スウェーデンシリーズ第1話 「移住の予感とチャンスと決断」
こんにちは、Yoko Hiramatsuです。
今日からスウェーデンシリーズの方も書いていきます。
早速、第一話です。
私は、先日「脱、職業作曲家」宣言しました。
日本で私のことをご存知な方は少ないと思うのですが、ここ数年作曲家というカテゴリで活動していました。ヒットソングも幾つか。
コロナ大変革が来て、より自由にアーティスト活動をしたくなり、その一つのカテゴリから、ポン!と出ちゃいました。
それもあっていろいろ解放できる、お話できる状態になりました。
過去より今、未来の話の方が好きだから、このスウェーデンシリーズを書くのに一瞬躊躇しましたが、せっかく自由になったし、スウェーデンで作曲家として活動させていただいた体験はとっても貴重だったので、どこかに残しておきたいと思いました。
ということで、noteに一話ずつ残していきます。
まずは、なぜ作曲家になったのか?
作曲家になったきっかけは、だいぶ前になります。
もともとJ−POPアーティストを少しやってたので、曲がある程度書けました。
でも数年でやめて、そのあとジャズを勉強し、いろんな場所で歌の仕事をし始めました。
そんなある日、ピアノラウンジで歌っていたら、大声で笑うお客さまが入ってきて、演奏終了後、それとなく歌の文句を言われました。
「もともとJ−POPやってたし、好きでJazz歌ってるんで」と言い放ったら、いきなり表情が変わりました。
ふーんっていう感じで。
で、名刺をいただき、「曲作れるなら今度何かデモ聞かせて」とのこと。
何なんだ?と思いつつ、その名刺を見ました。
某音楽出版社の方でした。
後日音源をお渡しし、そしたら今度は「面白いプロジェクトがあるから参加してみない?」と言われました。それが約10年くらい前のお話。
何だかよくわからないまま、「はい、ぜひ。」
それからしばらくして、「会社にスタジオがあるから一度来てみない?」との連絡が入り、日にちを決めて、その音楽出版会社にお邪魔しました。
到着すると、先日と同じ方がやってきて、オフィスのフロアを突き抜け、奥の方にあるスタジオに案内されました。
「ああ、なんだか昔の匂いがする。きっとスタジオの中でプロデューサーさんかミュージシャンの方が待ってるんだろうな。」
と思ってるうちに到着。
「はい、ここがスタジオ。」と言われドアを開けると。
「へッ??????????」
なんと、お待ちになられていたのは、外国人の方。
「この人スウェーデンから来たプロデュサー。今日一緒に曲作ってね、よろしく。」
「何の曲作ればいいんですか?」と聞き返す私。
「J−POP !じゃ、よろしくね。」ガチャッ。( ドアを閉められる)
「Hi, Nice to meet you! 」とやたらテンションの高いプロデューサー。
挨拶したら、いきなりセッション開始状態。
終わって、いきなりな割には、まあまあいい曲ができてしまった。
そうです、作曲家の方ならわかると思いますが、今でこそ当たり前になってきている海外コライト(外国人作曲家と日本人作曲の共作)のプロジェクトでした。コライトが始まった初期の時代。
私はその日、テストの第一段階にいました。
すぐリリースできるような曲じゃないけど、作曲家としてのポテンシャルはあるということで、何もわからないままテストに通過していた系。
自分が望んだわけじゃなく、知らぬ間に。
それから時は経ち、そのプロジェクトとはつかず離れず、時にブランクもありながらという感じで、歌の仕事と並行して、いろんな曲を作っていきました。
でもある日、私は歌か、作曲か、自分の人生をはっきり決めたくなってしまいます。
思い立ったらすぐな体質なので、突然その担当の方に電話をかけ、「いますぐ人生の方向を決めたいので、私が作曲に向いてるのか向いてないのか、教えてください。」とお伝えしました。
なぜかキレ気味で。w
そしたら、一回話をしようということになり、ミーティングをしました。
話をしていると、「今までいろいろ頑張ってくれたのでチャンスをあげよう。二ヶ月くらい歌の仕事をストップして、スウェーデンに住んで楽曲制作してみる?」のお話が出ました。
また、「へッ?????」、でも数秒後に、「はい、いきます。」と私。
それからもう、次の月にはスウェーデン行きの飛行機に乗っていました。
でも、これは、スウェーデン長期滞在の予兆なだけ。テストの第二段階みたいなものでした。
到着して二ヶ月間、アパートメントホテルに泊まり、毎日のように初めて会う作曲家さんたちのスタジオを訪ねて、J−POPを作るという怒涛の日々を送りました。
ドキドキしながら体当たりで、当時は英語があまりできなかったのでつたない英語でセッションをし、J-popを書いては日本に送り、書いては日本に送りをとにかくやりました。
睡眠時間はすごく少なかった。
でも、朝の港で飲むコーヒー、帰り道でのちょっとした買い物、美しい公園、石畳の道を歩く感触、そこら中にある自然、宮崎駿の”魔女の宅急便”のモデルになった街から見上げる幻想的な空、そんなのを楽しんでいると、疲れも吹っ飛んでいました。
とにかく、めちゃくちゃピュアになる。東京の自分とは全く別人。
そしてあっという間に二ヶ月の滞在の最終日。
現地にいた作曲家や関わった会社の方々とお疲れ様会をした後、「私はまたここに戻ってくるな」と、ふと思いました。
スウェーデンをすごく好きになってしまったのもあるけど、これは二ヶ月では終わらないと本能的に確信しました。
帰国後、怒涛の日々の中で作った曲がオリコン一位になり、とりあえず目的のようなものを達成して、第一関門をくぐり抜けてたようでした。(自覚はなかったけど)
そうこうしているうちに、やっと本題である、スウェーデン長期滞在の話が持ち上がります。
二ヶ月間のスウェーデン滞在終了後、会社の方に挨拶しに行くと、「結果出ちゃったから、今度は正式に契約して一、二年、滞在してみる? 歌の仕事とか東京の暮らしも全部捨てなきゃいけないけど。」の提案が出ました。
どうやら、現地に住める作曲家を前々から探してたみたいでした。
私は、「はい、行きます!」と三秒返事をしました。
返事は早っかたですが、ここからビザの申請に移り、今までの自分のプライドを捨てなくちゃならないような、サバイバルトリップが始まります。
と、今回はここまでにしておきす。
次から本題に入ります。
”フリーランス作曲家がワーキングビザを取得するまでの流れ”を書いていく予定です。
それではまた第二話で!
Thank you,
ら