なにかを成し遂げられなかったと自分を責めるあなたへ
自分の足で前に進もうと決めた時、もがく苦しさから救いだしてくれる人が現れる気がします。
自分との戦いを終えた時、1人の力じゃ何もできないことを受け入れた時、いつも周りの人が1人じゃないと教えてくれます。
人を頼るのが苦手で、弱音を吐くこともできなくて、誰かのせいにすることもできず、ただ苦しくなって閉じこもりそうな時。
それでも前に進みたいともがくうちに、会うべき人に出会います。
私は執着していないようで、今いる場所を手放せずにいたのかもしれません。
全然居心地はよくないし、心が落ち着く場所もないのに、やり遂げなければ、誰かに認められなければという思い込みだけで踏みとどまっていたのかもしれません。
何をやったらやり遂げたって思えるのかも、誰に認められたいのかもわからない足元は常にぐらぐらしていて心を不安定にさせてたように思います。
もしかしたら、そこに居ることで感じることがたとえ痛みだったとしても、ここに生きてると感じられることだったのかもしれません。
でも、心の底ではどうにか抜け出したい。
ずっとそう思ってたんだと思います。
今日、私に会いに来てくれた人がいました。
その人は一通りどうでもいい笑い話をした後に、人の大きさは味わったことのない幸せと、味わったことがない辛さを乗り越えたときに大きくなるのだという話をしました。
このまま死ぬのではないかという人生のどん底と、そこに対峙し自分の無力さを感じたときに味わう悔しさを乗り越えたときに人は大きくなるのだと言いました。
たとえ思うような結果が残せなくても、負けた悔しさを抱えて元来た場所に戻らなくてはいけなくなっても、その中で精一杯やり切ったことに胸を張って堂々としてればよいのだと言いました。
どんな状況で何をやってきたのかはそこにいた人にしかわからなくて、どんな葛藤を抱えて決断をし続けたのかは自分にしかわからなくて。
その自分を自分が認めてあげなくてだれがその時の自分を救ってあげられるんだろうと思いました。
誰かが失敗したって笑ったとしても、負けて帰ってきたって笑ったとしても1ミリでも前に進もうとする限り、前を向き続けようとする限り失敗も負けもないのだと思いました。
私は本当にやりたいことができてるのだろうかと思いました。
居たい場所にいるのだろうかと思いました。
うん。
たぶん今の私には次に進みたい場所がある。
なんとなくそんな気がしました。
その人がいつも楽しそうに笑っているから、進んだ先にまた苦労があったとしてもしあわせに笑えるのだろうと思いました。
その人の経験が私を救ってくれたから、この苦しさもいつか誰かを救える経験になるかもしれないと思いました。
だから自分を信じて、外に踏み出してみたいと思います。
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