「コロナ禍で」から「コロナ機に」
経営者って大変だなあ。
自分だって初めて直面する未曾有の環境下で否応なく舵を取らなきゃいけない。
リモートワークは継続するのか。オフィスは必要か。
今の事業体のままでいくのか。戦略は、人員配置は、制度は。
どう考えてもこれまでとは格段に荒くれる環境で、右へ倣え、で判断するには怖すぎる。
自社最適を考えなければ。
そう思うだろう。
有事のリーダーシップは難しい。
うまくいく見込みが80で、それの逆が20の判断くらいなら理解を得られやすいだろうけれど、51対49の判断が迫られる。
差分はわずかだから、反対意見も出やすい。
それでも、リスクをとってでもやっていかないと船が沈む。
大小問わず、そんな意思決定を多くのリーダーの皆さんがやっているんだろうと思うと、
経営者って大変だなあ、と思えてならない。
(もちろん従業員も大変だ。それはまた別で書きたい)
「横山さん、でもこれはチャンスかもしれないんですよ」と、とある経営者の方に教わった。
問題だと気付きながらも、日常の重力が強いときには手を付けられずにきたものを動かすチャンスなんだと。しかも、氷山の下にある、根深いものを。
そんな視点で今を見てみると、揺らぎが多い分、確かに多くのチャンスが目についてきた。
コロナになってリモートワークが一気に進み、
「あれ、あんなにオフィスワークにこだわってたのに、やってみたらできるんだね」となったように、
無意識のバイアスで自分たちにはムリ、と枠をはめていた可能性を広げるチャンス。
「今までこうやってきたから」と過去に立脚して考えるのではなく、
「これから世の中はこうなっていくだろうから」と未来に立脚して考えるようになるチャンス。
「新しいことやらなきゃね」とうすうす思っていた人たちが、
「やってみようぜ」と何かにとりかかるチャンス。
量で勝負、経験がある人が偉い、前例は従うもの、という昭和的価値観から、
なくてはならない価値や今までになかった違いをどれだけ生めるか、で測る令和(?)的価値観への脱却のチャンス。
なるほど。アップデートを狙ってきたリーダーにとっては、今は大変な時ではあるものの、待ち望んでいた絶好の機会でもあるのか。
こんなに、新しい旗を立てやすいタイミングもない。
戦後、まっさらな焼け野原から若い技術者たちが信念を頼りに日本のモノづくり産業をつくったように
2008年リーマンショックがairbnbやSlack、UBERなどの今に続くスタートアップを生んだように、
これまで制度疲労をわかりながらも日常の重力に負けてだましだましやってきたやり方と別れて、新しい芽を生み出すチャンスとして使いたい。
ちなみに、前述の経営者は、社員に「コロナを言い訳にしよう」と言っているとのこと。
もちろん、文字通り言い訳にするのではなく、新しいやり方に挑戦する(同時に失敗する)言い訳にしようという意味で伝えているそうだ。
小さなことだけど、こういう言葉の使い方が大事なんだなあ。
わたしも、まず手始めに、
いつからか浸透した「コロナ禍で」の枕詞を
「コロナを機に」に変えることにしよう。
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