かける
欠けた月を眺める
それでも月は美しく寂しく優しい
青空にぼうっと浮かぶ薄白い月も
夜道を照らすやわい金色の月も
欠けたわが心を覗く
駆ける子らを見つめる
自由に楽しく走れる場所は
少なくもまだあって
ここにこの姿が続くことを請い願う
駆ける朝の自分を思いだす
掛ける襷を背負う者たちを観る
ごぼう抜きや新記録に目を丸くする
襷が繋がらない悔しさが伝染る
笑みが溢れる者も涙を呑む者もみな輝いていた
掛ける布団のぬくもりに沈む自分を労る
今日もかけてゆく
🌖
詩のようなもの。
本日は先月の休日出勤の振替休日。
とはいえ繁忙期。
仕方なく、いや休めるのはうれしいけれど、タイミングがなかなか苦しく、なんとも休まらない。
朝からずっと、明日の私と後の作業者のために昨日の仕事の残務をこっそりしながら、チャットの返信を続けながら、どうにも休まらず。
読んでみたかった歌人の作品の朗読をしてみたけれど難しくて、でも、心は少し穏やかになった。
数週間前のラジオを聴いて胸が熱くなったり、エッセイや漫画を読んで涙したりした。
忙しないからこそ、こんな休息も必要に思われた。
明後日は法事で休日出勤できないから、きっと明日も昨日のように日付を越えるまで働くのだろうけれど。
終電に間に合わず、久しぶりに40分ほどの道のりをひとり歩きながら、無心になった。
なんとなく音楽が頭をよぎり、帰宅後夢中で書き留めたりして、でも素晴らしい才能を前に愕然とし、下書きばかりがたまってゆく。メロディしか起こせない。頭のなかでいろんな音が鳴っているのに。音楽家はすごいと思う。
本当は今日、大好きな映画の感想を書きたかったけれど、仕事で疲れきってまたの日に書くことを決めた。
何か、何か、昇華したい。
そういうとき、詩のようなものが心のなかからこぼれる。
一番よくわからなくて、一番まっさらに浮かぶもの。
こういうときは、下手に文章を書くよりも、詩のようなものに頼るほうが私には向いている。
そんな気がする。
いろんなそわそわをいったんそばに置いておくために、詩のようなものをしたためる。
消えそうで見えにくくともたしかにあって、夜を生きる人を見守る欠けた月。
世の中も生活も忘れて、いや、忘れようとしているのかもしれないが、とにかくそのひとときはただ駆ける子ども。
掛ける襷の重さをふりきって駆ける駅伝走者。
欠けた私も駆けて、掛けて、去りゆく今日をぎりぎりまで生きて、明日もまた生きるのだろう。
いろいろあるけれど、その日々のなかにも小さな幸せはあって、その幸せをくれる人や作品たちの存在を抱き締めて、余計なものは極力スルーして(難しいけど)、生きていけたらいいなあ。