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永い、永い言い訳

なんだかどうしようもなく苦しくて、何度も何度も顔を覆い隠して、深いため息をついた。どうしてそんなこと言うの、どうしてそんなことするの。そんなことの連続で、愛しきれない主人公と自分が、いつの間にか重なっていることに気がついてしまったりして、また深いため息をついた。

私の3メートル上くらいから見下ろすカメラのようなものがあって、他人ではないほどよく客観的な私が、あーだこーだ言ってくれたら、もっと人生はうまくいくのかもしれない。たまにふと下りてきて、背中をおしてくれたり、目の前に立ちはだかってストップしてくれたりしたら、もっともっと人生はうまくいくのかもしれない。

奇跡はないけど、運命はあると思う。

どんなにどうしようもなくても、うまくいかなくても、やっぱりそんなに人間は客観的ではないし冷静ではない。ありとあらゆる感受性にのみこまれて、カッコつけずに生きるのがカッコいい、はず。だから、いろんなどうしてを、これからも繰り返していくのだろう。

帰り道、突然涙があふれてきた。

自分とどんなふうに会話したらいいかわからなくなってしまって、ああすごい映画だったと、また深いため息をついた。

映画で語られる、愛について。愛する人がいるならば、手を離さないこと。人生は他者であり、深いつながりを求めるものではないこと。どこまでいっても他者であり、切ないものであること。辛くても悲しくても、愛する人がいる愛が存在するということ。

永い、永い言い訳はきれいじゃなくてもいいけれど、悔しい気持ちはできるだけ少なくしたいと思いました。

映画の感想/永い言い訳 西川美和監督

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