俺が爺さんを助けた話

 最後に投稿したのは・・・。
 いつだったっけ。一個前のタイムスタンプを見ればわかるのだが、多分、今年の春に差し掛かったあたりだろう。
 春夏は心が強い。今は、そう割り切ってもいる。攻撃力が強いのか、防御力が強いのか、両方か、また別のものなのかはわからない。
 今年の夏は輝度が高い場面がいっぱいあって、その記憶はそのままの明るさで記憶されている。最も輝度が高い記憶は、吉祥寺の商店街で弾き語りの真 夏の果実を聴いた時のものだ。数秒聴いただけだったが。
 先週の土曜日に、銀座のコーヒー屋でエスプレッソ(と思っていたがデミタスだった)を飲んだら、あまりの旨さにそれ以後、舌が回想するようになってしまった。
 もともとエスプレッソは好きだったが、持ち前のケチ精神から積極的に頼むことはしなかった。(デミタス表記だったから頼んだのだ。そして俺の中ではあれはエスプレッソであるからここではデミタスの話は出てこない。)
 舌の回想には抗えず、翌日モカエキスプレスというエスプレッソマシン(と思っていたがちょっと違うらしかった。しかし俺の中では・・・)を注文した。
 日曜日に頼んで、今日来た。その間、何度あの味を思い出していたかわかるだろうか。
 午前中に受け取って、すぐに使ってみた。全体はアルミ製の容器で、熱すると底の水を入れたタンクから、コーヒを入れたバスケットを通り、圧力がかかり抽出されたコーヒーが管から出てくる。見ていると楽しいものだが、射精に似ていると思った。
 出てきたものを飲んでみると、舌が覚えたあの味ではなかった。しかし、エスプレッソはエスプレッソだ。俺の中では!(威圧が効果的な場面もあるのだ。)
 味の試行錯誤の目的も込で、続けざまに、コーヒーを飲んだせいか、途中カフェイン中毒のようになった。「コ匕クラ」という言葉が頭に浮かんできて、一人で笑った。こんなことで一人で笑っている俺は久々に孤独を感じ始めた。
 業後に、その思いが破裂しそうになった。前の記事で書いた、鋭いものというよりかは、殴打されるような鈍い感じだ。何かを食べようと考えていたが、すっかり、食事に飽き始めている自分に気づいた。
 とりあえず、スーパーの「OK」に行った。鍋にいれるダシを見て手にとったり戻したりしいたが、駄目だと思った。こういう状況の時に自炊は良くない。飲食店に行こう。
 またとりあえず、駅前に行った。駅前の中華料理屋に行こうとしたが、やめた。二三ヶ月の間に味がかなり落ちたと思っている。よく話すおばちゃんと会えば、多少は店に行く動機に合致するかもしれないが、そこや味にわずかな希望を見て、たまに顔を出す選択は、どれだけ孤独だろうが選ぶ気にならない時もある。
 結局、おじさん、おばさん、二人で回している狭いカレー屋に入って、静かにカレーを食った。これでも多少はいい。
 帰り道、少しの人混みを感じたくて、店が並ぶ駅前の通りを自転車を持ちながら、歩いた。さぁ帰ろう。
 自転車に乗りながらYoutubeに上がっている、HIPHOPのフリートラックをイヤホンで聞きながら、社会に対する言葉を探していた。柳通りの信号で二回連続で赤を食らった。今日は全部の信号で止まることになるかもしれないと思った。三回目がきてまた止まった。その時、左から、誰かが近づいてきた。
 70後半か80過ぎの爺さんだった。俺は、真っ先に、イヤホンを外した。つけていることに説教を食らうと思ったからだ。その場合の受け答えのイメージもした。

 「すみません。○○(地名)ってどこですか」

 会話のイメージと全く違うものだったから、〇〇(地名)がわかるまで二秒くらいかかった。〇〇はすぐわかったから、指でそっちですねと返した。

 「家がわからなくなっちゃって、西友に買い物しにいったら。住所は○○の○-○-○なんですけど」

 迷子か。と思った。すぐに頭を切り替えて、マップで見ると、自宅の近くだった。一緒に行くと申し出た。

 それから、自転車で移動を開始したのだが、爺さんは、耳が聞こえにくいのかはわからないが、なにを言っても無反応だった。
「こっちです」
「まだ先ですか」(爺さんはまっすぐ前を見て)
「ツタヤの近くです。見覚えありますか」(携帯で地図を見せて)
「まだ先ですか」(爺さんはまっすぐ前を見て)
 こんなやりとりが、何回も続いた。爺さんは、体力の問題なのか、道を思い出そうとしているのか、俺を疑っているのかわからないが、5~7mあとから着いてきた。俺は何度も立ち止まって後ろを見た。全部の信号で赤を食らうのとどっちが時間がかかるのだろうか。
 少し坂があるところで、振り返って爺さんを見たが、10mくらい離れていた。俺は待ったが、何故か、頭の中で兄貴が登場して「一緒に歩いてやれよ」と説教してきた。
 爺さんが、俺を疑っている線も考えて、その場合さっさと俺が居なくなったほうが、爺さんのためかもしれないと思った。
 おまけに、この爺さんからは、送り届けたとしても感謝の言葉は出ないかもしれない。という理由で、爺さんを見捨てる世界線と助ける世界線の行き来を頭の中でしていた。
 もちろん、俺は実は血も涙もあるやつだし、なんといってもこんな、やりとりとも言えない、関わりですら、心の寂しさが癒えているのを感じているのだから、当然助ける。
 そろそろ着くというときに、携帯の充電が切れそうだった。爺さんは、近くになっても、一向に場所がわからなそうだった。送り届けられたとしてもやばいんじゃないかと思った。
 なんとか、さくら通りを、少し曲がったところの爺さんの家があるアパートに着いた。爺さんは 、家の前まできても、しばらく記憶の復活が起きていないようだったが、ようやく「ここだ」と思い出した。よかったと思ったら、「どうも」と手をチョップするときの形にして頭の高さに持ってきた。感謝はするらしい。
 「よかったですね。じゃあ」といい俺も去った。ところが、ちょっと離れたところで、大丈夫かと振り返ると、爺さんはアパートの前で、自転車もおかず確かめるようにじっとしていた。近寄ると、自転車を漕ぎ始めたから、追って呼びかけた。反応がない。本当に耳が悪かったようだ。
 肩を軽く叩いて、大丈夫かと聞いたら、「飯食ってないんで、弁当買いに行くんですよ」と言われ、またチョップを掲げた。俺はわかりましたと言い、それからは、少し心配はあったが、爺さんのほうは振り返らないと決めた。
 帰りに、爺さんが向かった方向とは逆のコンビニで、タバコを吸った。こんなやりとりともいえないことで心が復活するとは。そうとなったら口に出そう。

 俺は、老若男女からのお困りごと大歓迎だ。

冬季限定かもしれないが。


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