人生の形をイメージ形成してみる
ありきたりな話つくされたようなお話ではあるけれど、人生設計について少し思うところがあった。
人生の大まかな流れが、18歳で会社に入社し、ぼんやりとやりたい「今」と、漠然とした将来への不安感を持ちつつ、同じような生活し続け、30代前半頃に結婚して子供が欲しいなとか言った具合でふんわりと考えていたが、不意に一人のパートナーを選んだ時、なんとなく知っている当たり前の夫婦像が自分が選択したものなのかどうか、よくわからなくなった。
とりあえず、どんな形式があるのか整理して考えてみた
(この時点で人生についての主観のスパース間に焦燥感を覚える・・)
まず、子供を育てたい、そして私生活を色めかせるために気の置けないパートナーと一緒に過ごしたい。
パートナーには浮気をしてほしくないし、されたら人間不信になる気がするから、せめて自分は絶対にしたくない。
是非はあるにしても、自分で考えているパートナーとは、一定の共依存を互いに意識的に行い、且つ尊敬出来てマネしたくなるような人だと感じた。
多分人生は、機械的に目の前にある事だけ、自分の興味の範疇で作り上げた世界の中で生きていくだけでも、十分に足りない長さなんだと思う。
だからこそ、堕落論を読み返して自分の意思と人生観に全く違う世界間をもたらせるランダム関数をパートナーに求めて、結局なんにもできない人生だったって思いながら、微笑みながら闘いながらか終結を迎えることを潜在的に意識しているように感じた。
アクティブに動ける性格ではないし、ダサいと思われたくなさ過ぎて、動く前に思考と勉強をしないと不安でなにもできない性格が、一人を謳歌する人生スタイルや、その日暮らしのような時間軸の生活や、多人数の他人とで生活するスタイルや、旅をしながら働くスタイルを、どこか物語の登場人物を見るような何歩も離れた位置からしか見ることができなくなっているんだと自覚した。
なぜ人生設計を少し考えただけなのに、自分の思考の浅さと、ネオフィリアに従う喜びを、生活空間と切り離した次元で考えることが当たり前になっている現状を自覚し、悲観することになるのか。。。
これからも人生設計について考え続けたいと思う。
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