ゴールデンカムイが発明したアイヌ
久々に地元に帰ると、大きな池のある公園に立看板があった。
「ここは新撰組志士の〇〇が△△した池です」
私はそれが創作映画にあやかって立てられた看板であることは知っていた。
つまり実在しない人物の架空のストーリーに対する説明が書かれていたということなのだ。これは冷たくいうと歴史の捏造とも言えるが、私は黙認した。いや、むしろ誇らしい気持ちにすらなった。この何の変哲もない池もストーリーを与えられ、人々に思いを馳せられる存在となったのだと。
バリの伝統芸能とされる「ケチャ」は1930年代に観光向けにドイツ人画家によって(再)発明されたものだという。[1]スコットランドのチェック柄のキルトの民族衣装も18世紀ごろに商業的な目的で生まれたものなのだという。[2]
日本でいうと土用の鰻、バレンタインデー、恵方巻…。グローバリズムによって均質化された世界に生きる我々にとって、アレンジされて手に入り易い「創られた伝統」はお誂え向きだ。むしろ日本は伝統を発明しながら発展してきた典型的な国ともいえるかもしれない。
同じ文脈で、ゴールデンカムイ[3]は我々の期待に応えるものだった。
ゴールデンカムイは明治後期の北海道を舞台に、アイヌや日本軍(第7師団)を描くコミックスである。日露戦争や土方歳三など史実や実在人物を散りばめて、フィクションだが実際の歴史のなかにあったストーリーのように読ませるのが特徴だ。
また本コミックスの終了を祝して行われているゴールデンカムイ展[4]においては実在したアイヌの文化や日本軍の遺品等を展示することで、さらに読者はフィクションと歴史が渾然一体かように体験する。
これこそがゴールデンカムイによる「アイヌの発明」である。
多くの国民がアイヌの文化、言語、そしてその存在そのものに目を向けるようになった。創られたアイヌであっても、ところどころに真実が散りばめられているだろうし、それをきっかけに学ぶものがいるだろうし、北海道に足を運んだときに思いを馳せる人々を劇的に増やした。
これに対し、アイヌの迫害の歴史がむしろ忘れられる懸念があるという意見もある。[4] むろん、作者の野田サトル氏にはそういった政治的な意図はないと思う。これは「創られた伝統」の影の部分だ。嘘を嘘と見抜けない人はフィクションを史実と区別できないために、真のアイヌ史への無理解や軽視が進むことは副作用として認知、対策される必要があるだろう。
歴史小説の大家である司馬遼太郎氏は紛れもなく著書で坂本龍馬を発明した人物といえる。「竜馬がゆく」とりゅうの字を変更したのは、これがフィクションであると示すため、という説がある(ソースなし)。それでも竜馬の影響は強く、幕末における坂本龍馬の役割はようやく近年になって史実に基づいて教科書に取り上げられるかどうか決めるべきだという議論になっているようだ。[6]
ゴールデンカムイもまたアイヌ漫画の金字塔としてしばらく日本で読み継がれる名作といえるだろうが、そこで発明されたアイヌが一人歩きしないよう、我々のリテラシーを一段上げたい。
参考文献、URL
[1] https://www.veltra.com/jp/yokka/article/kecak/
[2] 創られた伝統 https://www.amazon.co.jp/Invention-Tradition-Canto-Eric-Hobsbawm/dp/0521437733/
[3] ゴールデンカムイ公式サイト https://youngjump.jp/goldenkamuy/
[4] ゴールデンカムイ展 https://goldenkamuy-ex.com/
[5] Yahooニュースhttps://news.yahoo.co.jp/articles/8d658fb71f6b19298c0f481e049a1a75f7d88782
[6] 朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASL174FXXL17UWPJ003.html
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