愛の爆弾、ハートが発奮
こんにちは、Yoko Hiramatsuです!
しばらく実家に帰っており、記事をアップできずじまいでした。
なんだかんだで、約2年ぶりの帰郷。
出発当日、うれしくて早めに起きて準備してたつもりだったのですが、まさかの出発時刻を一時間(遅く)間違えていました。
初日から、また時空がない事件。
フライトの50分前くらいに一時間遅れてることに気づき、メイクを途中でやめて、ほぼすっぴんのままスーツケース持って外へ飛び出しました。
ちょうど自宅前にタクシーが来たので、急いで乗り込み、かなり飛ばしていただき、ギリギリ飛行機に乗れました。
国内でよかった。。。海外だったらやばかった。 (海外行きでもやったことあるけど)
乗ったタクシーの運転手さんが年期の入ったプロで、なんと南青山から羽田まで15分くらいで到着しました。
高速が混んでなかったとはいえ、神業。
途中警察を見かけたらしいですが、気にもとめず猛スピードで羽田まで運んでいただきました。
飛行機の出発時刻、9:20
タクシーに乗り込んだ時間、8:40
羽田第二ターミナル到着、8:55
飛行機に乗り込んだ時間、9:10
ね、神業でしょ?
おかげさまで、時間通りに到着、家族にちゃんと会うことができ、充実した帰郷となりました。
コロナ自粛で使えないかなーと思っていたいろんな招待券やサービスチケットがあり、その期限も迫っていたので、一足早い夏休みのように、みんなとたくさん美味しいもの食べて、楽しんできました。
何より、母が元気であったのが嬉しかった。
友人からいただいた、大好きなホテルの宿泊券もあったので、母と一緒に宿泊し、夜中まで話を聞いたりしておりました。
ニコニコ話すその姿を眺めながら、ほんっとにこの人は、根っからのアーティストだなぁと思いました。
今は好きに生きてますが、母はもともと音楽家です。
声楽、ピアノ、チェロ、バイオリン、ビオラ、作曲も昔はやってたな。
絵や習字もかなりうまいので、マルチなアーティストタイプ。
口調や仕草はすごく丁寧で品があるんだけど、やはり発言の内容が完全にぶっ飛んでました。
完全に世間からズレまくりです。
田舎で方言が飛び交う中、ひとりヨーロピアンな空気全開。
しかもマダム系ではなく、フワフワした少女みたいな感じ。
でも本人は、そのズレまくりに全く気づいてません。
昔からそうだけど、歳を重ねるごとにさらに激しくなっている。
よく言えば突き抜けまくっている。
わたしも娘なのもので、そのズレまくりDNAをいただいてるから、なんとも言えないのですが、とにかく、空想と現実の境目がない。
どこの世界にいるんですが、あなた?って感じなんです。
うまい例えがみつかりませんが、居酒屋でみんなでワイワイご飯食べたり酔っ払ったりしてるのに、ひとり雲の上で紅茶飲んでほっこりしてる人がそこにいる、みたいな感じです。
何か違う次元にいる。w
同じ空間にいながら、彼女には一体何が見えてるんだろう?
そんな不思議な母です。
でも、とても一生懸命生きてきました。
うちは、父も声楽家の先生なのですが、一通り子供たちが生まれた後、よく言うやんちゃが激しく、結局私が7歳くらいの頃に、アーティスト同士ぶつかりまくりで別れちゃいました。
それから母方についたので、実質母に育てられました。
成長するといろいろ反発して、クラシックなんかやらない!と十代半ばまで、音楽を完全放棄したりもしてました。
中学を卒業する頃になると、結局また友達とバンドを組みはじめたりして音楽に戻るのですが、やってたのが激しいロックだったので、親からすると、サラブレッドなはずが、単なるじゃじゃ馬に育ってしまった。
しかもボーカル担当だったので、”夢やぶれたり”ですよね。w
でも、ま、仕方ない。
さっさと親から離れて、たくましく生きるすべを見つけなきゃならなくなったから。
その分いろんな種類の音楽をたくさん通過してきたし、人生自体も何だか映画みたいな体験をいっぱいしてきたし、いつも動きあって面白い。
わたしは、このじゃじゃ馬人生をまあまあ気に入ってます。
ただ、今回改めて母の音楽家になるまでの話を細かいところまで聞いて、自分の音楽人生なんてアクション多いばっかりで、ぜんっぜんまだまだだな、と結構心にグッとくるものがありました。
わたしはわたしで、自分で生きてきたし、自分で音楽やってきたから、叩きあげだけど誇りはあります。
しかし、やっぱり昔の人は情報が少なかった分集中力がすごい。
学びと練習に対するエネルギーも半端じゃなく、正直その点はどんなに頑張ってもなかなか追いつけないと思いました。
母は末っ子で、子供の頃からピアノを弾きたかったのですが、兄弟が多くてなかなかピアノを買ってもらえなかったそうです。
でもどうしても弾きたくて、通ってた学校の音楽の先生を捕まえて、”校舎の鍵が空いてから朝のあいさつが始まる前までの時間、ピアノの練習をさせてください”と頼みこみ、毎朝ひとり練習していたそうです。
毎日、朝5時起きな子供。
で、成長して、いつも音楽の成績やコンクールが一番になったから、芸大を受けるため上京すると決めた頃、やっと親にピアノを買ってもらえたそうです。
信じられません。
それまでずっと人のピアノや学校のピアノで練習していたなんて、かなり変人です。w
友達と生活のペースが合わないし、朝5時とか苦しくなかったの?と聞くと、好きでたまらなくて、やりたくて仕方がなかったから、恥ずかしいとも思わなかったし、ただただ上達する自分が楽しくて嬉しかった、のだそうです。
こりゃ本物だわ、叶わない、と思いました。
よくある、お金がない、人脈がない、経験がないからできないなんていい訳だ!ってお話、それ、なるほどです。
いい訳する脳が彼女にはありませんでした。
ただ、母は、その先で大事な才能やエネルギーを、出会ってしまったもう一人の変人=父に全力で注いでしまいます。
同じく父も芸大を目指しており、そんな中ひっついちゃったみたいです。
途中の成り行きや、父がどう変人なのかは省略しますが、結局父の芸大行きを生活面も含め母が支えるハメになり、自分は断念。
田舎に戻り、地元の音大を卒業。
しかしその後、しばらくのブランクを経てふたりは結婚し、わたしたち子供を生み、母はほぼ専業主婦になり、音楽面では父のサポーターになりました。
父はいつも自分が王様。大学で声楽教えたり、定期的に自分が主役のコンサートをやる毎日。
母はサポーター。父のレッスンのピアノ伴奏や、父が不在なときに、代わりに生徒たちへ歌を教えたり、要望があればピアノも教えたりする毎日。
そのおかげで私は両方の音楽・芸術DNA(のみ)をいただくことができたのですが、はっきり言って、マルチな才能と言う意味では、母がサポーターに徹するなんてもったいなさすぎでした。
でも、これが女性なんですね。
男性とは作りが違う。
特に昔の人は、女性は男性や家族につくしすぎてしまう。
そういうところだけ、典型的な昭和の女性でした。
今じゃ考えられない。
女性だって遠慮なく夢を叶えてゆく時代。
自分の夢を旦那様や子供のためにあっさり手放しちゃうなんて、それはそれですごいです。
絶対できないよ、と思いました。
たぶんわたしの人生は、生み出してゆくもの、残してゆくものが、自分の子供になると思います。
もちろん男性は好きだけど、結婚という形に執着がないし。
変化や飛び回ることが好きだし。
人それぞれ、愛の形は違いますよね。
心の奥にある、ほんとのほんとの欲をぶっちゃけて言うと、生きてる間に、音楽や歌、自分のできるすべての表現を通して、愛の爆弾を地球に落としたいです。
何だか激しく聞こえますが、地球が愛で震えるくらいの、おっきなおっきな曲を生み出して、めいっぱい表現してみたい、そしたらどうなるんだろう?というのがずっとずっとあります。
そこに計算や狙いはもはやないと思います。
ないというか、同時に発生させるのがムリ。
数字を想定するのがムリ。
ただ、生み出したものが、大きく広く伝わってほしいのだけははっきりしてる。
自分が発するエネルギー、生み出したものに反応した人が、なぜかわかんないけど感極まる!みたいなことがたくさん起こること。
それが、すごく嬉しくて大好きです。
自分だって、何度も素敵なアーティストのライブを見て、音楽や歌声を聴いて、観て、感極まってきた。
ハートをブルブル震わせてきました。
だからどうせなら、地球が愛で震えるような感動を生み出すぞってくらいでやっていきたい。
とは言っても、決してWe are the worldのようなものをやりたいわけじゃないです。
言葉にしにくいですが、もっと、ひとりひとりの魂に着火するような、ハートが開いて発奮しだすような、感極まって叫びたくなるような、”わぁ、もっともっと生きなきゃ!どんどん人生謳歌しなきゃ!”って気になるようなものを打ち放っていきたいです。
こういう話をすると、日本人には難しいと笑う人もいるけど、わたしはやっぱり、スケール大きいことを考えるのが好きだし、その方がやる気やインスピレーションがいっぱい湧いてきます。
小さくすると、苦しい。
小さくすると、うまくいかない。
細かいことや、ささやかな日常に目が行きにくい性質は時に難点ですが、でもやっぱり自分の望みや好きな感覚に蓋をしたくないかな。
正直でいたいです。
どうせはみ出るし。
どうせズレズレなDNAいただいてるし。
逆手にとって生かしていこう。
もっと言うなら、逆手にとって、輝かせて行こうと思います。
愛の爆弾、ハートが発奮。
いいなぁ、この感覚。
毎回、感覚的文章ですいません。
わたしの書いていることは、それが現実に起こせたとき、はじめて人に伝わるかな。
それでもOK。
勝手に宣言みたいなものだから。
家族からはみ出して、日本からも微妙にはみ出して、結局またヨーロッパに戻るんだろうなぁ、と七夕の日にそんな未来がポワンと見えてます。
だから、今のうちに、ちゃんと片付けること片付けて、力つけるならちゃんと力つけまくって、大切な人たちと絆を深めて、日本をできる限り楽しんで、今だぁ!というタイミングが来たら、迷いなく飛べるようにしておきたいと思います。
そうそう、今回実家に帰ったら、みんなから、フーテンと笑われました。
風来坊とか。
突然帰ってきて、みんなと馴染んだと思ったらまた突然いなくなるから、だそうです。
ま、いいや。w
フーテンでも風来坊でも、バーチャルでもリアルでも、ぐるぐる地球回るプランは変わらない。
飛ぶ〜。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
それではまた!