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できるだけ自由に笑いたい

「笑う」って最もパーソナルな感情表現だと思う。ドラマ制作者の方のインタビューなどでも、「怒る」「泣く」「悲しむ」に比べ、ずっとずっと難しい、とよく耳にする。

先日、遅めの朝食を食べながら、Podcast『奇奇怪怪』を聞いていて爆笑してしまった。『奇奇怪怪』は、今年いちばん視聴していた(らしい)Podcast番組(とSpotifyが教えてくれた。こうやってデータ吸い上げらえて、私の趣味思考がアーカイブされているんだな、と思うと、やっぱりちょっと苦い気持ちになる。恩恵も受けていると知りつつ、死ぬまで「ちょっと嫌だな」と思い続けるんだろう)。番組中の、もしかしたら需要があるかもしれない「ゆるふわ自己啓発」のプロトタイプに挑戦する、というくだり。ゆっくりとゆっくりとアドリブ言葉を紡ぐ。

(前略)
ぜんぶあげるよ。ぜんぶ、ぜんぶあげる。
1個、ちょうだい。1個は、ちょうだいよ
(後略)

 (Podcast『奇奇怪怪』)

文字面を見てもまったく笑えないと思うのだが、

「さっきまで自分のものだったのに、『1個、返して』じゃなくて、『1個、ちょうだい』なの! いいやつすぎる。迂闊すぎる! まじ、ウケる!」

と、今年いちばん大声出して笑ったんじゃないかな? 笑うこと自体も気持ちいいが、これがツボに入った自分によって、さらにツボに入る。ずっとずっと笑えちゃう。それまでのノリというものがあるし、言い方だって、間だってあるし、その時の体調だってあるし。とにもかくにも隣の夫は「何がそんなにおもしろの?」と虚をつかれた顔をしていた。

ニューヨークチャンネルのダイタク登場回(賞レースの決勝直前に出ると優勝するジンクスが、サルゴリラ、ラブレターズで生まれたらしい)。

M-1で勝つ漫才だけに特化して修練し続けるのは危険だ。ぜんぜんお薦めしない(大意)

(YouTube『ニューヨーク channel』)

と話していた。

SNSでは、「賞レースを語る前に、お笑いの世界の構造や空気が一般社会からは乖離して、男性優位(すぎる)状況が少しも瓦解できてないことに着目したい」というような問いかけがなされ、案の定、「女はつまらない。だから勝てない」というような意見で燃えていた。

今ここにある「おもしろい」「つまらない」の線引き。それは、本当に自分から発意したものなのか、都度、問うていきたい。 

笑いは、パーソナル。

自分だけの感覚をやわらかく、大切に。


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