夕焼けは何色
夕焼けは。そんな歌詞から始まる、作曲:信長貴富 作詩:高田敏子『夕焼け』という合唱曲を歌ったことを思い出しました。
「夕焼けはばら色」という歌詞。とっても素敵だなぁと思います。花びらの色模様といきいきと咲く凛としたさま、美しく儚い感じ、さまざまなばらの色。たしかに、夕焼けはばら色をしていると、改めて歌を聴きながら感じました。
歌詞はとてもシンプルで短いのですが、素敵な歌詞のそのなかには、高田さんの切実な平和への祈りが込められています。ずっと「ばら色」に見えるようにありたい。そう強く思います。
曲の展開がまたとっても見事なんです。練習しながら、なんと情感豊かで心揺さぶる曲なんだろうと聞き入ったのを思い出しました。
信長さんの作られた曲には、素敵な作品がたくさんあります。この曲を私が高校生のとき、部活動で弾いてくださったピアニストの方の演奏がまた、とっても素晴らしかったのを今も覚えています。
最初の「夕焼けは」という歌詞を、何度も何度も繰り返し、顧問の先生がやり直しと指揮してくださいました。ここにどれだけの思いを込めて、でも重くなりすぎないように歌うか。決して歌い上げればよいというわけではありません。
思いはしっかり込めつつ、合唱として響きあい、合唱そのものが聴いていて豊かで聴き心地よいものになるように。そんな思いで拘ってくださっていたのかなと、今にして思います。
シロクマ文芸部で、以前こんな川柳を詠みました。
未熟で活用が間違っており、お恥ずかしい限りですが…。「迎うる朝」ですよね。むしろ、今祈りを込めて詠むのだし、どうせ字余りになるなら「迎える朝」のほうがよくて、「起きる朝」にすれば字余りを解消できるかな、なんてつい推敲したくなります。
さて、朝をいつものように迎え、一日をめいいっぱい生きる。そして、日が落ちていくのを窓越しに、もしくは出先で見るとき。
夕焼けがばら色に見える夕方
こんな夕方を迎え、一日を終えることができたら、それが平和そのものなのかなぁと思います。
最近は仕事に追われ、夕焼けを久しく見ていません。それでも、月や星を愛で、その美しさに癒されています。
世界にはとても平和とは言えない国もあります。日本だって、のほほんと幸せいっぱいに暮らしている人は、今多くはないのではないかと思います。残念なことに。
夕焼けをばら色だと、美しいと言えるうちに、私たちは平和が続くように生きていかなくてはならない。なかなか簡単ではないし、一人一人ができることには限界もあります。ちっぽけな私にできることなんて。
それでも、小さなことから諦めずに模索したいです。私は、まずは日々を大切に生き、大切な人を大事にしようと思います。大切な人たちと一日でも多く幸せな日々を過ごせるように、できることを積み重ねていきたいです。これを有言実行しなくてはと思います。
ああ、夕焼けを見たくなりました。夕焼けを見るそのとき、何色に見えるでしょうか。
🌇
小牧さん、今週も素敵なはじまりをありがとうございました!
気づけばこれがシロクマ文芸部活動での30作目になります。(以前別の記事で数え間違っており、この記事で30記事目でした。)
秋は夕暮れと言いますように、夕焼けがひときわ胸を締めつけるように空を染めて広がる季節になりましたね。気づけばもう10月です。
「夕焼けは」から思いついたことは2つあって、でも今日はこの歌をぜひ、みなさんにお届けしたい気分でした。
シロクマ文芸部でエッセイを書くのは2度目ですが、前回に引き続きまたも歌にまつわるエッセイになりました。
▼前回のエッセイ
しばらくエッセイはお休みしようと思っていたのですが、どうしても書きたくなってしまいました。
今週もお読みくださりありがとうございました!
夕焼けにときめきながら、秋の夜長を満喫なさってくださいね。