デザイナーが夢でした
小学生の時の夢はデザイナーでした。
母が、親戚の経営する婦人服の工場にパートで行ってた関係で服を作ってくれ、三姉妹で同じ生地のお揃いの服を着たりしていました。(ちょっとダサかったけど😅)
父親は庭師で、跡取りと言われていた私は、農業高校や造園関係に進学しようとしましたが、不合格になり、洋裁の専修学校に入学しました。通信制高校の連携校でもあり、両方に通う事になりました。
最初は原型を作り、装苑を見本に原型を使った型紙から作れる服を作りました。
パジャマからタイトスカート、ベスト、ブラウス、ジャケット、ワンピース、コート、卒業製作はウエディングドレスでした。
バイトをしながら、学費と生地代を捻出しました。
生地はどれが良いか、ボタンはどれにしようか、衿は生地を変えてみようとか、兎に角楽しかったです。
そのまま同校の専門課程に進み、デザインの勉強や、もっと高度な服を作ったり、自分のデザインした服を作りました。
その頃は宝塚にハマってたので、宝塚のお衣裳部さんに就職したかったです。
卒業製作は、何と言ったら良いのか分からないけど、赤と黒を基調にしたタイトなツーピース?を作りました。
スカート生地は短いけど、裾にたこ足みたいに長方形の布を何本も着けてロングスカートみたいにして、首にはチョーカーみたいに布を付け、身頃とはリリアンで編み付けました。その上袖はリリアンで編んで広がり、友達から「都会的な地引き網」と言われてました。
今考えれば残しておけば良かったのですが、引っ越しで全部処分してしまったのが今でも心残りです。(校長賞を頂いた作品だったから😅)
最初はデザイナーさんになりたかったけど、産み出す能力が乏しいと思ったし、縫製の方が好きになったので、就職は県内の縫製工場でした。
会社は婦人服専門の会社で、主にコートを作ってました。ウール、カシミヤ、アンゴラ、シルクのコート。
とても自分では買えない値段のコートでした。
夏にはウール系の毛足の長いコート、冬は春・秋用シルクのコート。
最初はアイロンから始まり、ロックミシン、縫製工程ではポケットを作ってました。
ポケット専用のミシンで付けたり、普通の工業用ミシンでポケットを付けたり、とても楽しかったです。
コンプレッサーを使ったハンドステッチミシンを使ったりもしました。
忙しい時は土日休み返上、残業も毎日2時間・・・。
逆に忙しく無い時は、次の仕事が入るまで自宅待機でした。
波のある生活からなのか、いつの間にか心がしんどくなり、不調になり、休みがちになり、退職してしまいました。
今でも縫製は好きなので、息子の幼稚園のコップ入れとか上履き入れ、カバンやリュック・・・作れるものは何でも作りました。カトラリーケースも作りました。
今は、刺し子やスウェーデン刺繍をたまにやってますし、息子が好きな進撃の巨人のコスプレのジャケットとマントを作ったり。
再就職を考えましたが、縫製業は今は無いですね。
たまには服でも作ってみようかな😁