見出し画像

台風一過。

人生に正解も不正解もない。
子育てにももちろん正解や不正解はない。

こんな人生が良いと思っていたのはある一面からのことで
反対側にも違う階層にも、いろんな”良い”がある。


そして、正解か不正解かだけでもなくて
揺れたり、迷ったり
間違えたり、やり直したり。
何度も同じことを繰り返してみたり。
立ち止まったまま動けなくなる時も。

そして人生も子育ても一生続く。
日々の変化や均衡の枠は変化し続け、
自分という存在が無くなっても、
自分の残した想いや因縁を引き継ぐことがあるだろうし
祖父母や曽祖父母たちが残してくれた生き様や思いも持っているし。

正解不正解の回答は、それぞれが描いた幻影。

「失敗を許容しない日本の文化」。
マスコミも私たち聴衆も関心を引くために小さな失敗も、
誰にでもある油断も不正解として祭り上げる。

幼い頃からの日本の教育は
正解不正解で点数化され教育されて将来が決まると圧力をかけられ

それが故に「知性」=文字が読めて、記憶力がよく博識であること
に限定されている気もする。

だから○か✖︎で。
自分の視界で判断をしようとする。
仕方ないよ、日本の教育が悪い、
仕方ないよ、育った環境が悪い、
仕方ないよ、、〇〇が悪い。

何かを悪者にして、自分を良いとする。



日本の歴史がどういうふうに反映されて今の日本人を作ったのか?
教育によって染み渡った特有の人柄はどうやって生まれ育まれているのか?

一方でどういう風なところが誤解や問題になり危機を感じているのか?
廃れて亡くなっていった文化はなんだろう?

そんなことを思ったりしていたけれど
そうじゃないんだな〜。

大多数の人がそう思っているのかなと思っていたけれど

そうかどうかはどうでもよくて

私が自由に大きく生きたらいいなぁと思う。

いかんせん、私の家族は変人が多いらしい。
変とは私から見て。
宇宙人みたいな人たちと暮らしていると思うとずいぶん楽になった。

楽ちんが一番!



上手く描けないから意味深で止める日記。


いいなと思ったら応援しよう!