7歳の私はミスタードーナツの店内で永遠を願っていた
幸福とは今この瞬間が永遠であってほしいと願うことである。
そんな感じの名言を残した哲学者だか思想家だかが、いたと思うのだが名前が思い出せない。思い出せないのになぜか、その名言だけをうすらぼんやりと覚えている。
つまり心当たりがあるのだ。私にもたった一度だけ、「永遠」を願ったことが。
それは7歳のころ。母親と行ったクソ田舎のショッピングモール。その1階にあった、ミスタードーナツの店内だった。
母と私があんなに長く二人っきりで過ごしたのは、たぶんあれが最初で最後だった。父は、母が自分の目の届かないところにいるのを絶対に許してくれなかったから。
母が出かけようとすると、父は絶対に、何時に帰ってくるのかを問い詰める。伝えた時間より遅く帰ってくると、スーパーで買ってきた総菜のゴミを食卓一杯に広げたまま、隣のソファでしこたま酒を飲んで寝そべった姿勢のままにらみつけてくる。
母は同窓会に参加することも許されていなかったし、実家に帰るのも一晩以上は滞在を許されなかった。
だからあの日は奇跡のようなものだった。
父が、九州の伯母の家までドライブに行こうと言い出したのだ。当時の私はブランコでも嘔吐するくらい三半規管が弱かったので、半日間もの車移動を強いられる旅行は無茶だった。
普段だったらそんなことで父が引き下がるはずはない。私だけを母の実家に預けてでも、母を連れて九州へ行っただろう。そうしなかったのは多少私のことを哀れに思ってくれたのか、母の実家に頭を下げるくらいなら母を置いてとっとと居心地のいいい大好きな地元へ──父は、父方の家族にそれはそれは溺愛されていた──行きたかったのか。私は生まれて初めて、母と二人きりの休日を得た。
その日。母は昼過ぎまで目を覚まさなかった。普段の休日もそんなに早起きをするわけではない母だが、それは病的な低血圧のせいだった。父は母の長寝をだらしないと詰ったし、母が何かの折に体調を崩すと、ほら見たことかあんな不摂生な生活を送っているからだと得意げに言い放った。
てっぺんを降りはじめた太陽がリビングを熱いくらいに照らす頃、母はようやく寝室から出てきた。蓮の花に腰かけるお釈迦様みたいなほんのりむくんだ輪郭に、どこまでも凪いだ表情を浮かべていた。
朝ごはんと昼ご飯を一緒にした食事は、昨日の晩のを保温したままのごはん。そこへ、明太子と、納豆と、野沢菜ちりめんと、昆布の佃煮と、甘くない卵焼きと、味のりと──。長い時間をかけて、たくさんのおかずをちょこちょこ、お米を丁寧に汚すみたく、お椀へのっけてはつつきまわして食べた。
「サティ、いこっか。」
シンクにお椀を浸す頃には胸がいっぱいで、ここでもう一日が終わりだってかまわないと思っていた。だから母の思い付きは私を高揚と動揺の真ん中に溺れさせるようで。
サティはかつて存在したイオングループのショッピングモールで、クソ田舎の娯楽のすべてが詰まっていた。でも、休日に父を置いてそこへ行くというのはつまり、帰宅後の時間のすべてを父への懺悔と父の機嫌取りに費やす覚悟が必要だった。
ものすごく、どきどきした。
母はサティに着くや私を映画館に連れて行き、トイ・ストーリー2を見せてくれた。
映画館に入るのは人生でせいぜい2回目くらいだった私は大いに興奮し、鑑賞後も今しがた見てきたウッディたちの大活劇を口頭で繰り返し、母にまとわりついて追体験の喜びに浸った。
「続きは、ドーナツ食べながらね。」
ドーナツ。それはミスタードーナツのことだった。
もうこの時には、甲高い声を上げてバターになるまで母の周りをぐるぐる回りたいような心地だった。「いいことあるぞ」どころの話ではない。それで溶けて元に戻らなくなったってかまわない気さえした。
もう夕方の気配も近づいていた。いつもなら母の華奢な赤い軽自動車が、ひっくり返ってしまいそうなくらい猛烈にエンジンをふかして、田舎の坂道を落下していくように帰路を急ぐ頃。
私たちは、がらがらのミスタードーナツで甘い油の香りに包まれていた。
この頃世の中はまだ土曜が隔週休みで、あの日はお休みでない方の土曜日だった。だからか、田舎の夕方前のミスタードーナツはとんでもなく静かで。
まだポン・デ・リングの存在しないショーケースから、フレンチクルーラーとゴールデンチョコレートを選んだ。
300円でスクラッチカードがもらえる。10点たまったら景品がもらえるが、2個ずつのドーナツと母のカフェオレ、私のアイスミルクでは、たぶん全然足りない。景品はオサムグッズのお弁当箱で、田舎の子供にだって、それがどんなにしゃれたものに見えたことか。
「──明日の朝ごはんにすればいいよね。」
4つのドーナツの上に、母はさらに乱雑にドーナツを積み上げ始めた。トレーの上で、丸くて香ばしい色をしたドーナツたちがはみ出しそうになっている。ミルクを奪い合う小動物みたいに息苦しそうだったので、私は面白くなってさらに3つほど勝手にドーナツを積み上げた。
2人掛けの席はただでさえ狭くて、母の大きなカバンと私の分厚いダウンと2箱分のドーナッツ、それから景品のお弁当箱で大変なことになっていた。それでもかまわず、私たちはさっき見たウッディの大冒険の話をしながら、白いお皿にポロポロ小麦粉のくずを散らかしてひそやかにはしゃいでいた。スクラッチの点数は意外と大きくて、お弁当箱は結局2個も手に入ってしまった。もう今は給食があるのにね、今さらなことを言って笑う。
小さな木の机越しに、母の顔を見る。いつも横から見上げる母の横顔はパーマのロングヘアで隠れて、整った鼻筋しかよく見えなかった。そんなはずは無いのだけれど、私は初めて、真正面から母を見たような気がしていた。
まん丸のたれ目にアーチ状の太めの眉。控えめの鼻。バランスよく口角の挙がった薄い唇。
母は、「かわいい」人だ。
アイスミルクを飲みながら今さら知った。今まで知ることができなかった。それは多分、私が彼女の横顔ばかりを見上げていたせいではない。
あんまりゆっくり飲んだアイスミルクはやがて氷と混じって、ほんのり濁った冷や水になっていく。母は3杯目のカフェオレをお代わりする。ミスタードーナツのお店の中は、どうかしてるくらい暖かかった。窓からの西日はどんどんきつくなっていた。
どうしたって日は暮れる。私たちは赤い華奢な車に食べきれないドーナツと多分使わないお弁当を積んで家へ帰らないといけないし、明後日の午後、余り物のかさかさしたドーナツを見てあの人がなんというのだか、想像しなくてはいけなかった。
トイ・ストーリーの話題も尽きてきた。もう、面白かったしか言えなくなった。でも何も話すことが無くなったのを知られたくなくて、面白かったを繰り返した。この日の私たちは、ウッディが大人になったアンディと離れ離れになる未来なんて、もちろん想像すらしていない。
あの休日の翌日以降のことは、不思議なくらい何も覚えていない。大量のドーナツをどうしたのかも、食べきれなかったであろうドーナツを見て父がなんと言ったのかも。
ただ、ほどなくして、昼寝から目を覚ました私の顔を覗き込む母が、パーマのロングヘアをバッサリと切り落とした姿で私を驚かせることとなる。
じきに、結婚を機に辞していた仕事に復帰し、私の参観日にも一人で来るようになる。参観日のあとも、父からは決まって何時に帰ってくるのだか問い詰められた。それでもなぜか母は、毎回私と道草を食って帰った。
場所は大抵、ミスタードーナツだった。
ひと箱に収まりきらないほどのドーナツを買う。スクラッチカードを私に削らせ、景品を手に入れる。狭い2人掛けの席でカフェオレを飲む。
私は正面から、母の顔を見る。
まん丸のたれ目にアーチ状の太めの眉。控えめの鼻。バランスよく口角の挙がった薄い唇。
パーマのロングヘアを切り落としてよく見えるようになった、くっきりとした鎖骨がとても美しかった。
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