『エロスとオカルト』(1/15):演劇論・音楽論・美術について
演劇論・音楽論・美術について(六点)
<目次>
・『18人の音楽家のための音楽』への試論
・業[わざ]とらしさと自然らしさ
・アーマッド・ジャマルの聴き心地
・規則への憧れとシャトレ座感想
・詩のことば
・ビル・ビオラの目まい
『18人の音楽家のための音楽』への試論
まだ一冊も研究書を読んだり、楽譜を見たわけではないので、「試論」と付けておくことにする。現時点での所感を少し述べておきたい。
スティーブ・ライヒの『18人の音楽家のための音楽Music for 18 musicians』が特異な音楽であることは間違いない。この音楽は、形成された経緯が既にテキストと上演の問題をはらんでいる。
最初の上演は1976年である。この時点では、フルスコアは作成されておらず、パート毎にライヒによる指示が与えられていた。単にト音記号が記載されているだけではなく、どの時点で次のフレーズに以降するかという指示である。これは指示というよりも演奏の条件の一種とも言える。例えばクラリネットによる楽器の上げ下げは純粋に音楽的な動作ではなく、演奏を動かす条件でもある。
こういったことは、ミニマル・ミュージックらしい単音やフレーズの反復によって生み出されているだろう。演奏は旋律という単位によって分けられてはおらず、指の動き一つ一つによって分けられているので、より行為が前景化してくる。
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