3度目の流産(6週目自然排出)

2年ぶりの投稿。
出産からの育児で毎日忙しいような、穏やかなような、とにかくまとまった文書を書く状態ではない日々が続いていた。
久々の投稿はもちろん、第二子を流産したから。
喪失に直面すると、言葉を綴らねば耐えられなくなる。

妊活を再開したのは、年明けからだった。
もう少し早くから始めたかったけれど、授乳中はまったく生理が戻らなかったので、始めたくてもできなかった。
息子が1歳になったのをきっかけに断乳したら、翌月からすぐに生理再開した。ホルモンの力はすごい。
タイミング法で臨んだものの、1月、2月は逃し、3月の排卵日で妊娠することができた。
(ものの、とか言ったけど相変わらず十分スムーズな妊娠)

今回は、着床前から明らかにつわりらしき体調不良があり、生理予定日の前日にフライング検査したところ、やっぱり陽性。
翌週に産婦人科受診したけれども、胎嚢が確認できなかった。
例によって「子宮外妊娠の可能性もあり…」と言われ、無駄にハラハラ過ごした。たぶんこれ、妊娠のたびにやる気がする。

翌週の受診では非常勤の先生が見てくれて、小さい丸はあるが「胎嚢と断言はできない」と言われ、また保留に。
(ここで胎嚢と判断して不育症治療をスタートしていれば…と思わないでもない。)

結局、自宅での検査薬陽性から14日後、院長先生の診察にて初めて「胎嚢これですね、着床していますよ」と言われた。


ここからが問題。
今は4月。新生活のスタートだ。
ドタバタの慣らし保育、復職、“洗礼”と呼ばれる息子の発熱、合間の家事育児。業務量を増やしたくとも、子供都合の欠勤がどれほどになるか読めない。先が見えないストレス。
息子の夜泣きも酷く、睡眠不足も続き、コンディションは最悪だった。

たぶん、極めつけに、走った
妊娠初期の妊婦なのに、走ってしまった。
仕事が少し長引いてしまったから、駅から保育園まで走ってお迎えに向かった。
その日の夜から、出血が始まった。

2度目の流産でも不正出血はあったけど、比じゃないレベルの鮮血。
1日様子を見たものの、どんどん量が増えるので受診。
この時点では、まだ胎嚢はあって、止血剤と、新しい不育症治療薬をもらった。
(このときの診察料は薬代も合わせて2万4千円だった。高い。)

医師は、年齢的に染色体異常で自然流産する確率はそんなに高くないはず、しかし出血量が多すぎる、と険しい顔をしていた。
それでも、止血剤の効果は虚しく、出血量の増加とともに、懐かしい子宮収縮の痛みに襲われた。
生理痛とも少し違う、掻爬手術や分娩の後のようなキリキリ感。
血の塊もいくつも出た。
あのうちのどれかが、我が子(になるはずだった細胞)だったのだろう。

再診の結果、やはり胎嚢がなくなっていたので、止血剤から子宮収縮の薬に切り替えになった。
手術ほどの負担もなくあっけなく終わった今回の妊娠。
不育症だとわかっていたのに、油断して、流産してしまった。
正直、後悔が強い。


夫が「早生まれは避けたい」と言うので(スポーツ選手にしたいわけでもないのに、見当違いな懸念だと思うが、彼は迷信に縛られる人間だから仕方ない)、7〜8月まで妊活休止になりそう。


次に妊娠したら、最初からきちんとお腹を守り、大事にしようと思う。
だから、諦めずにまた来てほしい。
ぬいぐるみで「よしよし、ぎゅ〜」の練習に励む、優しいお兄ちゃんもいるからね。