『だから、もう眠らせてほしい』を読んで
ただいま8月31日、午後10時55分。
タイムリミットは後1時間5分。
間に合うか分からないけど、つたない感想文を書いてみようと思う。
この本にちゃんと出会えたのは、SNS医療のカタチONLINE。「今日、僕たちと死の話をしよう。」だった。
医療関係者でもなく、当事者でもない、ただの子育て中の主婦。
幸せなことに両方の両親も健在で、死を身近に感じることもそれほど多くなくいままで生きてきた。
そんな私が緩和ケアについて考えてみた。
自分の親だったら。義理の親だったら。夫だったら。自分だったら。絶対に考えたくないけど、子どもだったら。
例えば、うちの母親は割と死に対して抗わない質のようで、「延命治療はしたくない、でも痛みだけは取ってね。」と言っている。犬猫好きの母は、先に送ったたくさんの子たちに会えるのを楽しみにしている。「もう眠」を読んだ後の私には、その願いがそれほど簡単なことではないと気付いてしまったのではあるが。
夫の両親は、出来る限りの最善の医療を、と望んでいる(と思う)。先日曽祖母を送った。98歳、大往生である。それでも「あのときもっと早く気付いていれば…」「もっと生きていてほしかった」という思いを義理の母は持ち続けているようだった。
人によって、思い描く理想の「死」は全く違う。
「パズルの最後の1ピースのよう。」とONLINEで西先生はおっしゃっていた。(うろ覚えでごめんなさい)、そしてそれを本人は自分で完結することはできない。
周りの人は、その最後の1ピースをできるだけ本人の希望に沿った形で完成させてあげられたら…
そう遠くない将来、きっと見送る時が来る。そのときに。
「まず、座れ。」
これを思い出そう。ゆっくり話をしよう。手なんかマッサージしたりして。
正解なんて、どこにもない。きっとどうしたって、あとで「もっとできることがあったんじゃないか…」と後悔するかもしれない。
それでも、そばにい続けることをやめない。
答えのでない事態に耐えうる力、ネガティブ・ケイパビリティ。
これって、子育てにもめっちゃ当てはまると思う!
こちらは昨日購入したので、これからゆっくり読ませていただきます。
ただいま、23時47分。
こんなに思いつきと勢いで書いた文章をあげてしまっていいのか震えています…
最後に、この話を聞いたとき、浮かんだ絵本を2冊。
お読みいただいた方、本当にありがとうございました。