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続;県立高校。男女差を感じていなかったけど…?

こんにちは。わかうら80sです。
1980年生まれ、毎日忙しいワーママです。
大日向雅美先生著「女性の一生」にインスパイアされて、個人の体験を個人にとどめることなく…と思いnoteに綴ります。

前回までのあらすじ

大日向先生は著書の中で
「女性を人として尊重する視点の乏しい日本社会」という項目の直後に、
「女性自身の意識にも問題が」と項目立てされています。

レディース デイなどの女性としてのお得感を口にする女性のことを書かれています。

この記述から思い出したことがあります。
そのことを以前にこちらの記事に書きましたが、今回はその続きです。

上記の前回記事は、つまりは、軽音部に入りにくい雰囲気を感じ取ってしまったという話です。

私は「影の」パートリーダー

私の出身県立高校は、秋の体育祭にやたらと気合を入れて挑む文化があります。体育祭には大まかに言うと、3~1年生の縦割りのクラス対抗戦で、リレーや大縄跳びなどの一般的な体育祭競技のほか、校庭で行うミュージカルのような演舞がありました。

この演舞が、準備に時間を要するものでして、
1年かけて、テーマ、ストーリー、登場人物、衣装、小道具、大道具、振り付け、隊形、音楽を決め、
夏休みをかけて、それらを形にし、隊形を演者(100名くらい)に伝えるための冊子を作成し、踊りこみ、衣装を各自で縫い…と、
いわば、ちょっと大きめのプロジェクトマネジメントを疑似体験するようなものです。

これら準備項目ごとに、興味や得意なジャンルを考慮して「パート」と呼ばれる班分けをして、
各パート内では3年生のうち1名が「パートリーダー」となります。
パートリーダーはちょっと目立つ、下級生からも憧れを抱かれるような、花形の役割です。

私は小道具づくりのパートのメンバーでした。
小道具のパートリーダーとして選ばれたクラスメイトの男子は、みんなの前で発言できる度胸はあるけど、他のパートリーダーや演舞全体を指揮するパートのメンバーからは”ちょっと変わった奴だな。同じテンションで話しにくいな”と思われていたようです。
私はといえば、祭は楽しみたいし、ときどき笑わせてくれるちょっと面白くて明るい奴といった認識だったのでしょう。
何度か、演舞のパートのメンバーから
「ようこ、小道具のことよろしくな。ようこが影のパートリーダーだから。」と言われました。

なぜ、正面からパートリーダーになれなかったのか?

当時の私は、「なんで「影」なんだよぉー。ちぇー。」というスネる気持ちは少しだけでした。気持ちのほとんどは、
「まぁ、そんなもんだよね。「影の」ってわざわざ言ってもらえて信頼してもらえるなんて、嬉しいもんだわ」といったものでした。

誰がパートリーダーになるかは、クラス内で話し合って決めるものです。事実上、発言力のある男子たちが「俺たちのクラスは誰々が何々のパートリーダーになるのがよさそうだな!」と、普段の雑談の中でなんとなく決めていきます。

それにしても、なぜ、正面からパートリーダーになれなかったのでしょうか。当時を振り返って想像すると、いくつもの要因が考えられます。

■みんなも私も無意識に思っていたこと
・パートリーダーは男子学生がするものと思っていた。
・前例がなかったので、誰も女子のパートリーダーを想像できなかった。
・女子のパートリーダーに下級生男子を含むパートメンバーがついていかないかもしれないと感じていた。
・女子のパートリーダーがいる状況では、クラス内でパートリーダー同士の腹を割った会話(男子特有のノリの会話)ができないと感じていた。

パッと思いつく理由はこんなところです。
やはり、当時(1998年頃)は、学校内にこういった「男の役割」「女の役割」のような無意識のバイアスがありましたね。

もうちょっと掘り下げて理由を探ると、以下のようなものも。

■私の考えに影響を与えたもの
・女子が男子をおしのけてパートリーダーにつくことは、パートリーダー候補だった男子の面目が潰れるため、女子がすべきことではないとの風潮があった。

私の母校の体育祭は、高校生活で一番の大舞台ですからね。男が目立ってパートリーダーをやりたいもの、という共通認識がありました。

これとの対比で、生徒にあまり人気のない行事は、女子生徒やあまり声の大きくない男子生徒が、実行委員長などを担っていました。

あ、最近では「スクールカースト」とか言うみたいですね。確かに、「影」である私の近くで「形式的には正の小道具パートリーダー」になった男子生徒は、人柄が理解されがたかったとはいえ、運動部所属という点でスクールカーストにおいては1ポイント稼いでいたような感じもします。

スクールカーストの話はさておき、

さきほどの枠内の、面目云々という考え方には、背景に、以下のような暗黙ルールがあるように思います。

・女は、男の面目を潰すべからず
・女は、オイシイ役(と思われているもの)を男から奪うべからず

きっと、何かの「女性像」を校内のみんなが抱いていたのでしょうね。
「女性にはこうあってほしい。」あるいは、
「女性にはここでとどまってもらう方が都合がよい」、など。

私の母校は、父の代はクラスに女子が3人だけという環境で、その頃から体育祭に力を入れる校風でした。
そもそも学校という場所は、新しい概念が世の中よりも遅れて普及しているような気がしますが、
さらに体育祭のこととなると、伝統も加勢して、男性優位の文化が色濃く残っていたのかもしれません。

上記の「女性像」は、校内にはびこる無言の圧で感じていたのでしょうが、
その背景をさらに深堀りすると、
その頃は各家庭で、母や祖母がそのような女性を目指していたでしょうし、
そういった家庭の女性陣は、さらなる諸先輩女性が耐えて生活してきたので承認を求められてきたのでしょう。

どうします?あなたの娘が、今、同じ状況に置かれたら。

さて。私のような一個人にも、研究者である大日向先生が著書でご指摘される

「(女性たちが)リーダーとなることから遠ざけるようなムード作りが根強く残っている」

という状況に、思い当たる経験があります。あ、こちらの著書の60頁です。

きっと、これを読んでくださっている方のご家族にも、そういった経験が降りかかるのではないでしょうか。

もちろん、20年以上前の高校が今も同じ状況とまでは思いませんが、
ご家族や近しい関係の方が、しかも女の子だけではないですよね、逆も然りです、

自身の感性でやりたいことと、周りの思う「誰々がするもの」という思い込みのギャップに悩んでいたら、どんな言葉がけをしますか?どう接してあげられますか?

例えば、バレエの美しさに魅了された男の子がクラスメイトに馬鹿にされて窮屈に感じていたら

例えば、家事育児に大変そうな妻をサポートしたい男性が職場の周囲の人からやる気ない人扱いされていたら

…すいません、想像力が乏しくて、先入観が可能性の芽を摘んでしまっている例を列挙できない未熟者な私ですが。

少なくとも私は、「やってみたいなら やってみようよ!」と言ってあげたいです。
そして、例えば思春期など周囲の目が気になるお年頃の子に、どういう言葉がけをしてあげたらいいか、これから学んでいきたいです(すみません、まだ親業6年目の発展途上です)。
とにかく、その人の純粋な「これやってみたい」を、まるっと受け止めてあげたいです。

未熟な文ですが

ここまで書いて、書きたいことが書けてるのか、よくわからずにおります。

ただ、やはり、過去に違和感をもったこと、その違和感がどうやら合理的なものだったとわかった今、このままにはしたくないですよね。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

少しずつでも、先入観やべき論から解放され、みんなが生きやすい社会に、していきましょう。

わかうら80’s



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