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黒面の探索者 BlackDiver 第三話

CASE01 人類特使誘拐未遂事件(3)

 赤く長い髪。藍色を基調とした儀礼服《スーツ》。どこか、見覚えのある顔立ち。
 そうしたスティアの風貌に、マットは今ひとつ集中できない。

 ちょっと、安心したかな。

 出会い頭、彼女が言ったその意味を。測りかねたからだ。
 そして、何よりも。
 霧幻迷宮《ゾーン》の侵食が進みつつあるこの場所を、速やかに制圧せねばならないからだ。

「……とりあえず。貴女に伝える事が、二つあります」

 故に。
 まずマットは素早く納刀し、右手で仮面を外した。

「一つ目。僕は、誰でもありません」

 言いつつ、マットは左の指を立てる。だが、スティアは見ていない。
 仮面を外したマットの、ブラック・ダイバーの素顔。
 そこには、やはりと言うべきか、何もなかった。

 あるのは、首元から吹き出し続けている紫の炎。燃え盛る虚無。
 その只中で輝く、赤い二つの光。双眸、のような何か。

 やはりエルガディオに似た、その色に。
 何より、炎の向こうから敵意を剥き出す獣人《ビースト》、だったものの姿に。

「二つ目。もうしばらくそこに居て下さい」

 スティアは、反応が遅れた。

「え」

 びょう。

 それは投擲音だ。風を切り、勢いよく回転飛行する黒い物体。
 マットは、己の仮面を投げたのである。
 スティアには、意味が解らない。だがマットの背を目がけ、筋肉塊じみた異形獣人が突撃して来ている光景は、ありありと見えた。

「あ」

 危ない。
 そうスティアが言い切るよりも先に、獣人はマット目がけて腕を振り下ろした。
 巨大な爪の生えた、凶器そのものの巨腕。人型定義《ヒューマナイズ》が外れたそれは、当然ながら二百年前の暴力を取り戻しており。

「GRAAAAAAAッ!」

 容易く砕いた。地面の土を。
 そう、マットには当たっていない。せいぜい鎧套《メイルコート》の端が少し煽られた程度。半歩脇に動き、振り下ろしを避わしたのだ。
 そのまま、マットは素早く回転。遠心力を乗せ、獣人のスネにローキックを叩き込む。更に間髪入れず、腹部へ拳打の三連撃。

「GRAAAAAAAッ!?」

 痛烈な反撃。たたらを踏んで後退する異形獣人。その横合いから、また別の異形獣人が突進してくる。五指にはそれぞれ凶暴な爪。恐らく三人目の誘拐犯だった男。狼じみたその顔に、面影はまったくないが。

「GRAAAAAAAッ!」

 何にせよ、不意打ちの形になる攻撃に。
 マットは、まったく狼狽えず対応した。

 刺突。振り上げ。薙ぎ払い。獣人が放つその連撃を、マットは避ける。紙一重で。
 そして最後の薙ぎ払いを掻い潜りながら、腰の日本刀へ手をのばす。柄を、握る。
 丁度そのタイミングで、先程三連打を受けた異形獣人が体勢を立て直した。
 だが、それだけだ。

 ひょう。

 それは抜刀音だ。いっそ薄ら寒くなるほど美しい円弧を描いたマットの居合斬撃が、今まで攻撃していた異形獣人を斬り裂いた。更にそこから続く袈裟斬りが、体勢を立て直したもう一人の異形獣人をも斬り伏せた。
 流れる水のように、淀みない完璧な立ち回り。その最後の区切りを告げるように、斬、という音がスティアの背後から聞こえた。

 振り向く。そこには、スティア目がけて爪を振り下ろそうとしていた異形獣人が一人。エアハッグから開放されたあの時、耳を抑えて悶絶していた男の成れの果てだろう。
 筋肉塊じみたその腕は、しかし動かない。当たり前だ。胸が、ざっくりと大きく斬り裂かれていたのだから。

「GA、A」

 白目をむき、仰向けに倒れ伏す異形獣人。だが何故? いつの間にこれ程の傷を?
 スティアがそんな疑問を覚えたのと同時に、視界の端で何かが飛んだ。
 それは、高速回転している黒い何かだ。スティアは目で追う。やがて何かは、マットの左手へ吸い込まれるように収まり、静止。
 その正体は、先程マットが投擲した彼自身の仮面であった。あれは投擲武器にもなるという事か。

「ご覧の通り、現在少々立て込んでおりますので」

 言って、マットは仮面を再装着。その背後で、思い出したように斬り裂かれた異形獣人達が倒れた。
 切断面から噴出する魔力光。続いていたのは僅かに数秒。
 止まり、かき消える。異形化していた肉体と一緒に。後に残ったのは、気絶している普通の獣人達。

「これは、つまり」

 スティアは察する。仕組みは理解できないが、どうやらマットは夢幻迷宮の影響で異形化した者達を、元の姿に戻したらしい。

「なかなかの、荒療治なようで」
「ええ、良く言われます。さておいて、そろそろ応援が来る頃かと……おっと、その前に屋上の彼への連絡が先ですかねえ」

 言いつつ、マットは情報端末《プレート》を手に取る。
 遠方からは、けたたましいサイレンが近づいて来ていた。

◆ ◆ ◆

「これ、は」

 マットが飛び降りたビル屋上、その端の方。カドシュは呆然としながら、保護ケースを開いた。マットのものと同型の情報端末、及びLキー。手に取り、改めてまじまじと見る。自問する。

 何故、自分はこれを渡された? 決まっている。あのマット・ブラックさん――ブラック・ダイバーと同じチームに配属されたからだ。これらの物品は、その証で間違いあるまい。

「おお……おおお! なんてこった! あのお方と! 轡を並べて仕事が出来るなんて!」

 高揚するカドシュは、しかしはたと思い至る。

「……でも、どうして普通に辞令が出なかったんだ?」

 時間が無かった? 確かに人類特使の誘拐、及び大使館周辺の霧幻迷宮化は由々しき事態だ。今もなおブロックノイズのような異常力場は、じわじわと周囲の建物を侵食拡大している。

 いや、そもそもの話。どうしてブラック・ダイバーはこんな所に、大使館を眺められる絶好の位置に待機していたのだ?

「そりゃあ、警戒していたから、だろ」

 無論、通常の警備もあっただろう。いつも以上に厚い態勢が整えられていた筈だ。だがそれらは全て夢幻迷宮に飲まれた。ブラック・ダイバーは、そうなる可能性を予期していたのだ。
 恐らくブラック・ダイバーは知っている。それを為した犯罪者、あるいは犯罪組織の情報を掴んでいる。

「そしてそれに対応するために、彼は人員を増やす事にした。その第一号が、このオレ、って事になるのか――」

 概ね推論を纏めたカドシュは、マットがしていたのと同じように、情報端末を鎧套の胸に装着。次いで、Lキーを構える。

「――その期待、応えないわけにはいかないな! 起動《ウェイク》!」

 音声を認識し、Lキーのロックが外れる。カドシュは手首を振る。バタフライナイフのように展開、現れるは銀色の鍵状部位。
 躊躇なく、カドシュは振るう。横一文字。マットと同じように。

 中空、刻まれるは魔力光の軌跡。それは速やかに変形し、形を変える。組み上がる。扉のようにも見える、大きな長方形。電子回路にも似た精緻な文様。自律して駆動する、魔力による装置の一種。即ち、術式陣へと。

 その中へ飛び込む、直前にカドシュは我に返った。

「待てよ。これ潜ったらオレもあんなアタマになるのかな」

 腕を組む。改めて思い起こす。燃え盛る炎の中に浮かぶ仮面。異形なる貌《かたち》。先程この場で変身を見た以上、不可逆と言う事は無いだろう。が。

「流石に恐れ多い感じが、こう」

 うむむ、と逡巡するカドシュ。そうこうしていると、なんと術式陣側が音もなく近づいて来たではないか。
 術式陣が痺れを切らした、訳でない。元からこうした機能がついていただけである。

「わあまだ心の準備が!?」

 手を振るカドシュだが、それでどうなる筈もなし。術式陣は容赦なくカドシュの身体を包む。一瞬で砕ける。

「うおお……な、なってしまったのか」

 とりあえず、カドシュは身体を見下ろす。一見すると何も変わっていない。今まで通りの鎧套だ。
 だが、中身は違う。肌で感じられる魔力のうねり。戦闘活動を補助する各種術式が目覚めたのだ。特に身体強化の感触が著しい。
 拳を握る。それだけで解る。一般流通している強化系の魔法とは、一線を画する出力。これならばマットが先程躊躇なく飛び降りたのも頷ける。ここまでは良し。

 次に、カドシュは自分の顔に触った。恐る恐ると。

「んん?」

 最初は指先。次は手のひら。最後は両手。
 色々と触ってみたが、何かが変わった様子はない。いつの間にかヘッドギアのようなものが装着されていたくらいだろうか。

「何? どうなってんだ?」

 いそいそと胸の情報端末を外すカドシュ。鏡のような表面で、自分の顔を改めて確認する。
 果たしてそこにあったのは、いつもの見慣れた自分の顔であった。違うのはせいぜい、先程触ったヘッドギアがある事と――。

「おお、なんだ。全然変わって、な」

 ――長く尖った、自分の耳が目立っている事くらいであった。

「えっ」

 目が点になるカドシュ。恐る恐る、右耳の先っぽを引っ張ってみる。

「あいでででででで痛い痛い夢じゃないホンモノかよ!」

 手を離す。再度、まじまじと見る。
 見間違いではない。二百年以上前の歴史に記録されている「暗森人《ダークエルフ》の耳」がそこにあった。

「でっかくなっちゃってるゥ!?」

 呆然としていたのは、しかし数秒。理屈はどうあれ、この変容は先程確認した身体能力の向上と結びついているに違いない。なれば今すべきは、こんな所でまごついている事ではなく。

「応援に、向かう事だッ!」

 かくて決断したカドシュは、マットと同様、躊躇なくビル屋上から飛び降りた。


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