創作大賞2025に向けて
いろんなコンテストに落ちた。エッセイで失敗をして落ち込んだ。創作は難しくて怖いとより実感した。それでも書くのをやめられない。
そして、ずっとこの企画に参加したかった企画がある。
それは、たおたおさんの「創作大賞2025に向けて」。
でも目標を立てて公開するってハードル高いな。フォロワーの方にどう思われるんだろう。他の参加者の方みたいに強い思いで今は書けない。そんなふうに不安な気持ちと自信のなさで、勇気が持てなかった。
シンプルに考えた。
2つ参加理由ができた。
まず、たおたおさんの企画に参加したいな、と。
たおたおさんの一覧がうれしかったから。
黄色と赤の一覧職人のにゃんこアイコンさんことたおたおさん(勝手にごめんなさい🙏)。
少し遡って、創作大賞のどこだっけと探していたら、創作大賞のはクマノミだった。癒される。
これを作ってくださったたおたおさんの初企画にぜひ参加したいなと思ったのだ。
創作大賞の応募締切を過ぎてから、反省やら後悔やらいろいろした。スピンオフも書いた。
そんななかで、来年もしまた創作大賞があるなら、書いてみたいものが具体的に浮かんだ。最初に浮かんだのは8/24。
かれこれ3ヵ月近く、少しずつその構想を膨らましている。まだ登場人物の名前すら決まっていない。でも、設定だけで、既にそれぞれが愛おしい。
シンプルに、このとりとめのない思いを綴っておきたいと思った。これが2つ目の参加理由だ。
前置きが長くなってしまった。悪癖だ。
では、企画内容に沿って書いてみたい。
なんてやさしいルールだろう。すごく、やさしさとホスピタリティーを感じた。
自信喪失モードのため、弱い意気込みだが、ここに宣言したい。
今考えている小説を、応募ジャンルに沿う形で来年の創作大賞に出す。
それだけ?と思われたかもしれない。
今はこれが私の精一杯だ。
賞を取りたいとか、中間選考に残りたいとか、今年より多くの人に読んでもらいたいとか、離脱率を下げたいとか。
そういう思いがないと言ったら嘘になる。
でも、そこまでの強い思いを今宣言するほどの勇気は持てなかった。
私のなかで大切にしたいことを書けるんじゃないかと思っている。というのも、まだ本文は1文字も書けておらず未知数だから、思っていると書いた。
1つ決まっているのは、小説であるということ。ジャンル問わず本当にいろんな創作をかじっているが、一番書いていてやりがいがあるのは、やっぱり小説だ。苦しいし悩むけれど、推敲を重ねて書ききって公開し、スキがついたときの喜びはひとしおだ。あ、届いた、と心が踊る。
そこそこの長さのものを、貴重な時間を割いて読んでいただける。それだけでありがたいことだと思う。
特に、今年の応募作を読了して感想までいただいたときは、感無量だった。本っ当にうれしかった。
赤く輝くスキと、びっしりと埋められた白くまぶしいコメント欄(私はダークモードのため、文字が白い)。これは、本当に宝物だ。自信をなくすたび、このときのスキとコメント欄を眺めに行ってしまうくらいに。
小説で応募するということは、少なくとも2万字以上書くことになる。多分、今回の構想を形にすれば、それ自体は問題ない。
問題は、きちんと1つの作品としてまとめあげられるか、応募ジャンルに沿わせられるか、という点だ。平日は終電間際まで残業が今の状態で、これがもうしばらく続く。ちゃんと書けるようになるのは、少なくとも年が明けて以降。それまでは、準備期間としてネタ帳を埋める。インプットを行う。今、積ん読になったままだった小説を、昼休みに少しずつ読んでいる。やっぱり本として売れているものってすごいと思うし、純粋にぐんぐんと引き込まれて、忙しい最中の一服の清涼剤だ。推しのエッセイとその小説を読むために、昼休みを確保しようと努めるくらいに、読みたい。今の私の昼休みを作ってくれているのは、この2冊の作者だ。
そういう作品を書ける人ってすごいなぁと思う。
ちなみにその小説のほうの初版は12年前に出ている。文庫版を買ったため解説がついているのだが、解説もまた素晴らしい(先に少し読んで、ネタバレになりそうなところでいったんやめた)。冒頭を読んだだけでこの本を買いたくなるし、読み進めたところまでの解説に相槌を打ちたくなる。
ベストレビュアー賞をとられた錚々たる方々のレビューは、本当に目を瞠るものがある。私が好きな作品のレビューも、首をぶんぶん振りながら読んだ。こんな風に書けたら気持ちいいだろうと思うし、こんなレビューをいただけたご本人もめちゃくちゃうれしいだろうなと。
自分も作品を書きながら、他作品を全力で推す。すごいことだ。ベストレビュアー賞受賞者のみなさんの授賞式のレビューも素敵だった。
4作品だけ感想記事を書いたが、私に感想文は向いていないなと痛感した。
それでも、どうしても届けたかった。作者の方にも、フォロワーのみなさんにも。本当はもっともっといっぱいあるが、書ききれなかった。
読書感想文について、書きたかったことがある。
高校時代にすごい読書感想文を書いた同級生がいた。その感想文自体が文学作品みたいだった。なぜ読めたかというと、個人的に読ませてもらったわけではなく、校内選考で学年で一番優れている作品に選ばれた作品だからだ。
私の高校では、毎年課題作に沿った読書感想文が長期休暇の課題に出され、各学年の最優秀作品のみ、活字となって配布される。他、佳作10作品は、名前とタイトルだけが表として印刷され、最優秀作品とともに配られる。2年生のとき横山秀夫『クライマーズ・ハイ』で書いて佳作だったのが、唯一引っ掛かれた思い出だ。
もうその感想文は読めないし、大変恐縮ながら、その内容もおぼろげだ。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』についての感想文だったということと、とにかくずぎゃんと胸を鷲掴みにされるような作品だったということだけが、今でも記憶に残っている。しかも、たまたま、前の席の子で、私の本名と漢字1字違いの子だった。運動もできて県大会でも上位に残るような子で、しかも性格も本当に良い。尊敬していた。
彼女の文章に打ちのめされた。しかも、文章以外もでき、読書感想文はそこまで好きではないというのだ。文章では太刀打ちできないと思った。それから10年余り。今こうして文章を再び書くようになろうとは、当時は思ってもみなかった。
話が逸れてしまって大変申し訳ない。
とにかく、ベストレビュアー賞を狙いにいくのは私には無理だ。
エッセイも、今の私ではまだだめだ。
だから、小説に心血を注ぎ、形にして出す。そして、応募ジャンルに沿わせる。
応募ジャンルに沿いきれなかったことが、今回創作大賞に参加した際の後悔の1つだ。書きたいことを優先し、求めるものを出せなかった。それ以外にも反省点は多々あるが、やはり応募ジャンルに沿うというのは最低限のコンテスト主催者・協賛者への敬意だと思う(要項に沿うことは前提として)。それが欠けていたのはよくなかった。
だから、とりあえず今年のジャンルを参考に書きながら、発表されたときにばっちり合うジャンルを見つけ、そこにしっかり沿う作品に仕上げて出したい。
これが1つ目の宣言だ。
そして、もう1つ宣言しておきたい。
配慮を怠らない。
何を当たり前のことをと思われるかもしれない。でも、その当たり前が私はできていないと今年ある記事を書いたときに気づかされたのだ。
作品としての魅力やオリジナリティに欠けたり、齟齬があったり破綻したり。それもよくないけれど、それで人を傷つけまではしない。とはいえ、時間を無駄にさせてしまうことになるから、そうならないようにもちろん最大限の注意を払う。
でも、何をおいてもまず、配慮が欠けないようにしようと思う。読者への配慮はもちろんのこと、作品を書くにあたってどうしても参考にせざるをえないものたちへの配慮もだ。
連想させてしまうものに対する敬意をもって、しっかり調べ、書くことと書かないことをしっかりと分ける。書いた後、細かく削る作業を大切にしたいと思う。彫刻作品を削りだすつもりで。
とにかく、精一杯書いて形にし、推敲を重ね、配慮を心がけ、自分なりに後悔のないところまで書ききりたい。
そのために、来年まで心身ともに健康でいたいと思う。
今少し危ういので、春までに仕事も落ち着かせ、起こりそうな燃え尽き症候群も乗り越え、しっかり休んで万全の状態で臨む。意外と今の私にはハードルが高いので、まずはここから整えていきたい。
よしなしごとをそこはかとなく書きつくる感じになってしまったが、これにて幕を閉じたい。
次は創作大賞の舞台で落ち合えれば、これ幸いである。