肉体の悶々(リ)我がお花系不妊治療戦記 Ⅱ ~まさかの卵擬人化

ゆるふわ系のシャレオツクリニックに通って1年半、結果がなかなか出ないなか、ゆるふわでシャレオツであろうとも否応なくドラクエで言うMPとGが削られていくということが判明した春の日。治療に期限を決めることにしました。具体的には自分の誕生日、もう一つ年を取るまでは一番確率の高い、とされている手段、そう、禁断の(何)松コース(前回参照 https://note.mu/yokorocks/n/n40b269467165)
に踏み切ろうと。

松コース(体外受精)は、そもそもこれが不妊治療のメインストリームになっているという現状もありまして、有名院の中にはそもそも松しかやってないところも多いです。だがしかし、これまでの治療で失うMPとGが、「どく」状態で歩くとたまに画面が赤くなって少しずつ減ってく、ようなレベルだったのに対して、松は「バリア」に踏み込むようなものです。特やくそうがなければ歩いているうちに死亡もあり得ます。何しろ一回当たりの値段がスーツ一着分から給料1カ月分くらいに跳ね上がるからです。しかも、何か確実なものを買ったり手に入れる保証はありません。いうなれば馬券とか宝くじみたいな感じ。飲み会2回分で馬券を買うのと、給料1月~1・5月分をすべて突っ込むのでは、ジャンキー度合が全く違います。

私は夏の生まれなので、春からはもう半年くらいしか時間がありません。その半年で決着をつけよう、と決めました。

松コースへのステップアップをこわごわ告げると、
「よーしわかった頑張ろう、治療楽しんでね!」というなんか明後日の方向に前向きな言葉が主治医からは返ってきました。いやそれ無理だから・・・・と内心で思いつつ、所定の治療ステップを踏みます。

まず竹コースまでと同様、次の生理の予定日や血液検査でわかるホルモン値などから卵出荷日(排卵日)の予測を立てます。予測を立てたら、確実にその日に出てくるように注射打たれ、内服薬とそれに何日の何時何分に点鼻してね、という点鼻薬を渡されます。(飲み会で酔っ払っている時とかに地味につらい)ちなみに注射一発、点鼻薬一個がそれぞれだいたい1万円ナリ、ですヒー。

そしていよいよ採卵日。夫には朝一番で検体を準備してもらい、こちらは朝イチのラッシュ電車に揺られながら病院に向かいます。予約しているのに受付時間から2時間ほど待機するのはもうデフォです。
内診してまだ卵が外に出てないことを確認すると、いよいよこれまで入ったことのなかった採卵フロアに呼ばれました。ガウンに着替えてキャップをかぶり、さすがに物々しい雰囲気のこれまでのかんたんな内診台があるだけだった部屋とは一味違う手術室っぽいお部屋に通されます。

看護師さんが集まり始めるともう心臓がバクバクいいはじめる。傍らには映画なんかで見るようなむちゃくちゃ長い針がついたナニカがある。あれをぶっすり刺して卵採るのか、と考えただけで手術台の上で半泣きです。

そこで先生がさわやかに登場。
「よーこさん、大丈夫ー?緊張してる?」「してますはい、思いっきり」「私、毎日やってるからねー大丈夫だよー」「(ワシャ初めてなんや!)」

採卵の模様はエコーで傍らの大型スクリーンに映し出されます。目をつぶってたら「見てねー」と促されてイヤイヤですが観察します。チカチカした画像でそれとはわかりませんが、卵胞(出荷待ち卵がストックされている一時倉庫のようなもの)の位置が見えるようになってます。
「かるく麻酔しますよー」とぷしゅっとされたのがわかりますが、それでもあの長ーい針がぶすっと刺された感覚もはっきりわかりました。
「(いてえええええ)」と無言のうめき声をあげていると、傍らのスクリーンで確かに卵胞に針が刺さるのが見えました。見えるとよけい痛さが増すような気がして煩悶していると、傍らの看護師さんから驚きの発言が。
「卵ちゃんに『でておいでー』って呼びかけてあげてくださいねー(ハート)」


「(ファッツ?!!?! 卵擬人化?その呼びかけマストなの?というかそんな余裕ないです!あ、もう一個いくのね、ぐわああああああああ)」

と、周囲がなんとなくお花っぽい雰囲気の手術室で、約20分で採卵は終わりました。よろよろと用意された休養室に移動してベットに倒れ込み・・・たかったのですが、なんかこれがホームセンターにあるような安っぽいアルミ製のリクライニングチェアみたいな感じの長椅子で、倒れ込むことができません。
(自費診療で患者一杯のくせにこういうところはケチるんだ・・・・)とさっきの卵擬人化の衝撃もありつつ引きながら、それでもうとうとと眠ってしまいました。そこへ鳴り響く手元の院内PHSの呼び出し音。

「今回の採卵個数ですが・・・残念ながら卵は採れませんでした」



oh・・・・・
つうこんのいちげき・・・・
てか呼びかけ意味ない・・・・


・・・・

その後、次の月にもう一度採卵にチャレンジし、上記のプロセスをもう一度繰り返したところ、次回は一つ卵を採ることができ、シャーレの中で受精、その後培養にいたるも、3日後に受精卵死亡のお知らせが届きました。(死亡というか、「受精卵の分割が止まったので培養を停止しております」みたいな言い方でしたけど。)


「まだ治療を継続したいのなら、次の周期にご来院ください」という電話越しの培養士さんの声に「わかりました(ありがとう、さようなら)」と返して電話をそっと切りました。

ショックとか悲しみというよりも、「ああこれで治療から開放される!」というような賢者モード感のほうが強かったのを覚えております。ちょうどそのときは、水道橋の後楽園ゆうえんち内の飯屋で昼飯中で、遠くでジェットコースターが落下し歓声が上がるのをぼんやりと聞いていました。

いわゆる「いやまだ2回しかやってないではないか、スパルタ(薬多用の刺激周期)の有名院にいまから転院して、せめてあと数回やってからでもあきらめるのは遅くない」という意見もあるかと思います。ただ、そうして「頑張った」ところで、結果がでるかどうかは誰にも保障できないのがこの不妊治療というバラモス(ラスボス扱い)の特徴です。現に、たった一度排卵誘発剤を使っただけでわが卵工場(卵巣)はそうとう疲弊してしまっていました。ホットフラッシュ的鬱症状的な、1度目の手術のホルモン治療で経験した様々な不定愁訴も発現していました。

ああ、これが潮(時)だな、と、自分の中で納得いく解はストンと落ちてきました。夫にも話をして、二人ともここで治療を中止することに納得しました。

初夏のことです。去年は入院https://note.mu/yokorocks/n/n1cc6ddb48a83 と手術で私の夏は何もありませんでした。山も海も行きたいな。それから、一昨年出場して去年は出られなかった三陸地方の自転車レースにも出よう。夏のフェスも、今年は数年ぶりに好きなアーティストがたくさん集まる当たり年だし。それから、体調が戻ったらずるずるだった仕事ももう一度心を入れ替えて気合を入れて臨もう。と、レースにエントリーし新しいホイールを買い、フェスのチケットも手配しました。生まれたばかりの友人の赤子を愛でる気持ちには当分ならなかったけど、たぶんこれもいずれ克服できるはず、と非常に前向きな気持ちで約2年に及んだ不妊治療にはピリオドが打たれたのでした。

「自分で決めたリミット」というところもあったのですが、振り返ってみると結果的に自分が選択したこのクリニックはほんとうのところ自分には合っていなかったのかもしれません。ダメなものはダメ、と厳しく断言するところではなかったものの、手術での中断の判断も結局はこの不妊治療の主治医ではなく手術を担当した主治医から出る、など判断がぶれてしまいました。梅と竹でずるずる、がよかったのかどうかもわかりませんし。また、予約しても結局最長で数時間待つ、みたいな状態も常態化していました(ダシャレではない)。複数の先生で機械的に回すところの方が時間的なロスもなかったのかもしれない。

だが、なんといっても決定的な不信感になってしまったのは上記の卵擬人化であったことは動かしがたい事実でした・・・あと、併設のセミナーハウスで行われていたセミナーの中に「布ナプキン講座」の文字を見た時それはもうアカン確信として落ちてきたのでした。いや、いくら何でも病院の併設機関でそんな似非科学やっちゃアカンだろ・・・・(なちゅらる系のクリニックではサプリの販売だのなんだのと、こういうエセ系のサイドビジネスに関与しているところは結構多いらしいですけど)



最初からスパルタ院のスパルタ方式でやる、という方法を取ればよかったんだろうか。でも、ちょっとホルモン剤打っただけで卵巣が疲弊するくらいなんだから、たぶんこの体はホルモンだめな体なんだろうな。まあ、しょうがない。やれることはやったしボーナス1回分くらいのカネは落とした。出産至上教の世紀末覇王母 (https://note.mu/yokorocks/n/n187c31a6b994)
が文句言ってきても言い返せる。みんなハッピー。うん。

と、なんだか非常にスッキリした心持ちになったのでした。











ところが。(つづく)





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