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004「かねよ食堂」ジョンさん"全てはおかげさま"<横須賀の人インタビュー>(前編)
こんにちは!
KAKEHASHI広報の石田です。
横須賀出身の私ですが、まだまだ知らないことばかりです。
横須賀の人・魅力・課題。
まずは自分の目で見て耳で聞くことから。
もっと横須賀を知りたい!伝えていきたい!
そんな想いで、今回は「かねよ食堂」のジョンさんへお話を伺いました。
ジョンさんは現在進行中の「走水プロジェクト」にも参加しています。
聞きたいことが満載で、超ロングインタビューになってしまったので…前半と後半で分けてお伝えします!
<ジョンさんプロフィール>
金澤等(愛称 : ジョン)
1979年2月28日 生まれ。8歳の頃に両親の再婚で横須賀市走水の地へ。父は漁師・母は食堂で接客と料理をし、夏には海の家を営業してきた。
2003年 、両親から「海の家」を引き継ぎ「かねよ食堂」としてオープン。大好きなサーフィンで訪れた国の文化・考えを取り入れ、今ではジャンルに捉われない料理の提供やイベント開催によって、横須賀でも人気のカフェ&レストランとなった。
現在は2児の父。
ワカメの漁業体験ワークショップなどを通じ、子どもたちへ生きた学びの場も提供している。
“生い立ちと父との関係”
-ジョンさんの生い立ちを教えてください。
まず、母子家庭みたいな状態で育って漁師のお父さんとお母さんが結婚することになって、少し一緒に住み始めたのが8歳。
9歳になってお父さんの両親が亡くなって、空いた家に引っ越しすことになったって感じ。
-お父さんはどんな人でしたか。
結構いろんなことがあったの。
お酒をよく飲む人でだいぶクレイジーだった。
例えば…
家に帰るじゃん。
そーっと開けると「カチャ」て音なるじゃん。
そうすると「だれだ!」ってはじまる。
早く自分の部屋に行く感じでさ。
ドキドキしながら家に帰ってた。
彼がどう言うテンションでいるか。彼の精神状態を分析しなきゃいけなくて、大丈夫そうだったらちょっと安心みたいな…。
要はそこで何が起こるかと言うと、なにか気に入らないことがあったりすると、何されるか分からないから、その恐怖と戦っているわけ。
同時にお母さんにもそういうのがいくじゃん。
それに「中学へ入学したら籍から抜けてほしい」って言われてたの。小学生のときから。小学生に言うことじゃないじゃん?結構ショックじゃんそれ。
-それは辛いですね…。
それは辛かったし当然なんだけど、いいときもある。
もちろんずっと悪いわけじゃなかった。
例えば、
俺がハーフだからっていじめられたとき。
相手の家に怒鳴り込みに行ってくれたりもして。
7歳の犬を引き取ったときには人がガラッと変わったり。猫を20匹くらい引き連れてタバコを買いに行ったりもしてた。大名行列みたいに。
優しい人だって感じる側面もあって。
あとは、東京湾にレストランがあって連れてってくれたり。それが彼にとってのある種、俺に対しての贅沢をさせられるものだったんだと思う。
だけど、うまくいかなくてお金がないとかストレスを感じたりとか。人としてその正直な人だったの。嫌なものは嫌。子どもだろうが関係ないっていう。
“全てはおかげさま”
-過去のジョンさんのブログを拝見すると、お父さんのことを尊敬しているのが伝わってきます。
お父さんに対しての尊敬っていうのは、ある時から芽生え始めるんだけど。それっていうのは全て「おかげさま」なんだって気持ちが、生まれたときかな。
-おかげさま??
そう。
「おかげさま」っていう言葉が1番そこにフィットする。
ある程度俯瞰に見れるようになった時に、この人は俺のことを「息子」として育てようなんて一度も思ったことはない。
でも、1人の「人間」として接するということをしてくれてたんだなって。
子どもだったら「いいよいいよ」って許してあげるけど、1人の人間として逆に「個」として認めてくれていたんだなって思ったの。
なんだろうね、崖から突き落とす精神じゃないけど…。
自分が色々経験してきたことによって、生まれてくる考え方とか、見えてくる答えとか、そういうものがその経験無しでは、絶対に気付けないことだった。
人よりもちょっとディープな経験を色々したからこそ、気づきが与えられたんだなって。それによって、人よりも早くにいろんなことに気づけるようになった気がするのね。
これは、お父さんがあぁいう風にやってくれたから「おかげさまだな」って思っている。
-「おかげさま」はどういうところで感じますか?
繊細な部分が育ったからなのか、答えみたいなものが見えてくる。
例えば
こうやって話をしているとき。
会話が勝手に進んでいって相手が泣いたりするの。掘り下げていくと、自分が悩んでいた答えに辿り着いたみたいな気持ちになるみたい。たわいもない会話なんだよ。そういうことがね、いっぱいあるの。
-いろんなことに気がつけるんですね。
すごい不思議なんだけどね。そういう修行みたいなものをお父さんにさせられて感覚が育ったんだと思う。
だから全然恨んでないし、むしろ感謝してる。
“両親の海の家を引き継いだ想い”
-20年前、なぜ海の家を継ぐ決意をしたのですか?
20歳の頃、両親は60歳。
将来10年後を考えた時に、両親と自分を重ねるじゃん。
70歳の両親、何が1番の幸せなのかとか考えて。
そこで辿り着いたのが、俺がお店を切り盛りして、お母さんも相変わらず海の家で料理をやって、お父さんも相変わらずの漁師をやって。
お金の心配なしにやってきたことを続けられることが1番なんだって。
息子が家族として常に支えられる状況を作って、ずっと変わらずやっていけることが幸せなんじゃないかって思ったの。
俺にとっては「家族の暮らし」と「幸せ」。お金持ちになろうじゃなくて、そういう素朴なものを大事にすることの方が本当の意味で幸せなんじゃないかって。
“価値ある場所にするビジョン”
-ご両親と自分の生活を考えてこそだったんですね。
そうだね。
あと海外で散々サーフィンをしていたときに、ハワイやインドネシアの健康志向な文化を見てきて。自分が育った場所は、ものすごく大きな可能性を秘めてて、自分ができることと重ねて前に進められたらって映像が見えてきた。
きっと、日本人にも本当に必要な場所になると確信を持ったんだよね。
そして、価値ある場所にしないと、いつか本当にそこにある大事なものを全部無視して埋め立てられたりする。
だから、このお店を有名にして価値をつけようって思った。色々見たおかげで、その前に俺がこの環境守らなきゃって気持ちが芽生えた。
そうすれば何か起きそうになったときも、1人の声だけじゃなくなって確実に食い止められる。そんな20代前半の浅はかな考えだったけど、確実にそれは起きてて。
この場所が、そういう風に価値を持ってたくさんの人に喜んでもらえるようになれば、俺が死んだ後も意思を持った人がそれを守ってくれるんじゃないかって、そういう感じかな。
どのお話しも残しておきたく…長い記事となってしまいました!
前半はここまでにさせていただきます。
後半では、今後ジョンさんが思い描いていることについてお伝えします!
【とても個人的、インタビューへの想い】
今回ジョンさんにお話しを伺いたかったのには、
個人的な理由もあります。
ジョンさんの言葉には力があります。
HPに掲載されているブログの言葉で私は泣きました。
当事者ではない自分がなぜ心を打たれたのか。
この表現はどうしたら生まれるのか。
そんなジョンさんの人柄や思考に惹かれました。
それを純粋に知りたい気持ちが、私にはありました。
言葉から伝わる優しさの根源。
ほんの少しだけ覗くことができた気がしています。
そして、長時間に渡ってお話しをしてくださったこと本当に感謝しかありません。