コロナ禍で無職になってから2024年までの話

自分の文章って、後年読み返すとまあ恥ずかしいことが多くて、ネットが発達して動画が気軽にどんな環境でも簡単に再生できたり、簡単に動画を世の中に出すことができるようになったりとかいう時代の流れもあったりして、ブログだとかこういう文字としてインターネットに自分の意思を残すことになんとなく苦手意識を持つようになり、まったく自分で文章を書き起こすことがここ数年くらいなくなっていたけれども、今年はすごく前向きになれることが色々あっただとか、妻が帰省していて暇だとか、2024年最後の日に風邪をひいちゃって友達に会う予定がなくなってしまったとかそういうことが重なり、「今年あったこと」を文章に起こそう!と
思って、この文章を書いています。
「今年」に目を向けようと思って、久しぶりに「そういえばnoteってあったな」って思って開いてみたけど、6年前の自分の投稿を見てまたここから結構取り巻く環境も変わったので、ここ数年を振り返ってみようかなって思います。
ほぼ自分用なんだけど、ミュージシャン志望の若者が30代になるまでが気になる人とか、暇だったら読んでいってね。

◆2019年から今まで
2019年になんかnote書いてました。

コロナ前、周りはしっかり働いている中、バンドをやったり、たまーに仕事をもらえたりするようになって、すごい未来への希望をもってた気がする。このまま苦難なく徐々に生活が良くなっていくと無意識に思ってた時期でもある。
考えてることとか、根っこの部分はあんまり変わってないなって思う。
この時やっていたLINEwannabeAnchorsというバンドが年末ごろ解散になり、ここからさあドラムの仕事もらいにいくぞ!というタイミングで、本当にドラムでの仕事が増え始めて、ウキウキしていた頃に突然コロナ禍が始まったのをよく覚えてる。

あとこの時期の強い後悔として、今思い返すとライワナビーアンカーズ、略してライワナというバンドをやってた時に、もっとバンドのために、もっとメンバーのために色々尽くしてあげるべきだったよなって思う。正直言ってこの時期の私は非常に利己的な考えを持っていて、非常に生意気だったと思うんだけど、それを「年下だから」「後からバンドに入ってきたから」というそぶりもなく、ちゃんと考えや話を聞いてくれたりしたし、今振り返るとこの人たちのために、もっとやりたくないこともやるべきだったよな、って後悔してしまう。月並みな言葉だし長くなっちゃうからなんだけど、今ボーカルのあべしょうとギターのたくまくんがzonjiとして活動しているのがとにかく嬉しい。かっこいいし。

◆コロナ禍が始まる
まずドラムの仕事がなくなる。前向きに配信とか、エレドラの打ち込みとかしよう!とも一瞬思ったけど楽しくなくてすぐにやらなくなる。
次にバイトがなくなる。21歳くらいからずーっと音楽スタジオで働いていた。営業は再開したし、ほんとにいいバイト先だったけど、条例で営業時間が短くなったりして、どうしても収入が少なくなってしまう。致し方なく転職した。
転職したことにより音楽との関わりがほぼ0となり、一気に「ミュージシャンとしての未来」が見えなくなった。
でも案外元気だった。人生について塞ぎ込むほどではなかったし、ドラムももういっか〜とか普通に思っていた。ドラムもうやらないし、就職しよ!と思って働き出した会社が突然なくなって無職になったりしても案外ヘラヘラしてた。お金もないのに無職になって「ウワ〜どうしよ〜」とか思いながら、お金がかかりそうでできなかったけどやってみたかった「サバゲー」にハマりたてだったので、無職なのに毎週2回サバゲー行ってみたりして、サバゲーいってたら「近くのサバゲーフィールドがバイト募集してるよ」と教えてもらって、サバゲーフィールド店員として働き出すことになるのだった。そのままほぼドラム叩かずに2022年まで過ごす。
2022年は、正直あんまり喋りたくないけど、めちゃくちゃ平たくいうとドラムを再開して、最終的にパニック障害になって家の外に出れなくなった。

◆パニック障害になる
パニック障害になった。
昔から朝起きれなかったり、学校に行けなかったり、人混みで気持ち悪くなったり、することはあったけどついぞ完全に布団から出れなくなった。この時期のことは本当に思い出したくないし、そもそも記憶がごっそり抜け落ちてる。
なんだかんだヘラヘラ生きてきて、自分を守るのも結構うまいと思い込んでいたので、こういう生活できないレベルの心の風邪をひくとは思ってもみなかった。
家族、彼女、本当にいろんな人に支えられたし、ドラムの師匠が今まで見たことないくらいものすごくやさしくて、いろんな言葉を教えてくれて、言葉にすると書ききれないくらい色々あった。働いているサバゲーフィールドが、ろくに労働者として使い物にならない状態の私を「休み休みでいいから!」といって少しずつ働かせてくれたりとか、パニック障害は本当にきつかったし今も尾を引いているけど、このタイミングで「あ、自分のこと愛してくれてる人、こんないっぱいいる!」って思えたり、目の前の人のことをしっかり考えて行動したりしようとか、自分を愛してくれる人たちのことをもっとちゃんと考えようと思った。
あと、こういう病気は、現代ではみんなかかる可能性があるな、と 自分がおかしいわけじゃないって思えて、本当に救われた。同じ境遇の人がいたら大丈夫だよっていってあげたい。自分や周りのことを知るいいきっかけになったとすぎた後でこそ思うし。今困ってる人がいたらなんのSNSでもいいから連絡してきて欲しい。

◆2024にドラマーとして戻ってくるまで
むかし「メランコリック写楽」ってバンドを一緒にやってたももす(今は「ももすももす」として活動してる)と、全く関係のないスタジオ店員時代の先輩のニシムラヒロサト先輩から突然同時に連絡があって、突然ライブをすることになった。偶然仲良くなり偶然私の話になったらしい。絶賛パニック障害で通院中だったけど、とりあえずやってみようと思ってライブしてみたら楽しかった。
でもすげードラムへたくそになってた笑 本当に笑うしかないくらい。全然思う通りに動かないし、音も聞き取れないし、冷静にもなれないし、でも楽しかった。
そのライブの後、ももすももすのサポートドラムとして叩いてくれないかとももすが誘ってくれた。あと「来年メランコリック写楽のサブスクを解禁したい」とも。これがなかったら多分もうドラムやってなかったから、本当にありがとうと思ってる。
あとはそれを見て「叩く元気出たじゃん」と、おみつっていうクソデカい友達がドラム誘ってくれて12曲叩かされた。これも正直めちゃくちゃありがたかった。ももすももすのサポートドラムとして年末にワンマンを叩かせてもらって、3本ライブをして、2023年を終えた。

◆2024年なにがあったっけ
なんか細かく思い出そうと思ったけど、とにかくいままでに出会ってきた人たちが去年に引き続き助けてくれた一年間だった。
年始すぐに昔同じバイト先で働いていた高井くんから連絡があってNavvvyという若い子のバンドのサポートをさせてもらった。若いし、正直お金もないのにちゃんとギャラを用意してくれて、真っ直ぐで、頑張り屋さんで、音楽に真剣に向き合っていて、自分も忘れてたような気持ちを思い出させてくれた。誘ってくれた高井くんも体調を崩しちゃって今はお休みしてるけど、いつか元気に戻ってきてくれたらいいな!高井のおかげでNavvvyの3人に出会えて本当によかった!
内藤るなさんっていうアイドルさんはバックバンドメンバーがサバゲー友達で、バンドとしてはメランコリック写楽の時対バンしてた昔からの仲間だったし、「アイドル」というものに触れてこない人生だったから、本当に新鮮で楽しかった。るんぱんのすごさを間近でみたり、あとはお客さんが本当に素敵で、泣いたり、笑ったり、大声出したり、本当に心の底からフルパワーでライブを楽しんでくれている姿をみて音楽を提供する側としての熱が復活した、ものすごくやりがいを与えてくれた、
ももすも引き続きドラムとして使ってくれて、一緒にベースとマニピをやってるかーすけはミュージシャンとしてとても参考にさせてもらったし、いろんなこと教えてもらって、復帰したばかりで小鹿みたいな状態から引き上げてもらった感じがする。ももすとはメランコリック写楽の復活ライブもした。
メランコリック写楽の復活ライブはチケットが1分で完売して申し訳なさが勝っちゃったけど、ああ、そんなにみんな見たかったんだって、本当にやってよかったと思った。パンパンのライブハウスで本当に好き勝手3回ワンマンをさせてもらった。ただただ楽しかったし、バンドをやってた2017年当時関わった人たちとも会えて本当に嬉しかった。
「忙しくなっちゃうから」という個人的な理由で脱退したGRANDFINALEっていうメタルをやるバンドがまたメンバーとして迎え入れてくれて、また今年のんびりと活動することができた。メンバー同士も10年くらいの付き合いになって、たまにしか会わないけど、このバンドはずっと続けていきたいなって思う。(普段やってるドラマーとしての活動とジャンルが違いすぎて、見てくれるみなさん的にいままでと同じ「バンド」というものと同じ見え方はしないかもだけど、気が向いたら遊びに来てね。)
あとは卒業した専門学校が元気になったのを見計らって先生として呼んでくれて、先生として行った時に当時の先生たちとお話ししたりとか個人的な先生をする機会も増えて「教える立場」としての視点をもっと考えないと!と思って本を読むようになった。
年末も、おおよそ10年前にガラガラのライブハウスで対バンした人たちと一緒にサポートメンバーとして初めて一緒に音を出す機会があって、とっても感慨深かった。
ここまでのものが全部2020年より前に持っていた「縁」からくるもので、なんとなく昔の自分を褒めてあげたくなった。

そしてドラムだけではなく、サバイバルゲームフィールドでも引き続き働いています。主に好きな時間に出勤してYouTubeの更新をしています。おもろ。
HEADS川越の広報として名刺もできました。
本当にいい職場だと思うし従業員、オーナーにも恩を感じつつ日々働いています。

あとは一番デカいこと。結婚しました。
ずっと一緒に住んでいた彼女が妻になって、法的にも認められたパートナーになった。ずっと一緒に住んでいたし、結婚してもあんまりかわんないかあ!と思って結婚したけど、全然そんなことなくて、主に自分の考えとか心境に大きな変化があった。今まで以上に一緒に過ごしていく人のために何ができるか?というのを考えるようになったり、将来のことを考えてキチンと不安になれるようになった。この不安は幸せな生活を続けるためにどうしなければいけないかを考えられるようになった証拠かもしれない。妻はそんな不安とかも心置きなく相談できて、心強くて、本当にいいパートナーに巡り会えて幸運だと思う。マジで結婚できると思ってなかった思春期の自分に教えてあげたい。あんまり公の場でこういうことを言うのもアレか?とも思うけど、本当に尊敬できて、本当に愛せる妻です。向こうのご家族もすごく素敵な人たちで、今妻は1人で帰省しているけど、一緒に行けばよかった〜!って思っている。会いたい。
結婚ついては書いてると本当に長くなっちゃうから割愛するけど、結婚したことによって今までは「自分が嫌われないように、みんなに好かれるように」生きてきたけど、「自分が好かれる嫌われるは置いておいて、目の前の大事な人のためになにができるか」をより考えられるようになった気がする。

あとは地元の友達とか、高校の同級生とかとも会う機会が増えて、これも地味に嬉しかった。普通に生きてたらたぶん交わらない人ばっかりで、話してて楽しい。
生まれた地域がいっしょなだけ、入った高校が一緒なだけなんだけど、一人一人出会えてよかったと思える人ばかりでうれしい。

◆そして年末
PCが壊れて修理費が55000円かかった。年末にこれは痛すぎる。治って帰ってきたPCをみてとても愛おしくなった。もう二度と壊れないでくれ。
そんでもって大晦日に風邪をひいた。しまらない。年越しの約束してた佐々木マジでごめん。見てないと思うけど見てたら年明けご飯行こうね。
いままではできなかったけど今年はキチンと大掃除して、あとはお風呂入って来年を待つだけとなったので、頭の整理をするために文章に起こしてみた。
こう見返しても周りに助けられた、周りに感謝しないといけないなと沸々思うね〜
最後の最後にゲホゲホしているのは何の因果なんだろう

最後こそ締まらなかったけど、ことしは本当にいい一年で、「自分は天才じゃない」というのを前向きな視点で実感した一年だった。ただただ周りに恵まれていて、運良くドラムがそこそこ叩けて、運良くドラムを叩かせてくれる家族の元に生まれたとめちゃくちゃ思う。「天才じゃない」って自覚したの自体はもっと昔だったんだけど、それを事実として受け入れて前進できた気がする。
景気は悪くて大変だし、お金もないし、冬は苦手だけど、今幸せ!6年前の自分にとって今の姿は多分思い描いていた完璧な姿ではないけど、しっかり好きなことだけやって好きなものに囲まれて生きている幸運に感謝しつつ、来年も元気に生きます!
あとはバンドを絶対始めます!遊びに来てくれよな!

駄文をここまで呼んでくれてありがとう!
みなさん良いお年を!


ヨコピちゃん/横田拳章

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