189ページの紙のマガジンに栞を挟む
みなさんこんばんは。
「秋ピリカグランプリ」の結果発表が、先週と今朝行われましたね。
まず、「秋ピリカグランプリ」を主宰してくださったピリカさん、今回も素敵な企画を催してくださり本当にありがとうございました。
そして、運営・ご審査くださった卯月紫乃さん、Marmaladeさん、豆島 圭さん、樹立夏さん、geekさん、白鉛筆さん、ナアジマ ヒカルさん、豆千さん、めろさん、本当にありがとうございました。
「紙」というテーマは、今回の受賞作はもちろん、過去最多の189作品を生んだ、素敵なテーマだと思います。日常的に側にある「紙」。創作者のみなさんのなかには、紙にアイデアをまとめていらっしゃる、下書きをなさっている方も多いのではないでしょうか。そんな紙をテーマに綴られた189作品。まだすべては読めていないものの、読ませていただいた作品を通じて、多様で多彩で珠玉の作品が結集していると確信しております。読めていない作品もゆっくり味わわせていただきます。
秋ピリカグランプリのマガジンは、思いがぎっしり詰まった全189ページの「紙」作品集です。
紙に並々ならぬ思いを寄せる私自身、このテーマをいただき、創作意欲を掻き立てられました。
素晴らしい企画を運営し続けてくださり、心より感謝申し上げます。
ピリカさんと審査員のお2人のお声もぜひ。
noteのミッション「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」を体現されている企画者のお1人。それがピリカさんだと思っています。
創作を楽しんでほしい。はじめてさんも大歓迎。公平に、真摯に。コメント欄で交流を深め創作者同士で盛り上がってほしい。これからも創作を続けていってほしい。
そんな思いがひしひしと伝わってまいります。
そのピリカさんの周りに集いし精鋭の素晴らしいクリエイターのみなさん。素晴らしいチームでこんなに素敵な企画が創られていること、一参加者として本当にありがたいです。
私は今回で3回目の参加となります。去年なら参加は叶いませんでした。参加してこんなに素敵な運営、審査員の方々に読んでいただけたこと、素晴らしい作品、作者、読者のみなさんに出会えたこと。とても幸運に思います。
運営・審査員のみなさん、長きにわたってのご準備、運営、ご審査、本当にありがとうございました。
それぞれにとてもお忙しいなかで、間口を広げようと努められ、過去最多の作品と向き合われるのは本当に大変だったと存じます。
初めてコンテストではない小さな小さな自主企画を運営し、そんな小さな少人数企画でも、楽しくも大変でしたので、この大企画を数年続け、今回もやり遂げられ、私たちを楽しませてくださったこと、本当に尊敬の念に堪えません。
心構えからご講評まで、受賞していない私自身も大変勉強になりましたし、胸が熱くなりました。今後の創作の糧とさせていただきます。
そして、大変おつかれさまでした。
どうかごゆっくりお休みになって、次はクリエイターとしてお力を発揮なさってくださいね。その作品を拝読するのを楽しみにしております。私も自己研鑽を積んでまいります。
カニさんの竜田の川の錦を彷彿とさせるヘッダー画像も素晴らしいです。この秋何度もこのヘッダー画像が流れてくるたび、テンションが上がりました。素敵な画像で彩って参加者を盛り上げてくださりありがとうございました。
そして、受賞されたみなさん、本当におめでとうございます!!🎉✨
読んだ作品、すべて魅力的で素晴らしかったです。まだすべての作品を読めておりませんので、栞を挟みながら、少しずつ拝読したいと思います。
まだお読みになっていないみなさん、珠玉の作品が集うマガジンをぜひ✨
受賞された作品はもちろん素晴らしく、大好きな作品がたくさんあります。
しかし、受賞していない作品にも、個人的にとっても好きな作品が本当にたくさんあります。
今回も新たな出会いがありました。
こんな素敵な作品、作家のみなさんに出会え、読むことも書くことも楽しませていただき、感謝の念に堪えません。
そして全参加者のみなさん、おつかれさまでした!
🍁
では、感想を書かせていただきます。
※前回より削ったものの既に長くなってしまったので、運営、審査員ほかのみなさんは、ここまででかまいません。
私の作品の裏側が知りたい方だけ読み進めていただけましたら…。ここからは、思いが溢れすぎて前回より長いかもしれません、すみません…。
私が書いたのはこちらです。
要項を守るのはもちろん、紙を主役として立てることを第一に考えて書き、今回も審査員のみなさんの心構えを熟読しました。この熱い思いにしっかりお応えしようと臨みました。
▼心構えへの意識
▼前回までと変えた点
ネタ帳(いつものGoogleドキュメント)にはびっしりと紙から連想して書こうとしたネタが書かれています(長くなるので割愛します)。紙派な私ですが、創作はもっぱらスマホに頼っています。
図らずも本企画直前に自主企画で紙飛行機をテーマにするというニアシンクロニシティ?があり、晩夏から晩秋にかけてずっと紙について考えてきました。
せっかく「紙」がテーマ。この好機を逃したくないと、書きたかったことを詰め込みながら書き進めていました。しかし応募作は完成せず、うち2作は先日供養しました。
応募作が生まれたのは本当にたまたまでした。
ある出来事をきっかけに、他の推敲をいったんやめ、この作品を書くに至りました。きっかけとなった出来事で心がかき乱され、書くのが怖くなり、書くことから離れようかと思いました。紙を真っ黒に塗りつぶして平静を保とうとしました。
そのとき、大好きな方は別の方法で紙とペンを使われていたことを思い出します。
紙が文字で埋まるまで、頭のなかに浮かんだことを全部書く。それは自分で眺めて誰にも見せず、シュレッダーにかける。心のなかに溜め込まない。
まだ本になる前、そんなふうに雑誌連載時のエッセイに書かれていたのです。私にある出来事が起こったのは9月末で、そのエッセイが単行本として発売される前。連載は2年前のちょうど今頃でした。私がまだぼろぼろだったとき、このエッセイは読めたことを思い出したんです。
そのとき、もう1つ、ある絵本を思い出します。自分が幼稚園生のとき、うちわをクレヨンでカラフルに彩って、そのうえに黒いクレヨンを重ねて、つまようじで花火を削り出したことがありました。それに通ずる内容の絵本を妹が幼稚園から借りてきて、小学生の私は夢中で読みます。
そうしてこの物語を思いつき、夢中で書きました。
黒く塗りつぶした紙を上書きできるのは、紙ならではのよさではないかと思ったんです。
一気に書いた初稿と他の作品を読み比べ、本作での応募を決めました。
そこから1週間書き直して読み直してを繰り返しました。日が経つごとに、本当にこれで応募してよいのかと悩み、いや応募するんだからこれをよいものにしようと未熟者ながらに推敲を重ねました。推敲するなかで外向きになるよう努めながらも、かなり個人的な作品になってしまいました。今まで以上に難産でしたが、書けて私個人が救われました。
応募時にあえて2度もお礼を申し上げた理由はこれです。私自身のセラピーになり、また書こうと思えたのは、秋ピリカグランプリのおかげです。
また、琴子をどんな人にするか悩んだとき、今年のこんなニュースが頭を過りました。
東京の出生率が1を下回ったという衝撃。私の暮らす九州だって例外ではありませんし、同年代で結婚しない人、結婚しても産まない、産めない人が私を含めたくさんいます。
昨年末に出産して育休から復帰した友人、今年の春に育休明けで復帰した同僚、夫婦で今年産休・育休を取った同僚(うち父親のほうの同僚は現在時差勤務でリモートワーク中)を思いました。
彼ら彼女らも、命がけで出産し、懸命に子育てしながら支え合い、仕事との両立に努めています。それは簡単なことではないと、一緒に働いたり、友人と話したりして思います。
さらに、尊敬する方々が傷つくことが相次いだ今年でもありました。
矢面に立ち傷ついた方々や命を落とした方もいて、胸が締め付けられる思いでした。思い出すたび、とても苦しいですし、心の傷は完全には消えてくれないのではと思います。
この作品自体、配慮してもしきれないと思いました。書いて公開して本当にいいのか。悩み、だからこそ、とにかく妥協せず真剣に書く。それしか私にはできませんでした。
それでも、審査員のみなさん、読者のみなさんが読んで後悔することのないよう、精一杯努めました。
人を揺さぶる作品には、傷に触れたり、傷つけてしまう要素を含んでしまうことがあります。
過去に傷ついたことがあるとき、それを思い出したり、今傷ついている人がさらに傷ついたりしてしまいうるのです。
「出産」という内容は、尊くもセンシティブで、半端には綴れません。私自身体験したことも生で見たことすらないので、調べて想像でしか書けないなか、公開するまで不安な思いでいました。今でも不安はあります。
それこそ、琴子の行為(生まれてくる子に贈る詩画をSNSに投稿したこと)に傷つき、不快な思いをして琴子の絵を酷評した人のように、私の作品で傷つき、不快な思いをする人がいるんじゃないかと。どんなに細心の注意を払っても、足りないんじゃないかと。
世の中にはいろんな境遇の人がいます。noteにもいろんな人がいます。その人たちに発信するにふさわしい作品か、自問自答を続けても答えは出ず、妹にいっぱい相談して、直しました。協力してくれた妹にも感謝するとともに、時間を割いてもらっていながら毎度受賞できず申し訳ない気持ちです。
一度失敗すると、書くのがより怖くなります。書けば書くほど怖さは募ります。
それでも書くのをやめられないのは、読むことで癒されるかもしれないたった1人を諦めきれないからです。
今回、すまスパ賞候補に残れて、新設された読者賞候補に選ばれたこと、それはとても光栄でうれしかったです。おかげさまで、120人もの方に読んでスキを押していただき、コメントもたくさんいただけました。これだけでとってもありがたいです。1つ1つのコメントが本当に宝物です。このコメントたちに救われる思いがしました。書いて公開してよかったんだと思えました。
その分、何にも選ばれなかったことはより悔しかったですし、まだまだだなぁと各作品を読んで思いました。創作大賞のときも、各賞発表のときも、まあそうだよねと諦めがついたのですが、読者賞発表のとき、悔しくて涙を堪えきれなかったのはここだけの話です。
(雨で今日の予定がなしになり、現実逃避にロボコンの九州予選を見て元気をもらい、noteに向き合いました。)
でも、私自身、自分の作品を選べませんでした。信じきれませんでした。ごめんねという気持ちで他の作品に投票したんです。個人的にとても特別で大切で愛おしい作品だけど、読者賞にふさわしいとまでは言いきれなかった。
今回も反省はネタ帳にびっしり書き残し、次こそ受賞したいです。まずは自分が自信を持って書き、胸を張って選べるような作品を書きたいです。
でもでも、いただいたコメントを大切に読み返し、この作品を愛し続けたいです。そして、マガジンの作品を読んで、素晴らしい作品を味わって創作意欲を燃やし、書き手として、人としての力をつけたいです。
だからこそ、これからも書き続けたいですし、このピリカグランプリが続くように、みなさんの幸せと健康、平和を願ってやみません。
改めて、何かに打ち込むにはエネルギーがいること、英気を養い心身ともに元気であることと環境の大切さを実感しました。
秋ピリカグランプリがなければ生まれなかった作品が書けたこと、秋ピリカグランプリがなければ出会えなかった新しい方々、その方々の素晴らしい作品に出会えたこと。かけがえのない財産です。
運営のみなさん、読者のみなさんに、心より感謝申し上げます。
ご参加のみなさん、本当におつかれさまでした!
🍁
余談
ヘッダー画像をスマホ上でCanvaを使って作ったとき、真っ黒に塗りつぶす過程でスマホが熱々になりました。塗りつぶす指もくたくた。絵は描けないので、塗りつぶした下は白紙でした。私の頭のなかにだけある絵がどんな絵かは、ご想像にお任せします。
きれいに塗りつぶせていないけれど、それが涙雨のようにも流れ星のようにも見えて、個人的にしっくりきたのでこのような画像になりました。
登場人物の名前を大切にしており、今回は誕生の瞬間を描くということもあって、ひときわ命名に注意を払いました。
紙にお詳しいみなさんならきっとおわかりかもしれませんが、ケント紙、コート紙、タント紙からきています。どんな紙かはぜひ調べてみてください。一度文房具店で見てみて、質感を確かめてみるのもおすすめです。
「旦人」にも「日生」にも、大切な意味を込めています。
「たんと(tanto)」にはイタリア語でも日本語でも「たくさんの」という意味があります。
「旦」には「夜明け」という意味があります。
「日生」には「日々を精一杯生きる、星のように輝く人たち」という意味を込めました。
私はあぶれてはみだしてばかりいます。好き嫌いもマイナー。
でも、このnoteの場では、居させてもらえると感じます。
ありがたいことに、読んでいただき、交流していただける喜びを知ったのがこの場です。
ただ、それは、ちゃんと良識を持ち続けて弁えていればこそ。
たった1回の失敗で誰かを傷つけたり、不快な思いをさせたり、炎上しうる恐ろしさを実感し、文字に残して公開するということの責任の重さを痛感したのです。配慮することの難しさはなくなりません。
私自身がこれからもこの場に居られるよう、書く責任を自覚し、書いた後衝動的に公開せずしっかり向き合って、書かない(削る)、公開しない決断もしっかりして、創作者の端くれとしてアップデートし続けたいと思いました。
怖さを忘れずに、楽しみながら、画面越しの読者のみなさんをちゃんと想像しながら、休み休み創作に向き合おうと思います。
いつも読んでくださり、スキやコメントを贈ってくださるみなさん、本当にありがとうございます。みなさんのおかげで今のnoterとしての私があります。
最後までお読みくださりありがとうございました。
※ちょっとずつ書きためていたものをまとめて編集しているので、ちぐはぐな部分や重複する部分があるかもしれません;見直しましたが、読みづらい部分がありましたら申し訳ございません🙇♀️