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自分の細胞に刻まれてる音楽たち♪
こんにちは、Yoko Hiramatsuです!
よし、今日は音楽の話をしよう!という気分ですので、このテーマでいきます。
中でも、「細胞に刻まれてる音楽たち」の話。
なのでちょっと自分史入ります。長くなったらすいません。
自粛中、多動症ぎみなわたしは、必ず一日一回、外を散歩しに行ってました。
ある日同じように歩いていると、自分の音楽史がバァーッと降りてきました。
作曲家と言ってもわたしはメロディを作る専門なのですが、わりとあらゆるジャンルに対応できます。
この特性、何でかなー?と思っていたら、「細胞に、通過した音楽すべてがインプットされてる」と降りてきました。やった音楽だけではなく、通過した音楽も。
クラシック、ロック、ソウル、ブルース、ジャズ、ラテン、R&B、Hip Hop、House、EDM、クラブミュージック全般、歌謡曲、J-POP、K-POP、最近C-POP、実際仕事で携わったり、遊びで覚えてきたものは、ざっとこんな感じ。
確かに、自分が歌ったり作ったり通過してきた音楽も、ただ好きで見たり聞いたりしてきた音楽も、勝手に聴こえてくる音楽も、全部が細胞に刻み込まれてる気がする。
何かの音楽を聞いたとき、瞬時に、細胞にスキャンして取り込んでるような、そんな感じがいつもある。うんうん。
ダイレクトに魂に響いて、かつ体感できるものは、実際に作ったり歌ったりしてきた。
自分が演奏したり歌ったりはできない、古典芸能的なものにも、言葉にしようがない感動や共鳴を覚える。
こちらは特に、その道の演奏家になれるわけがないので、全身全霊で感じようとしています。
例えば雅楽。
わたしは、お正月など神社で御祈祷する際、雅楽がなりはじめたり、太鼓がなったり、もっと言うと巫女さんが舞う御神楽の形で御祈祷してもらえる神社が好きです。(正確には雅楽と神楽は別物なようですが、ここでは雅楽と呼ばせていただきます)
お堂に入り、音がなりはじめたとたん、細胞が開きまくって、泣きたくなってきます。
実際、伊勢神宮の御堂で号泣して、周りの方々にご迷惑極まりない状態になったこともありました。
生まれはクラシック一家だったので、全くDNAとは関係ない部分で、魂が震えちゃってるんですね。
この体質のおかげで、外国人の方々とも普通にアイディアをシェアできるのかなと思います。
頭を使ってない、べつな部分で繋がる、共鳴する、みたいな。
ちなみにうちの両親は、父が声楽の先生、母も声楽家でありピアノやチェロやバイオリンも弾けるマルチプレイヤーでした。
その影響からブラスバンドでトランペット吹いたりリーダーで指揮棒ふったりしたてのが小学生。
中学は反抗期でスポーツに没頭し、音楽を無視。
卒業する頃に幼なじみに「ロックバンド作りたいんだけどボーカルやらない?」と誘われ、「仕方ないなぁ(内心うれしい) 」という感じでボーカルをやりはじめました。
そこから、ロック、ソウルなど、自分の世代とも親とも全く関係ない自由な洋楽にはまり、オリジナルを作っていろんなコンテストに出たりしてました。
まあまあいい結果を出していた矢先、ある日自分だけスカウトされ、あっさりソロへ転向。
仲間からの反感にごめんを告げて、スタートは九州の小さいマネジメント事務所から。
そこではじめて、J-popを書き歌いはじめます。
でも、洋楽ロックしかやってなかったから、はじめはうまく書けませんでした。
なもんで、ポップス全般を研究→まあまあかけるようになった!→でも、もっと刺激が欲しい→クラブに遊びに行く♪→踊れる音楽の方が好きかも!→R&B、Hip Hop、House musicなどにはまる。
この流れができました。
ある日、コソコソ遊んでいるのが事務所の女社長に見つかり、怒られる。
転換の早いわたしは、「仕方ない、ほかの事務所に移ろう」、といきなり上京の準備をはじめ、数ヶ月バイトをしまくって、お金をためて、晴れて上京いたしました。
そこからまたJ-popを書きはじめる。
オーディションなどで動いてるうちに、インディーズのレコード会社に引っこ抜かれ、その時代、日本のR&BやHip Hop界で有名だったプロデューサーと共作をさせていただきます。
アーティストとしての初リリース作品はすごく好きだったけど、それなりの事情で事務所の方と意見が合わなくなり、突然去る。w
そこから、また多動症の得意技としてオーデションを受け、今度は”楽曲提供をしてくれないか?”の話がある音楽事務所からやって来る。
とりあえず、曲を提供してみる。
しばらくして、”自分ではないアーティストが歌う自分の曲”がテレビから流れはじめました。
大好きな持ち曲だったから、うれしいような、悲しいような体験。
同時に自分のアーティストとしての作品のリリースも、同事務所と話が進み契約しましたが、なぜかコンセプトが「歌謡曲とポップスの融合」。
ダークミステリアスなイメージ、ジャパニーズフェテッシュなアニメジャケット、などなど、”わたしはどこ?” 状態で話が進んでいく。
全く興味のなかった歌謡曲を聞くきまくるも、”あまり好きではないなぁ”が正直な気持ち。
ただインプットはちゃんとされました。
それなりに歌謡曲の良いとこも理解はできました。
しかし、なんだかいまいち思うようにならないし、事務所の枠内で小さくなっていく自分にがまんできず、性懲りもなくまた遊びに出はじめます。w
クラブで踊ってるのが好きで、とくに海外から来てるDJが鳴らす音が好きで、そのあたりから海外に憧れはじめました。
またもや事務所と折り合わなくなり、数枚作品をリリースして、たいして売れることなく、事務所を飛び出すことになる、の図。
ほんっとに、笑えるくらいJ-popシンガー運がなかったですね。w
でも、潜在的なところで自分がなりたいものや、行きたいとこじゃなかったんだと思います。
いつもどこがで国境を越えて活動がしたい!と思ってましたから。
ま、それはいいとして、ここまでで、クラシック、ロック、Soul、R&B、Hip Hop、クラブミュージック全般+歌謡曲が細胞に刻まれました。
事務所との契約が終わったわたしは、今度はジャズを学び歌いはじめます。
はじめは小さいつながりから、だんだんいろんな仕事をもらうようになりました。ジャズもいいじゃんと、レパトリーを増やす日々。
やっと落ち着いたかと思いきや、もう一人の多動症な私がジャズと並行して半端なアングラ活動をはじめます。w
アメリカ人DJとエレクトロミュージックを作り、ファッション系の仲間と組んで、イカれた活動をしはじめました。
「あのさ、レディ・ガガ、うちらのあの写真からジャケの写真のアイディアパクッてない?」とか、「あのさ、安室ちゃん、うちらのあの写真とかライブの衣装からスタイリングのインスピレーション受けてない?」と勘違いしてもOKなくらい、なかなかスタイリッシュかつ、その頃では激しい格好で裏活動をしてました。
短い活動でしたが、その間にエレクトロミュージック、テクノ系の音楽がまた細胞に刻まれました。
ですがある日、とあるきっかけから、今度はJ-popの職業作曲家になる転機が訪れます。
好き放題に生きていたわたしが、いきなり一対組織の契約を交わし、駐在作曲家としてスウェーデンに移り住むことになるのですが、それはまた別記事の「スウェーデンシリーズ」で詳しく書いていきます。
そう、またJ-popに引き戻されるんです。
しかも、職業作曲家という形で。
とはいえ、制作チームは全員外国人だったので、J-pop以外のリアルな音楽情報もたくさん入ってきました。
そのへんから体質が、音を瞬間的にスキャンする体質に変わっていったような気がします。
向こうに移り住んでからは、街中を歩いているだけであらゆる音楽が聞こえてきて、またどんどん細胞に新しい音楽がスキャンされていく。
それは本当に楽しかった。
だからもう、どれだけの感情入り音楽データが、自分の中にあるのか?
わたしは歌手一本!という道を選ばなかったけど、何かを生みだす者として、この大量の音データ+インスピレーションで、楽曲を生み出してきたのだと思います。
そしてこれはまだまだ続きます。
音データが絵に、音データが映像に、音データが暮らしに、どんどん形を変えていくと思われます。
脳のデータも素晴らしいけど、細胞に刻まれてるデータも、かなり素晴らしいですね!
愛すべき宝物たち。
自分の中にちゃんとある。
引き続き、全身を、感極まりながら使って生きていきたいと思います。w
最後までお読みいたき、ありがとうござました。
それではまた!
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