『シークレット オブ モンスター』ジャンル分けすると洗脳系
「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」
この映画はジャン=ポール・サルトルの短編小説「─指導者の幼年時代」(新潮文庫『水入らず』所収)から着想を得た映画。私もサルトルの言葉を引用したのだが、とりあえずカッコつけたかったというのが正しい。こちらの作品も試写会に当選したため、一足先に拝見した。
【ストーリー】
1918年、ベルサイユ条約締結のため、米政府高官が妻と息子とともにフランスに送り込まれた。まるで少女のように美しい息子だったが、終始不満を抱え、教会へ投石するなど、不可解な行動や言動繰り返し、両親は頭を悩ませていた。周囲が心配する中、少年の性格は恐ろしいほどゆがんでいき、やがて彼の中の怪物がうめき声を上げる。
引用:eiga.com
※このあとの文章は個人的な見解だがネタバレ感あり。
久々にオープニングで鳥肌が立った。オープニングが良い映画はだいたい良い映画だと私は勝手に思っているので高まる期待。さまざまな記録映像に織り成す音楽の素晴らしさ。幾重にも重なる和音が震え、ちょっと呼吸困難になるほど興奮した。普段聴いたことがあまりない旋律や、この音はどの楽器が出しているのだろうかと考えさせられる好奇心。そして無理な音の表現。楽器が無理をして音を出している気がした。だからいつもと異なる違和感がそこにはあったように思う。
内容としてはたいしたことはなかった。将来彼が独裁者になるのは映画を観る前からわかっていたので、先入観があるが、もしそれがなかったら
金持ちの我が儘なクソガキの話である。
なんてことはない。ただただイラつくだけだ。一流の音楽がなかったら、なんだこのガキの映画は!と怒りしかわいてこなかっただろう。じゃあどうしてこの映画をジョナサン・デミが絶賛し、ヴェネチアで賞に輝いたのか。
私の勝手な解釈だとこの映画は洗脳系だ。
1、音による洗脳
静寂さしかない映像に爆音で音楽をのせ、バランスが崩れる。そので客を最後まで緊張状態にする。ホラーでも観ているかのような恐ろしい音楽で期待を最後まで保たせる。
2、視覚的洗脳
一見この映画は平行が保たれたとてもシンメトリーな状態にあるようにみえる。ただよくよく観ているとたまにバランスが悪い。気になるか気にならないか微妙なラインで崩れている。まるで欠陥住宅で、ピンポン玉がコロコロ転がるような微妙な歪みがある。ただ歪みはたまに真っ直ぐになる。そしてやや歪む。また、さまざまなな場所で左右シンメトリーな構図がみられるが、微妙に物の高さをバラつかせたりしてバランスを崩している。これについては、私の視覚がそう感じただけなので、絶対ではない。
3、独裁者という洗脳
この映画の少年は実在するわけではない。ただ独裁者と聞いただけで、ヒトラーかスターリンか、色んな想像をめぐらせる。独裁者の子供の頃なんて、ほとんどの人が知らない。そして知りたい。さきほども書いたが、ただの我が儘なガキの話を普通に考えたら真剣に観ない。ただ行きつく先が独裁者なのだ、それはしかと見届けなければという義務的なものがここに発生する。
映画が終わると試写場がザワザワしていた。とにかく誰かと話がしたくて仕方がなかった。なんだかわからないけど不安だし、お互いの気持ちを共有したくなった。目の前にいた初老の方は「つまらねー!」と声をあげ、後ろにいた方は「誰の話?誰?」と確認しあい、なかなか会場を出ない。私もただただ疲れていて、ちょっと頭痛がするほどだった。
帰り道も、帰ってからも、ずっと考えていた。あれはどうしてか、なんでなのか、色んなことを考えた。映画好きな親友にも電話した。LINEでも何人かに自分の思いを伝えた。でもまだ何か言いたりなくてモヤモヤしていた。ずっとずっとこのことばかり考えていた。
完全に洗脳されていた。
監督はこのように話していたようだ
「一見無造作に散りばめられたパズルを観客が繋ぎ合わせていくと、その先に何かが見え始める。しかし、気づいたときには観客自身がその世界に引きずり込まれる仕掛けをしている」
このように、監督も観客に委ねて映画を作っていることがわかるのだ。自身の感性でこの映画にどっぷり浸かって欲しいと思う。
『シークレット オブ モンスター』11月25日(金)公開。