小松左京の小説『日本沈没』(1973年発刊)の記述に”3月11日午後2時の記載がされていたそうです!

再度一部引用させていただきます。

小松左京の小説『日本沈没』(1973年発刊)の記述に”3月11日午後2時の記載”
”アジア東部の大陸棚、とりわけ日本列島弧を中心にして、巨大な地殻変動が起こりかけている、というアメリカ測地学会の発表が電撃のように世界をゆすぶった。
ゴルゴ13の作者が漫画化した「日本沈没」しかもオベリスクの横

https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/
https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借
https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


※ここで余談ですが「オベリスク」について検索して見つけたサイトです。

日本や欧米にある「オベリスク」。その意味や目的とは? | ゆかしき世界 (yukashikisekai.com)


※②-12.映画「風の谷のナウシカ」の映画公開は「1984年3月11日」に封切られたそうです!

<映画「風の谷のナウシカ」の映画公開日「1984年3月11日」に封切られました。
「放射能で汚染され、人が住める場所が限られている世界」を描いています。>
https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


※②-13.1999年発刊の漫画に2011年3月の大津波が予告されていたのかもしれないことが考えられそうであるらしいです!

https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


<日本の漫画ですが、2011年3月の大津波が予告されていたようです。
単なる偶然なのか、それともこの作者は1%の仲間なのか?
1999年発刊の漫画に2011年3月の大津波が予告されていた>
https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


https://vybzscope.com/2017/02/12/post-2014/より拝借


イルミナティカードの予言②311編 - (vybzscope.com)
こちらの記事↑に入れられていたその他の動画とともに、削除された動画もご紹介していきます。

※②-14.(動画)地下深部掘削船「ちきゅう」関係者の「人工地震」発言

地下深部掘削船「ちきゅう」関係者の「人工地震」発言 - YouTube


※②-15.(動画)人工地震 311以前に東日本が消された映画/311 Japan artificial earthquake

人工地震 311以前に東日本が消された映画/311 Japan artificial earthquake - YouTube


※②-16.(動画)Fukushima I Nuclear Power Plant Reactor 3 explosion on March.flv

Fukushima I Nuclear Power Plant Reactor 3 explosion on March.flv - YouTube

イルミナティカードの予言②311編 - (vybzscope.com)
こちらの記事↑によりますと、この動画について「福島原発の爆発音が3回聞こえる。セキュリティはイスラエルのマグナBSP。その日はBSPは皆帰国している。」とありました。

また、同記事↑によりますと、、福島第一原発1号機の冷却装置が、地震直後に3回止められていたそうです。その動画がこちらです。↓↓↓

※②-17.(動画)福島第一原発1号機の冷却装置が、地震直後に3回止められていた

福島第一原発1号機の冷却装置が、地震直後に3回止められていた - YouTube


※②-18.ご紹介させていただいた記事に入れられていた動画で削除されていた動画は以下の2つでした 

ご紹介の記事では「人工地震津波兵器は国際政治軍事上の常識!浜田復興担当政務官が話されている。」と書かれていて次の動画が貼られていましたが、削除されていました。⇒ https://youtu.be/0eWi1fUFhk0

同じく、「福島原発事故が爆弾による爆破という話もあります。」
と書かれていて次の動画が貼られていましたが、
削除されていました。⇒ https://youtu.be/Gh1E1-u4CkU


福知山線の脱線方法としてはCIAによる電車のハッキングによる遠隔操作だと思うとのこと!

福知山線脱線事故の慰霊碑がイルミナティ。福知山線はCIAに遠隔操作されていたか。 (daiwaryu1121.com)

公開日: 2020/10/26

福知山線脱線事故の慰霊碑がイルミナティのプロビデンスの目の形になっています。
2018年の福知山線脱線事故の追悼慰霊式もイルミナティの目の形になっています。
福知山線脱線事故が起きた日が2005年4月25日です。

2+5+4+2+5=18=イルミナティの悪魔の数字666になります。

発生時刻が9時18分ごろとなっていますが、これも9+1+8=18=666となります。

列車番号が5418Mですが、5+4+1+8=18=666となります。

福知山線が衝突したマンションの名前が不可解だという声も多くありました。
福知山線が衝突したマンションの名前はエフュージョン尼崎という名前でした。
effusionはeffusion of bloodのように血の出血というように使われます。
なぜこんな血の出血のように使われる不気味なエフュージョンをマンション名につけたのだろうという疑問の声が多くありました。
エフュージョン尼崎は2002年11月に建てられています。

福知山線の福知山駅はCIA、イルミナティの傘下組織である大本教の創設者の出口なおが生まれた場所です。
大本教から生長の家、幸福の科学、創価学会、世界救出教、世界真光文明教団、アナナイ教、オウム真理教、三五教など派生していて、大本教がすべての新興宗教の祖と言われています。
出口なおは元は金光教の信者でしたが、稲荷講社に所属していた出口王仁三郎に5女のすみと結婚させて、神道の傘下として大本教を作りあげていきます。
福知山線の脱線方法としてはCIAによる電車のハッキングによる遠隔操作だと思います。
CIAのエドワードスノーデンは車や電車はバックドアでCIAがいくらでも遠隔操作できると語っています。
いくら運転手が急いでいたからといって制限速度70キロで走行するところを115キロ超で運転することはありえません。

JR西日本の過密ダイヤの問題やパワハラ体質の問題が原因と報道されていましたが、運転手もプロですから、制限速度を数キロ超過することならまだしも40キロ以上も超過することは考えられません。
しかも事故現場の急カーブですから、あんな急カーブに100キロ以上で突っ込めば脱線するのは素人でもわかります。
つまり運転手がいくらブレーキを踏んでもきかなかったということですね。
電車の脱線事故に見せかけたCIAの謀略事件は過去にも松川事件があります。
脱線ではないですが電車を使ったCIAの謀略事件には下山事件、三鷹事件もあります。

最近の横浜シーサイドラインの逆走事故もCIAによるハッキングの疑いが強いですよね。
なのでJR西日本や運転手は全く悪くなかったということだと思いますね。
むしろJR西日本と運転手は被害者側だったのではないでしょうか。

https://daiwaryu1121.com/post-40146/
<福知山線脱線事故の慰霊碑がイルミナティのプロビデンスの目の形になっています。>
https://daiwaryu1121.com/post-40146/より拝借



<2018年の福知山線脱線事故の追悼慰霊式もイルミナティの目の形になっています。 >
https://daiwaryu1121.com/post-40146/より拝借


<福知山線が衝突したマンションの名前はエフュージョン尼崎という名前でした。
effusionはeffusion of bloodのように血の出血というように使われます。
なぜこんな血の出血のように使われる不気味なエフュージョンをマンション名につけたのだろうという疑問の声が多くありました。エフュージョン尼崎は2002年11月に建てられています

https://daiwaryu1121.com/post-40146/より拝借



<福知山線の福知山駅はCIA、イルミナティの傘下組織である大本教の創設者の
出口なおが生まれた場所です。>
https://daiwaryu1121.com/post-40146/より拝借



韓国の梨泰院(イテウォン)の圧死事故の背後にCIA・イルミナティか

韓国の梨泰院(イテウォン)の圧死事故の背後にCIA・イルミナティか。 (daiwaryu1121.com)
こちらの記事↑(公開日: 2022/11/11)に、「今回の圧死事故はイルミナティによる人口削減、生贄の儀式であったと思います。」とありました。


熱海の土砂崩れは自然災害ではなく、CIAとイルミナティによって仕組まれたものだった

熱海の土砂崩れは自然災害ではなく、CIAとイルミナティによって仕組まれたものだった。 (daiwaryu1121.com)

公開日: 2021/07/06 : 最終更新日:2022/12/06

熱海の土砂崩れは自然災害ではなく、CIAとイルミナティによって仕組まれたものでした。

今回の土砂崩れは盛り土が原因だとされていますが、その盛り土をしたCIAのエージェント企業が新幹線ビルディング
でした。

その新幹線ビルディングの社長はCIAのエージェントである自由同和会神奈川県本部の天野会長でした。

メガソーラー設置のために尾根にある木をすべて切り倒して、山を削り取っていました。

その土地を現在所有していたのはZENホールディングスの会長の麦島善光さんでした。
これらはすべて熱海市議会でも知られていたこと
でした。
そして静岡県の川勝知事と言えば8年間で41人もの県職員が不自然な死を遂げているというとんでもない闇の知事なのです。
川勝知事もイルミナティのエージェントで、人口削減を進めていると言われています。
つまり今回の土砂崩れも静岡県から日本政府、CIA、イルミナティまですべてぐるで計画的に引き起こした人口削減事件だったということです。

https://daiwaryu1121.com/post-46468/


https://daiwaryu1121.com/post-46468/より拝借


https://daiwaryu1121.com/post-46468/より拝借



熱海のメガソーラー横の地盤に大きな亀裂が。次の雨で崩落が起きる可能性。CIAの兵器のよるものか

熱海のメガソーラー横の地盤に大きな亀裂が。次の雨で崩落が起きる可能性。CIAの兵器のよるものか。 (daiwaryu1121.com)
一部引用させていただきます。

公開日: 2021/07/07

熱海のメガソーラー横の地盤に大きな亀裂が入っています。

次の雨で崩落が起きる可能性が指摘されています。

疑問なのは雨で地盤にあんな大きな亀裂ができるものでしょうか?

CIAのなんらかの兵器で地盤に亀裂を入れて土砂崩れを起こしたのではないでしょうか。

7月3日の土砂崩れの映像はまるで311の震災の津波の映像のようでした。

311の震災はCIAの地震兵器によるものですが、それに近い兵器が使われたのではないでしょうか。

https://daiwaryu1121.com/post-46505/
https://daiwaryu1121.com/post-46505/より拝借





どのチャンネルも一斉にこういう報道を始めたので、CIAからCIAのエージェント企業が行っていた盛り土を悪く言うな!という圧力が入ったのだと思われ

マスメディアが熱海の土砂崩れに関して盛り土は悪くない、悪いのは異常気象のせいだという報道を始める。CIA、イルミナティの圧力か。 (daiwaryu1121.com)



※本記事と同じタイトルの記事はこちらです


①ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


②ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


③ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


④ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


⑤ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


⑦ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


⑧ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫|Unakite|note


⑨ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


⑩ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


⑪ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


⑫ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


⑬ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


⑭ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


⑮ウィロビー、アメリカCIA、欧米のイルミナティ~乗っ取り海賊でユダヤで侵略者集団の現寄生虫層|Unakite|note


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