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9. 私の妻の、罪☆と☆罰

 学生たちはそれぞれ、教室に詰め込まれた。
    私は野口らが入った二年B組の教室を覗いている。
    しばらくして、授業が始まる。両隣の教室はざわめき立っているが、B組はいやに静かだ。
「この組織的なユダヤ人大虐殺」
 教鞭を執る磯山の声が隅々まで行き渡る。
「ホロコーストを主導したのが、アドルフ・ヒトラー」
 磯山は何度も赤と白のチョークを持ち替えながら板書を続ける。カツカツと黒板に当たるチョークの音。生徒たちがノートに走らすシャープペンシルの音。誰かの吐き出す小さな溜め息。
 龍星と高田は窓際の一番後ろの席で隣り合って座っている。しずかっちは廊下側の一番前の席、響子はその列の後ろから二番目の席。
   私がこのところ見ていた人間、あるいはその親族が、この中の収まるべき場所におさまっている。なぜ?    わからない。たまたま?    さあーー。

「惨いことをしていたんだ。子どもも大人も関係なしに、シャワーを浴びていいぞと騙してガス室に連れ込んで殺害したという話もある」
「いやいや、先生」と高田が声を上げた。
「アウシュビッツではもっともっと惨いこと、していたんでしょ?   人体実験とかの話もしてよ」
    高田は頬杖をつき、ペンを回しながら、挑戦的な態度で磯山を見つめた。
「嫌だよ」
    磯山は顔を顰める。
「俺、ぶっちゃけ言うと、朝からこんな刺激の強い授業、本当はしたくないんだ」
    B組の張り詰めていた空気が和らぐ。
「お前らもそうだろ?    内容が内容だけに、みんな身体がこわばってる。明るく楽しい授業がしたいんだけどな。ああ、しんど」
   笑い声が上がる。 しかし、私から見て生徒らが体を強ばらせて授業を受けているようには見えなかった。
「ガス室で撒かれたガス、シアン化水素らしいんだけどさあ」と高田は得意になって言う。「この前、自宅に巣を作った鳩にそれ練りこんだパン食わして鳩を殺した人、逮捕されたんだよな。みんな知ってる?」
「なにそのニュース、知らない」
「さすが高田さま、物知り」
「シアン化水素……」
    教室内が一斉にざわめき立つ。
「動機がなんだっけ。ベランダに巣をつくられて腹が立ったとか」
    私はそれを聞き、木から落ちそうになるのを必死で耐えた。
    それはおそらく、私の妻のことを言っているものだった。
    妻?
    妻を殺した犯人のこと。
「自宅だけじゃなく、航空公園の鳩にも撒いたんだっけ?    とにかく、大量に殺したらしくて捕まったんだよ」
「こらこらー。脱線しすぎだ。授業続けるぞ」
    磯山が声を響かせる。
「鳩のホロコーストって。ローストチキンっぽいな」
「高田ぁー。黙れー」
    そこから先、私は意識の海に溺れ、以降、授業がどう運ばれたのかを見ていない。

    私の妻は死んだ。
    二ヶ月前に。
    毒殺された。
    人間に。
    私が餌を探しに行ってる間に。
    妻は卵をあたためながら、逝った。
    
   仲間ではないが、鳩が空を飛んでいる。
   私は空高く飛び、旋回し、それから二年B組の教室めがけて突っ込む。
  呼んでもないのに群れができる。
  私が、私たちとなり、塊となって、空間を乱す。
  爆発に似た、叫び声。廊下。窓。再び外へ。
   なぜ飛び込んだのかはわからない。
    きっかけを待っていたのかさえも。
    ホウセンカ。
    たった一粒の雫が触れただけで、内包されたすべてのものが吐き出される。
    全てのものとは。
    種だ。
    私は思い出す。
    妻の亡き骸を。
    その横に落ちていた、大量の青いビワの実を。
    
    私は本当に、教室に突っ込んだ?
    まあ、そんなことはどうでもいい。


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