「教育勅語」から学ぶ、「令和」型社会課題解決への道徳教育
「平成」から「令和」へ。
ちょうどオリンピックが来年に控えていることもあり、元号の変わりを機に、社会が大きく動き始めようとしていると感じます。
顕著なのが「SDGs(持続可能な開発目標)」への社会の動きです。
2019年は「SDGs元年」と言われたりするくらい、社会課題を解決しようという動きが大きく動き始めてきた気がします。
今年3月の朝日新聞集計のSDGs認知度は19%。昨年(18%)からは1%しか伸びていないが、昨今の企業各社のSDGsへのCSR活動取り組み強化の状況を見ると、さらに伸びる可能性があると思っています。
教育においても、SDGs教育が私立の学校を中心に動き始めており、例えば都立中高一貫学校の入試問題に出てきたり、私立中学でもSDGs教育が行われていたり、急ピッチに進んでいていい流れだな、と感じます。
ご存知の通り、世界的にみても「社会課題大国」の日本、超高齢化社会など福祉の問題、東日本被災地復興、地方創生など、とにかく社会課題解決は急務です。
私が思うに、日本人にとってこうした社会課題解決に最も大切なことは、「メンタリティ(精神性)」だと思います。
なぜなら、社会課題解決は「地球規模・日本規模」で物事を考える俯瞰的視野が必要で、皆さんの日常生活の中ではなかなか実感しにくいものだからです。
はっきり言って、生半可な気持ちではSDGsが謳う持続可能な社会の実現、日本の様々な社会課題の解決は実現はできません。
大人だって、SDGsのことを考えるより、自分の趣味や家族と愉しむことが、大半の人にとってはある意味「普通」なのではないでしょうか?
しかし「令和」の時代の今こそ、かつての経済大国日本から、「社会課題課題解決大国」の日本へ、GNP(国民総生産)を指標とした時代から、「SDGsの進捗度」を新たな指標として、アジアを中心とする他国と共生する日本、他国から尊敬されるような新しい「美しき日本」のビジョン(新たな日本のポジションの確立)へ大きく舵をとる時機ではないでしょうか?
国を挙げて「一億総社会課題解決」へ「メンタリティ(精神性)」を変えるのが大切なんじゃないかな、と思うのです。
日本人は元来は農耕民族であり、「助け合い」「思いやり」「おすそわけ」「もったいない」など、「こうした「メンタリティ(精神性)」は持っているはずです。今一度この「道徳教育」を国家戦略としてあげてみてはどうか?と考える今日この頃です。
かつての道徳教育、「教育勅語」をヒントに 〜意訳版〜
ひとつヒントになるのが、戦前に国家の「道徳教育」として出された「教育勅語」です。そのまま「教育勅語」と聞くと、どうしても軍国主義の名残りを感じてしまうので、別に「教育勅語」をもう一度、というわけではありません。
しかしながら、日本人はこうした「道徳教育」を一丸となって吸収して実行する国民性なだけに、ひょっとしたら、この発想は参考になるのではないでしょうか?
今回は、明治神宮社務所が発行している「教育勅語」の意訳版(口語文)を入手したものをそのまま記してみますので、興味がある方は是非一度読んでみてください。
(実は、非常にいいことが書いてあるんですよね。。。)
〜教育勅語とは?〜
「教育勅語」意訳版(口語文) -1890年10月30日
国民の皆さん、私たちの祖先は、国を建て始めた時から、道義道徳を大切にする、という大きな理想を掲げてきました。そして全国民が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、またわが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。
国民の皆さん、あなたを産み育ててくださった両親に「お父さんお母さん、ありがとう」と、感謝しましょう。兄弟のいる人は、「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。縁あって結ばれは夫婦は、「似たりで助け合っていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。学校などで交わりを持ち友達とは、「お互い、わかってるよね」と、信じあえるようになりましょう。また、もし間違ったことを言ったり行った時は、すぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と自ら反省し、謙虚にやりなおしましょう。どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と、博愛の輪を広げましょう。誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬をするのですから、「進んで勉強し努力します」という意気込みで、知徳を磨きましょう。さらに、一人前の実力を養ったら、それを生かせる職業に就き、「喜んでお手伝いします」という気持ちで公(おおやけ)=世のため人のため働きましょう。ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、力を尽くしましょう。
今述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であるとともに、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。
このような日本人の歩むべき道は、我が皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなんです。かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも通用する普遍的な真理にほかなりません。
そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実戦に勤めて手本を示したいと思います。
明治23年(1890年)10月30日
御名(御実名「睦仁」)・御璽(御印鑑「天皇御璽」)
ー明治神宮崇敬会刊 「たいせつなこと」よりー
「教育勅語」なんて読んだことがなかったという方がほとんどだったのではないでしょうか?私も初めて読みました。
感じたことは
・日本人の国民性の普遍性あるメンタリティ(精神性)の本質が語られている
・「平成」で指針を失った、日本人の新たなメンタリティ(精神性)を取り戻すためには、このような新たな「令和」的な道徳教育の指針が必要ではないか?
今の天皇は、国家の象徴としての存在であるため、「教育勅語」は二度と出ることはないかと思いますが、政府が代わりとなって、新たな道徳教育の「国家戦略ビジョン」を出してくれると、日本人の力は再び結集するのではないでしょうか?
動き出しているものの、まだバラバラ感があるだけに、「コレクティブ・インパクト」を生み出すため、国家ビジョンとして「社会課題解決大国」、「新たな共生経済」のポジション創りを図ったら、日本はまだまだ期待できる国だろう、と思います。
多少飛躍した記事に印象を思われたかもしれないですが、今の日本に必要だと思うことを述べさせていただきました。
近くこういう考え方が世に広がるといいな、と期待しています。