アボリジニとヨーロッパの交差する街アリススプリングスーオーストラリア十七日目ー
2022/06/03 雨のち晴れ
こんにちわ。冒険者の夜舞です。
今回はアリススプリングス三日目。そして移動日です。
朝から目覚ましかけずに起きるのが普通になっていたからかけずに寝たら、なかなか寝れなくて起きたら8時でビックリした所からスタート。いい意味でも悪い意味でも慣れてきているのかもしれません。マウンテンパーカーなくしたばかりなので改めて気を引き締めていきたいと思います。
今日は朝から雨でしたが、小雨になってきたので昨日行けなかったテレグラフステーションに行ってみる事にしました。
アリススプリングスの街沿いを流れているtodd川をまっすぐ上って行くと着くみたいなので、そんなに遠くないだろうと歩き始めて30分。
途中川が枯れている今だから通れるけど、川に水が溢れていたら通れなくなるのでは?みたいな道がありましたがに無事到着。
テレグラフステーションはかつての遺構をそのまま残しており、ダーウィンとアデレードを電信でつなげる事がいかに大切だったかとそれを実現するために苦労した話を知る事が出来て勉強になるなーと思いました。
しかし、イギリスからインド洋通してダーウィンに電信が来ていてアメリカとも電信でやり取りしていたなんて世界は思ったより遥かに早くインターネットの世界に到達していたんだなと改めて感じます。
そりゃ、日本も急いで文明開化しないとってなる訳です。
そして1時間ほど説明読みながら見学していてある事に気が付きます。
ここ入り口一か所しかない…もしかしてお金いるのでは???
見学終わって出てみたら案の定入場料が必要だと書いてありました。
チケットの確認もしないし、誰も立っていないし、チケットの料金も入り口に書いてなかったから気が付かなかった。
もうちょっとフレンドリーにしてもらえると助かるんだけどなーと思いつつチケット代金を払っていない事を申告してチケットを購入。
16$でした。知っていたら多分入らなかっただろうから、商売上手と言うかそれだけ払ってない人がたくさんいるんでは?って疑惑もむくむく沸いてくる所です。
川沿いを帰る為に見ているとアリススプリングスの街の名前の由来になった水わき場を発見。
ちなみにアリススプリングスは元スチュワートタウンという名前でしたが、探検家が水が湧く場所を発見してその探検家の妻の名前を取ってアリススプリングスという名前になったという歴史があります。
ちなみにこの見つけた水わき場は別に水が湧いている場所ではなかったというのがこの話のオチだったりします。日本のガイドブックにはほぼ書いてない情報なので、現地に行って情報取らんとダメだなーと思ったエピソードでした。
そして川沿いを帰還。ちょうどお昼だったのでhungry jack'sでご飯。なんでこれが日本に来るとバーガーキングになるのかは未だに謎です。
ポテトとジュースがついて11.5ドルなら外食として見るとやっぱり安いんだなーとだいぶオーストラリアに感化されてきた感じはありますが、冷静に考えてハンバーガーが、10ドル越えってびっくりします。
その後は、近くにあるanzac hillという丘に登りアリススプリングスの全景を見ます。なかなかに楽しい街だったなー
ちなみにこの丘は昔からアボリジニーの重要な場所だったらしく、それが第二次大戦の時に南からダーウィンに兵を送るときの詰め所になっていたからanzac hillという名前になったという話だったはずです。
なので、この街には至る所にアボリジニー関係のお話があり、歩いている人もアボリジニーよりな気がしなくもないです。日本人から見て人種なんてほぼ分からないので思っているだけなのかもしれませんが…
最後にバスまでの時間を利用して最初の日に雨の中登った小高い丘へ。
雨の日はワラビーが見れてとてもラッキーでしたが、晴れた日に見る景色は格別な物でこの景色を見る為に俺はこの町にやってきたんだって思ったり、ずっとこの景色を見ていたいと思ったりしました。
連なった山々に囲まれてアボリジニーの文化と電信の中継地点として発達した街の歴史そのものがアリススプリングスという街なんだと思います。
バスが来るまで昨日までの宿泊先のベンチで休みながらバスを待ちます。その時にシャワーだけ貸してくれないかって頼んだら5$で貸してもらえました。地獄の沙汰も金次第。高いか安いかは僕には判断できませんが、シャワーなしで22時間もバス乗るという事態は避けられてラッキーでした。
そしていよいよダーウィンへのバス旅が始まります。22時間か…
乗る前から既にグロッキーな冒険者の夜舞でした。
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