仕事とは自分を活かして見たい景色に貢献すること
仕事とはなにか
仕事は何のためにするのか。キャリアってどう考えればいいのか。
一年ほど前、日本を代表する大手企業の人事の方とランチをしながらそんな話題になった。(そういえば今はランチミーティングをしなくなったなあ。自宅にいるのもそうだけど、昼食を子どもと食べるからか。)
「仕事って、自分を活かして世の中に貢献すること」
「キャリアはそんな仕事を積み重ねたときにできる道筋」
自分の口から迷わず出たことに自分が驚いた。
定義してたわけでもないのにポロッと出た言葉に迷いがなくて、我ながらそうだなぁと思った。
自分を自分で活かすって姿勢がすごく大事で、そのためには人とは違う自分の特性を知ってなきゃいけないし、自分の活かし方を自分で知ってなきゃいけないし、自分を自分で動機づけないといけない。
仕事だから仕方なく〜私は違うと思うんだけどね〜と言っていたらそこにいけない。自分で自分を活かす、そう決めることが出発点になる。
そして、自分を活かすことを通じて、誰のどんな役に立ちたいのか、どんな課題を引き受けるのか、どんな景色を見るために貢献したいのか。
これらが「仕事の的」になる。
どんな景色を見たいのか
とりわけ、「自分がどんな景色を見たいのか」。これを思い描いていたいなあと思う。
ビジョンの語源はvis(見る)+ion(もの)だから、自分の目にどんな景色を見ていたいのかを思い浮かべることは、ビジョンを考えることに繋がる。
キャリアビジョンなんて言うと一部の鼻息荒い仕事頑張りマンたちだけの話しのようだけど、「見ていたい(見てみたい)景色」というのは意識していないだけで誰にでもある。
明日明後日、1年後、10年後、30年後の自分の目にどんな景色が広がっていると嬉しいのか。
公園でのびのび遊ぶ子どもたち、いただきますの声が弾む食卓、途上国も先進国も一緒にモノづくりをする工場、挨拶が飛び交う職場(オンライン上かもしれない)、探究するまなざしに溢れた教室、そこかしらで企てに沸く世の中、自分の意思で生き方働き方を選ぶ人たちで溢れる社会、、、
見たい景色に貢献するための手段が仕事だと思うと、いくらでも可能性は広がる。かかわり方はいくらでもある。そもそも見たい景色も変わる。都度選び直せばいい。
もしかしたらのめりこむかもしれないし、思ったよりちょっとずれてることに気づくかもしれない。仕事の的が違うのか、自分の活かし方が違うのかを検証する。そこからまた始まる道がある。
それでも良かった と思えるような日々
どんな景色をつくるために、どのフィールドに身を起き、自分という資源をどのように活かすのか。
ミッション立脚でつながる働き方が増えるはずのアフターコロナの世界では、こんな仕事の捉え方がより身近になるんじゃないかな。
そうして、能動的に、ときに迷いながらも自分を活かして歩んできた軌跡がキャリア。表面上に一貫性がなくても、見たい景色が見えていなくても、本人にはきっと、豊かな意味の物語が広がっている。
『いいキャリアとは、もし何も成し遂げられなくても、あとでふりかえった時に「それでも良かった」と言えるような日々。』
といったのはLINEの青田努さん。そんな風に自分の歩んできた道のりを振り返る人が増えたらいいな。私もそうありたい。
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