島国の更に島、四国・愛媛から出た事がなかった24歳が、急にアメリカニューヨークへ渡米した理由
はじめに
私は現在ベトナムハノイでほぼニートをしております、EMIです。
小さく事業をやっていたり、書道家として活動してみたり、
固定の収入はありませんが、楽しくストレスフリーに過ごさせて頂いております。
そんな能天気なハッピーパーソンです。
今回は私が3年8ヵ月勤めた大手広告企業リクルートを辞め、
急に渡米した時の話をしようと思います。
また、身近な人にもあまり話してこなかった、「で、あいつ実際ニューヨークで何やってたん?」って所も書いていきます。
「自分が本当にしたい事が何なのか分からない!」
「自分探しの旅」とか言ってる方、
ぜひ読んでみてください。
私的には人生ってそんな事探さなくてもいいような気がしますが、
1人1人が楽しく幸せな人生になったらいいなーと思っています。
また、幸せになるためにはできるだけ多くの人に出会う必要があると
私は思っています。
むやみやたらに色んな人に会う必要はありませんが、
自分が興味がある分野を先行してやってる人には会って話を聞くと
何か見えてくるのかなと思います。
まず日本で何をやっていたのか
渡米前、21歳ぴちぴちのぴっちぴちギャルだった私は、
リクルートでホットペッパーグルメの広告営業を行っておりました。
「おもろそうやん」ってリクルートのCV社員(3年半契約)に応募して、
「こいつ負けず嫌いやん」って採用され始まった鬼の飛び込み営業。
俗に言うビル潰し!(ビルに入っているテナントへ上から順に営業していく手法)
そして俗にいうかどうかも知りません。適当です。
自分が受注できなかった時や、ミスった時は悔しくて何度もみんなの前で泣きながら必死の飛び込み営業をしておりました。
(時には就業時間中に美容院行ってカラーしたり、スパ行ったり、映画館行ったり。
時にはと言うかそうゆう時間の方が多かった気はする。)
そこそこ成果も出始めてやっと、楽しいなー思い始めた頃、
契約満了の時期が近づいてきました。。
この時、退職という名の卒業か正社員として残るかの2つの道がありました。
正直結構迷ってまして、最後までどうしよーってなってました。
(意外に優柔不断。色々な人の意見を聞いて決めるタイプ。)
当時の上司、マネージャーからは残ったら?っていう話で
そう言われると、なんか嬉しくてw(単純)
「じゃあ残ります!」的な感じで返答してたと思います。。
で、遠距離で交際していた当時の彼(同じリクルート在籍)に報告。
「え?海外行きたいんじゃなかったん?」みたいな。
「今タイミングいいんじゃない?」「戻りたかったら海外行ってからでもリクルートなら戻れるやろ」的な。(そんな事言ってたかな)
そう。私はずっと発展途上国の子ども達や、十分に情報が行き届かない場所で育った国の人たちが、「知らない」というだけで自分の可能性が無くなっていくという不平等をなくしていきたいっていう想いがありました。
だって本当はこんな生き方もあるのに、知らずに今の現状に満足せず最期を迎えるって嫌じゃない?
「確かに!」つって二転三転する私の意見をまとめていただき
卒業を決意しました。
なぜアメリカニューヨークだったのか
お前、発展途上国じゃなかったんかい!つってww
卒業する事に決めた私はそこから行く国を調べていきました。
まず、行くためにはVISA取得がいるし~、でもすぐに働く気にはならず、
就業VISA じゃなくても入国できて、発展途上国でという条件で探していました。
そこへ「あんた英語できるん?」と母上からの一言。
お、、、、私英語できんのやった!!と。。。
私のこの頃の英語力はというと、海外旅行した時は、
ドリンクのオーダーですら全て一緒に行った人に任しており、
挨拶ですら、へろ~くらいしか言ってなかったような記憶です。
日本で知らない外国人に声掛けられた時は、
あーゆー、、あーゆーー、、Are you?みたいなww
そこで、よし!まずは英語を取得しよう!せっかくならネイティブがいい!
そしてせっかくなら都会でシティガールなりたい!つって
色々な条件が当初の条件をかき消していき、私の予定はかなり変更され、
世界の都会といえば!”New York City“という事で行く国が決定しましたw
ニューヨークで何をやっていたのか
行く国が決まったらあとは出発するのみ!
住む家だけ決定してすぐに渡米しました。この頃24、5歳くらいかな。
最初は1人だと不安なのでホームステイで1ヵ月契約し、
空港到着して、ホームステイ先の家族がお出迎え。
「Hey!」つって色々な事を話してくれるのですが、一切分かりません。
家に到着後、洗濯方法や、調理のルール等丁寧に説明してくれるのですが、
こちらも一切分かりません。
「Totally Fine!」とか言って、何も分かっておりませんでしたが、
まぁやりながら覚えたらいいやろ、的な感じで考えていたので、
実質Totally Fineですわ。
そんで日本のお土産(扇子とか、梅干しとか、お箸とか)渡して、
日本人の大人しくていい子っていうイメージ付けに成功しました。
そこから語学学校行った方が英語取得は手っ取り早いかと思い、
シティガールになれた事だし(郷に入ったらもう従うも何も郷の人間になったようなもんよ!)、ニューヨークのあの!エンパイアステートビル内に学校があると聞き、
そこに即決しました。
(入学手続きは日本人に頼みましたよ。なんか元々日本で知り合いだったニューヨーカーがニューヨーク在住の日本人を紹介してくれて、初めましてですが、その方(弁護士の卵。小室さんが頑張って取ろうとしてる資格保有者)に全て頼みました。せんきゅー)
入学初日、クラス分けも分からず、どこに行っていいかもわからず、先生も丁寧に教えてくれずでしたが、ワクワクが勝っていたので、不安や大変さは感じませんでした。
なぜか週末遊べるような友だちもできており、忙しい日々でした。(どうやって友だちになったのか、もはや分かりません)
何日何時にどこどこ集合!って言われてもまぁ分かるわけがなく、全てオッケーしてたら、
ある日授業の時間に同じ学校の友達と遊ぶ予定が入っていたらしく(私はもちろんおっけー言ってたみたい)
私的には、後で授業だったわごめーん!でいいと思っていたのですが、
約束の時間にクラスの外にその子がきて私に合図してきます。
「お前忘れたのかよ、今から遊ぶんだろ、早く出てこい」みたいな、そんな感じでものすごい剣幕で私を呼んでいます。(トルコ人女性は大きくて、ガタイがよくなんか怖いです。ニューヨークの先生曰く、大きい方がモテるらしいw)
お、おぉ、じゃあ行くかと思っても、先生にそんなうまく言い訳できるわけないし、
その子はペラペラなので、そこまで来るんなら、先生にもその子から言ってほしいもんだわ、と思いながら渋々みんなの前で先生へ
「Excuse me, Ummmmm、、、Pa,,,Party Today, …I have to go!」みたいなww
先生も「え?」ってなってたと思いますわ。
「Sorry!」いうて、授業放棄してBanana Republicへ行った記憶があります。
そんなこんなで最初は語学学校費用や、交際費で破産寸前でしたw
やばい!働かなきゃお金がない!となり始め、仕事先を探し始めましたが、
電話ではうまく話せないと思い(英語がまだ不慣れ)
履歴書数枚持って、広告企業のリスト作ってニューヨークで自分を売り込みに飛び込み営業しました。(←これ結構驚かれるのですが、その頃はその方法しか思いつかず、電話の方が緊張してました)
そこで一つの広告企業が、「猫の手も借りたいくらいだったよ~」みたいなノリでWelcom対応してくれて、入社する事ができました。今思えば本当に職が見つかってラッキーでした。しかも給与がなかなかいい。
その頃は冬のニューヨークでマイナスの世界。極寒の中またまた飛び込み営業をしておりました。
日本の営業時代と比べ、いとも簡単に契約が取れていき、
レディーファーストの国っていいな~と感じた瞬間でした。
ニューヨークで得た物は何か
私の慌ただしいニューヨークライフは急に終わりを告げます。(前のブログ参照)
VISA更新が難しく数か月で帰国を決意した私でしたが、何のために行ったんだろう、と当初は思っておりました。
英語が格段にうまくなったわけでもなく、何か資格を取得したわけでもなく、やりたい事が見つかったわけでもない。お金と時間無駄にしたのかなーなんて感じてましたね。
今だからこそ思う事は、
ベトナムに来られたのは、ニューヨークに行ってたからであり、
大きく言えば今の私があるのもあの時ニューヨークの経験があったからです。
というのも、ベトナムで最初に内定を出してくれた会社は私がニューヨークに居たからという理由で帰国子女並みの英語力と思っていたようです。
本当はその頃はカタコトに喋る程度ですw
まぁ、面接で確認しなかったのが悪いよねー、私は聞かれたらこたえたよ。
後々「行ってよかった」と思うようになったので、
当時はなかなか周囲にアメリカ行った時の話はできなかったような気がします。
ただ遊んで帰ってきただけな気がしていたので。。
だけど、今は行ってみて本当によかったと思います。が、
ニューヨークじゃなくてもよかったな。ww
さいごに
人生は点と線だと思います。
その時その時「これだ!」と思った事に全力で挑んでいたら、
いつか繋がっていき、自分の考える幸せに近づいていくのだと思います。
今私が行っている書道も、小学生の時面白そうだなと思って軽い気持ちで始めた事がハマって師範免許取得し、それが今に繋がっていたりします。
その頃は書道家になりたいなんて微塵も思っていませんでしたが、
何かのタイミングで繋がったりするんですよね。
それが人生の面白い所ですね。
ぞれぞれの面白い人生聞かせてください!
色んな人と繋がって、面白い人生にしていきたいので、
みなさんどこかでお会いしましょう!
アディオス!