黒面の探索者 BlackDiver 第一話
CASE 01 人類特使誘拐未遂事件(1)
その一撃は、二つのものをスティアの前で両断した。
クルマと、憂鬱だ。
クルマの方は、正式名を自動車と言う。馬が無くても走る乗り物。ライトバン、と呼ばれる種類らしい。『星の向こう』から観測された技術による機械だ。
スティアは、それの後部座席に乗っていた。乗せられていた、と言った方が正しいか。
何せ、誘拐されたのだから。
危機感、なんてものは無かった。極論を言えば、この命にさしたる意味なんてないのだ。
だから、大した驚きも無かった。スティアの立場を考えれば、いかにも有り得る陰謀だ。
あるいは単なる嫌がらせ、か。
ああ、私は。
人探しどころか、表の役割りさえもままならないのか。
そうした憂鬱と、スティア及び誘拐犯達を乗せたバン。
その二つを。
その、男は。
一刀の元に斬り伏せたのだ。
「え」
バンの中央を通り抜ける、赤い閃光。
スティアは目を瞬いた。見間違いではない。見間違える筈がない。
それは剣閃だ。知っている。よく知っている。あまりにも。
イレイザー・ブレード。かつて見た鮮烈さと同じ閃きは、かつて見た威力と同じ光景を引き起こした。
ライトバンは、真ん中からズレた。前後に、金属音を立てて。やはりかつてと同じだ。後はもう、ひどい有様になった。
三人の誘拐犯達はしきりに騒いでいるが、呆然とするスティアの耳には届かない。せいぜい理解できるのは、隣に座っていた犬耳の男――獣人《ビースト》が、車体ごと離れていく光景くらいで。
そうこうする内に、ライトバンに備わっていた緊急術式が起動。スティアは強制的に身動きを止められた。
「こ、れは」
例えるなら、硬いゼリーの中に放り込まれたような感覚。確かエアハッグとか言う緊急時衝撃吸収用の術式。となると――切瑳に、スティアは歯を食いしばる。
直後、激しい揺れがスティアを全方向から揺さぶった。両断されたライトバンが、遂に倒れたのだ。
「う、ぐ」
痛みはない。衝撃も、音に比べると随分小さい。硬いゼリーことエアハッグが、それらを吸収しているのだ。包容《ハッグ》というだけの事はある。
スピンするライトバンだったものは、やがて街路樹にぶつかって止まる。エアハッグも消失し、スティアは自由になる。
「っと」
割れたガラスに触らぬよう手を付き、身を起こす。後方、ライトバンの助手席だった場所を見下ろす。
「あ、が、がッ」
さっきとは別の獣人男が、犬耳を抑えて悶絶していた。エアハッグは衝撃からは守ってくれたが、騒音は保証外だったようだ。
「はてさて。お怪我はありませんか?」
その時。
後ろから聞こえた声に、スティアの心臓は跳ねた。誘拐直後よりも、跳ねた。
振り向く。
そこに、居た。
先程の斬撃を、イレイザー・ブレードを放った男が。
男は、酷く黒い鎧套《メイルコート》を着ている。
男は、右胸にエンブレムのついた情報端末《プレート》を装着している。
男は、銀色の片刃剣――後にニホントウという物である事を知る――を持っている。
そして、男は。
首から上が、無かった。
いや、正確にはあるのだ。鎧套の首元辺りから、今も噴出し続けている紫色の光。魔力《エーテル》の光。
炎のように揺らめくそれの中に、やはり黒色の仮面が浮いている。どうやらそれが男の首であり、顔であるらしかった。
どこか髑髏を思わせるその仮面は、『星の向こう』で言う所のフルフェイスヘルメットに似ている。バイザーが下りていて、しかし後ろ半分が無い。そのため本来の人体部位があるべき箇所で、燃える紫色が存分に自己主張している。さながら逆立つ髪のようだ。
恐らくは魔人《イーヴィル》、である事を差し引いても異様な姿。影絵のような出で立ち。
だが、だからこそ。
バイザー内で燃える赤い双眸だけは、酷くスティアの心証を揺さぶって。
思い出す。否応なく。
あの日の、あの時を。
「手荒な手段をとってしまい、申し訳ありません。何ぶん急を要する状況でしたから――」
「エル、ガディオ」
「え?」
だから、スティアは呼んでしまった。
よくよく見れば、それほど似ている訳でもないのに。
そもそもの話、本人の確証が取れた訳でもないのに。
それでも、呼んでしまった。
この世界では、二百年近く前に死んだ事になっている探し人。
魔族を束ね、人類と争い、敗北し。
最終的にほぼ全ての魔族がこの檻《せかい》へ追放された上、人間《ヒューマン》と同じカタチを定義される事になる遠因を作った男。
即ち。魔王エルガディオ。その片鱗を、スティアが感じた男。
その、双眸に。意表を突かれたのか、点のようになっている赤色に。
「ちょっと、安心したかな」
スティアは、微笑んだ。