『エロスとオカルト』(3/15):意識について
意識について(五点)
<目次>
・「見えない記憶」
・「心の外側にあるもの」
・「無意識の中の意識」
・「未知に関する覚え書き」
・「意識について」
「見えない記憶」
見えない/聞こえない記憶に対して、不安を感じる。いや、むしろそれは不安という感情そのもののことで、かつてあった記憶が消滅するという感情を我々が不安と言っているだけなのかもしれない。
消えるということは、確かに人を恐怖に陥れる。人はいかに認知されるかを望んでいる。しかし一方で、私は消え去りたいとも思う。一度生まれてしまったからには、というか――どうにかして、消えてなくなりたいとも思う――憧れる。
それは人智を超えたいという仏教観というよりも、消えることによって、私という個が記憶へトランスフォームすることに憧れているのである。生を受けてしまったがために、社会の中で〈個〉として扱われてしまう、その根本的な悲しみから自由にあるためである。私の生というものを決して貨幣に(貨幣は死と交換してくれない)託すのではなく、足跡として、私は人々の記憶の中に溶けて消えていきたいのである。――それは見えたり、聞こえたりする記憶ではなく、見えない/聞こえない記憶として。そこで初めて、私の生は成就する。
見返りを求めてはならない――求めない。それは生がア・プリオリに与えられていることを信じるためであり、全ての生がそのようなものとして祝福されるためである。ア・ポステリオリな我々の目的は、死をもってア・プリオリな領域へと投げ出されなくてはならない。それは人智を超えてはいるが、大地がそれを覚えている。
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