あらゆるスピードと受け取る感情 -FPVドローン概論-
※最初に断っておくと、この記事には特に結論はなく、単に思考実験していた内容を書いているだけです。
仕事で群馬へ車で移動する最中、助手席に座って前を見ながらFPVドローン講座で話す内容を考えていたのですが、ふと「スピードが速いと感情に及ぼす影響も大きくなるんではないか?」と思い立ち、車中のメンバーで世の中のいろんな動くスピードをざっくり上げてみました。速度の速い遅いだけだと立体的にばらつきが出ないのでもう一軸「機械性」と「動物性」を縦にとってマッピングしてみたのが下記です。
生き物系(赤の網掛け)
チーターは時速130kmで走る地上界ではかなり速い部類の動物です。檻にいない肉食動物は実際に何度か見るまではやはり最初は怖かったです。チーターやライオンが近くを通り過ぎようものなら、こちら(人間)側に飛びかかってくるのではないかというドキドキがありました。実際には彼らは知らん顔して通り過ぎるのでその内馴れちゃうのですが。
タツノオトシゴは、最高時速1.5mと言われているくらい遅いです。そもそも体が小さいので動作する範囲も少ないです。実際、動きの遅い動物を目の前にすると、相手からの危険性は失われるように感じます。でも、動きの速い動物はなんか怖いです。ヘビにしても、ゴキブリにしても、異様な素早いスピード感がなんとも表現しづらい恐怖を与えることからも、動作するスピード感が恐怖や興奮の感情に結びついていることもあると言えそうです。
ちなみに脳科学的には、恐怖や不安、好きや嫌いなどの感情を扁桃体で処理しているようです。しかし、単にスピードが速いというだけで興奮しっぱなしになっていても大変なので理性や論理的思考を司る前頭前野において感情をコントロールしているのです。ゴキブリが出たところで命に害はないしなぁと前頭前野で論理的に処理できる人は、ゴキブリを見てもドキドキせずに視覚情報を処理できるようです。僕はできません。
機械・乗り物系(青い網掛け)
ここでは、単体で自発的に動くロボットと、人間がコントロールする機械を色々マッピングしてみました。飛行機や車やバイク、自転車などのスピード感は見慣れているのでわかりやすいと思いますが、これが人工的か動物的どうかの度合いを客観的にマッピングしようとするのは少し難しいです。二輪バイクは車幅が狭く機動性や瞬発力が高いので高速道路の渋滞であっても止まっている車の間をすり抜けることができます。AIBOのような犬型ロボットはとても限られた範囲で、特定の条件下でしか動作しない(大きな段差があるだけでそもそも動けない)などの制約があり機械性が高いと評価しました。
動物性の高さとは
これらをマッピングしてみると、速い・遅いだけでなく、動体が実際に動く環境が縦軸に影響してくるというのがわかります。例えば地上で動く動物や機械は地面摩擦を受け続けるという制約があるし、地上には障害物も大量にあるので、限界速度が130km/hのチーターといえどもそのスピードを出すことは現実的には多くありません。
一方、空中は動きに制限が少なく、崖も池も関係なく飛び越えられるので、雀でも1kmくらいは平気で巣から離れることができるし、動く方向性も自由に決めることができるという点で、地上を走る動物よりも鳥類のほうが本来の個体が持つ限界速度を出しやすい、動物性が高いとここでは評価しています。
ここから言えるのは、機械においても動物においても、動作がコントローラブルであるものほど動体が持つ本来の限界性能を引き出せるということではないかと思います。
ドローンを置いてみる
こんなふうにマッピングしたあとに、DJIドローンや時速100kmを超えるレースドローンや小型軽量のマイクロドローンがどこに位置するかを考えてみると以下のようになるかなと思います。ついでに、植物や自然現象まで無理やり加えてみました。
これを見ると、僕が先日の記事などで「FPVドローンの動物性」という大きな特性があるという意味がよりつかみやすくなると思います。空中を3D移動できるということ自体が、本来の限界性能を引き出しやすい環境にあるということです。当初想像していた「スピードの速さが感情に及ぼす影響が大きくなる」とはとても言えないですが、動物性の高さが感情に与える影響があると考えられそうです。
ゆらぎがつくる自然さ
また、試しに突っ込んでみた「植物の成長」や「地面の揺れ」など、その瞬間の人間の目ではほとんど差がわからないものでも、機械性よりも動物性を高く感じました。自然現象に動物性というのも変なので、「自然性」とか「人工性」と置き換えるとイメージがしやすかったです。
最近Blenderで作ったCG作品を見ていて思ったのが、あまりにも均一で不自然で人工的だと感じることがあったのですが、それはなぜだろう、と考えた時に、植物の成長や飾ってある書籍がホコリをかぶるような「時間的な経過」を感じずらいし、個体に見える「ゆらぎ」が不自然に感じるだと思いました。
これを書いている机の前の壁を見ると、確かに均一に同じサイズ幅の木が等間隔に並べてあるのだけれど、それぞれの板が持つ水分吸収能力とか柔らかさとかは一定ではないだろうし、経年劣化の度合いも各板によって違うはずなので、パッと見は同じに見えても、しっかり観察すると違いがあるはずです。これを人間の目は無意識にも感じているのかもしれないし、CGの作品の中にこうした「ゆらぎ」が足りてないときに、「あ、CGだねこれは」とすぐに判別されてしまうのかなと推測しました。
ちなみに「ゆらぎ」の意味は、
この『巨視的には一定だけど、微視的には平均値とのズレがあるとき』に、人工的・機械的とは反対の感情を受け取る可能性があるとすれば、こうしたゆらぎを映像や写真やCGに盛り込むことは自然な空気感のある作品をつくることに繋がるのかもしれないと思いました。
冒頭に記載したように特に結論はありません!
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