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脱・少年(19)

「着物は自分で着れていない。(中略)すなわち一人じゃ生きられないんだよ。」

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20

気づけばもう5月。

早すぎる。

今から2ヶ月ほど前、20歳になった。

いや2ヶ月ほど前かい。という。

20歳は、八ヶ岳連峰にある天狗岳の麓にある黒百合ヒュッテでお仕事をしている時に迎えた。

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オーナーの奥様に大好きなモンブランケーキを作っていただきました。本当に美味しかった…ありがとうございました。

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因みに20歳最初の乾杯は、「佐久の花 辛口吟醸(日本酒 長野)」こちらも大変美味しかったです。


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18歳、19歳、これから。

18歳

高校卒業/在学中からドン・キホーテで働き始める/山梨の山に行って仕事(理由は別のnote参照)/長野の山に呼んで頂き仕事/貯めたお金で東京に引っ越し


19歳

とんかつ屋で働き始める/山梨の山に行って仕事/長野の山に行って仕事/御蔵島に呼んで頂き仕事/三宅島に呼んで頂き仕事/札幌と東京で働かせてもらったドン・キホーテを辞める/Pibok Japan合同会社設立


こう振り返ってみると、多くの縁と、タイミングと、要するに運と、人によって今まで進んできた。

東京に引っ越してから、より感じる。

高校生の頃、僕は担任に夢を笑われた。

とりあえず大学に行くことを勧められた。

そんなに学校の進学実績と自分の立場が大事かと煽った。

彼は、小学生、中学生、高校生、大学生、先生、という人だ。

そんな彼が「世の中は甘くない」といった。

笑った。

ただ進学、就職というベルトコンベアーに運ばれて来たような人間がなにを持って「世の中は甘くない」と言えるのか。

立場が上の教員からの言葉と話を、ただ単に担任という受け売りフィルターを通しただけの言葉だ。

そんな人間よりも「着物は自分で着れていない。(中略)すなわち一人じゃ生きられないんだよ。」

と成人式でお話しされた麻生氏の言葉を振り返り、胸に刻もうと思う。

他の一部フレーズが話題になり、ご存知の方も多いと思う。

2020年1月12日、福岡県直方市の成人式来賓挨拶。

「何でおめでたいんだろう」と切り出して挨拶は始まる。

両親や周囲の支えがあったからこそ、20年生きてこれたのだということを諭した上でこう質問する。

「自分で着物を着付けて出て来た人?」

誰も手をあげない。

「着物は自分で着れていない。(中略)すなわち一人じゃ生きられないんだよ。」

と、畳み掛けた。

「パクられたら名前が出る。」

「姓名がキチッと出て20歳と書かれる」

などの過激にも思える(要するに自分の行動に責任を持て、ということなのだが)フレーズばかり取り上げられるが、20歳になり、改めて一人では生きてこられていないということを実感している。

麻生氏は数年前にも同じような発言をされているが、この言葉をこの機会に改めて胸に刻もうと思う。


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賽は投げられた

もはや、自分一人の夢では無くなってきている。

Pibok Japan合同会社を設立したことでより、それが濃くなった。

20歳。

チャレンジは続く。

遊んでいる暇はないが、たくさん遠回りをしたいと思う。

考えることを怠らず、たくさんの事と人を動かして形にしていく。

バドミントンは昔やっていたもの、ではない。

大人だって楽しむ自由はあるはずだ。

本気でやることのなにが悪いんだ。

頑張ってる人を「あいつやってんなぁ」という冷めた目でしか見れない奴が大嫌いだ。

バドだって大学の勉強だってバイトだって、掃除だって。

どんなことでも頑張っている人がいるし、生きている人がいる。

考えて動いてチャレンジする人を僕は応援したい。

支えられるようになりたい。

これからもどうぞ宜しくお願い致します。

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なおき(ばどみんとんばか)
カンボジアに学校を建てたり、愛で地球を救ったりはしませんが、貴方を見たことのない世界にちょっとだけ連れていけます。