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ノスタルジー


電車で2駅、そこから15分ほどバスに揺られ、さらに歩くこと10分。
某古本街の大通りから少し外れた小さな通りにひっそりと佇む古びたビル。人気は無く一見ただの廃ビルにしか見えないその建物の前を、都会の時間に追われる人々は足早に通り過ぎていく。
そこが私の目的地だった。

長年の汚れのせいでくすんでしまったガラスドアをそっと押し開け中に入ると、備え付けの小さなエレベーターに乗り込む。3階行きのボタンを押し、ガタガタと音を立てながら閉まっていくドアを眺めながらそっと息を吐き、壁にもたれ掛かる。
ここに来るときは何故かいつもエレベーターに乗り込むまで安心出来ない。別に悪いことをしているわけでもないのにどうしても人目が気になって息を潜めてしまう。
ぼんやりとそんなことを考えているとチーンと軽やかな音が鳴り、自分がエレベーターに乗っていたことを思い出す。
顔を上げ、エレベーターから一歩踏み出すと、そこに広がっているのは廃ビルのような外見からは想像も出来ない世界だった。

シックな赤い絨毯に温かさ溢れる黄色い照明、微かに鼻腔を擽るコーヒーとポップコーンの香り。そして壁に視線を巡らすと、往年の映画スター達がポスターの中からこちらを見つめている。
そう、ここは映画館だ。
映画館といってもスクリーンは一つしかないし、スタッフは館長1人だけ、ロビーで寛いでいるお客さんも片手で数えられる程しかいない。おまけに上映映画も上映時間も決まっていなし、料金は鑑賞後にお客さんが自分で金額を決めて払うことになっている。唯一はっきりとわかっていることは1日1回しか映画を上映しないということだけ。


どうして私がこの映画館に足を運ぶようになったかというと、館長が私がアルバイトをしているカフェの常連さんだったからだ。
ふとしたきっかけで互いが映画好きだということを知り、意気投合。そしてある日、「もっといろんな映画を見てみたい」という私の要望を聞いた館長がここに連れてきてくれたのだ。
それからというもの週に一回は必ずこの映画館に足を運んでいる。


懐かしい思い出に思いを馳せながら、ロビーのソファーに腰を下ろし、壁に飾られてるたくさんのポスターに目を向ける。
ここに飾られてるポスターの数々は館長のお気に入りのらしい。
『タイタニック』や『007』シリーズ、『ティファニーで朝食を』など私の好きな作品のポスターもたくさん飾られていて、いつ見ても心が踊る。


ぼーっとポスターを眺めながらどれくらいの時間が過ぎただろうか。ふと気がつくと音楽が耳に流れ込んできた。
音楽が流れるのは上映五分前の合図。ちなみに曲は日替わりで、全て館長がその日の気分で選んでいる。
今日はThe Beatlesの"You Never Give Me Your Money"。
頭を音楽で満たしながら腰をあげ、他の数人のお客さんとともにスクリーンに繋がる扉に向かう。

私はこの時間が好きだ。
席に着き、スクリーンが少し広がってから映画が始まるまでの僅かな時間。
これから出会っていう異世界への希望や不安。きっと一生これを抱えて生きていくだろう。


本日の上映作品は『プラダを着た悪魔』
"I mean, what if I don't wanna live the way you live?"
"Don't be ridiculous, Andrea. Everybody wants this. Everybody wants to be us."
「もし私があなたみたいに生きたくないって言ったら?」
「馬鹿なこと言わないで、アンドレア。みんながこれを望んでいる。みんなが私達に憧れているのよ。」


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