肉を食べる時、感謝して許されようとするな
「感謝して命をいただきましょう」
ってフレーズを逃げに使うな。
どうせ
「とりあえず感謝したから、私はセーフだもんね〜」
が本音でしょう?
その態度、本質的に冷酷だと思わんかい?
どうせ身内が死んだ時も、とりあえず坊さんを呼んでなんとなく葬式やって、意味もわからないお経を聴いてありがたがって、うまく世間体を保てたことにホッとするのだろう。
いや、それすら自覚できないか。
とにかく、そういうのはオススメできない。
◇◇◇
では、どうすればいいか?
簡単だ。
感謝ではなく覚悟をしよう。
具体的に説明するとだな、
「感謝して殺したんだから、いいだろ?」
と言われれば、もし自分の子ともが殺されて食べられても許せるかな?
無理でしょう?
でも、
「覚悟して殺した。恨まれても構わない」
と言われれば、自分の子どもの死刑を執行した法務大臣をまだ認められるのでは?
少なくとも、キレイ事を言って自分を守ろうとしてる気持ち悪さは消えるよね?
肉もそんな感じ。
◇◇◇
ご納得いただけたでしょうか?
別の側面から言うと、
覚悟を決めれば感謝なんて勝手に生まれる。
1度でも自分で手を汚したことがあれば「感謝」なんて耳障りのいい観念論に逃げることはなくなる。
ほかにも色々ブッ殺して食べました。
もちろん、 ブッ殺しただけで食べなかった生き物も多い。ゴキブリとかね。
あるいは感謝しただけでブッ殺さなかった生物も多い。
そんな生態系を全てを受け入れて、食うものを食って生きていくしかないでしょうに。
一部は感謝して一部は無視するなんて、身勝手すぎる。
とにかく、肉を食うときに感謝しとけば許されるだろう、というナメた考えは改めてみてはいかが?
その壁を突破すると、色々と見えてくるものがありまっせ。
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病気の弟とバレエダンサーを目指す妹がいまして立派なお兄ちゃんであるために金が必要なんですという芝居のレッスンを続けるために一杯奢ってください。