『エロスとオカルト』(2/15):演技論

演技論

<目次>

・メタ言語、演じることの現実認識

・持続されない現在

・持続的演技状態

・俳優にとって身振りとは何か

・リズムと空間

・演技の歴史化の作用について


メタ言語、演じることの現実認識

 (どうも、去年の十二月にアルバイト先で嫌なことがあったっきり、精神状態が良くない。始終アルバイトのことを考えているし、いかに人の悪口を言うかということしか考えていない。もう、本当にダメだと思う。だったら、こんなバイト辞めるべきだと思っている。)

 人は、演劇が現実に対しても、他ジャンルの芸術に対しても原因であることを欲する。しかし、どうしたって演劇が社会の中で原因であることはありえず(それは特定の時代にはありえたことかもしれないが、望むべきではないだろう)、演劇が現実のスピードに着いていくことは不可能であるように思われる。

 その場合、演劇はソクラテスが考えたように(現実の)単なる模倣でしかないのだろうか。決して、写実的な模倣を意味しなくたって、弁証法的に言い直してみたところで、その演劇が現実を上手く把握していなければ、つまり反対物として「現実」が対置されていなければ成立しないのだろうか、という問いが生まれる。

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